上 下
72 / 124
7 野をひらく鍵

7-008 ――そういふ私がいまここに消えても

しおりを挟む
「『<てきや>とよばれる  世のともどちよ  神農を祖とする人たちよ 
   炉ばたのささやかな商ひで  世の人の役にも立ち、自らの生計も立て
    この国のはじまるときから、ながいながい年代を  世紀を生きぬき、
      生きついできた  人たちよ いま  きみたちは博徒と同一視され、
      やくざ・暴力団のうちにかぞへあげられ、病理を持つ集団とされてゐる
      きみたちはそれにあまんじてゐるのだろうか  
      あまんじてゐるなら、何もいふことはないが  
      もし、――もしそうでないといふのだったら  ここでひとつ、考へてみよう
      今日現在にいたる、ながい歴史を、ふりかえってみよう  
      百草をなめて医薬を知り、みちばたに市をひらいて  
      人々のくらしに役立てた  神農の心が、どこにあったのか  
      それを考へてみよう  そこから出直す時が今だ

      そしてそれはなにもひとり<てきや>に  限ったことではない  
      大きな病理をもつ  この世の人々の、すべてが、
      それをとっくりと  胸に手をあてて、考へてみる、今は時だ

      近代機械文明の生んだ  もろもろのまぎらひからひとときを脱して
      人間素朴のスタートを考へてみよう  今からでもおそくはあるまい
      もはや手おくれだと思ふのはやめよう

      ――そういふ私がいまここに消えても』」

朗々とした声で、冨田は吟じた。終わった後、しばらく誰も喋らず静まり返っている。

「な、なんですかそれ?」

何しろ会って五分も経たないうちに、いきなりこれなので守は少々度肝を抜かれていた。

「これはなあ、添田知道さんというかたが書かれた、『香具師(てきや)の生活』という本の冒頭に掲げられとる序詞や。好きなもんで覚えてしもうた」

冨田はガハハハ、と大口を開けて笑った。

「いや、まあ確かに『神農道』みたいな話は昔良く聞きましたけどね」

ギリギリ、祖父が生きていたころにそのような話しを聞いた記憶は、守にもある。確か、テキヤの守るべき道、といったような内容のものだった覚えがあった。

「相変わらず、ロマンチックですねえ。冨田さんは」  

守達の背中越しに、未夜はため息とともに声をかける。

「ロマン結構。そういう気概が大切やという話や」

鼻息も荒く、冨田は言い返している。
しおりを挟む

処理中です...