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第一部 二章 教会編
20 ドクター
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ロザンド教会からの帰路でのこと。ツグナはここひと月の記憶を振り返りながら、窓の外を眺めていた。両腕が使えなくなるという事態にはなったが、まるで過去の呪いから解放されたかのように清々しい気分に満ち溢れている。こうして以前よりも前向きになれたのは、教会での日々のおかげだ。またいつか彼らに会いたい。そんな思いを胸に高揚していたが、とある男の一言によってそれは一変した。
「……臭うな」
ふと目の前で腕を組んで座っていたシアンが呟く。独り言かと思いきや、シアンは何かを探し求めるようにツグナに顔を近づけた。
「急になんだよ……こっちに来るな」
「確認したいんだが、君は現在両腕が全く使えない状態なんだよな」
何を当たり前なことをと、ツグナは顔を歪め「見ればわかるだろ」と適当にあしらう。しばらくしてから焦ったようにシアンの方を見つめ「言っておくけど、体はちゃんと洗ってるからな! レイに手伝ってもらって」と恥ずかしそうに声を張り上げた。
「いや、そういう話じゃない。少し気になってな。その包帯に包まれた左腕はどうなんだ? 君の回復力ならもう治っていてもおかしくないだろ?」
シアンの言葉にツグナは「ああ、左腕か」と答えて、包帯に包まれたものを見つめる。シアンの言う通りだ。いつもならどんな怪我でもすぐに治ってしまうし、その証拠にヴェリトリア戦でつけられた他の怪我は綺麗さっぱりと消えてしまっている(切断された右腕は置いといて)なのに、切断されていない左腕は未だに回復する気配がなかった。
「……分からない。第一、僕自身もこの体質のことをあまりよく分かっていないんだ。力だって、出る時と出ない時があるし……」
顔を俯かせるツグナにシアンは「その左腕、見せてくれないか」と問いかける。「見せろって中身をか?」とツグナが聞き返してすぐに「包帯の上から見て何になる」とシアンが答えたので、何も言わずに左腕を差し出す。シアンは差し出された左腕からゆっくりと包帯を取っていき、中から顔を出したものを見て、思わず顔を歪めた。
「……思った以上に酷いな」
包帯が腕から離れていく度に、先程まで微かなものだった腐臭が強くはっきりとしたものになっていった。包帯の隙間から、もはや左腕とは思えない物体が姿を現す。左腕を侵食した黒は、黄色に近い浸出液のヌメリによって光に当たるたびに反射した。空気に晒されたそれに、ツグナは激痛に身に悶えるかのように震え出す。
「も、いいだろ……痛い」
ツグナは目に大粒の涙をためながら声を振り絞った。シアンはそれを見て「すまない」と包帯を元に戻す。そうしてからツグナの頭上にある小窓を開けると、従者席で馬を操る執事に「行き先を変更だ」と伝えた。
「至急、ドクターの所へ向かってくれ」
「ドクター?」
聞き覚えのない言葉にツグナが繰り返すと「安心しろ。悪い人間ではない」と執事に伝え終わったシアンが眼前で再び腕を組んで答える。そうしてから小さく付け足すように「あまり会いたくないんだがな」と呟いた。
現在地から思いの外近かったのか、シアンが伝えてから数十分程度の時間で目的地へとたどり着く。ツグナは馬車から降りて、辺りをキョロキョロと見回した。
人通りが少なく、石畳の薄暗い通りが続いている。通りから延びる無数の路地は、一度迷い込んでしまうと帰られなくなってしまうかのような複雑な造りになっているようだった。森の中よりも深い静寂に教会前の通りとは大違いだと、ツグナは思う。なんだかあまり長居したくない場所だと考えていると、シアンは「ついてこい」と通りを歩き出した。その背後を馬車が駆けていく。
「なあ、帰りは?」
「今から丁度三時間後にここで待ち合わせだ。ベイカーも疲れているだろうし、早く屋敷に帰した方がいいだろう」
そう言って前を歩き出すシアンに、ツグナはふうん、と答えながらその背中を追った。しばらく路地を歩いていると、静寂に耐えきれなくなったツグナが「なあ、シアン」と会話を切り出す。
「こんな所にドクター? がいるのか?」
「そうだ」
「どんなやつ?」
「さっきも言ったろ。悪い人間じゃない。けれど、少し特殊なやつだ」
こちらを振り返らず、自分のペースで歩いていくシアンに、ツグナは置いてかれないようにと必死について行く。
久しぶりだからだろうか。いつものシアンと少し様子が違って見えた。ここに来てからはより一層それが強まったように思える。なあ、シアン。何かあったのか、と口を開こうとして、眼前の青い背中は「ついた」と立ち止まった。
その背中の先をツグナが覗いてみると、地下へと続く階段の先に黒い錆びれた扉が見える。本能的に嫌な雰囲気だと感じ取ったが、シアンが構わずその階段を降りていくので、仕方ないと慌ててついて行った。ギィィと古びた音をたてながら扉が開く。
部屋は外よりも薄暗かった。全体的にアンモニアの嫌な匂いが漂っていて、外に通じる扉を閉めてしまえば何も見えない状態だ。出入口側から見て左側に一枚の扉があるだけで、窓は存在していない。眼前には本や薬品の入った瓶が散在している机が置いてあって、床も同様に汚かった。
「ドクター、いるか?」
シアンは部屋全体に向かって声をかけるが、答える者は現れない。想定通りなのか、シアンはそのまま慣れた足取りで部屋の奥へ歩いていくと、自分の家のように机にあるものを手に取って眺めた。
「勝手に弄っていいのかよ?」
そう言ってツグナが部屋の中に踏み出すと、部屋に光を入れるために開けっ放しにしていた扉が音を立てながらゆっくりと閉まった。驚いたツグナが勢いよく振り返る。ランタンの炎によって暗闇から浮かび上がったのは、鳥のような嘴を持つ顔だった。その顔は大きな二つの黒い瞳でこちらを捉えながら「なーんのよーうかなあ?」と間延びした低い声で言った。
「ひぃぃうわああああ!」
肩を大きく跳ね上がらせ、かつてないほど奇妙な悲鳴をあげているツグナの背後から「久しぶりだな、ドクター」と冷静なシアンの声がする。涙目になってその場に尻をついたツグナは「ド、ドクター!? こいつが!?」と改めて眼前の鳥顔を見上げた。
全体的に黒い格好をしたドクターと呼ばれる人間は「いい反応だねえ」と尻上がりの声でツグナを見下ろす。黒い手袋、黒いシルクハットを身につけたドクターの顔は先程見た通りに鳥のような嘴を持っていて、それが本物の顔ではなく、マスクだということが分かった。ツグナはすっかり腰を抜かしたのか、鼓動の速さを感じながら未だにその場から起き上がれずにいる。
「久しぶりだねえ。ブラッディ君。君がここに来るのは何年ぶりかなあ」
「敬称をつけろ。もう子供じゃない」
「ははっ、悲しいねえ。君が幼い頃からの仲じゃないか」
言葉に対して平坦な声でドクターが答えてから「それで?」と更に続ける。
「私を嫌っていた君が直接ここへ来たんだ。何か重大なことがあったんだろう?」
皮肉のような嫌な言い方に、シアンは「今回用事があるのは俺じゃない」と目の前で腰を抜かしているツグナを見下ろす。シアンの視線に合わせて、ドクターは眼前のツグナを顔だけ突き出すようにして見つめた。見つめられたことでツグナの肩がまた震える。
「そいつはツグナ・クライシス。今回、厄介事に巻き込まれて腕をなくしたようでな。まあ、そんなことはどうでもいい。問題は無事だった左腕の方だ」
「酷いなあ。腕をなくしたこともかなり深刻なことだと思うけれど」
相変わらず感情のこもっていない平坦な声でドクターはツグナが立ち上がる様子をじっと眺める。基本的に片腕だけでも4~5キロあるというのに、それをなくしてしまったことでバランスが取りにくいのか、立ち上がるだけでも数秒の時間を要した。不安定な体を支えるように足に力を入れ、ふらつきながらもゆっくりと上体を起こす。
「なるほど。理解したよ。片腕をなくしたツグナ君には気の毒だけれど、左腕も切断した方がいい」
えっ、と青ざめるツグナの背後でシアンは「なぜ見ていないのに分かる」と眉を顰める。
「私はみんなのお医者さんだからね。包帯の上からでも臭いで分かる。まあ、無知な君は包帯を取って見たんだろうけれどね」
ドクターの扇情的な言葉に「どの口が言っているんだ。闇医者め」とシアンは湧き上がる怒りを噛み殺すような低い声で言った。ドクターは構わずさらに続ける。
「見たんだろう? 彼の腕が壊死しているのを。僅かに腐臭がするのは、壊死したことで皮膚の間から浸出液が出ている証拠だ。包帯の黄ばみもそれのせいだろうね。神父の事件があって一週間と聞いていたけれど、進行具合がここまで早い事例は聞いたことがないなあ」
説明していないのにも関わらず、さも当然のように話を進めるドクターの言葉に「神父の事件……? なんで」とツグナは首を傾げた。
「新聞で見たよ。悪徳神父に腕を切断された孤児がいるって。それが君だろ? そうすれば話が合致する」
そう言えば、さっきシアンが手に取っていた物の中に新聞があったはずだ。それに書かれていたのだろうかとツグナは考えながら「でも」と返す。
「僕は、人より回復が早いんだ。この腕以外の傷はすぐに治ったし……右腕もそのうち生えてくる」
前もそうだったと、言い訳のように呟かれたツグナの言葉には、左腕を切断されることへの恐怖が感じ取れた。右腕をなくしたうえに、左腕までなくしてしまうなんて冗談じゃない。震えたその声に「これは私の予測だけど」とドクターが切り出した。
「回復能力が高いということは、細胞の活性化が人よりしやすいということだ。その分、死滅した細胞を君の体内から切り離そうとする能力も高いということ。つまり、君の体は既にその死んだ腕をいらないものと認識しているのかもしれない」
「つまり、もう左腕は再生しないのか?」
「普通の人間は、一度失った腕を自力で再生する力はないんだよ。普通はね。けれど、自身で認めているぐらいだし、君ならまた生えてくるかもしれない。そのために左腕は切り落とした方が再生の邪魔にはならないということさ」
その言葉を聞いてもなお、未だに左腕を切断することに抵抗があるツグナは「切らない方法はないのか?」と俯く。
「別に強制はしないよ。ツグナ君が嫌ならね」
自分の言葉に対して答える気のない返事に、他に方法がないのだとツグナは悟った。ドクターはすぐに「ただし、医者として忠告しておく」とランタンの炎を映した不気味な瞳で見つめる。
「壊死っていうのは怖いものでね。皮膚の繋ぎ目から次々と広がって、他の細胞を駄目にする。今は腕だからいいけれど、それが体の方にまで広がると、臓器まで蝕み、やがて―――」
死ぬ、とドクターは間を開けて言った。流れ込んでくる生唾が張り付いたように喉の奥へと落ちていき、ゾワゾワした感覚がツグナの足元から脳天にまで駆け巡る。怯えてその場で固まるツグナに「ま、冗談だけどねえ」とドクターは面白がるわけでもなく、変わらない様子で言った。
「でも、その可能性がないわけではないよ。まあ、君の体なんだから君が決めるといい」
最終的な決定権をツグナに委ねてから、ドクターは部屋の中にある蝋燭に火をつけていく。部屋全体に明かりが行き届くまでの間、ツグナはその場で固まりながら答えを考えた。冗談にしても「死ぬ」というドクターの言葉に動揺せざるを得なかったのだろう。また切断される。けれど、放っておけばいずれ死に至らせる原因になるかもしれない―――死ぬのは、なにより怖かった。
「分かった。やるよ。いつまでも左腕が治らないんじゃ、あっても不便なだけだしな」
その声は震えていたが、振り返ったツグナはしかとドクターを見つめて決意を表している。シアンの隣にある蝋燭に火をつけていたドクターは「決まりだね」とこちらを振り返った。顔は見えないが、どこか嬉しそうだと声色を聞いて思う。
「じゃあ、ここではなんだし。隣の部屋に行こうか」
ドクターはそう言って背後からツグナの肩を抑えると、室内にあるもうひとつの扉へと押し出すように歩いた。少し不安があって、部屋に入る前にシアンの方を見てみるが、シアンは「大丈夫だ」と言いたげに笑みを浮かべながら肩より下で手を振って見送る。
シアンを目に映しながら部屋の中に入ると、途端に腥い空気が自分の鼻に流れ込んできた。扉が閉まる音と同時に、ランタンの強い光によって照らし出された眼前の光景にツグナは声を失う。夥しい量の赤が天井にも床にも広がっていて、先程よりも不快な臭いが扉を閉めたことによって更に強まった。
「全く……私が帰ってくるまでに綺麗にしておいてねって言ったのに、あの子は……」
ドクターは呆れたようにその光景を眺めてから「少し散らかってるけど、気にしないでね」と言って、部屋の奥へと歩き出した。少し? これのどこが少しと言えるのだろう。ツグナは思わずツッコミを入れたくなってしまったが、その思いを更に上回る凄惨な光景に、口を開くどころか、体を動かすことさえできなかった。
「とりあえずここに座ってくれるかな?」
部屋奥の蝋燭に火をつけ終わったドクターが手を置いたのは、清潔とは程遠い、血のこびりついた解剖台だった。血痕によって所々が変色し、曇った銀色がランタンの光を反射して鈍く光を放っている。ツグナは青ざめたまま、ただその光を見つめた。
「―――怖いのかい?」
心の声を読み取ったかのようにドクターは言った。その声に、先程の自分の決意を思い出して「べ、別に」とツグナは踏み出す。恐怖で満たされた心では、大丈夫だという言葉が続けられなかった。少し背伸びをして解剖台に座ると、縮こまった体でドクターと向き合う。
「大丈夫。痛いようにはしないさ。体の力を抜いて、そのまま横になって―――」
宥めるように優しく頭から頬にかけてを撫でながら、横になるように促す。その優しい手つきに、ツグナの緊張で強ばった体からは力が抜けていった。しかし、ドクターの片手に構えた注射器に、ツグナの目は再び恐怖で見開かれる。
「うあ、やだっ、いやだいやだいやだ! やめ……」
それを見たドクターは逃げ出そうと起き上がるツグナの顔面を鷲掴むと、無理やり解剖台に押さえつけた。そうしてから慣れた手つきで注射針を突き刺す。ツグナは徐々に力が抜けていき、暴れていた体は次第に大人しくなっていった。目の縁に涙をためながら、不安そうにドクターを見続ける。
「大丈夫。患者を最後まで見捨てず、助けるのが医者だからね。安心しておやすみ」
ドクターはそう言って麻酔を静脈に流した。ゆっくりと意識が遠のいていき、目をつぶったツグナの顔をドクターは優しく撫でた。
数十分後。シアンが机に積み重なっていた本を読んでいると、先程の部屋から「お待たせえ」と妙に足取りの軽いドクターが出てきた。「思ったより時間がかかったな」とシアンは言いながら読んでいた本を閉じ、机の上に置く。
「まあね。左腕の他に、右腕の断面も処置しておいたよ」
その言葉を横耳にシアンは立ち上がると、入口にいるドクターの肩を押しながら、部屋の中へと入っていった。
扉が開いたことで一時的に空間が繋がった部屋の間を腥風が駆けていき、淀んだ空気の湿気を鼻先で感じ取る。中央の解剖台には、両腕を切断され、断面図に包帯を巻いて横たわっているツグナの姿があった。シアンはそれを凝視するように目を細めてから、ツグナの眠っている解剖台へと近づく。
「麻酔か」
「当然」
「切断した腕はどうした」
脅すような威圧のあるシアンの声に、ドクターは数秒の間を置いてから「別に何もしてないよ」と部屋の扉を閉めた。
「ただ、彼の体質に興味を持ってねえ。切断した腕を少し解剖して見たあと、ホルマリン漬けにして保存した。本当に生えてくるなら、これぐらい貰ってもいいよね?」
「相変わらずだな、気持ち悪い。まあ、それぐらいなら許可してやらんこともない」
「というか、それは彼に聞くのが普通じゃ?」
「こいつの主人は俺だ。体の許可も俺がする」
身勝手に思われるシアンの発言にドクターはそうかい、と答えてから「随分、彼のことを目にかけているんだね」と付け加えた。切断面が見えるようにたくし上げられたシャツの袖を元に戻していたシアンは、その言葉に眉をひそめながら「何故そうなる?」と聞き返す。
「以前、君が心的ストレスの対処法について私に手紙を送ってきた。ついでに安定剤も送るようにと。彼がその、心的ストレスを抱えた人間なんだろう? 違うかい?」
それに対してシアンは何も応えようとせず、口を一文字に固く結んだ。
「らしくないじゃないか。人間不信の君が、人のためにそんなことをするなんて。第一、心的ストレスなら、君自身が一番分かっているはずなのに」
「こいつは眼球が熔けようが、腕がもげようが、いずれまた再生する。だが、利用するには心的ストレスが邪魔だからな。自分が使いやすいようにしたかっただけだ」
「それが、らしくないって言ってるんだよ」
ぴしゃりとドクターが言ってみせてから、シアンは少し間を開けて「は?」と聞き返す。
「自分の身を守るために傭兵を雇うにしても、君は一度きりがモットーだった。同じ人間とは関わらない。そうやって他人との関係を築こうとするのを避けていた。裏切られるのが怖いから。そうだったろ? そんな君が一人に固執するなんてらしくない―――いや、君をそうさせている理由が彼にはあるのかな」
全てを見透かしたドクターの言葉に、シアンは先程よりも険しい顔で口を閉ざした。黒い無機物の水晶体に、こちらを睨みつけているシアンの顔が映し出されている。
「君は彼と誰を重ねているんだろう? 最愛の両親? 自分に残された家族? 初恋のあの人? いいや、どれも違う。君は彼と自分を重ねているんだ」
「違う! いい加減なことを言うのは―――」
感情的な声を張り上げるが、顔のすぐ前まで突き出された不気味な鳥顔に、自分より何倍も大きな生物に見下ろされているかのような感覚を覚え、それ以降の言葉が出てこなかった。無機物の黒い目に映し出された自分の顔は狼狽し、顎を引いて首を縮めている。
「本当、自分に嘘をつくのが上手くなったね、ルーキス・ブラッディ君」
その瞬間、シアンはレッグホルスターから一挺の銃を取り出し、鳥頭の額に突きつけた。その表情は先程の狼狽していたものとは違って、しかとドクターを睨みつけている。
「……おい。その名前で俺を呼ぶなと言ったろ」
「怖いなあ。仮にも君の恩人に向かって」
抑揚のない声で両手を上げるドクターに、調子に乗るなと、シアンは吐き捨ててから拳銃を下ろした。
「分からないねえ。両親から生まれて初めて貰ったものを捨てるなんて」
「……俺にその名前を背負う資格はない」
そう言ってツグナを背負うと、シアンは通り過ぎるようにドクターの肩にわざとぶつかって部屋の出入口へと向かった。ドクターは顔だけを振り返って「それは申し訳ないからかい?」と聞いた。ノブに手をかけたシアンは「さあ、どうだろうな」と弱々しい小さな声で答える。
「……最後に訂正するが、これはただの道具だ。命が尽きるまで利用される消耗品だ。貴方が思っているようなやつじゃない」
シアンはそう吐き捨てると、ノブを回して部屋を出ていった。
「そっか。可哀想だね」
扉が閉まる直前、背後からドクターの小さな呟きが聞こえてくる。その言葉がツグナに向けられたものなのか、自分に向けられたものなのかは分からなかった。
「……臭うな」
ふと目の前で腕を組んで座っていたシアンが呟く。独り言かと思いきや、シアンは何かを探し求めるようにツグナに顔を近づけた。
「急になんだよ……こっちに来るな」
「確認したいんだが、君は現在両腕が全く使えない状態なんだよな」
何を当たり前なことをと、ツグナは顔を歪め「見ればわかるだろ」と適当にあしらう。しばらくしてから焦ったようにシアンの方を見つめ「言っておくけど、体はちゃんと洗ってるからな! レイに手伝ってもらって」と恥ずかしそうに声を張り上げた。
「いや、そういう話じゃない。少し気になってな。その包帯に包まれた左腕はどうなんだ? 君の回復力ならもう治っていてもおかしくないだろ?」
シアンの言葉にツグナは「ああ、左腕か」と答えて、包帯に包まれたものを見つめる。シアンの言う通りだ。いつもならどんな怪我でもすぐに治ってしまうし、その証拠にヴェリトリア戦でつけられた他の怪我は綺麗さっぱりと消えてしまっている(切断された右腕は置いといて)なのに、切断されていない左腕は未だに回復する気配がなかった。
「……分からない。第一、僕自身もこの体質のことをあまりよく分かっていないんだ。力だって、出る時と出ない時があるし……」
顔を俯かせるツグナにシアンは「その左腕、見せてくれないか」と問いかける。「見せろって中身をか?」とツグナが聞き返してすぐに「包帯の上から見て何になる」とシアンが答えたので、何も言わずに左腕を差し出す。シアンは差し出された左腕からゆっくりと包帯を取っていき、中から顔を出したものを見て、思わず顔を歪めた。
「……思った以上に酷いな」
包帯が腕から離れていく度に、先程まで微かなものだった腐臭が強くはっきりとしたものになっていった。包帯の隙間から、もはや左腕とは思えない物体が姿を現す。左腕を侵食した黒は、黄色に近い浸出液のヌメリによって光に当たるたびに反射した。空気に晒されたそれに、ツグナは激痛に身に悶えるかのように震え出す。
「も、いいだろ……痛い」
ツグナは目に大粒の涙をためながら声を振り絞った。シアンはそれを見て「すまない」と包帯を元に戻す。そうしてからツグナの頭上にある小窓を開けると、従者席で馬を操る執事に「行き先を変更だ」と伝えた。
「至急、ドクターの所へ向かってくれ」
「ドクター?」
聞き覚えのない言葉にツグナが繰り返すと「安心しろ。悪い人間ではない」と執事に伝え終わったシアンが眼前で再び腕を組んで答える。そうしてから小さく付け足すように「あまり会いたくないんだがな」と呟いた。
現在地から思いの外近かったのか、シアンが伝えてから数十分程度の時間で目的地へとたどり着く。ツグナは馬車から降りて、辺りをキョロキョロと見回した。
人通りが少なく、石畳の薄暗い通りが続いている。通りから延びる無数の路地は、一度迷い込んでしまうと帰られなくなってしまうかのような複雑な造りになっているようだった。森の中よりも深い静寂に教会前の通りとは大違いだと、ツグナは思う。なんだかあまり長居したくない場所だと考えていると、シアンは「ついてこい」と通りを歩き出した。その背後を馬車が駆けていく。
「なあ、帰りは?」
「今から丁度三時間後にここで待ち合わせだ。ベイカーも疲れているだろうし、早く屋敷に帰した方がいいだろう」
そう言って前を歩き出すシアンに、ツグナはふうん、と答えながらその背中を追った。しばらく路地を歩いていると、静寂に耐えきれなくなったツグナが「なあ、シアン」と会話を切り出す。
「こんな所にドクター? がいるのか?」
「そうだ」
「どんなやつ?」
「さっきも言ったろ。悪い人間じゃない。けれど、少し特殊なやつだ」
こちらを振り返らず、自分のペースで歩いていくシアンに、ツグナは置いてかれないようにと必死について行く。
久しぶりだからだろうか。いつものシアンと少し様子が違って見えた。ここに来てからはより一層それが強まったように思える。なあ、シアン。何かあったのか、と口を開こうとして、眼前の青い背中は「ついた」と立ち止まった。
その背中の先をツグナが覗いてみると、地下へと続く階段の先に黒い錆びれた扉が見える。本能的に嫌な雰囲気だと感じ取ったが、シアンが構わずその階段を降りていくので、仕方ないと慌ててついて行った。ギィィと古びた音をたてながら扉が開く。
部屋は外よりも薄暗かった。全体的にアンモニアの嫌な匂いが漂っていて、外に通じる扉を閉めてしまえば何も見えない状態だ。出入口側から見て左側に一枚の扉があるだけで、窓は存在していない。眼前には本や薬品の入った瓶が散在している机が置いてあって、床も同様に汚かった。
「ドクター、いるか?」
シアンは部屋全体に向かって声をかけるが、答える者は現れない。想定通りなのか、シアンはそのまま慣れた足取りで部屋の奥へ歩いていくと、自分の家のように机にあるものを手に取って眺めた。
「勝手に弄っていいのかよ?」
そう言ってツグナが部屋の中に踏み出すと、部屋に光を入れるために開けっ放しにしていた扉が音を立てながらゆっくりと閉まった。驚いたツグナが勢いよく振り返る。ランタンの炎によって暗闇から浮かび上がったのは、鳥のような嘴を持つ顔だった。その顔は大きな二つの黒い瞳でこちらを捉えながら「なーんのよーうかなあ?」と間延びした低い声で言った。
「ひぃぃうわああああ!」
肩を大きく跳ね上がらせ、かつてないほど奇妙な悲鳴をあげているツグナの背後から「久しぶりだな、ドクター」と冷静なシアンの声がする。涙目になってその場に尻をついたツグナは「ド、ドクター!? こいつが!?」と改めて眼前の鳥顔を見上げた。
全体的に黒い格好をしたドクターと呼ばれる人間は「いい反応だねえ」と尻上がりの声でツグナを見下ろす。黒い手袋、黒いシルクハットを身につけたドクターの顔は先程見た通りに鳥のような嘴を持っていて、それが本物の顔ではなく、マスクだということが分かった。ツグナはすっかり腰を抜かしたのか、鼓動の速さを感じながら未だにその場から起き上がれずにいる。
「久しぶりだねえ。ブラッディ君。君がここに来るのは何年ぶりかなあ」
「敬称をつけろ。もう子供じゃない」
「ははっ、悲しいねえ。君が幼い頃からの仲じゃないか」
言葉に対して平坦な声でドクターが答えてから「それで?」と更に続ける。
「私を嫌っていた君が直接ここへ来たんだ。何か重大なことがあったんだろう?」
皮肉のような嫌な言い方に、シアンは「今回用事があるのは俺じゃない」と目の前で腰を抜かしているツグナを見下ろす。シアンの視線に合わせて、ドクターは眼前のツグナを顔だけ突き出すようにして見つめた。見つめられたことでツグナの肩がまた震える。
「そいつはツグナ・クライシス。今回、厄介事に巻き込まれて腕をなくしたようでな。まあ、そんなことはどうでもいい。問題は無事だった左腕の方だ」
「酷いなあ。腕をなくしたこともかなり深刻なことだと思うけれど」
相変わらず感情のこもっていない平坦な声でドクターはツグナが立ち上がる様子をじっと眺める。基本的に片腕だけでも4~5キロあるというのに、それをなくしてしまったことでバランスが取りにくいのか、立ち上がるだけでも数秒の時間を要した。不安定な体を支えるように足に力を入れ、ふらつきながらもゆっくりと上体を起こす。
「なるほど。理解したよ。片腕をなくしたツグナ君には気の毒だけれど、左腕も切断した方がいい」
えっ、と青ざめるツグナの背後でシアンは「なぜ見ていないのに分かる」と眉を顰める。
「私はみんなのお医者さんだからね。包帯の上からでも臭いで分かる。まあ、無知な君は包帯を取って見たんだろうけれどね」
ドクターの扇情的な言葉に「どの口が言っているんだ。闇医者め」とシアンは湧き上がる怒りを噛み殺すような低い声で言った。ドクターは構わずさらに続ける。
「見たんだろう? 彼の腕が壊死しているのを。僅かに腐臭がするのは、壊死したことで皮膚の間から浸出液が出ている証拠だ。包帯の黄ばみもそれのせいだろうね。神父の事件があって一週間と聞いていたけれど、進行具合がここまで早い事例は聞いたことがないなあ」
説明していないのにも関わらず、さも当然のように話を進めるドクターの言葉に「神父の事件……? なんで」とツグナは首を傾げた。
「新聞で見たよ。悪徳神父に腕を切断された孤児がいるって。それが君だろ? そうすれば話が合致する」
そう言えば、さっきシアンが手に取っていた物の中に新聞があったはずだ。それに書かれていたのだろうかとツグナは考えながら「でも」と返す。
「僕は、人より回復が早いんだ。この腕以外の傷はすぐに治ったし……右腕もそのうち生えてくる」
前もそうだったと、言い訳のように呟かれたツグナの言葉には、左腕を切断されることへの恐怖が感じ取れた。右腕をなくしたうえに、左腕までなくしてしまうなんて冗談じゃない。震えたその声に「これは私の予測だけど」とドクターが切り出した。
「回復能力が高いということは、細胞の活性化が人よりしやすいということだ。その分、死滅した細胞を君の体内から切り離そうとする能力も高いということ。つまり、君の体は既にその死んだ腕をいらないものと認識しているのかもしれない」
「つまり、もう左腕は再生しないのか?」
「普通の人間は、一度失った腕を自力で再生する力はないんだよ。普通はね。けれど、自身で認めているぐらいだし、君ならまた生えてくるかもしれない。そのために左腕は切り落とした方が再生の邪魔にはならないということさ」
その言葉を聞いてもなお、未だに左腕を切断することに抵抗があるツグナは「切らない方法はないのか?」と俯く。
「別に強制はしないよ。ツグナ君が嫌ならね」
自分の言葉に対して答える気のない返事に、他に方法がないのだとツグナは悟った。ドクターはすぐに「ただし、医者として忠告しておく」とランタンの炎を映した不気味な瞳で見つめる。
「壊死っていうのは怖いものでね。皮膚の繋ぎ目から次々と広がって、他の細胞を駄目にする。今は腕だからいいけれど、それが体の方にまで広がると、臓器まで蝕み、やがて―――」
死ぬ、とドクターは間を開けて言った。流れ込んでくる生唾が張り付いたように喉の奥へと落ちていき、ゾワゾワした感覚がツグナの足元から脳天にまで駆け巡る。怯えてその場で固まるツグナに「ま、冗談だけどねえ」とドクターは面白がるわけでもなく、変わらない様子で言った。
「でも、その可能性がないわけではないよ。まあ、君の体なんだから君が決めるといい」
最終的な決定権をツグナに委ねてから、ドクターは部屋の中にある蝋燭に火をつけていく。部屋全体に明かりが行き届くまでの間、ツグナはその場で固まりながら答えを考えた。冗談にしても「死ぬ」というドクターの言葉に動揺せざるを得なかったのだろう。また切断される。けれど、放っておけばいずれ死に至らせる原因になるかもしれない―――死ぬのは、なにより怖かった。
「分かった。やるよ。いつまでも左腕が治らないんじゃ、あっても不便なだけだしな」
その声は震えていたが、振り返ったツグナはしかとドクターを見つめて決意を表している。シアンの隣にある蝋燭に火をつけていたドクターは「決まりだね」とこちらを振り返った。顔は見えないが、どこか嬉しそうだと声色を聞いて思う。
「じゃあ、ここではなんだし。隣の部屋に行こうか」
ドクターはそう言って背後からツグナの肩を抑えると、室内にあるもうひとつの扉へと押し出すように歩いた。少し不安があって、部屋に入る前にシアンの方を見てみるが、シアンは「大丈夫だ」と言いたげに笑みを浮かべながら肩より下で手を振って見送る。
シアンを目に映しながら部屋の中に入ると、途端に腥い空気が自分の鼻に流れ込んできた。扉が閉まる音と同時に、ランタンの強い光によって照らし出された眼前の光景にツグナは声を失う。夥しい量の赤が天井にも床にも広がっていて、先程よりも不快な臭いが扉を閉めたことによって更に強まった。
「全く……私が帰ってくるまでに綺麗にしておいてねって言ったのに、あの子は……」
ドクターは呆れたようにその光景を眺めてから「少し散らかってるけど、気にしないでね」と言って、部屋の奥へと歩き出した。少し? これのどこが少しと言えるのだろう。ツグナは思わずツッコミを入れたくなってしまったが、その思いを更に上回る凄惨な光景に、口を開くどころか、体を動かすことさえできなかった。
「とりあえずここに座ってくれるかな?」
部屋奥の蝋燭に火をつけ終わったドクターが手を置いたのは、清潔とは程遠い、血のこびりついた解剖台だった。血痕によって所々が変色し、曇った銀色がランタンの光を反射して鈍く光を放っている。ツグナは青ざめたまま、ただその光を見つめた。
「―――怖いのかい?」
心の声を読み取ったかのようにドクターは言った。その声に、先程の自分の決意を思い出して「べ、別に」とツグナは踏み出す。恐怖で満たされた心では、大丈夫だという言葉が続けられなかった。少し背伸びをして解剖台に座ると、縮こまった体でドクターと向き合う。
「大丈夫。痛いようにはしないさ。体の力を抜いて、そのまま横になって―――」
宥めるように優しく頭から頬にかけてを撫でながら、横になるように促す。その優しい手つきに、ツグナの緊張で強ばった体からは力が抜けていった。しかし、ドクターの片手に構えた注射器に、ツグナの目は再び恐怖で見開かれる。
「うあ、やだっ、いやだいやだいやだ! やめ……」
それを見たドクターは逃げ出そうと起き上がるツグナの顔面を鷲掴むと、無理やり解剖台に押さえつけた。そうしてから慣れた手つきで注射針を突き刺す。ツグナは徐々に力が抜けていき、暴れていた体は次第に大人しくなっていった。目の縁に涙をためながら、不安そうにドクターを見続ける。
「大丈夫。患者を最後まで見捨てず、助けるのが医者だからね。安心しておやすみ」
ドクターはそう言って麻酔を静脈に流した。ゆっくりと意識が遠のいていき、目をつぶったツグナの顔をドクターは優しく撫でた。
数十分後。シアンが机に積み重なっていた本を読んでいると、先程の部屋から「お待たせえ」と妙に足取りの軽いドクターが出てきた。「思ったより時間がかかったな」とシアンは言いながら読んでいた本を閉じ、机の上に置く。
「まあね。左腕の他に、右腕の断面も処置しておいたよ」
その言葉を横耳にシアンは立ち上がると、入口にいるドクターの肩を押しながら、部屋の中へと入っていった。
扉が開いたことで一時的に空間が繋がった部屋の間を腥風が駆けていき、淀んだ空気の湿気を鼻先で感じ取る。中央の解剖台には、両腕を切断され、断面図に包帯を巻いて横たわっているツグナの姿があった。シアンはそれを凝視するように目を細めてから、ツグナの眠っている解剖台へと近づく。
「麻酔か」
「当然」
「切断した腕はどうした」
脅すような威圧のあるシアンの声に、ドクターは数秒の間を置いてから「別に何もしてないよ」と部屋の扉を閉めた。
「ただ、彼の体質に興味を持ってねえ。切断した腕を少し解剖して見たあと、ホルマリン漬けにして保存した。本当に生えてくるなら、これぐらい貰ってもいいよね?」
「相変わらずだな、気持ち悪い。まあ、それぐらいなら許可してやらんこともない」
「というか、それは彼に聞くのが普通じゃ?」
「こいつの主人は俺だ。体の許可も俺がする」
身勝手に思われるシアンの発言にドクターはそうかい、と答えてから「随分、彼のことを目にかけているんだね」と付け加えた。切断面が見えるようにたくし上げられたシャツの袖を元に戻していたシアンは、その言葉に眉をひそめながら「何故そうなる?」と聞き返す。
「以前、君が心的ストレスの対処法について私に手紙を送ってきた。ついでに安定剤も送るようにと。彼がその、心的ストレスを抱えた人間なんだろう? 違うかい?」
それに対してシアンは何も応えようとせず、口を一文字に固く結んだ。
「らしくないじゃないか。人間不信の君が、人のためにそんなことをするなんて。第一、心的ストレスなら、君自身が一番分かっているはずなのに」
「こいつは眼球が熔けようが、腕がもげようが、いずれまた再生する。だが、利用するには心的ストレスが邪魔だからな。自分が使いやすいようにしたかっただけだ」
「それが、らしくないって言ってるんだよ」
ぴしゃりとドクターが言ってみせてから、シアンは少し間を開けて「は?」と聞き返す。
「自分の身を守るために傭兵を雇うにしても、君は一度きりがモットーだった。同じ人間とは関わらない。そうやって他人との関係を築こうとするのを避けていた。裏切られるのが怖いから。そうだったろ? そんな君が一人に固執するなんてらしくない―――いや、君をそうさせている理由が彼にはあるのかな」
全てを見透かしたドクターの言葉に、シアンは先程よりも険しい顔で口を閉ざした。黒い無機物の水晶体に、こちらを睨みつけているシアンの顔が映し出されている。
「君は彼と誰を重ねているんだろう? 最愛の両親? 自分に残された家族? 初恋のあの人? いいや、どれも違う。君は彼と自分を重ねているんだ」
「違う! いい加減なことを言うのは―――」
感情的な声を張り上げるが、顔のすぐ前まで突き出された不気味な鳥顔に、自分より何倍も大きな生物に見下ろされているかのような感覚を覚え、それ以降の言葉が出てこなかった。無機物の黒い目に映し出された自分の顔は狼狽し、顎を引いて首を縮めている。
「本当、自分に嘘をつくのが上手くなったね、ルーキス・ブラッディ君」
その瞬間、シアンはレッグホルスターから一挺の銃を取り出し、鳥頭の額に突きつけた。その表情は先程の狼狽していたものとは違って、しかとドクターを睨みつけている。
「……おい。その名前で俺を呼ぶなと言ったろ」
「怖いなあ。仮にも君の恩人に向かって」
抑揚のない声で両手を上げるドクターに、調子に乗るなと、シアンは吐き捨ててから拳銃を下ろした。
「分からないねえ。両親から生まれて初めて貰ったものを捨てるなんて」
「……俺にその名前を背負う資格はない」
そう言ってツグナを背負うと、シアンは通り過ぎるようにドクターの肩にわざとぶつかって部屋の出入口へと向かった。ドクターは顔だけを振り返って「それは申し訳ないからかい?」と聞いた。ノブに手をかけたシアンは「さあ、どうだろうな」と弱々しい小さな声で答える。
「……最後に訂正するが、これはただの道具だ。命が尽きるまで利用される消耗品だ。貴方が思っているようなやつじゃない」
シアンはそう吐き捨てると、ノブを回して部屋を出ていった。
「そっか。可哀想だね」
扉が閉まる直前、背後からドクターの小さな呟きが聞こえてくる。その言葉がツグナに向けられたものなのか、自分に向けられたものなのかは分からなかった。
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