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第2章 魂と思惑

007 再び日常へ

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 翌日。
 5時に起床した雅司は手早く支度を済ませ、出社した。
 本日のシフトは早番、7時出勤。
 彼の職場の勤務形態は、早番中番遅番、そして夜勤。
 その都度起床時間が変わる為、体調管理が大変だった。
 夜勤の後に早番が組まれていると、体内時計が狂って眠れないこともあった。
 過酷な日々。
 そんな毎日に疲れたのもまた、人生を諦めるきっかけになったのかもしれない。

 隣の部屋のノゾミは、まだ眠っているようだった。
 雅司は微笑み、彼女に気付かれない様、静かに家を出たのだった。




「定時に帰れたの、いつぶりだ?」

 業務を終えた雅司が、帰路に就いていた。
 まだ夕方の4時半。このシフト、帰宅時間が早いのが魅力だった。
 とは言え、彼の職場は人手不足が続いているので、こうして定時で帰れることは滅多になかった。

 だが今日は、早く帰りたかった。
 家で誰かが待っている。別に初めてのことではない。
 しかし今、自分の帰りを待っている存在に、彼の胸は踊っていた。

 ――今までにない高揚感。

 家で悪魔が待っている。
 自分の魂を奪う為に。
 そんなおかしな日常を、俺は楽しんでいる。
 どこまで破滅的なんだ、俺は。
 そう思い、自嘲気味に笑った。




「おかえりなさいませ、ご主人様」

 メイド服姿のノゾミに、雅司が固まる。

「ご主人様ったら、何も言わずに出て行くんだから。目が覚めて私、寂しくて泣いちゃったんだよ?」

 耳まで赤くしたノゾミが、そう言って目を伏せる。膝が震えていた。
 セリフも棒読みだ。

「……何か言ってよ」

「いや、その……とりあえず、ただいま」

「おかえりなさいませ、ご主人様」

 引きつった笑みを浮かべ、ノゾミがもう一度そう言った。
 雅司が頭を掻き、小さく息を吐く。

「……どういう意図なのか、聞いていいか?」

 その言葉にノゾミは顔を上げ、得意げな表情を浮かべた。
 耳はまだ赤い。

「いいでしょこれ! 先輩に教えてもらった戦闘服、これで堕ちない男はいないって、言ってたんだから!」

「いや、その……確かにまあ、可愛いとは思う。無理してる様子も含めてな」

「でしょ! って、無理なんかしてないわよ!」

「いやいや、無理しまくってるから。膝も肩も震えてるし、耳もずっと赤いままだし」

「そ、それも計算の内よ!」

 本当に可愛いな、こいつ。
 そう思い、ノゾミの頭を撫でる。

「仕事帰りにこの出迎え、最高だよ」

「でしょ、でしょ! 先輩の言った通り、これで好感度も上がったわよね!」

「上がった上がった」

「よかったー、難易度高かったけど、やってよかったわ」

「毎日こんなサプライズがあるなら、それだけで頑張れるよ」

「もおーっ、褒めすぎだってばー」

「いやいや本当。この調子ならノゾミのこと、本気で好きになりそうだ」

「ふふっ、素直でよろしい。私のこと、どんどん好きになっていいんだからね」

「契約の為にな」

「ええそう、契約の為に」

「……」

 満面の笑みを浮かべるノゾミ。そんな彼女を見つめ、苦笑交じりに雅司が言った。

「ひとつ確認したいんだが、いいか?」

「確認? ええいいわよ、何でも聞いて」

「契約についての確認だ。間違いがあったら大変だからな」

「まあそうね。と言うか雅司、真顔か笑うか、どっちかにしなさいよ」

「じゃあ真面目な方でいこう。契約内容、もう一度言ってくれるか」

「別にいいけど、気になる言い方ね。まだちょっと笑ってるし」

「俺たちの契約は」

「私があなたを愛することよ」

「……あってるな」

「当然じゃない。私を誰だと思ってるの? 間違えるなんてこと、ある訳ないじゃない」

「それもそうだな。悪魔にとって契約は、存在意義と言っていいぐらい大切な物だからな」

「そうよ。これが私たちにとってのことわり。不変の価値なんだから」

「じゃあもうひとつ聞くぞ。ノゾミが今してること、それは何だ?」

「だから、あなたとの契約の為よ。さっきも言ったし、分かりきったことじゃない」

「だな。おかげでノゾミへの好感度が上がった」

「そういうこと。この調子なら、契約が果たされる日も近いわ」

「なあノゾミ」

「どうしたのよ、難しい顔して」

「もう一度聞くぞ。俺たちの契約は」

「私があなたを愛することよ」

「じゃあ今、ノゾミがしてることは」

「あなたが私を好きに…………あ」

 今度はノゾミが固まった。

「分かったか?」

「……これって実は、何の意味もないことじゃ……」

「いやいや、意味はあるよ。俺にとってはご褒美だからな」

「先輩、なんてアドバイスを……」

「聞き方がおかしかったんじゃないのか?」

 昨夜からの違和感に答えが出た。そう思い、雅司が微笑む。
 このサービスが終わってしまうのは、残念だが。

「悪魔って、狡猾で邪悪な物だと思ってた。でもノゾミと出会って、それが間違いだと気付かされた。確かにノゾミは、俺の魂を奪う為にここにいる。でもその為に、ノゾミは自分に出来る最高の仕事をしようとしている。
 悪魔って、ある意味人間より真面目で勤勉なんだな。尊敬するよ」

「フォローなんて、しなくていいから」

「フォローじゃないよ。心底そう思ってる」

 見上げると雅司の笑顔。不覚にも胸が熱くなった。
 慌てて視線を外す。

「と、とにかく……私たちの契約には、こういうことの積み重ねが大事ってことよ。そう、そうなんだから」

「そうだな。毎日とはいかなくても、またこうして迎えてくれたら嬉しいよ」

「ちょ、調子に乗るんじゃないわよ、全く……まあいいわ。この失態、契約の糧にしてやるんだから」

「ああ、そうしてくれ」

 やり取りを終えた雅司が靴を脱ぎ、洗面所に向かう。

「今日もご馳走だからね。手を洗って座りなさい」

「ああ、楽しみだよ」




 雅司が洗面所に入ったのを見届け、その場に座り込む。

 なんて失態だ。契約の解釈を真逆にとらえていた。
 この私が、こんな初歩的なミスを犯すなんて。そう思い、羞恥に身を震わせた。

 そして思った。

 この契約は、それほどまでに難易度が高いのだ。
 私自身が、経験したことのない任務。
 やり遂げてやる。改めてそう決意するのだった。

 そして。

 そんな自分を優しく見つめた雅司に、胸が熱くなるのだった。
 なんだろう、この感覚は。


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