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054 絶望のシグナル

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 宗一と多恵子が出てすぐに、奈津子は意識を失った。
 春斗が奈津子を抱きかかえると、かなり熱が上がっているのが分かった。
 布団の中で「おばあちゃん」とつぶやく彼女の傍らに座り、春斗は沈痛な面持ちで髪を撫でた。




「ごめんね。折角来てくれたのに」

「気にしなくていいよ。なっちゃん、いくつになってもそうなんだから」

「そうって?」

「一番大変なのは自分なのに、僕のことを心配するところだよ」

 そう言って唇を噛んだ。

「ごめんなさい……でも本当に、悪いって思ったから」

「そう思うんだったら、お願いだから休んでて。なっちゃんのこんな姿、見てられないから」

「やっぱり優しいね、春斗くん」

 そっと春斗の手を握り、奈津子が微笑む。

「おばあちゃん……大丈夫かな」

「何か感じたんだね」

「うん、私……嬉しくないんだけど、こういうのが分かるみたいなんだ」

「こういうのって?」

「おばあちゃんの匂い……がね、不吉な感じだったの」

「それって」

「うん……考えたくないし、口にしたくもないんだけど……私、死の匂いが分かるの」

「死の……匂い……」

「もうすぐこの世界からいなくなる人ってね、独特の匂いがするんだ」

「……」

「事故とかで亡くなる人は別だよ。そうじゃなくてね、何かしらの病にかかっている人からは……例外なく、その匂いがするんだ。それをね、昔看護師さんに相談したことがあるの。そうしたらその看護師さん、『あなたにも分かるんだ』って言ってくれて」

「と言うことは、その人も」

「うん、感じるらしい……でもね、みんながみんな感じるんじゃないみたい。そしてね、その人言ってたんだ。こんな能力、いらないって」

「……だろうね」

「その匂いがしたら、三日ぐらいで亡くなるみたい」

「そんな匂いがあるんだね」

「でも……感じたからと言って、何も出来ることはないの。看護師さんは言ってた。絶望のシグナルだって」

「そうだね……ただ分かるだけで、何の手も打てないんだったら」

「病院に行った所で、もう手の打ちようがないと思う。でも……だからと言って私、何もしないなんて出来ない。万が一にでも可能性があるんだったら、それに賭けたかったの」

「なっちゃん……」

「おばあちゃん、これから料理を教えてくれるって言ってくれたの。すごく楽しみだった。それに……おばあちゃんといると楽しいし、いつも心が穏やかになってたから……もっと色んな話がしたい、楽しいこと、一緒にしたいって思ってた。だから……」

 頬に涙が伝う。

「疫病神みたいだね、私……ここに来てから、と言うか事故の時から……私と一緒だったから、春斗くんのお父さんも」

「何言ってるんだよ。関係ないよ」

「でも」

「でもじゃないよ。色んなことがあって、なっちゃんは疲れてる。心は勿論だし、体だって。熱だってそうだよ。ずっと無理してきたから、体が悲鳴を上げたんだ。少し休ませてほしいって」

「……」

「なっちゃんは何も考えず、少し休むべきだ。こんな状態で考えても、いい解決方法なんて絶対に出ないから。
 それにね、こうして僕がここにいるのだって、きっと意味があると思うんだ。少なくとも今、僕はなっちゃんの傍にいる。見守ることが出来る。だからなっちゃん、少しだけでもいいから、僕に甘えてほしいんだ。何だってするから」

 真剣な眼差しで訴える春斗に、ああ、本当に逞しくなったな、そう奈津子は思った。
 春斗の存在が今の自分を支えている、そう思い、照れくさそうに春斗の手を握り締めた。

「ありがとう、春斗くん。そうだね、まずは体、治さないとね」

「そうしてくれるかな」

「うん……春斗くん、傍にいてくれる?」

「勿論。ずっといるよ」

「その……手、握っててもいいかな」

「いいよ」

 そう言って奈津子の手を握り返すと、奈津子が頬を染めて微笑んだ。

「ありがとう、春斗くん……」

「うん……おやすみ、なっちゃん」






 重い瞼を気怠けだるそうに開ける。
 体にまとわりつく不快感。
 全身、汗でびっしょりだった。
 まだ熱もあるようだ。
 天井を見つめ、奈津子がため息をつく。
 どれくらい寝てたんだろう。そう思い時計を見ると、2時を少しまわっていた。

「……春斗くん?」

 春斗の名を呼び、自分の声の弱々しさに驚いた。
 部屋には誰もいない。

 仕方なく立ち上がり、壁に寄り掛かりながら部屋を出るが、人の気配が感じられなかった。
 ひょっとしたら昼の2時でなく、夜中の2時なんだろうか。そう思ってしまうくらい、窓の外は暗かった。

「……すごい……」

 外は吹雪いていた。
 思っていたのとはかなり違うな、そう思った。
 吹き荒れる雪。外に出たら、1メートル先も見えないんじゃないだろうか。
 風で家がきしむ音がする。その音に不安になった。
 自分一人が、この世界に取り残されてしまったようだ。
 そんな不安を消したくて、奈津子は重い体を引きずり居間へ向かった。

「え……」

 箪笥の引き出しが開けられ、中が散乱していた。
 こんな吹雪の日に泥棒? そう思い、辺りを警戒する。
 しかしコタツの上にあったメモ書きを見つけ、それが杞憂だと分かった。

「薬局で薬を買ってきます。悪いと思ったけど、あちこち調べました。薬箱は見つけたけど、目当ての物はありませんでした。
 おじさんとも連絡がつかないので、ネットで薬局を調べましたが、30分もあれば着きそうです。庭に自転車があったので、借りていきます。  春斗」

 読み終えた奈津子が口をとがらせた。

「……傍にいるって約束したのに……春斗くんの馬鹿」

 春斗が見つけた薬局は、バスが運行していれば、確かに30分ほどで着くところにある。でもこの雪だ、バスも動いてないだろう。
 こんな吹雪の中を、土地勘のない春斗が自転車で。
 無事戻って来れればいいけど……相変わらず無鉄砲だな、そう思った。
 しかし自分の為、吹雪の中に飛び込んでいく彼の優しさに、胸が温かくなった。

 仕方ない。彼が戻ってくるまで大人しくしていよう。
 汗を拭い着替えを済ませると、少し気分が落ち着いた気がした。

 もう少し寝ていようか。でも、折角着替えたんだし、どうしよう。
 そんなことを考えていた奈津子が、机の上に置かれた真新しいノートに気付いた。

 これをここに置いた記憶はない。
 再び不安な気持ちになる。

「……」

 椅子に座り、震える手でノートを開いた。




「ヤット アエルネ」
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