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2.奥様はご機嫌ななめ

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 エルシィのいる場所から声が聞こえる程度の距離で女性たちが談笑している。扇子で口元を隠しながら視線をエルシィに向けてくすくすと笑っている。夫に放置されたエルシィを馬鹿にしているのだ。「お気の毒ねえ」と楽しそうな声が聞こえる。

 メイナードがロレインや他の女性と踊るのは今夜だけではない。何なら夜会の度に踊っている。それでもファーストダンスだけは必ずエルシィと踊ってくれていた。だから一応問題はないといえなくもない。気分はよくないが社交だからと言われてしまえば文句も言いづらい。

 また、エルシィが周りの言葉を一蹴できない理由もある。この結婚は政略で恋愛結婚ではない。ゆえに相思相愛ではないからだ。愛されている根拠がなければ言い返せない。

 オールストン公爵家は小麦の生産量国内一で品種改良にも優れている。その技術とノウハウを辺境にも取り入れたいと考えていた父はエルシィとの婚約を打診した。そのときメイナードは投資に失敗し少なくない負債を抱えていたので、多額の持参金と支援金をチラつかせた。結果的に彼は婚約を受け入れた。

 エルシィは政略結婚だからといって愛のある夫婦になることを諦めていない。さらに浮気や愛人を容認するつもりもない。社交と思われる範囲での女性との付き合いは仕方ないがそれ以上は絶対に駄目だ。だから初夜の時にある要求をした。

 もし愛人を作ったり浮気をしたら持参金の十倍を慰謝料として私に一括で支払うこと! という内容の誓約書にサインをさせた。もしかしてこれがいけなかったのかしら。男としてのプライドを傷つけた? でも本人は文句も言わずにサインしていた。 

 現在のメイナードにこの金額を払うことは絶対に無理だと思われる。持参金は全て負債の返済に充てたと聞いているからだ。メイナードは普段エルシィを大切にしてくれている。でも夜会に限っては違う。毎回これは酷くない? 
 世間にはメイナードが負債を抱えていたことは秘されている。そのため社交界ではエルシィがメイナードに恋焦がれてその思いを汲み取った父親が強引に結婚を捻じ込んだと思われている。エルシィのことを押しかけ妻で愛されていないと嘲笑している。メイナードと結婚を望む女性は今でも多いので離婚間近という噂まで出ている。きっと隙あらばその座を奪いたいと思っているのだ。高位貴族が結婚して三カ月で離婚するなんて、余程のことがなければあり得ないのにもかかわらず。

 ちなみに私たちの離婚を望んでいる最たる女性はロレインだろう。メイナードと踊るロレインを眺める。肩が出たタイトなドレスを色っぽく着こなしている。いや、本当にセクシーだわ。ロレインと彼女の夫とメイナードは同じ歳で学生からの付き合いだ。結婚したばかりのエルシィよりもはるかに長い時間を共有してきたロレインに対して冷静でいられない。
 
「何がいい子で待っていて、よ! 私を馬鹿にしているわ。あ――。もう、帰っちゃおうかな~」

 二人は親密そうに体を寄せて会話をしながら踊っている。やけに時間が長く感じる。一曲ってこんなに長かった? 誰か引き延ばした?

 この光景にイライラする自分も許せない。女性に人気の男を夫にすると妻は気苦労が絶えない。エルシィは明らかに嫉妬していた。
 ようやくロレインとのダンスが終わった。と思ったら新たな女性がメイナードに声を掛けた。そしてその手を取り踊り出す。メイナードに断ると言う選択肢はないのだろうか。
 
 いつもはメイナードの社交が終わるまで壁の花となって待っているのだが今日は我慢する気分になれない。エルシィは帰ることにした。メイナードに伝言すら残さずに踵を返し今来た通路を一人で引き返し屋敷に戻る。

「どうせ私がいなくなっても問題ないでしょう。むしろ喜ぶんじゃないかしら。素敵な女性たちと楽しめるものね!」

 馬車の中でヒールを脱ぎながらぶつぶつと文句をこぼした。お行儀が悪くても誰も見ていないので問題なし。

「もうちょっと夜会で私を優先してくれてもいいと思うの! あ――。もう、離婚したい!!」

 本当は嘘。離婚なんかしたくない。私たちはまだ新婚なのに夫を独占出来ないことが悔しい。
 屋敷に着くと靴を手に持ってツカツカと玄関に向かう。さすがオールストン公爵家。玄関前を靴なしで歩いても足の裏が傷つくことはない。使用人が素晴らしい仕事をしている。
 玄関の扉を開け屋敷に入れば老齢の執事バッカスが飛んできて目を丸くする。予定よりかなり早く帰ってきてしまったからだ。しかもエルシィ一人で。

「奥様。夜会はどうされたのですか? 旦那様は? もしかして体調を崩されたのですか? それならばすぐに医師を手配しましょう」

 冷静沈着なバッカスらしくなく慌てる姿にくすりと笑ってしまった。彼が心配してくれていると思うとやさぐれた気持ちが少しだけ温かくなった。

「バッカス、心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。具合が悪くなったわけじゃないの。なんだか馬鹿馬鹿しくなって帰って来ただけ。メイナード様はきっと今頃お楽しみの最中よ。私は湯浴みをして休ませてもらうわ」

 バッカスはエルシィの言葉を聞くと悲し気に眉を下げる。頭を下げすぐに湯浴みの準備を指示するために下って行った。自室のソファーに座り重たいため息を吐く。

「奥様。支度が出来ましたよ」

「ありがとう。ジャスミン」

 侍女のジャスミンの手を借りドレスを脱ぐ。湯浴みを済ませさっぱりとして部屋に戻った。ベッドサイドのテーブルにはエルシィのお気に入りのホットワインが一杯置いてあった。ジャスミンがぐっすり眠れるように用意してくれていた。さすが有能な侍女だ。それをゴクリと飲んでからベッドに潜り込んだ。
 大きな天蓋付きのふかふかの寝心地の良いベッド。筆頭公爵家の物は全て一流品だ。徐々にイライラも収まり微睡み始めた。






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