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猫のひげが震える日だまり

ニンゲンの匂い

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 河原まで一気に走って、後ろから何の気配も来てないことを確認してから、そっと抱えていた人を地面に下した。
 ペタンとへたり込んだ前にかがんで、顔を覗き込む。
 びっくりしてる顔。

「……大丈夫か?」

 声をかけて首元の匂いを嗅いだ。
 うん、怪我もないし健康の匂い。
 ぼんやりと周囲を見て、自分の手を見て、それからわしの顔を見て、わしの身に着けた毛皮を見て、何度か口をハクハクさせてから、小さい声が聞こえた。

「アイシア……?」

 嬉しくて尻尾がふぁあってなった。

「そうや」
「いや、でもそれおかしい。アイシアは猫やし、もうずいぶん前に姿が……」
「猫又になってん」
「人のはずないけど、この毛色は正しくアイシア……さっき、イナバっぽいチャトラの人もいた……」
「そうや。そうやで。会いたかってん。そやしな、お化けに紛れて来た」
「お化け?」
「節分の百鬼夜行」
「ああ」

 ずいぶん前に姿を消したと言いながら、全然忘れられてなかったことに、うるうるって喉が鳴る。
 素肌に触れないように気を付けて、頭をぐりぐりとこすりつけた。

「夢でも見てるのかな……この甘え方、めっちゃアイシア……」
「だってわしやもん」

 夢みたいなのはこっちの方だ。
 諦めていたニンゲンに手が届いてる。

「あんな」
「ん?」
「夢やないねん。会いたくて会いに来てん。だから、わしの番になって」
「……はぃ?」

 腕を伸ばして、主がしてくれるように抱きしめた。
 腕の中にニンゲンがいる。
 猫の時には気がつかなかったけど、ずいぶんと細くて小さいと感じる。
 かわいい。
 全部の匂いを嗅いで、わしの匂いをつけて、かわいがりたい。

「名前教えて。わしに名前つけて。ほんで、わしと交尾して、番になって」
「いや。いやいやいや、ちょっと待って。猫……やろ?」
「人の姿も持ってる。猫又になった」
「でも、猫やろ?」
「なあ、アカン? 番にはなれん? 好きやねん。猫の時からずっと好きやってん。お前の今までの男みたいに、お前泣かせへんから。他の雌には目もくれへんし、大事にするし、寂しがらせへんし、わしが餌食わせる。教えてくれたら人の世で仕事もする。お前に貢がせたり、あんな下衆にお前を触らせたりもせえへん。わしの前で他の雄と交尾なんて絶対にさせへんし、他の雄の前でお前と交尾して見せびらかしたりもせえへん。っていうか、他の雄にお前を見せるのもいやや。わしは猫やから、パチンコやらも知らんし手ぇ出さへん。お前の誕生日とかに、他の雌に貢ぐもんをお前の金で買ぉたりせえへん」

 わしの腕の中で、固まっていた身体をますます縮こませて、小さくなっていく。
 なんや、なんや?

「どうしたん?」
「おれの嫌なことが、具体的過ぎて……」
「お前がわしに教えてくれたんやで。こういうことされて悲しかったって。そやし、わし、お前にそんなん絶対せえへん」
「あー……改めて他人の口から聞くと、自分の見る目のなさが情けない」

 ぎゅうっと小さくなってしまうから、抱え込んで背中を撫でた。
 かわいい。
 でも、急がなくては時間がなくなる。

「なあ、アカン?」
「お友達からおつきあいしてくださいってのは、なし?」
「ないな。わし、時間ないねん。主に頼んで人の世に出してもろたけど、今夜中に交尾できやんかったら、もう……」
「は? なにそれ。人魚姫か?」

 バッと顔を上げて、わしの目を覗き込んできた。
 あ。
 やっぱり好きや。
 わしの好きなきらきら。
 人魚姫とやらが何のことかわからないけど、何かを決めた目。
 わしの首に腕をまわして「抱っこ」と言う。
 そう言われたらするけど、何や?
 横抱きに体を抱き上げたら、あっちと指をさされた。

「今更、貞操もへったくれもないし、お前に会わへんかったらあいつらに輪姦されてたんやろうし、な。いいよ。何が何やらわからんけど、俺の部屋でなら、抱かれてやる」




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