6 / 342
《4》入学イベント
しおりを挟む彼から離れたとき、丁度アレクシスの手が戸惑うように背に回されかけていたことには気づかなかった。
アレクシスが、馬車に向かうノワの手を掴んだ。
「週に一度は手紙をください」
握りしめる手は、予想以上に大きかった。ノワは一瞬驚き、頷く。
「うん」
「では、お気を付けて」
呆気なく手を離される。
「···あなたは、そそっかしいんですから」
「もう、大丈夫だってば~!」
今度こそ馬車に乗り込む。ゆっくりと車輪が動き出した。
ふと、寝起きで見逃した違和感がよみがえった。
『ノワ』
耳元で聞こえたのはアレクシスの声だ。
今迄、彼に名前で呼ばれたことなどなかった。
あれは夢か幻聴か。目を擦りながら、再び襲ってきた眠気を噛み殺す。
起こしに来てくれたしっかり者の弟に頭突きをくらわせてしまった。
酷い話だが、もうひとつの疑問は夢では片付けられない。
文字通り彼の顔は、眠っていた自分の顔のすぐ目の前にあったのだ。
起こすために声をかけるにしても、真上に顔を近付ける必要があっただろうか?
ふと窓に自分が映る。
成程。
ノワは納得した。
アレクシスの美貌のせいで霞んでいたが、こうして見ると、自分は彼とは別の部類の美青年だ。
ノワが彼の顔面に見蕩れるように、アレクシスもこっちに見蕩れることがあるのかもしれない。
ノワの頭の中では「やっぱり僕の兄さんかっこいい!」と尊敬の眼差しを浮かべるアレクシスが浮かび上がった。
妄想の中の彼に、ツンデレさんめと呟く。
またニヤニヤしていると、馬車は滑らかに停車した。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
ノワは馬車から降りた。
先程一気飲みした水が、尿意を訴えている。
手洗い場を借りたいが、門の前はたくさんの生徒でごったがえしている。
我慢の限界は近い。この人混みを縫い、広い学内の手洗い場まで辿り着けるかは定かではない。
「·····。」
周りを見渡し、そそくさと正門から離れる。
塀に沿って向かったのは学園の裏庭だった。
美しい花園だが、今は見物する程の余裕はない。短い橋を亘り、生い茂る木々の中へ足を進める。
所謂立ちションというものだ。
ひとつの木に狙いを定め、ベルトを緩める。
スラックスを下げかけたところで、心臓は縮みあがった。
うしろに人の気配を感じた。
声を上げるまもなく、何者かの両手に背後から抱きしめられた。
「待ったかい?」
「??????」
わざとらしいほど甘い声が耳元に囁かれる。
ノワの全身に鳥肌が立つ。身じろぐと、さらに強く抱きしめられた。
叫びかけた口を噤む。ここで用をたそうとしていたことがバレれば、こちらも入学早々笑いもの扱いだ。
「怒ったの?」
猫なで声が言葉を続けた。
「あれ、髪切った?」
男の指が、ノワの髪を梳く。
「短いのも似合ってる。俺のために男装までして忍び込むなんて、わるいこだね·····」
どうも話の内容からして、恋人と逢い引きをする予定だったらしい。
いや、推測をしている場合ではない。
「君とも暫く会えないんだ·····素直に愛し合おうよ」
耳元に濡れたリップ音が響いた。
尿意といい悪寒といい、我慢の限界だ。
人違いだと叫びかけたとき、強く、腰を引き寄せられた。
「───んむっ」
唇に、暖かな温もりが重なった。
視界の端に映ったのは、ウェーブのかかった淡黄の髪。
ノワは、ぴしりと固まった。
気を許したと見たのか、相手は人差し指でこちらの顎を持ち上げた。
ぬるりとした物が歯をなぞる。ノワの頭に、かっと血が昇った。
「·····っにすんだよ?!」
乾いた音が新緑に消えた。
ノワはやっと彼から開放される。
背が高く、整った顔立ちの青年だ。
平手打ちをくらった彼は、一筆に書いたような切れ長の目を軽く見開いていた。
「あれ、君──」
男が何か言おうとする。
ノワはその場から一目散に逃げ出した。
裏庭を走り抜け、門の前の人混みに紛れる。
偶然にも手洗い場の指標を見つけた。
機械的に用を足し、そのまま新入生達の波に乗って入学式会場へと流れる。
キス。
今世はもちろんのこと、前世でも経験が無かっただとか、私的なショックは、この際1度置いておく。
平手打ちを食らわせた相手の顔に、見覚えがあるのだ。
薄暗かったせいで相手をよく確認することは出来なかった。
が、この世界で見覚えのある人間というのは、自分にとってほぼ99.9%の確率で要注意人物だ。
何故ならば、それはゲーム上のノワが、死にたがりの悪役令息だから。
早速敵を作ってしまったのだろうか。
理事長の挨拶などそっちのけでノワはうんうん唸る。
次のプロローグのアナウンスに、思考は停止した。
『在校生代表、フィアン・ヴェイリッジ・ラミレス──』
会場に"彼"の名前が響く。
ノワの脳内から、変態キス魔男は一瞬にして忘れ去られる。
静かなどよめきから、全校生徒の熱が波のように伝わってきた。
この国の第一皇子、フィアン・ヴェイリッジ・ラミレス。
イケメンロマンスの人気ナンバーワン攻略対象キャラクター。彼こそが前世のノワが誰よりも愛した推し様だ。
推しが、同じ世界の、同じ空間にいる。
鼓動はおかしい程駆け足になった。
どうにかしてこの目におさめようと、壇上の方へ背伸びをする。
風とともに、横の通路を1人の生徒が通り過ぎた。
え、と、声をもらしたノワの鼻腔を、爽やかな香りが掠める。
広い背中へ、新入生の羨望の眼差しが集まった。
眩い金髪が靡く。力強いスカーレットの瞳が会場を見渡した。
唇は嘘のように美しく弧を描いた。
「新入生諸君、入学おめでとう」
151
お気に入りに追加
5,000
あなたにおすすめの小説
悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
哀しい目に遭った皆と一緒にしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
【完】悪女と呼ばれた悪役令息〜身代わりの花嫁〜
咲
BL
公爵家の長女、アイリス
国で一番と言われる第一王子の妻で、周りからは“悪女”と呼ばれている
それが「私」……いや、
それが今の「僕」
僕は10年前の事故で行方不明になった姉の代わりに、愛する人の元へ嫁ぐ
前世にプレイしていた乙女ゲームの世界のバグになった僕は、僕の2回目の人生を狂わせた実父である公爵へと復讐を決意する
復讐を遂げるまではなんとか男である事を隠して生き延び、そして、僕の死刑の時には公爵を道連れにする
そう思った矢先に、夫の弟である第二王子に正体がバレてしまい……⁉︎
切なく甘い新感覚転生BL!
下記の内容を含みます
・差別表現
・嘔吐
・座薬
・R-18❇︎
130話少し前のエリーサイド小説も投稿しています。(百合)
《イラスト》黒咲留時(@kurosaki_writer)
※流血表現、死ネタを含みます
※誤字脱字は教えて頂けると嬉しいです
※感想なども頂けると跳んで喜びます!
※恋愛描写は少なめですが、終盤に詰め込む予定です
※若干の百合要素を含みます
親友だと思ってた完璧幼馴染に執着されて監禁される平凡男子俺
toki
BL
エリート執着美形×平凡リーマン(幼馴染)
※監禁、無理矢理の要素があります。また、軽度ですが性的描写があります。
pixivでも同タイトルで投稿しています。
https://www.pixiv.net/users/3179376
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!
https://www.pixiv.net/artworks/98346398
悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】
瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。
そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた!
……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。
ウィル様のおまけにて完結致しました。
長い間お付き合い頂きありがとうございました!
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。
攻略対象5の俺が攻略対象1の婚約者になってました
白兪
BL
前世で妹がプレイしていた乙女ゲーム「君とユニバース」に転生してしまったアース。
攻略対象者ってことはイケメンだし将来も安泰じゃん!と喜ぶが、アースは人気最下位キャラ。あんまりパッとするところがないアースだが、気がついたら王太子の婚約者になっていた…。
なんとか友達に戻ろうとする主人公と離そうとしない激甘王太子の攻防はいかに!?
ゆっくり書き進めていこうと思います。拙い文章ですが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる