ドッペル 〜悪役令嬢エレーヌ・ミルフォードの秘密

しげむろ ゆうき

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 その日、侯爵令嬢エレーヌ・ミルフォードはローライト国王にある聖エールライト魔法学院の長い階段を転げ落ちていた。しかも転げ落ちている最中、頭をどこかにぶつけたらしい。階段下まで落ちると床に鮮やかな血溜まりが広がったのだ。
 そんな階段下でぐったりしているエレーヌを一番上の段から口元を歪めながら見つめている者がいた。そして何か一言呟くと背を向けて去っていったのである。

 ◇

 目を覚ますとそこは知らない部屋だった。いや、知らないのではなく私が覚えていないのだろう。自分が誰なのかさえわかっていないから。

 記憶喪失? でも、こういう言葉や意味は覚えている。じゃあ、いったい……

 再び周りを見渡す。

 レースの天蓋付きベッド、落ち着いた花柄の天井、そして無駄に広い部屋に置かれた装飾の細かい家具類……。ずいぶんと裕福な家庭。けれども……

 私は自分の痩せ細った体を見つめた。

 寝たきりだったということかしら? それにしては体はしっかり動くのだけれど。

 そう思いながら体を動かしていたら、頭がズキッと痛んだ。

「痛っ……」

 思わず、声を出し頭を押さえる。すると手に布の感触が伝わってきたのだ。それで私は頭に包帯が巻かれていることに今さら気づく。

 頭に怪我をしていたということ? それで寝たきりになっていた……。でも、なぜ?

 包帯を弄りながら何が起きたのか考えていると、突然、黒髪に使用人服姿の女性が部屋に入ってきたのだ。しかも、彼女は無表情のまま私の腕を掴んできた。

「触らないよう、お願いします」

 こちらを覗き込みながらそう言ってくる。しかし、私は返事をせずに顔を背けてしまう。彼女から得体の知れない不快感を覚えたから。

 何なのこれは?

 私はそんな事を思いながら顔を顰めていると、彼女は更に人形のような顔を寄せてくる。そして尋ねてきたのだ。「ご自分が誰なのかわかりますか?」と。
 私は黙る。いや、彼女から感じる不快感に頭がクラクラして答えられないのだ。しかし、答えないと彼女はおそらくそこから動こうとしないだろう。だから、私は必死に口を動かす。

「……いいえ」

 何とか答えると彼女は無言で部屋を出て行った。おかげで何がなんだかわからないまま一人にされるが同時にホッとする。彼女が出て行き部屋の空気が和らいだ気がしたから。
 だが、すぐにまた不快感に襲われる。彼女が戻ってきたからだ。

「う……」

 悪いと思いながらも再び顔を顰める。すると今度は部屋に青に近い銀髪を靡かせたドレス姿の女性が入ってきた。

「ルネ、あなたは外に出ていなさい」
「はい、奥様」

 彼女……ルネは頷くと出て行く。それを見て私はホッとしていると、奥様と呼ばれた女性がルネと同じように私の顔を覗き込んできたのだ。

「ルネに聞いたけれど本当に何も覚えていないの? じゃあ、これなら?」

 手鏡を目の前に出してくる。正直、目の前の女性に似ていたが結局わからなかった。すると、女性は私の瞳を覗き込み微笑んできたのだ。

「あなたはデビット・ミルフォード侯爵とその妻である私、マリアンの一人娘、エレーヌよ」

 マリアン……要は私の母なのだろう。母はそう言うと私の頬を撫で、再び口を開く。

「今は記憶を失っているみたいだけれど、いつかは戻るわ。ただ、戻らなかった時の事も考えときましょう。そうだわ、勉強やマナーがどこまでできるか試さないといけないわね」

 母はそう言って私を見つめてくるので、つい尋ねてしまう。

「……なぜそんなことをするの?」

 勉強とマナーの必要性がわからなかったからだ。すると母は困った表情を浮かべる。しかし、すぐに視線を自分の指に嵌められた黒い指輪に向けた。

「それも含めてこれから教えるわ。けれど今日はもう疲れたわよね」

 そう答えると母は私の頭を人撫でする。途端に頭がボーッとしてしまう。そんな私を母はベッドに横にする。

「だからおやすみなさい。私の大切な娘」

 そう言って頭をもう一度、人撫ですると私の意識は薄れていく。そして深い眠りの世界へと落ちていったのだ。

 ◇

 あれから一週間程経った。記憶は今だに戻っていないが起き上がれる程回復しており、現在、私は自室で勉強しているところだ。
 
 あの時も思っていたけれど、記憶がないのにこういうのはわかるものなのね……

 そう思いながら、ページをめくっていると後ろの方で勉強を教えてくれた老齢の執事、マシューと母の会話が聞こえてくる。

「奥様、飲み込みが早くて驚いていますよ。もう歴史以外の学力に関しては問題ありませんね」
「そう。じゃあ、後はマナーだけね」
「……魔法教育の方はどうされます? エレーヌお嬢様は魔法適正があるようですが」
「今の状態で使わせるのは危険だから封じるわ」
「……そうですか」

 マシューはなんとなしに納得がいかないという様子だったが、頷くと私に声をかけてきた。

「エレーヌお嬢様、それではマナー講座に入ります」
「……わかったわ」

 私は頷くとマシューにまず立ち振る舞いを教わっていく。だが、私は早速つまづいた。更に初めてなのではというほど苦戦してしまったのだ。
 そんな私を見た母は口元を扇で隠し、小刻みに震えだしてしまう。きっと私の立ち振る舞いがおかしかったのだろう。そんな母にマシューが何か言いたそうに見つめる。母はマシューの視線に気づいたらしく扇を下ろして微笑んだ。

「無理はさせなくて良いわ。国王陛下からも許可はもらっているから」
「……わかりました。では、エレーヌお嬢様、今度は簡単なものから始めましょう」
「わかったわ」
「では、言葉使いから……」

 こうして私は毎日、食事と睡眠以外は勉強とマナー講習を繰り返した。
 そして一ヶ月経った頃、人前に出ても問題ないと判断される。そして私は学院に復学する事になったのだった。
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