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15.不躾な眼差し

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 結婚式の日はシンシアにとって忘れられないものになった。
 王家の威信をかけて作られた煌びやかなウエディングドレスを纏い、愛する人の隣で見つめ合いながら荘厳なる大聖堂で永遠の愛を誓い合う。
 ブラッドが婚約者から夫になった瞬間だった。紺碧色の髪を撫で付けた正装姿のブラッドは天上から降臨してきた神かと思うほど美しかった。思わず見惚れて目が離せない。紺碧色の二重の瞳に映るのは今は自分だけ。彼の心を今日だけは独り占めできる。公務を忘れて幸せに酔いしれたい……。そうできたらいいのだけれど実際は無理だった。

(分かっていましたとも! 王太子殿下の結婚式は実質公務ですからね!)

 国外の王族が祝いという名の外交に来ている。もちろん国内の高位貴族からも祝辞を受け笑みを浮かべ続ける。顔面筋肉疲労が半端ないがこれもお仕事である。王太子妃ともなれば自分の幸せに浸りつつも隙を見せることは許されない。

 本音を言えばずっとブラッドの側にいたい。今日くらい許して欲しいが賓客のダンスの誘いを無下にも出来ない。国内の貴族はブラッドがシンシアを大事にしているのを死ぬほど理解しているせいか基本的に誘ってこない。(なんだか怯えているようにすら見えるが、優しいブラッドのどこに怯える要素があるのか疑問だ)最初の頃はあまりに誘われないので自分が嫌われているのかと侍女に相談した。

「あらあら、お嬢様気付いておられなかったのですか? お嬢様が他の男性の手を取ると殿下がものすごく威嚇するのですよ」

 何でも口は笑っているのに目から見えない何かを放ち相手を射殺そうとしているらしい。そんな馬鹿な……。

「あとは父君も弟君も同じように睨んでいますから、その視線を受け止めてまで踊ろうとする猛者はいらっしゃらないのでしょう」

「そ、そうなの……」

 心中複雑……。シンシアの周りは皆過保護だ。ちょっと引いたが家族からも婚約者からも愛されている証拠だと思えば嬉しいだけだ。
 大聖堂での結婚式が終わると城で披露宴、そのあとは待ちに待った初夜だ。あと少し頑張ればという期待で乗り切る。

 今夜のことを考えるとついつい会話がうわの空になる。それでも妃教育の賜物なのか、当たり障りのない会話で乗り切った。それにしても……今日は誰と話してもブラッドと比べてしまう。

 ブラッドの方がダンスが上手。
 ブラッドの方がカッコイイ。
 ブラッドの方が声が素敵。
 ブラッドの方が足が長い。
 ブラッドの髪の方がサラサラ、などなど。

 そして新たな男性に声をかけられた。

「シンシア妃殿下。一曲お願いできますか?」

「はい」

 反射的に返事をして男性の顔を見てはっとした。動揺を隠してその手を取りホールへ向かう。音楽に合わせ足を動かす。相手からの話に相槌を打つので精一杯だ。

(この人、クリフトンに似ている?)

 金色の髪に金色の瞳、眩い色を持つのはクラム王国の王族だけ。シンシアの前世、マリオンの生まれた国の現王太子ハリスンだ。どことなくクリフトンの面影を感じ胸の中がざわざわとする。彼はクリフトンの子孫なのだから当然といえばそれまでなのだが……。体が無意識に緊張していた。前世の記憶なんてもう終わったこと。それでも自分の死の元凶となった人の子孫が目の前に現れ、その人とダンスをすることになるなんて、その皮肉な人生に自嘲したくなる。せっかくの幸せに水を差すような気持ちになった。できればダンスを断りたかったが、理由もなく特定の人だけを断れない。

(これは仕事、仕事……)

 ハリスンとは今まで直接会うことも話すこともなかった。彼の為人は噂程度しか知らない。穏やかで優しい人柄と聞いたが、まあ普通に醜聞でも起こさない限りいい話しか流れてこない。彼個人に恨みはないが無意識に湧きあがる嫌悪感はどうにもならない。早く曲よ終われ! と思いながら笑みを張り付ける。ハリスンはねっとりとした視線を不躾に感じるほどシンシアに向けて来た。 

(あの国の王族は気持ち悪い人間しかいないの?!)

 それに気づくとぶわっと悪寒が走り全身に鳥肌が立った。私が自意識過剰なの? 気のせいだと思いたかったがたぶんそうではない。不快感が限界に達しそうになったとき、ようやく曲が終わった。ホッとして離れようとしたその時――。

「マリオン。すぐに君を助け出す。待っていてくれ」

(えっ?!)

 小さな囁きが聞こえた。「マリオン」と聞こえ振り返ったが彼はそのまま会場から遠ざかっていく。呆然とその後姿を見ていた。今のは聞き間違いであって欲しい。だって自分をマリオンと呼ぶ人間は存在しない。それは前世を知る人だけ。マリオンの見かけは今のシンシアとは似ても似つかないので同じ人間だと思うはずがない。もしも彼がクリフトンとしての前世の記憶を持っているとしたら?
 得体のしれない不安が胸の中に湧きあがりシンシアはブラッドの側に急いで戻った。彼の顔を見ると安心する。

「シンシア? 顔色が悪いな。疲れている?」

「ええ……」

 さっきの言葉をブラッドには言えないがモヤモヤを抱えているのが辛い。ちょっと迷ったが不安だけは伝えておくことにした。

「ブラッド。さっきクラム王国の王太子殿下とダンスをしたのだけれど、なんか……嫌な感じがして。今日は婚約者の令嬢は一緒ではないのね?」

 ハリスンは自国の公爵令嬢と婚約しているはずだ。たしか二人で出席するとの返事が来ていたと記憶している。

「ああ、その女性は急な病で倒れ婚約を解消したそうだ。彼に……何か言われたのか?」

「いいえ。そうではないのだけれど……」

 ブラッドに前世の記憶の話をしたいとは思えない。変なことを言う女だと思われても嫌だし、何よりもあの出来事を口にしたくない。自分の中で消化できているつもりでいたが、言葉にするとあの時の恐怖が自分のものになりそうで嫌なのだ。すると大きな手がシンシアの肩を優しく掴んだ。ブラッドは自分の体にシンシアの体を抱き寄せるとおでこにそっと口付けた。

「?!」

 大勢の賓客に囲まれる中での甘い仕草にびっくりした。そしてみるみる顔が赤くなる。咄嗟に両手で顔を隠すとブラッドは自分の胸元にシンシアの顔を寄せた。

「シンシア。このまま私たちは失礼しよう。必要な社交はだいたい終わった。これからは二人の時間だ」

 ふ、ふたりのじかん!! なんか艶めかしいものを感じたのは意識し過ぎだろうか。
 シンシアの頭の中は『二人の時間』でいっぱいになってさっきまでの不安や前世のことなど吹き飛んでしまった。恥ずかしさを誤魔化すように俯き彼に促されるままに歩き出した。そして気付けば王太子妃の部屋で湯浴みをして侍女たちに全身を磨かれていた。





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