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097 久しぶり、だね
しおりを挟む「やりやがったな、姉ちゃん……」
10月27日日曜日。
知美が待ち合わせ場所に指定した、梅田のHEP NAVIOエレベーター前。
遅れると蹴られる。そう思い30分前から待っていたのだが、そこに現れたのは知美ではなく、秋葉だった。
すぐに知美の携帯に電話を入れたのだが出てもらえず、代わりにメッセージが届いた。
『ごめーん。急に予定が入ったから、秋葉のエスコートよろしく~』
「ったく……秋葉は知ってたのか?」
「私は知美ちゃんに、映画に行こうって言われて」
「姉ちゃん、なんてベタな真似を……」
秋葉の服装に目をやる。ブラウンチェックのプリーツスカートに白のロングシャツ、肩にベージュのセーターをはおっていた。
相変わらず、人形みたいなやつだな……そう思っていると、視線に気付いた秋葉が頬を染めてうつむいた。
「……信也見すぎ。恥ずかしい」
「あ、ああ、すまん……」
秋葉の反応に、信也も顔を赤くした。
「にしても秋葉。姉ちゃんと映画なのに、えらく気合い入ってるな」
「……知美ちゃんがね、誕生日をエスコートしてほしいから、それなりの服装で来てくれって……デートだって」
「なるほどな。それで二人共、まんまと引っかかったって訳だ」
「そう、みたい……ごめんね」
「なんで秋葉が謝るんだよ。それでどうする? 映画」
「信也は……どうしたい?」
「だよな」
信也が頭をかいて息を吐いた。
昔から秋葉は、こういうことになると必ず信也の意見を聞いてきた。そして信也が決めたことに、いつも従っていた。自分の意思に関係なく。
「折角ここまで来たんだし。観ていくか」
「うんっ!」
秋葉が嬉しそうにうなずいた。
「チケットは知美ちゃんから預かってるから」
「ちなみに何の映画だ?」
「これ」
秋葉が差し出したチケットは、漫画原作の恋愛物だった。
「これか……漫画は読んでるよ。ちょっと気になってたんだ」
「私も。このお話、好きだから」
「ハッピーエンドだしな」
「うん」
そう言って笑う秋葉は、やはり可愛かった。
映画が終わると、二人はレストランエリアへと向かった。
信也から「何か食べて行こう」と言われた時、秋葉は意外そうな顔をした。しかしすぐに笑顔を見せ、嬉しそうにうなずいた。
とは言え、信也に梅田のエスコートは無理だった。知っているのはファストフード店ぐらいだった。
「面目ないです」
うなだれる信也に苦笑し、秋葉が先導したのだった。
「信也は何が食べたい?」
「そうだな。今なら馬一頭、丸かじり出来るぞ」
「じゃあ馬、買ってくるね」
「どこに?」
「どこだろう」
「適当だな、お前」
「ふふっ」
「ははっ」
そう言って、以前早希と同じ会話をしたことを思い出した。返しまで同じだった。
――早希が戻って来た時、交わした言葉。
「……」
「どうしたの? 急に黙って」
「あ、いや……今の話、早希ともしたなって思ってな」
「そう、なんだ……ごめんね」
「だからなんで謝るんだよ。色々おかしいだろ」
「そうかな」
「そうだって。それになんだ……いい思い出だから問題ない」
「そうなんだ……」
「ああ。それで? 何にする?」
「お昼だし、しっかり食べないと。信也は男の子だし」
「お前……俺を何歳だと思ってるんだ」
「おかしかった?」
「それ、成長期の息子がいてるお母さんの思考だ」
「そう?」
「そ・う・だ」
「ふふっ……でもそうだね。私、信也といるとそんな感じ、あるかも」
「ちなみに秋葉、今でも夜はあまり食べないのか」
「うん。だって夜は寝るだけだし、ほとんど食べないよ」
「腹減って寝れなくなったりしないのか」
「よく聞かれるけど、慣れだと思う。代わりに朝はしっかり食べるよ」
「それがその体型を維持する秘訣か」
「信也……ちょっとおじさん、入って来てない?」
「かもな、はははっ」
「否定してよ、ふふっ」
「食った食った」
ステーキを平らげた信也が、満足そうに言った。
「ふふっ。信也、幸せそう」
「そうか? まあ、ステーキなんて久しぶりに食ったからな」
「そうなんだ」
「これが食えただけでも、今日の姉ちゃんの悪だくみ、許してやるか」
「ふふっ、何それ」
「秋葉も今、幸せそうだぞ」
「そう?」
「ケーキ食ってる秋葉。これ以上にないくらい幸せな顔してる」
「……あんまり見ないで。恥ずかしいから」
「ははっ、悪い」
「でも信也、本当に変わったね」
「そうか?」
「うん。昔……高校ぐらいからかな。ご飯食べててもつまらなそうな顔してたから」
「早希にも出会ったばかりの頃、似たようなこと言われたな」
「そう、なんだ……やっぱり信也が変わったのって、早希さんのおかげなんだね」
「あいつと出会うまでは、実は幸せが身近に転がってるんだなんて、考えたこともなかった。と言うか、信じたくなかった。飯はただの栄養補給って思ってたし、娯楽にも興味なかった」
「早希さん……もう半年になるんだね」
「ああ」
「最後に会ったのが、ついこの前みたい」
「それって、入籍の前の日だよな」
「うん……あの時の早希さん、本当に幸せそうだった……言ってたよ、今は何をしても楽しいんだって。辛いことも、信也と一緒なんだって思ったら全然辛くないって」
「そうなんだ」
「あ……なんかごめん。ちょっと無神経だったよね」
「そんなことないぞ。そうして秋葉が早希のことを話してくれるの、俺は嬉しいよ」
「……ありがとう」
「お前とはこうして、何でも話せる関係でいたいからな。タブーはひとつで十分だ」
「え……」
「あ、すまん。今のなし、今のはなしで」
「う、うん……なんかごめん」
「いやいや、今のは俺が謝るところだから」
「……」
決まりが悪くなった信也が、慌ててコーヒーを口にした。
「……なんかすまん、変なこと言って」
「ううん、大丈夫」
「……仕事は順調か」
「うん。最近新人さんも入って来たし、少しシフトに余裕も出てきたの」
「忙しかったみたいだもんな。49日も来れなかったし」
「ごめんね」
「今のは忙しいなって話だ。なんでもかんでも謝るんじゃねーよ」
「……ごめん」
「ほらまた」
「あ、ご……」
「うん?」
信也が意地悪そうに顔を覗き込む。秋葉は慌てて口を閉じ、そして信也を見て笑った。
「考えてみたら秋葉と会うの、早希の葬式以来なんだな」
「うん……そう思ったらね、不思議な感じがするの」
「不思議な感じ?」
「早希さんとはついこの前会ったみたいな感覚なんだけど、信也とはずっと会ってなかったような気がするの」
「そういう物なのかな。死んだ人のことを思い出すと」
「でもよかった。信也、元気そう」
「塞ぎこんでたら、早希に怒られちまうからな。ハリセンで」
「あ……ごめんなさい」
「だからなんで……って、そうだ思い出した! お前あの時、俺をボコボコに」
「昔のことだから、よく覚えてないかも」
「いやいやいやいや、秋葉さん? ついこの前のことって言ったばかりですよね」
「このケーキおいしい」
「てっめえ」
「ふふっ」
そう言ってケーキを頬張る秋葉に、胸が少し高鳴った。
「そう言えばその眼鏡、まだ使ってるんだね」
「ん? ああこれな。なんだかんだで長い付き合いだよ」
「でも、まだ綺麗だよね。レンズに傷もないし」
「レンズは一回交換した。ちょっと視力が落ちてたから、一昨年ぐらいに」
「テレビ、近くで観てるんでしょ」
「お前は俺の母ちゃんか」
「暗いところで本、読んでない?」
「だから母ちゃんかって」
「夜中にエッチなゲームしてるとか」
「ほんとすいません、勘弁してくださいお母さん」
「ふふっ……でも大事に使ってくれて嬉しい」
「お前が選んでくれた物だしな」
「そういう言い方は……恥ずかしいから駄目」
「本当のことだろ。それに俺も気に入ってるし」
「うん。やっぱりそれ、信也に似合ってると思う。多分」
「多分って何だよ、そこはフォローしろよ……ってそれ、買った時にも言わなかったか?」
「そうだったかな。でも信也なら言いそう」
「秋葉もな」
「ふふっ」
店を出た二人は、梅田の街を歩いていた。
「しかしここはいつもながら……こんだけの人間、どこから集まってくるんだか」
「それ、私たちも一緒だよ」
「そうなんだけどな。でもみんな、楽しそうだ」
「信也は楽しくない?」
「う~ん、こんだけ人が多いと、楽しむ前に酸欠になっちまう」
「何それ、ふふっ」
「早希と初めてのデートもここだったんだ。その時も俺、酸欠でへばっちまって」
「格好悪い。男のくせに」
「いやいや、酸欠に男も女もねーだろ」
「デートの時ぐらい、見栄張らないと」
「まあでも、おかげでちょっとは慣れたけどな、こういうのにも」
「早希さん……やっぱりすごい人だな。信也がこんなに変われたなんて」
「変わったか? あんまり自覚ないんだけど」
「それは早希さんに失礼だよ。信也はもっと、早希さんに感謝しないと」
「あ、はい、すいません」
「よく笑うようになったし」
「昔は?」
「口元だけで無理して笑ってたから、結構不気味だったよ」
「そういうの、その時に言ってほしいんですけど」
「ふふっ。でも今の信也、自然に笑えてる。それに」
「それに?」
「人生を楽しもうとしてる。さっき気付いたんだけど信也、コーヒーに砂糖、入れるようになったんだね」
「ああ、いつからだったかな。入れてみたら、案外うまかった」
「信也がコーヒーを飲み出したのって、お父さんのことがあった頃だったと思う。飲めもしないのにブラック飲んで、いつも苦そうな顔してた」
「早く大人になりたかったのかもな。まあ今でも、寝起きはブラックだけど」
「それもあると思うけど……あの時の信也、楽しむことを捨てたんだって思ったの。おいしく飲む方法が目の前にあるのに、それを否定する。食べ物だって、調味料もほとんど使わないようになった。それに手を出したら堕落してしまう、みたいな感じで」
「そんな風に思ってたのか」
「どうだった? 砂糖入れてみて」
「うまかった。と言うか、ほっとした」
「でしょ。それだけ見ても、信也は過去に勝てたんだと思う」
「大袈裟だな」
「人生を楽しまないことが、信也の過去への復讐なんだって思ってたから……私のも含めて」
「……」
信也が秋葉の頭を荒っぽく撫でた。
「……信也?」
「これからどうする? 行きたいところ、あるなら付き合うぞ」
「本当?」
「ああ。考えたらサボテンのお礼もしてなかったしな」
「まだ育ててくれてるんだ」
「お前からのプレゼントなんだ。大事にしてるよ」
「そうなんだ、ありがとう」
「で? どこか行きたいところあるか?」
「じゃあ……信也の家に行きたい」
「俺の家に? なんでまた」
「その……早希さんにも会いたいし……」
「……そっか、分かった。早希も喜ぶよ、きっと」
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