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023 姉と弟と、幼馴染

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「おまたせしました」

 早希が持って来たコーヒーを一口飲み、知美が満足そうに微笑んだ。

「早希ちゃんって、なんであいつのことが好きなの?」

「え?」

「あ、だから……隠せてないから安心して。あんたもそうだし、信也にしてもそう。それにこの家見てても、あんたたちがお互いを想ってるのは分かるから」

「信也くんがどうかは分からないですけど……確かに私は信也くんのことが好きです。告白もしました。でも信也くんは私のこと、まだ認めてくれてはいないんです」

「なん……だと……?」

「知美さん?」

「あのエロ眼鏡、女に告白させて、家にまで連れ込んでおいて……まだ逃げてやがるのか」

「知美さん、落ち着いて落ち着いて。変なオーラが漏れてます」

「ほんっと、ヘタレだよねあの馬鹿。早希ちゃんさあ、呆れたらいつでも見切っていいからね。どうせ返事を渋ってるのも、自信がないだの責任持てないだの、そんなくだらない理由からだろ?」

「知美さんには、何か心当たりありますか? 信也くんからも、色々話は聞きました。お父さんのことやカイちゃんのこととか……信也くんは、人を好きになるのが怖いって言ってました。好きなのはお母さんと知美さん、それと勇太くんだけでいいって」

「あの馬鹿」

「その話を聞いても私、納得出来ないんです。裏切られるのが怖いとか、離れ離れになるのが怖いのは分かります。でも、それだけじゃないような気がして」

「うーん」

 頭をかきながら、知美が複雑な表情を浮かべた。

「これからする話は、多分ルール違反になる。本当なら、こういう話は直接聞くものだから。でも早希ちゃんにはうまいコーヒーを淹れてもらったからね、少しだけ教えてあげよう」

「本当ですか」

「あいつには、ずっと思い続けてる女がいるんだ」

「やっぱり……」

「やっぱ気付いてたか。まあでも、その感情はぐちゃぐちゃになってて、あいつも今じゃ訳が分からなくなってるから。そんなに気にしなくていいよ」

「……」

「ちなみにその子と私は、親友だ」

「え」

「幼馴染って言ったらいいかな。今でもよく家に来てる」

「じゃあ信也くんとも」

「うん。子供の頃からいつも三人で遊んでた。信也とは同い年」

「同い年の幼馴染……」

「秋葉って言うんだ。澤口秋葉。私より大きいけど、私にとっては妹とも言える」

 そう言って笑う知美。知美は標準よりずっと小柄なので、秋葉が大きいと言われてもピンとこなかった。

「今、私が小さいって思ったろ」

「え? な、何のことやら」

「この年になっても酒を買う時揉めてますよ、すいませんね」

「あ、いえそんなこと……知美さんのオーラはすごいですから」

「オーラだけかい!」

 こういう突っ込みは信也くんと一緒だ、そう思った。

「で、その秋葉なんだけど……あの子はちょっと引っ込み思案でね。いつも周囲の空気に怯えてるような子なんだ。よく私の後ろに隠れながら、外に行ってたもんだ。
 でも私は年が離れてるからね、気が付いたら信也とよく遊ぶようになってた。秋葉は男の子と遊ぶのも苦手だったんだけど、信也にだけは懐いてた。
 学校でもよくいたずらされてたけど、いつも信也がかばってた。ほら、子供の頃ってあったでしょ、好きな子にいたずらしてしまうってやつ。秋葉は可愛かったからね、男共はみんな狙ってたんだ。
 学校が終わると、いつも秋葉と一緒にうちに来てた。それが当たり前だった。おかげで信也は、男子から嫉妬の対象になった。いつの間にか、いじめられるようになっていた」

「……」

「でもまあ、やつら程度のいじめなんて、信也はなんとも思ってなかった。秋葉を守りたいって気持ちの方が勝ってたから。
 そうしてる内に中学に入ったけど、当然思春期、急に意識しだして、信也が秋葉のことを避けだした。
 でもあの時の秋葉はすごかったよ。毎日家に押しかけてくるし、信也の部屋で一緒に宿題してたし。信也の方がパニクってたけど、秋葉はお構いなしだった」

「そのころから信也くん、押しに弱かったんですね」

「だね。こっちがちょっと距離を縮めたら、すぐ陥落しちゃうから」

「分かります、ふふっ」

「それでどうにか思春期にありがちな、幼馴染との仲違いなかたがいは避けられたんだけど……そんなある日、親父がいなくなった。その辺の話は聞いてるんだよね」

「はい。それが原因で知美さん、結婚が遅れたって」

「あの馬鹿、しょうもないことまで話しやがって……そこからあいつ、ちょっと変になったんだ。不良になったって言えばいいかな。まあでも、中身はあいつだろ? いくら悪ぶってもたかが知れてた。ゲームセンターに入り浸ったり、無免許でバイク乗ったり煙草吸ったり。昭和の不良入門書でも読んだのかっていうぐらい、テンプレなことやってた。
 でもね、いくら外で粋がっても、家に帰れば借りてきた猫状態だった。あいつにとって恐怖の代名詞、母ちゃんと私、そして秋葉がいたから。あいつ、私らにだけは頭、絶対に上がらなかったから」

「何だろう……ちょっと信也くんのこと、かわいそうに思えてきた」

「『ご飯出来てるよ』って母ちゃんが言う。信也が無視して部屋に行こうとする。で、私の出番。
 廊下で一発殴る。『母親が飯作ってくれてるのに、返事もなしか』って。それでまだぐちゃぐちゃ言うなら蹴る。後ろから母ちゃんが来て、トレイで頭を殴る。『そんなに母さんのこと、嫌いになった? 愛が重い?』って。
 慌てて部屋に逃げ込む。中には秋葉がいて『おかえり信也。宿題、一緒にしよ』って言われる。
 家の中、どこにいても隠れる場所がない。唯一うるさく言わないのは、犬のカイだけ。よくカイを抱いてトイレに逃げ込んでた」

「それは何とも……反抗期の子供に対して、容赦のない家庭ですね」

「多分あいつ、あの頃のことがトラウマになってるはずだから。絶対女性恐怖症だと思う」

「そうした本人から、そう爽やかに言われましても」

「で、まあ何とか秋葉と同じ高校にも入学出来たんだけど、一年ぐらいは続いてたかな、不良の真似事。
 それが落ち着いてきて、真面目に学校にも行くようになった頃に、それが起こった」

「……」

「急にクラスの連中が、信也のことを無視しだした。初めの頃は嫌がらせもあったみたいだけど、気が付くとクラスどころか、学年中から無視されるようになってた」

「どうして」

「あいつと同じ学年に、人気者の男子がいたんだ。そいつが原因。そいつが信也の悪い噂を流して、それが学年中に広がるように仕向けてたんだ」

「なんでそんなことを」

「秋葉」

「ああ、なるほど……秋葉さんのことが好きで、いつも一緒にいる信也くんに嫉妬して」

「嫉妬って言う字には、両方女って文字が入ってるけど、実は男の方が面倒くさいんだ。
 そいつは秋葉に告白もしてたんだけど、秋葉の心は信也にしか向いてなかった。でも当の信也を見ると、憧れの秋葉さん相手にぶっきら棒で、態度も横柄。なんで秋葉さん、あんなやつに……ってね。それで信也を潰しにかかったんだ。
 嫌がらせをしてくる分には大丈夫だったけど、無視されるようになった時には、だいぶこたえてたみたい」

「分かります……存在を否定されてしまったら、ある意味暴力以上に辛いと思います」

「でも秋葉は頑張った。秋葉だけは、いつも信也の隣にいた。あいつを守ってた」

「そうなんですね」

「だけど卒業を半年後に控えた頃、秋葉も離れていった」

「……」

「それからあいつは、卒業まで誰とも会話することなく過ごした。家に帰っても、秋葉のいない部屋で一人、勉強してた」

「どうして」

「色々あったんだよ、秋葉にも」

「そんな……じゃあ、二人はそれっきりなんですか」

「そうだね。私はあいつらが卒業する頃に結婚したから、それからは秋葉ともあまり会えなくなったし。結婚式には来てくれたけど、二人が話してるのは見れなかったな」

「秋葉さんに一体、何があったんですか」

「私からは言えないかな。秋葉が言わない以上、他人が口を挟んでいいことじゃないから」

 そう言って、知美が冷たくなったコーヒーを飲み干した。


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