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第35話

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《TBside》

 リラ夫人の部屋の前。他の部屋と何ら変わらない扉なのにどこか酷く重苦しく感じた。中からは、今にも消え入りそうな泣き声が聞こえてくる。
 暗殺者としての役目の前には、家族だろうと何だろうと関係がないんだ。たとえ自身と血を分け合った相手だとしても、任務の前には何ら効力を持たない。レラさんは、暗殺者として役目を果たしたまで。それなのに、十年もの長い年月、彼女はずっと懺悔を繰り返してきた。
 おれからしたら、ランスをこの手で殺めるようなもの。そんなの絶対に耐えられない。血は繋がっていないけれど、おれの愛する弟だ。自身の手で殺すことなんて、絶対にできないよ。

「兄さん」

 扉の前に立ち尽くすおれの肩を抱くランス。小刻みに震える手をそっと握り締めてくれた。
 万が一のことがあってはいけないと、駆り出された軍人たちは皆引き続き警備に当たっている。危険だからと部屋から離れるようにも言われたが、そんな身勝手なことできるはずがない。ランスの伯母にあたる御方の最期を見届けないなど…。

「リラ…」

 微かに聞こえた声。レラさんがリラ夫人の名を呼んだ。その瞬間、おれは「あ、」と声を発する。部屋の中からは何も音がしない。啜り泣く声も、リラ夫人を呼ぶ声も。突如訪れた静寂に、おれたちは全てを察した。体から力が抜け、ランスの胸元に深く寄り掛かる。優しく支えてくれるランスに心中で御礼を言いながら、おれは瞳を閉じた。

「オルドガルド大公夫人の実姉にあたる御方だ。丁重に運び出せ」

 ランスは近くに張り付いていた軍人の部下たちに対して、冷静に命令を下した。ガチャリと開けられる扉の音。目を開けたら、この先にレラさんが…。
 肩に回されたランスの手の力が強張る。

「たった今、エウデラード家から御遺体はオルドガルド大公家で埋葬してくれとの手紙が届いた」

 お父様の声が聞こえ、おれは思わず目を開ける。レンズの向こうで、小さな炎が揺らぐのが見えた。
 
「それから、ティファニベルの暗殺の件はなかったことにする。エウデラードとオルドガルドは一切の関係がなかったことに、とも…」
 
 最初から、全て分かっていた。お父様からおれの暗殺の任務を持ち掛けられたときには、もう既にエウデラード家は知っていたんだ。ただ、レラさんは「ようやく時が来た」とだけ思ったんだろう。
 レラさんがこの世を去ったタイミングで、そんな手紙を送って来るなんて、恐らく他の暗殺者が監視していたんだろう。つまり、全てはエウデラード家の掌の上だったんだ。
 一切の関係がなかったことにとは…。エウデラード家への裏切りにもあたる、嘘の任務の話を持ち掛けたことは咎めないため、リラ夫人を殺したこと、おれの母ルラーナに虚偽の罪を着せたこと全てを忘れろということか。
 エウデラード家にこれ以上関与することは、本当の意味でのオルドガルド大公家の死を意味すること。これ以上はもう、踏み込んではいけない。

「明日、葬儀を行う。今日はもう遅いから、二人共ゆっくり休め」
「はい、父さん」
「ランスロット。ティファニベルと、一緒にいてやってくれ」

 お父様の言葉に、ランスは深々と頷いた。運び出されたレラさんを追ってお父様は廊下の奥に消えていく。

「兄さん、歩けますか?」

 コクリと小さく頷く。ランスに丁寧に支えられながら、人気のなくなった廊下を歩き始めた。
 レラさんは、その罪を神に許して貰えただろうか。壮絶な最期を迎えた可哀想な姉妹。どうか天上の世界では、幸せに暮らして欲しい。一族の柵に囚われることないよう_______。
 歩くこと数分。ランスの部屋についたおれたち。らんすの香りが漂う空間に、安堵の溜息が溢れる。極度の緊張から解放されたおれは、思わずその場で腰を抜かした。すると、ランスに腰を抱かれて軽々と抱き上げられる。

「ランスっ…」

 数歩歩き、優しくベッドの上へと下ろされる。ランスはおれを下から見上げ、顔色を伺うようにして覗き込んだ。握られていない手を頬に添える。浮かない顔をしているのは、おれよりもランスの方だ。

「悲しいんだね、ランス」
「…はい…。レラさんは責任を背負って自死を選びましたが、やはり母を殺した相手だと思うと、あの結末が本当に正しかったのか分からなくなります…」

 ランスからしたら、レラさんは母の仇とも言える相手だった。おれたちの仲を壊し、母の命までをも奪い去っていった。そう簡単には、許せるとは思えない。ランスの心境を考えると、本当に辛いんだろう。繋いだ手からそれが伝わってくるのだから。この手で殺せたら、とも思っていたのかもしれない。

「もう、終わったんだ。おまえの母を殺した黒幕も、もういない。ようやく終わったんだよ。だからね、あの場でランスが手を汚す必要なんてなかった。もし殺していたら、おれとは今こうやって、手を繋げないでしょ?」

 そう言って微笑む。ランスの顔がくしゃりと歪んだのを見て、そっと唇にキスを落とす。触れるだけの、優しいキスを。

「おれも、おまえも、この世にいない人のことを考えて悲しみに暮れるのは、もう最後にしよう」

 二人っきりの部屋。お互いの息遣いだけが聞こえる中で、傷を舐め合うかのように、キスだけを繰り返した。





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