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011 摂津峡

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 日曜の朝にしては珍しく、9時に目が覚めた。
 洗濯物を洗濯機に放り込んでまわす。そして窓を開けると、部屋に掃除機をかけた。
 休日に早起きするのもいいものだ。そう思いながら窓の外に目を向けると、真っ青な空が広がっていた。
 上機嫌で服を着替えている内に洗濯が終わり、洗濯物を一枚一枚、皺を伸ばして干していく。
 その時、玄関のベルがなった。

「誰だよ、こんな朝っぱらから……はい、どちら様で……って、え?」

 そこに立っていた人物を、思わず二度見する。

「え? え?」

「副長、おはようございます」

 ベージュのハットタイプの帽子をかぶり、白いシャツの上に紺のカーディガン、ジーパンにスニーカーといった、軽装の早希が立っていた。背中には小さなリュックを背負っている。

「な、なんで? どうして早希……三島さんがここに?」

「早希でいいですよ。もう慣れちゃいましたし」

「いや、そうじゃなくて、なんで」

「これから摂津峡に行かれるんですよね。私もご一緒しようと思って」

「そうなの……か?」

「はい。副長のお気に入り、私も行ってみたいなって思って。晴れてよかったですね」

「そうだな。最高の散策日和……じゃなくて」

「洗濯の途中だったんですか? 私、手伝いますね」

 混乱する信也をよそに、中に入ると洗濯物を干し始めた。

「気持ちいいですよね。天気のいい日に洗濯物干してると」

 早希が今見てたかのように、洗濯物の皺をきれいに取りながら干していく。
 その手際に信也が苦笑する。

「分かった。じゃあ一緒に行こうか」

「はい! 私、大阪に来て3年になるのに、まだ行ったことなかったんです。すっごく楽しみです!」

「それと早希」

「え?」

「信也でいいよ。俺もそっちの方が慣れたから。会社では今まで通りだけど、こうしてる時は名前でいいよ」

「ほんとですか! よかった、私も後でお願いしようと思ってたんです!」

 早希がにっこりと笑った。




 JR高槻駅から、バスで揺られること20分。都会的な風景から一変、緑豊かな自然が広がっていた。

「こんなに景色、変わるんですね」

「こんなもんじゃないぞ。今からもっと景色、変わっていくからな」

 販売機でスポーツドリンクを買い、歩き出す。早希も後に続いた。

「そう言えば信也くん、今日は煙草吸ってる姿、まだ見てないんだけど。遠慮しなくていいんだよ」

「ここに来る時は我慢してるんだ。いつも俺がポイントにしてる場所があって、そこで最初の一本を吸うって決めてるから」

「そうなんだ」

「そこで吸う煙草のうまいこと」

「変なこだわりだね」

「そうか? 女子がよく言う、自分へのご褒美みたいな物だと思うけど」

「分かるけど。ふふっ、なんかおかしい」

 歩くたびに土や小枝を踏みしだく音がして、耳に心地よかった。
 前を歩く信也の背中を見つめながら、早希は思った。
 ここは信也くんの好きな場所。
 そこに今、私は信也くんと来てる。そう思うと、心が幸せで満ちていくのが分かった。




「……何かあったのかな」

 獣道で座り込んでいる、二人の女性。
 信也たちに気付くと、一人が慌てて立ち上がった。

「すいません、道塞いじゃって。すぐどきますから」

「ああいえ、大丈夫ですよ」

 信也の言葉に頭を下げ、まだ座っている女性に声をかける。

「あやめ、立てる?」

 あやめと呼ばれた少女が立とうとする。しかしすぐに顔をしかめ、首を振った。

「すいません、あの……先に行ってください」

 そう言って、女が道から外れようとした。

「いや待って、危ないですよ。大丈夫、別に急いでないですから」

「信也くん、ちょっと通してくれる?」

 早希はそう言うと信也の前に出て、少女の元へと向かった。

「どうしたの? 気分悪いの?」

 早希の言葉に、少女が顔を上げる。
 華奢きゃしゃな体型の、色白の美少女。中学生ぐらいかな、そう思った。
 少女は早希の顔を見て、驚いたような顔で「あっ」と小さな声を上げた。

「え? どうかした?」

 しかしすぐに視線を外し、首を振った。

「もしかして、怪我ですか?」

「はい。ちょっと足を」

「足か……ちょっと見せて」

 少女の足を見ると、少し腫れていた。

「ごめんね、お嬢ちゃん」

 信也が足首に手をやった。
 少女は一瞬体をビクリとさせたが、早希が「大丈夫だよ」と頭を撫でると、うなずいて体の力を抜いた。

「捻挫ですね。ちょっと待っててください」

 そう言って、リュックの中から小さなバッグを取り出した。

「信也くん、バッグの中にバッグ、入れてるんだ」

 早希がまた一つ、新しい発見をしたとばかりに微笑んだ。

「用途に応じて色々とな。何個か入ってる」

 バッグの中から湿布を出すと、手際よく少女の足首にまいた。そしてその上から包帯を巻き、最後にテープで固定した。

「……すいません、こんなことまでしてもらって」

「いいですよこれぐらい。それでどうします? 戻るなら付き合いますよ」

「いえ、その……この子がどうしても、もう少し先まで行きたいって言うもので」

「そうなの?」

 早希が尋ねると、少女が小さくうなずいた。

「あまり外に出ない子だから、無理させてしまったみたいで……でも、折角誘ってくれたんだからって、私に気を使って」

「お姉ちゃんのせいじゃない」

「あやめ……」

「私の……我儘わがままだから……」

「そっか」

 信也がにっこりと笑い、少女の前にひざまずいた。

「あやめちゃんって言ったよね。どこか行きたい所あるのかな?」

「別に……ここに来るのも初めてだし、何があるのかも分からないけど……折角お姉ちゃんが連れてきてくれたのに、こんな所で終わりたくないだけ」

「じゃあ、俺のおすすめに連れていってあげるよ。ここからすぐだし、どう?」

「でも、足が」

「おぶってあげる」

「え?」

「こうして会ったのも何かの縁だし。このまま座っててもどうしようもないでしょ」

「でも……」

「ちなみにあやめちゃん、おんぶとお姫様抱っこ、どっちがいい?」

「また信也くん、女の子にそんな、デリカシーのないこと聞いて」

「そうか? でも、勝手にする訳にもいかないだろ」

 信也の提案に、あやめは顔を赤くしてうつむいた。
 お姫様抱っこは恥ずかしい。あれは言葉通り、自分をお姫様と思ってくれる人にしてもらいたい。でもおんぶだと、お尻に手が当たるし……そんなことがぐるぐると脳裏を巡った。
 そして覚悟を決めると、小さな声で「おんぶ……」そう言った。

「じゃあおんぶで。悪いけど早希、リュック持ってくれる? それじゃあいくよ、せーのっ」

 あやめを背負った信也が、ゆっくりと腰を上げた。

「申し訳ありません」

 恐縮する姉に向かい、早希が言った。

「私は早希、三島早希です。こっちは紀崎信也くん」

「あ、ごめんなさい……私は林田さくら、こっちは妹のあやめです」

 さくらと名乗った女は、年は信也と同じくらいか少し下に見えた。
 背は信也より高く、モデルのような体型だった。
 そして妹のあやめは、意外なことに高校2年生だった。
 中学生と思っていた早希は、心の中でごめんなさいと頭を下げたのだった。

「それであの……紀崎さん、その場所って」

「すぐですよ、すぐ」

「さくらさん、信也くんは信也くんでいいですよ。私のことも早希でお願いします」

「おい早希、またそうフリーダムに」

「いいじゃない。私にもそれでいいって言ってくれたんだし。だから信也くんも、林田さんじゃなく、名前で」

「いや、だから」

「じゃないと、さくらさんなのかあやめちゃんなのか、分からないじゃない」

「……分かったよ。えっと、さくらさん……も、それで大丈夫ですか?」

「え、あ、はい……では信也さん、よろしくお願いします」

「あやめちゃんも、よろしくね」

 信也の言葉に、あやめは小さな声で「よろしく」、そう囁いた。


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