7 / 69
007 団欒
しおりを挟む
温かいご飯、賑やかな食卓。
団欒。
奈津子が求めていたものが、ここにはあった。
これまでの生活では、夕食は決まって一人で済ませていた。
放課後は塾に直行。帰宅するといつも9時を回っていた。
両親は自室に戻っている。奈津子は一人、台所で用意された夕食を食べるのだった。
早く食事を終え、風呂を済ませて部屋に戻りたかった。もたもたしていると、父がやって来るかもしれない。それは避けたかった。
口を開けば成績のことばかり。下がっていれば厳しく問い詰められた。
気持ちが入っていないからだ。
お前には真剣さが足りない。
もっと危機感を持て。
うんざりするほど聞き飽きた言葉で責めて来る。その言葉ひとつひとつが、自分という存在そのものを否定されているように思えて来る。
そう考えると、一人で冷えたご飯を食べている方がましだった。
しかし家族で食卓を囲み、笑顔で過ごすひと時に憧れを持っていたのも事実だった。
今、憧れていたものが目の前に広がっている。
宗一も多恵子も自分の帰りを待っていて、一緒に夕食を始める。
そんなありきたりの幸福がここにはあった。
「今日はちょっと遅かったね」
「ごめんね、おばあちゃん」
「違うわよ、責めてるんじゃないから。バスは30分に一本だし、一つ乗り遅れたらこうなるのも仕方ないからね。ただ暗くなるのも早くなってきてるし、少し心配なだけよ。学校が楽しいのなら、それはそれでおばあちゃん、嬉しいから」
「今日はね、亜希ちゃんの手伝いで、飼育小屋の掃除をしてたの。玲子ちゃんも一緒に」
「勝山さんと和泉さんちの娘さんかい?」
「うん、そう。おばあちゃん、知ってるんだ」
「ご近所さんだからね、昔からよく知ってるよ」
「ご近所さんって……ここからだと、バスに乗っても30分以上かかるよ」
「30分なんて近いわよ」
「……その感覚にはまだ慣れないな」
そう言って奈津子が苦笑する。
「あの二人、相変わらず仲良しさんなんだね」
「うん。二人を見てるとね、仲良し姉妹みたいで面白いの。勿論、玲子ちゃんがお姉さんで」
「そんな感じよね、あの二人」
「おばあちゃん?」
「なっちゃん。亜希ちゃんもだけど、玲子ちゃんのこと、見守ってあげてね」
「見守ってって、どういうことかな。どっちかって言ったら、私の方が面倒をみてもらってるんだけど」
「あの子、昔はあんな落ち着いた子じゃなかったのよ。すごく気分屋さんで、それでいて泣き虫で。どっちかって言ったら、亜希ちゃんの方が面倒を見てるって感じだったの」
「そうなんだ。今の玲子ちゃんからは想像出来ないな」
「5年くらい前のことなんだけど、玲子ちゃんのお母さん、事故で亡くなって」
「え……」
事故で母を失っている。今の自分の境遇と重ね、奈津子が言葉を詰まらせた。
「あの子の目の前で車にはねられて……あの時は本当に可愛そうだったわ」
「……そうだったんだ」
「あの頃からあの子、雰囲気が変わったの。泣き虫なのは変わらないけど、我儘も言わなくなって。私も昔見たことがあるんだけど、気に入らないことがあるとあの子、よく癇癪を起こしてたの。あちこちの物に当たったりしてね。でもあの事故以来、そういうこともなくなって。
人が変わったように大人っぽくなってね。そんなあの子を見て、私たちも何か力になってあげたいって思ってたの」
「私……そんなこと全然知らなかった。玲子ちゃんはクラス委員で、どんな時でも冷静な人。そんな風にしか思ってなかった」
「知らなかったんだから、それでいいと思うわよ。あの子にしたって、それでなっちゃんから気を使われるのも嫌だろうし」
「そんなことを言いながらばあさん、いらん話をしとるじゃないか」
二人の会話を黙って聞いていた宗一が、お茶を一口含んで静かに言った。
「私はそんなつもりじゃ……でもそうね、お節介なことを言っちゃったかも。ごめんね」
落ち込んだ様子でそう言った多恵子に、奈津子が慌ててフォローする。
「そういうことって、誰かに教えてもらわないと分からないことじゃない? 私だって玲子ちゃんたちのこと、根掘り葉掘り聞く訳にもいかないし。だから今の話、聞けてよかったと思ってるよ」
「なっちゃんにまで気を使わせて。駄目なおばあちゃんね」
「うはははははははっ。いらんことを口にする、ばあさんの業ってやつじゃな」
重くなった空気を壊すように、宗一が豪快に笑った。
「とにかく、奈津子が楽しくやってるようで何よりじゃて。奈津子、勉強もええがな、子供らしく伸び伸び過ごすんじゃぞ。陽子や明弘くんだって、あの世でそう願っとる筈じゃ」
父と母の名を出され、奈津子が微妙な笑顔を向けた。
「うん……ありがとう。おじいちゃん、おばあちゃん」
部屋に戻り寝間着に着替える。
玲子が言っていたように、来週は中間試験がある。
両親の事故、引っ越し、転校と慌ただしかったこの半月は、流石に勉強どころではなかった。前の学校にいたなら、今回の試験は散々な結果だったに違いない。
でもそれは言い訳にしかならない。環境を言い訳にするのは卑怯者だ、そう言った父の言葉を思い出す。
「確かに……卑怯になるのかな、その考えは」
机に置かれた家族写真に目をやり、自嘲気味に笑う。
「でもそんな努力……今更必要なのかな。ね、お父さん」
そう言って写真たてを指ではじき、椅子に座った。
引き出しから部屋用のノートを出す。
今日の授業で習ったことを、学校用のノートから書き写す。部屋で奈津子が最初にすることだ。記憶が新しい内にこの作業をすることで、自身の脳内に刻み込む。
「……え」
部屋用のノートを開いた奈津子が声を漏らす。
「……何、これ……」
ノートには自分ではない筆跡で、こう書かれていた。
「オマエヲズット ミテイルゾ」
団欒。
奈津子が求めていたものが、ここにはあった。
これまでの生活では、夕食は決まって一人で済ませていた。
放課後は塾に直行。帰宅するといつも9時を回っていた。
両親は自室に戻っている。奈津子は一人、台所で用意された夕食を食べるのだった。
早く食事を終え、風呂を済ませて部屋に戻りたかった。もたもたしていると、父がやって来るかもしれない。それは避けたかった。
口を開けば成績のことばかり。下がっていれば厳しく問い詰められた。
気持ちが入っていないからだ。
お前には真剣さが足りない。
もっと危機感を持て。
うんざりするほど聞き飽きた言葉で責めて来る。その言葉ひとつひとつが、自分という存在そのものを否定されているように思えて来る。
そう考えると、一人で冷えたご飯を食べている方がましだった。
しかし家族で食卓を囲み、笑顔で過ごすひと時に憧れを持っていたのも事実だった。
今、憧れていたものが目の前に広がっている。
宗一も多恵子も自分の帰りを待っていて、一緒に夕食を始める。
そんなありきたりの幸福がここにはあった。
「今日はちょっと遅かったね」
「ごめんね、おばあちゃん」
「違うわよ、責めてるんじゃないから。バスは30分に一本だし、一つ乗り遅れたらこうなるのも仕方ないからね。ただ暗くなるのも早くなってきてるし、少し心配なだけよ。学校が楽しいのなら、それはそれでおばあちゃん、嬉しいから」
「今日はね、亜希ちゃんの手伝いで、飼育小屋の掃除をしてたの。玲子ちゃんも一緒に」
「勝山さんと和泉さんちの娘さんかい?」
「うん、そう。おばあちゃん、知ってるんだ」
「ご近所さんだからね、昔からよく知ってるよ」
「ご近所さんって……ここからだと、バスに乗っても30分以上かかるよ」
「30分なんて近いわよ」
「……その感覚にはまだ慣れないな」
そう言って奈津子が苦笑する。
「あの二人、相変わらず仲良しさんなんだね」
「うん。二人を見てるとね、仲良し姉妹みたいで面白いの。勿論、玲子ちゃんがお姉さんで」
「そんな感じよね、あの二人」
「おばあちゃん?」
「なっちゃん。亜希ちゃんもだけど、玲子ちゃんのこと、見守ってあげてね」
「見守ってって、どういうことかな。どっちかって言ったら、私の方が面倒をみてもらってるんだけど」
「あの子、昔はあんな落ち着いた子じゃなかったのよ。すごく気分屋さんで、それでいて泣き虫で。どっちかって言ったら、亜希ちゃんの方が面倒を見てるって感じだったの」
「そうなんだ。今の玲子ちゃんからは想像出来ないな」
「5年くらい前のことなんだけど、玲子ちゃんのお母さん、事故で亡くなって」
「え……」
事故で母を失っている。今の自分の境遇と重ね、奈津子が言葉を詰まらせた。
「あの子の目の前で車にはねられて……あの時は本当に可愛そうだったわ」
「……そうだったんだ」
「あの頃からあの子、雰囲気が変わったの。泣き虫なのは変わらないけど、我儘も言わなくなって。私も昔見たことがあるんだけど、気に入らないことがあるとあの子、よく癇癪を起こしてたの。あちこちの物に当たったりしてね。でもあの事故以来、そういうこともなくなって。
人が変わったように大人っぽくなってね。そんなあの子を見て、私たちも何か力になってあげたいって思ってたの」
「私……そんなこと全然知らなかった。玲子ちゃんはクラス委員で、どんな時でも冷静な人。そんな風にしか思ってなかった」
「知らなかったんだから、それでいいと思うわよ。あの子にしたって、それでなっちゃんから気を使われるのも嫌だろうし」
「そんなことを言いながらばあさん、いらん話をしとるじゃないか」
二人の会話を黙って聞いていた宗一が、お茶を一口含んで静かに言った。
「私はそんなつもりじゃ……でもそうね、お節介なことを言っちゃったかも。ごめんね」
落ち込んだ様子でそう言った多恵子に、奈津子が慌ててフォローする。
「そういうことって、誰かに教えてもらわないと分からないことじゃない? 私だって玲子ちゃんたちのこと、根掘り葉掘り聞く訳にもいかないし。だから今の話、聞けてよかったと思ってるよ」
「なっちゃんにまで気を使わせて。駄目なおばあちゃんね」
「うはははははははっ。いらんことを口にする、ばあさんの業ってやつじゃな」
重くなった空気を壊すように、宗一が豪快に笑った。
「とにかく、奈津子が楽しくやってるようで何よりじゃて。奈津子、勉強もええがな、子供らしく伸び伸び過ごすんじゃぞ。陽子や明弘くんだって、あの世でそう願っとる筈じゃ」
父と母の名を出され、奈津子が微妙な笑顔を向けた。
「うん……ありがとう。おじいちゃん、おばあちゃん」
部屋に戻り寝間着に着替える。
玲子が言っていたように、来週は中間試験がある。
両親の事故、引っ越し、転校と慌ただしかったこの半月は、流石に勉強どころではなかった。前の学校にいたなら、今回の試験は散々な結果だったに違いない。
でもそれは言い訳にしかならない。環境を言い訳にするのは卑怯者だ、そう言った父の言葉を思い出す。
「確かに……卑怯になるのかな、その考えは」
机に置かれた家族写真に目をやり、自嘲気味に笑う。
「でもそんな努力……今更必要なのかな。ね、お父さん」
そう言って写真たてを指ではじき、椅子に座った。
引き出しから部屋用のノートを出す。
今日の授業で習ったことを、学校用のノートから書き写す。部屋で奈津子が最初にすることだ。記憶が新しい内にこの作業をすることで、自身の脳内に刻み込む。
「……え」
部屋用のノートを開いた奈津子が声を漏らす。
「……何、これ……」
ノートには自分ではない筆跡で、こう書かれていた。
「オマエヲズット ミテイルゾ」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
最終死発電車
真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
ずっとずっと
栗須帳(くりす・とばり)
恋愛
「あなたのことが好きです」
職場の後輩、早希から告白された信也。しかし信也は、愛する人を失う辛さを味わいたくない、俺は人を信じない、そう言った。
思いを拒み続ける信也だったが、それでも諦めようとしない早希の姿に、忘れていたはずの本当の自分を思い出し、少しずつ心を開いていく。
垣間見える信也の闇。父親の失踪、いじめ、そして幼馴染秋葉の存在。しかし早希はそのすべてを受け入れ、信也にこう言った。
「大丈夫、私は信也くんと、ずっとずっと一緒だよ」
怪物どもが蠢く島
湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。
クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。
黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか?
次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。
闇に蠢く
野村勇輔(ノムラユーリ)
ホラー
関わると行方不明になると噂される喪服の女(少女)に関わってしまった相原奈央と相原響紀。
響紀は女の手にかかり、命を落とす。
さらに奈央も狙われて……
イラスト:ミコトカエ(@takoharamint)様
※無断転載等不可
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
柘榴話
こはり梅
ホラー
ザクロの実の花言葉は「愚かしさ」、様々な愚かしさをどうぞ。
柘榴(ざくろ)の実には「愚かしさ」という花言葉があります。
短い作品集になっていますが、どの話にも必ず「愚かしさ」が隠れています。
各話10分ほどで読めますので、色んな愚かしさに触れてみて下さい。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる