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3.前世の初恋

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 幸せだった。

 マリオンが社交界デビューしたらコンラッドと正式に婚約し一年後には結婚する。
 今から待ち遠しい。最近コンラッドはよく笑うようになったと思う。彼の笑顔はどこか可愛く感じる。普段笑わない分、見れた時はご褒美のように感じた。
 マリオンはコンラッドを密かに観察した。見かけによらず甘いものは好きだけど豆が苦手で食べるときは眉をぎゅっと寄せる。でも残さないのはえらい。考え事をしている時は人差し指を机に五回トントンする。彼を知るのは楽しかった。

 マリオンは十七歳になるとコンラッドのエスコートで社交界デビューを果たした。彼と選んだデザインのドレスはお気に入り。コンラッドは顔を真っ赤にして「似合っている。可愛いよ」と言ってくれた。きっと同じくらい自分の顔も赤くなっている。二人で沢山練習したダンスは緊張しながらでも上々の出来だった。彼が側にいてくれるだけで心に余裕ができて貴族たちとの会話も緊張せずにすんだ。自分の人生の中で最高に幸せな一日だった。

 デビューを終えるとすぐに婚約の書類を提出するはずだったのになぜか父が待ったをかけた。大丈夫だと思いつつも心の中に不安が滲みだす。コンラッドも困惑しているのが分かる。あえて二人ともそのことは話題にせず穏やかに過ごした。

 それから一か月後、コンラッドと一緒に父の執務室に呼ばれた。ようやく婚約が結ばれたとの報告だと思い安堵しながら二人で部屋に入った。意外なことに部屋には母もいた。母は愛人と住む別邸に入り浸りで公爵邸には必要最低限しかこない。この二人が一緒にいるのは珍しい。しかもやけに浮かれている様子に嫌な予感がした。

「お前たちの婚約は白紙になった。マリオン、喜べ。お前は王太子殿下の婚約者となったのだ!」

「よかったわね、マリオン。私の産んだ娘が王太子妃になるなんて素晴らしいわ! 栄誉なことよ。喜びなさい」

「えっ?!」

「え……」

「幸いお前たちの婚約は仮で正式なものではなかった。本当によかった。デビューのエスコートは親戚だから問題にはならないだろう。ただいつまでもコンラッドが屋敷にいると穿った見方をする人間もいる。早々に出て行ってもらいたい。エッジ伯爵には説明して詫びとして金を渡してある。いいな」

 マリオンは頭の中が真っ白になった。顔色も悪いはず。コンラッドを見れば彼も呆然としていた。二人とも黙ったままだった。「どうして?」「いやよ」「王太子妃になんかなりたくない」「コンラッドと結婚したいの」心の中で叫んだ。その言葉は両親に従順に生きて来たマリオンには口に出すことが出来なかった。
 
 二人で生きる未来はこうして終わってしまった。
 父はすぐにコンラッドを追い出してしまいマリオンは今までのお礼も別れの挨拶も出来なかった。悄然としたまま過ごし夜になり食事のために食堂に向かう。一人分のカトラリーが並んでいる。いつもは向かいにコンラッドの分もあった。席に着くと給仕がスープを皿に注ぐ。スプーンを手に取り口に運ぶが味がしない。

「っ……」

 頬を涙が滑り落ちていく。テーブルにポタポタと染みができる。
 彼がいない。コンラッドはもうここにいない――。

「今日は食べられそうにないわ……」

「お嬢様……」

 マリオンはそのまま部屋に戻るとベッドに横になり枕に顔を押し付けた。

「コンラッド。あなたが好き……好きなのに……」

 自分でも彼に好意を抱いていると思っていたが、自覚すると恥ずかしくなってしまいそうで自分の気持ちに正面から向き合わなかった。言葉にして思いを告げたことはない。でもコンラッドなら分かってくれると思っていたし結婚してから伝えようと思っていた。だってずっと一緒にいられるはずだったから。
 それなのにもう会えない。もう伝えられない。こんなことになってはっきりと自分の気持ちを知った。コンラッドが好き。彼の側にいたかった。せめて伝えておけばよかった。後悔ばかりが押し寄せる。
 コンラッドが誉めてくれたから自分に自信が持てるようになった。彼が側にいてくれるから寂しくなくなった。生きるのが楽しい、幸せだと知ることができた。なによりも自分を必要としてくれる人、そして自分にとって大切な人に出会えたと思ったのに……。マリオンは実るはずだった初恋を失った。

 王太子クリフトンはマリオンより二歳年上で婚約者候補が二人いた。一人はブラックストン公爵家令嬢エレン、もう一人はブリュー伯爵令嬢ライラだ。ライラの母親と王妃様が親友同士であることからライラが有力だと思われていたが爵位の低さから反対の声があった。身分を踏まえエレンに内定していたはずだった。それなのにどうしてマリオンに決まってしまったのか。高位貴族の結婚は親が決める。マリオンの意志で断れない。しかも王命だ。もちろん伯爵子息でしかないコンラッドにもどうすることもできない。

 後日、教えられたのはエレンが隣国の王太子殿下に見初められ婚約の打診があったそうだ。そして婚約が正式に決まりクリフトンの新たな婚約者となる女性が必要になった。王妃様はライラを推したそうだが陛下が難色を示し年齢と爵位を考慮しマリオンに決まった。
 父は愛人に産ませた子にベイトソン公爵家を継がせることに決めた。母は不満に思っていたようだが公爵家の血を残すためには仕方がない。自分が産んだマリオンが王太子妃になることで納得した。

「どうして……」

 貴族の娘の義務だと理解していても心は追いつかなかった。それに王太子殿下の婚約者になるということはゆくゆくは王妃になる。それはマリオンの器ではない。社交界を束ねクリフトンと国を導く重責を担えるとも思えない。悲しみに浸る暇もなく、結婚式までの期間が短いからと早々に王太子妃教育のスケジュールを渡され始まった。公爵家を継ぐ勉強とは比にならないほどの大変さに毎日くたくたになる。そして近いうちにクリフトンとの顔合わせがある。クリフトンと話しをしたことはない。どんな人なのか、上手くやっていけるのか。不安でよく眠れず胃も痛む。

 そんなときコンラッドから一度だけ手紙が届いた。侍女が父に内緒で渡してくれた。どうやら取り次がないように指示されているらしかった。侍女にお礼を言うと深呼吸をして手紙を開いた。

『マリオンなら大丈夫、自信を持って。あなたの幸せを祈っています』

 彼らしい短い文面だった。

(あなたがいないのに幸せになんて……)

 妃教育で心が麻痺していたがコンラッドを思い出し悲しさが再燃する。その手紙を胸に抱きしめ声を堪えて涙を流した。しばらくして泣き止むとマリオンはそれを鍵のかかるオルゴールの中に隠すように大切に仕舞った。




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