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006 視線

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 バスに揺られること20分。停留所に着くと辺りはもう暗くなっていた。
 街灯もほとんどない暗い道を歩いていると、自分の生活環境が変わったことに改めて気付かされる。

 この土地に来て奈津子は、自分が闇に同化していくような、そんな奇妙な感覚を覚えていた。しかしそれを怖いとは思わなかった。
 どちらかと言えばほっとする。
 これまで多くの人が行き交い、賑わう場所にいた。でもその時の方が、どうしようもない孤独を感じていた。

 今、自分はこの暗闇の中を一人で歩いている。
 振り返っても前を向いても、静かな闇が広がっている。
 それが嬉しかった。満足だった。
 生まれて初めて感じるこの安息感。自分を俯瞰ふかん出来るこの時間は、ここに来て一番嬉しいことなのかもしれない。そんな風に思えるのだった。




「……」

 まただ。また何かの視線を感じる。
 奈津子が足を止め、ため息をついた。
 こんな過疎の村。人通りもほとんどない夜の砂利道。
 誰もいる訳がないのに。

 都会にいた時、よく耳にしていた物騒な事件。
 ストーカー、無差別殺人。

 しかしそう言った事件は、大衆の中で孤独を感じている、言わば自分のようなタイプの人間が、感情を暴発させて起こすものだと思っていた。
 こんな長閑のどかな場所で、そんな事件に出くわすとは思えない。

 それなのに。その筈なのに。
 視線はどんどん強くなっていった。
 体を刺し貫くように。
 そして時には、体を舐めまわすように。

 自意識過剰? そんな風に思うこともあった。
 自分のようなちっぽけな存在に、執着する人間がいる訳がない。
 そう思い、気にしないようにしてきた。




 考えてみれば、この感覚は旅行の頃から始まっていた。
 実力テストで好成績を修めた奈津子に、上機嫌になった父が提案してくれた、大野家との合同家族旅行。
 別々の高校に進学し、疎遠になりつつあった春斗とも、久しぶりにゆっくり話が出来た。

 そこで感じた。
 背筋が凍り付くような感覚を。
 何度も何度も振り返った。しかしそこには誰もいない。

 春斗のいたずらだろうか。そんな風に思い、問い詰めてみた。
 しかしその時春斗は言った。

「なっちゃんも感じる? 実は僕も、誰かに見られてるような気がしてたんだ」

 そう言った春斗の目は、怯えているようでもあった。

「春斗くんもなんだ……」

「うん……なんだろう、この感覚」

「でも、一緒にいれば大丈夫よね。春斗くんが守ってくれるし」

「ええっ? いや、その……な、何かあれば勿論、頑張ってはみるけど」

「ふふっ、冗談よ、冗談。何かあったら私が守ってあげるから」

「それはそれで安心なんだけど、でもちょっと悔しいと言うか……分かった、頑張るよ」

 悲壮な決意を宿す春斗の瞳に、奈津子は笑ったのだった。

「ほんと春斗くん、同い年とは思えないよね。子供の頃からそうだったけど、高校に入った今でも、かわいい弟って感じ」

「なっちゃん……それはちょっと酷いよ……」



 その帰り、奈津子たちは事故にあったのだった。



 あの頃からずっと視線を感じている。
 そしてその視線は、日に日に強くなっている気がした。

 学校にいる時だってそうだ。
 今日亜希が言っていた、転校初日の蛍光灯事件。
 あの時も自分は、強い視線を感じていた。
 誰が? どこから見ているの?
 そう思うと、今すぐ逃げ出したい気持ちになった。
 しかしそれを押し殺し、冷静さを装った。
 そんなこと、ある訳がないのだから。

 あの旅行先で。
 新しい家で。
 学校で。

 四六時中自分を狙っている人がいるなんて、現実的じゃない。
 そんな価値は私にない。
 両親の財産は祖父母が管理しているし、大した額じゃない。
 私自身に恨み? あいにく恨まれるようなことをした覚えはないし、そんなことでずっとつけているなんてあり得ない。
 そう思うと、ため息ではなく笑みが漏れるのだった。

「ほんと、私って自意識過剰だよね」

 山から下りてきた動物の視線というのもあり得る。
 しかし奈津子はそのどれをも思考から消し去り、早く家に帰ろう、帰って小説の続きを読もう。そう思い、帰路を急ぐのだった。
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