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1.妻にとって夜会は苦行

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 夫は妻ではない女性と見つめ合いダンスを踊っている。妻は壁際でそれを眺めている。さらにそれを馬鹿にするように周りでくだらない噂をさえず貴族観客たち。これがエルシィの夜会でのお決まりの状況だった。

「これ……いつまで続くの?」

 私たちは政略結婚で結ばれた。お互いの家が利益を得るために。世の中には政略結婚により幸せになれない夫婦もいる。しかし幸せな夫婦も多くいる。
 私は幸せになりたい。

 婚約が決まって結婚するまではそれが酷く難しいことだと思えた。努力はするが自分一人の努力だけでは限界がある。ところがいざ結婚したら不安は杞憂だったと思えるほど順調だった。幸せになれると期待した。その期待は思ったより早く失望に変わった。往々にして人生とは自分の思うようにならないものである。






 エルシィは豪華なドレスで装い髪を美しく結い上げている。化粧も完璧なのに気分は浮かない。

「夜会イコール苦行……」

「ん?」

  エルシィの小さな呟きにメイナードは美しい顔に爽やかな笑みを浮かべ僅かに首を傾げる。安定の麗しさである。彼は聞き取れなかったようだが言い直すことでもないので無視をした。

 この国のオールストン公爵メイナードとその妻エルシィは本日も夜会に出席するために馬車で移動中である。
 エルシィにとって夜会は前言通り苦行だ。原因は……目の前にいる夫にある。見目麗しい夫を持つと女性たちのやっかみや冷ややかな視線が痛い。エルシィが絶世の美女だったら風当たりももう少しましだったのかもしれないが、残念ながら自分は平凡の中か上(自称)といったところだ。苦行の原因の一番の問題は彼の行動にあった。

 王宮に着き会場に向かう通路を彼のエスコートで歩きながら夫をチラ見する。メイナードはエルシィの歩幅に合わせゆっくりと歩いてくれるので高いヒールでも歩きやすい。さすが結婚前は女たらしで名を馳せただけあって女性に対しての気配りは完璧だ。彼の用意してくれた濃緑のドレスは地味顔の自分をいい感じに美しく引き立てている……はず。彼は社交界で美的センスがあると評されているが妻を選ぶセンスはなかったと言われている。なんて失礼な!

 会場に入れば女性の視線が一斉にこちらを向く。概ねメイナードに釘付けだがエルシィに嫉妬し忌々しさを露わにする者もいる。とげとげの視線がチクチクと肌に刺さり痛い。

 メイナードはこの国の筆頭公爵で権力と豊かな領地と財力さらに美貌までを兼ね備えている。金髪碧眼の麗しい顔で微笑まれれば大抵の女性は心を奪われるだろう。

 エルシィはついメイナードの顔をまじまじと見てしまう。スッと通った鼻筋に形のいい唇、そして囚われてしまいそうな美しい碧い瞳。金髪を後ろに撫でつけていると一層凛々しい男振りだ。一見細身に見えるがその体は鍛えられている。ここまで美を体現した完璧な男って嫌味だ。

「エルシィ。そんなに見つめられると顔に穴が開きそうだ」

 揶揄うような口調にエルシィはふんと目を逸らした。(バレてた)

「お生憎様。見つめていたのではなく観察していただけです」

「同じことだろう?」

「……」

 会場の中央に進めば待っていましたとばかりに色っぽい女性が近寄って来た。
 ロレイン・バークリー伯爵未亡人。二年前に夫を亡くしている。彼女は二十七歳でメイナードとは学生時代からの友人だ。そして夫を亡くして以降はメイナードの愛人と囁かれている。メイナードが公に肯定したことも否定したこともないので真実は不明。エルシィも確認したことはない。ああ、もやもやする……。

 彼女は子供を産んでいるとは思えない程スレンダーな体をしている。胸やお尻はそれほど大きくないのに妖艶な雰囲気が滲み出ている。あれはどうやったら出せるんだ? 自分も出してみたいが出し方が分からない。彼女はエルシィの中でお色気代表として要注意人物リスト(メイナード愛人疑惑)に入っている。

「メイナード。遅かったわね。ねえ、踊りましょう?」

 慣れた甘えた声。ロレインはエルシーの目の前で白く細い手をメイナードに差し出した。こめかみに血管が浮き出た。まだ私たち一曲も踊っていないのに誘うの?

「今来たばかりなのだが?」

「私は今すぐ踊りたいのよ」

 ロレインはエルシィをいないもののように無視してメイナードに強請った。これって失礼だわ。私に挨拶もしない。する必要がないってこと? これでもオールストン公爵夫人ですけれど? それにまずは夫婦で踊ったその後に誘うのがマナーではないのか。密かに憤るも胸の内に隠しメイナードの対応を見守る。

「駄目だ。まずは愛しい妻とのダンスが先だからね」

 メイナードはきっぱり断るとエルシィの腰を抱きホールへ進む。後ろにちらりと視線を向ければロレインが両腕を胸の前に組み目を細めて睨むように見ているがエルシィは微笑を浮かべた。メイナードがエルシィを優先してくれたことに内心ほっとして少しだけ溜飲が下がる。

「いいの?」

 一応聞いてみる。

「エルシィが一番大事だからね」

「本当かしら」

 メイナードは当然だろう? と笑みを浮かべた。エルシィは別にそんな言葉は信じてないしどうでもいいとプイッと目を逸らした。とはいえ心の中では喜んでいる。悔しいが……エルシィはメイナードのことが好きなのだ。

 ダンスホールに入りメイナードのリードで軽やかに踊る。エルシィは彼とのダンスが大好きだ。まるで羽が生えたように軽やかにターンが出来る。この時間だけは堂々とメイナードを独り占めしている。あっという間に曲が終わるとメイナードはエルシィを壁際へ連れていく。一曲ってこんなに短い? 誰かわざと短くアレンジしたのでは? 心に不満を抱きながら夫を見上げる。きっと次はロレインと踊るに違いない。素直になれないエルシィは二曲目も踊りたいとは言い出せなかった。

「エルシィ。ここでいい子で待っていてくれ。愛しているよ」

「…………」

 耳元で低い声が甘く囁く。離れ際にエルシィの頬を手の甲でそっと撫でると未練などなさそうにくるりと向きを変えた。触れられた頬が熱い。ロレインはメイナードに笑みを向けて再び手を差し出した。その手を取るメイナードに腹が立ってしまう。高位貴族であれば夜会でダンスを踊るのも社交の一環だと分かっているが面白くない。いい子って何? 夫が他の女性と楽しく踊るのを見守る女のことをいつからいい子と表現するようになったのかしら。

 給仕から果実酒を受け取りちびちびと口を付けながらメイナードを眺める。体を寄せ合いロレインと何かを話している。親密そうな雰囲気を出さないで欲しい。妻が壁の花になって待ってますよー!

 彼は元々社交界でモテる男として有名だ。女性の交友関係は海のように広く来るものを拒まない、女ったらしの代名詞のように語られていた。結婚した当初はエルシィに誠実な態度を取ってくれていた。だからこれからは身を慎んでくれると期待していたが彼は相変わらずだ。エルシィは溜息をつくとグラスをテーブルに置いた。

(私、何しに来たのかしら?)





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