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第60話

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《TBside》

 皇帝陛下に謁見する用事を終え、皇宮内をぶらりと散歩する。行き交う侍女たちが次々と忙しなく挨拶をしていく中、おれの視線はふと庭へと注がれる。人気の感じられない薔薇園。端まで手入れの行き届いたそこへ一歩、また一歩と足を踏み入れる。甘い香りと幻想的な雰囲気に酔いしれていると、突如背後でパキッと枝の割れる音がした。驚いたおれは、勢いよく振り返る。

「驚かすつもりはなかった、すまない」

 陽の光に照らされ煌めく金髪に、虹色眼。何とそこに居たのは、ライドニッツ卿だった。手元には一本の赤い薔薇。今のライドニッツ卿の瞳と同じ色をしていた。
 薔薇とライドニッツ卿。祝勝祭のパーティーにて、百本にも及ぶ薔薇の花束を贈られたことが記憶に新しい。おれはそれを思い出し、そっと頬を染める。

「この間のパーティーでおまえに贈った花束は、ここから摘んだものだ」
「か、勝手に摘んでも良いのですか?」
「この敷地内において俺に物申せる者はアルフェンロード皇帝くらいだ」

 シレッと悪びれもなくそう言ったライドニッツ卿。おれは思わず、苦笑いを浮かべた。
 ライドニッツ卿の言う通り。《剣聖》の一族の主に対して苦言を口にできるのは皇帝陛下以外にいない。彼らが住まうグラディドール大帝国の皇帝でさえ、彼らの扱い方に困っているのだ。
 ライドニッツ卿はふと何かを思い立ったように、おれの元へと歩み寄って来る。すると一本の薔薇をおれに差し出した。


「好きだ、ティファニベル」


 優しく吹いた風に乗って運ばれた尊き言葉。美しい森林を映したその瞳は、慈愛の想いに満ち溢れていた。はっきりと告げられた言葉に対して、おれは固唾を呑む。
 全く、嘘偽りを感じない。何の目的もない。ただ、彼は本気でおれと結婚したいだけ。それをおれは、察してしまった。
 ライドニッツ卿は更に距離を詰める。おれの乱れた髪に優しく触れ、サラリと撫でた。

「おまえは俺を疑っているのだろうが、この想いに嘘はない。惚れたから結婚したい。人間として普通の想いだとは思わないか?」

 心臓を思いっきり鷲掴みにされたような感覚。
 惚れたから結婚したい。本気で好きだから結婚したい。確かにそれは、人間として普通の心理だ。ライドニッツ卿は、家柄も年齢も性別さえにも左右されることはない。自身の心が詠うがままに生きている。
 長年の嫌がらせに何もできず、社交界から孤立したかのような存在だったおれ。母の罪を晴らしたい、幸せになりたい。たったその一心でここまで走って来た。目的のためなら手段も選ばなかった。必要とあらば、人の良心さえ捨て感情を抑え込んだ。それが、おれが幸せになれるただ唯一の道だと信じて疑わなかったから…。
 それなのに、思うがまま、自分の感情に従って素直に生きるライドニッツ卿を目の前にして、おれは初めて今の自分を惨めだと感じている。

「心に従えばいい。心を完全に殺すことは、おまえが一人の人間である限りは、無駄な行為だ」

 おれの全てを見透かすように、青く輝く瞳が告げた。
 好きかどうかではなく、幸せになれるかどうか。好きだという気持ちだけでは、幸せにはなれない。自分の本当の気持ちを押し殺して、結婚相手を選ぶことは、いけないことなの…?
 ライドニッツ卿は、おれの腰に手を添える。抱き締められる、と思ったそのとき。

「っ…!」
「触らないでもらえますか?ライドニッツ卿」

 突如として、ライドニッツ卿の腕が何者かによって捻り上げられた。さすがのライドニッツ卿も苦痛に顔を歪める。底冷えするような声の低さ。おれとライドニッツ卿の間に立ち塞がったのは、ランスだった。

「婚約者のいる相手を抱き締めるとは正気ですか?」
「…婚約者だと?そんな仲ではないだろう」

 ランスの言葉を、ライドニッツ卿はフッと鼻で笑い飛ばした。そしてランスの手を振り払うと、黄金に染まった瞳でランスを睨みつける。

「血は繋がっていないとは言え、弟に欲情されているなど…ティファニベルが気の毒で仕方がない。可愛がってきた弟に裏切られた兄の気持ちを考えたことがあるのか?オルドガルド元帥よ」

 ランスは、何も言わない。どんな顔をしているかは伺えないが、少し俯き気味になっていることだから…きっと悲しみに染まった顔をしているのだろう。
 兄弟。ライドニッツ卿が突きつけた言葉に、ランスよりもおれの方がショックを受けた。欲情しているのは、ランスだけではない。むしろ、おれのほうがランスに欲情してしまっている。あの夜のことだったり、キスのことだったり、あからさまに避けてしまったり…。
 自分に言われたかのような気持ちになったおれは、震える声で告げた。

「おれはこれで失礼します…」

 バッと踵を返し慣れない踵が上がった靴で、一気に薔薇園をかける。

「兄さんっ!」

 ランスの儚げな声が聞こえた気がしたが、おれは振り返ることはしなかった。




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