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君と1
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僕が【僕】であると、自覚した時に目にしたものは【僕】だった。
何とも摩訶不思議なことに、僕が目を開けたら血だらけになって目を見開いた【僕】が目の前にいたのだ。
(な、んだ、これ)
ゆっくり起き上がるも、目線はいつもより低い。そして見えている自分の顔は鏡で見るよりも大きく感じた。
(…な、んだ?)
状況がよくわからず周りに目を配る。現在地はどこかの薮?または草むら?とにかく血だらけの僕は地面にうつ伏せで横たわっていた。
(……いや、よく考えたらおかしいだろ。何で僕が【僕】を見ているんだ?)
混乱しながらも歩き出そうと前に進むが、いつものように立ちあがろうにも二本の足ではうまく立てない。仕方なく四つん這いで進むが、その姿勢が思いのほかしっくりくる。
しっくりくる理由はなんだ?と疑問は浮かぶが、まずは状況を知りたくて【僕】の顔に近寄った。そして、手を伸ばして顔の頬に手を置くと……
「みぎゃぁ!?」
本来、見えてはいけないものが見えてしまった。
しかし、何度も瞬きしても見えているものは変わらない。
僕の瞳に映す映像は、モッフモフとした可愛らしい子猫の右前足だったのだ。
「にゃぁぁああ!?」
びっくりして声を出せば、それに反応するかのように体が20センチほど飛び跳ねて後退した。
(え?え?え?え?)
正直、頭の中は混乱しっぱなしだった。状況が掴めない。
自分が何になったかも理解したくなくて、僕はとにかく自分の体を守ろうと目の前にいる体に抱きつくように縋りついた。
動け動け動けと念じながら頭や体を血だらけの顔に擦り付ける。しかし、一向に変化は起きなかった。
無我夢中で体当たりを始めた頃合いに、周りから微かに人の声がし始めた。
「おい、ここかっ」
「はい。大きな音がしたと通報があったのはこの辺りです」
「んー?多分、轢き逃げだよな…車痕はあるが、……被害者は…どこだ」
「血痕はありますね…」
「通報されてからどれぐらいだ?」
「30分ほどです」
「大きな怪我じゃないなら息があるかもしれない。救急と手分けして探すぞ」
「はいっ!!!」
人の声がどんどん増えてきた。ガヤガヤと騒がしくなるにつれて、僕はあることを思いついた。
訳の分からない状況を打開するため、僕は人の声がする方に向かって走りやすい格好で走った。
今は四つ足で走ってるなんてことはどうでもいい。とにかくどうにかしなければ。そんな気持ちでいっぱいだった。
ガサっ
人がいるところに勢いよく飛び出せば、沢山の目が僕を見つめた。
「なんだ…猫…か」
僕の近くにいた人物は僕の存在を確認すると、はぁっと深く息を吐いた。そしてキョロキョロと周りを見渡しながら長い棒で藪のような草むらを突いている。他の人たちも同じように一列になって何かを探している様子だった。
(たくさんの人が何かを探してる…もしかして!)
僕は彼らが【僕】を探してくれているのだと確信し、嬉しくなった。そして一番近くにいる人物の足元でクルクルと回って見せた。
僕の体には【僕の血液】がついている。それをアピールするかのように体を相手の足に擦り付けたりクルクル回ったりしていると、やっとその様子を見ていた誰かが僕がまとわりついている人物に話しかけた。
「なあ、この猫。黒い毛皮だけど…ちょっと赤い部分がないか?」
「……そうか?」
話しかけられた人物は手に持っていた棒を地面に転がすと、しゃがみ込んで僕を覗き込んできた。
彼は僕に触ることを戸惑いながらもゆっくり手を伸ばしてくる。そして僕の体を右手で掴んで軽々と持ち上げると、じっと見つめ始めた。次に僕の体をクンクンと嗅いで、該当の場所を指で拭うと彼はカッと目を見開いた。
「……血、血だ!」
「まじか!!!」
「にゃぁ、にゃぁぁ(そうだよ!!だから【僕】を見つけて!!)」
僕は一声出してから彼の手の中でモゴモゴと身をよじるように動いた。すると暴れすぎて困ったのかパッと手が開く。
その隙に地面に着地すると、僕は彼らを誘導するように走った。
そして、時折後ろを振り返り彼らがついてくるのを確認しながら、【僕】のところへ人を連れてくることに成功したのだった。
「おい、見つかったぞ!!」
「痕跡よりかなり離れた場所まで飛ばされてたのか…」
僕を追いかけてきた人を追いかけて、どんどんと人が集まってくる。見つけてもらった安心感でホッとした僕は、その様子をボーっと眺めていた。しかし、【僕】が担架に乗せられて移動しようとする様を見て僕はハッと我にかえった。
(大変だ!このままじゃ【僕】の体と離れちゃう!!待って待って、僕も乗せってて!!)
担架が上に持ちがるタイミングを見計らって僕は【僕】のお腹の上に飛び乗った。
「うやや。猫ちゃんダメだって」
担架を運ぼうとする人以外の手で引き剥がされそうになるも、僕は必死にしがみついた。
上手いこと爪がシャツのボタン穴に引っかかってくれた事でなかなか僕を引き離すことはできない。しかも【僕】の体は急を要する。
困ってしまった人々はとりあえず僕を【僕】に乗せたまま救急車へと運び込んだ。
それからはもう、なんというか。怒涛の嵐だった。
まず、病院に着いた僕は【僕】から引き離された。必死に抵抗したけど、ダメだった。さっきは【僕】を優先するあまり一旦僕を引き離すことを諦めた彼らだったが、まあ病院だから仕方がない。
病院に獣がいること自体許されないから僕を捕まえようとする人に追いかけ回された。だが、僕だって【僕】の体に戻らねばならない。しなければならないことがあるからだ。だから、必死で逃げた。
お互いに譲れるものはなく、追いかけっこをし続けている頃合いに家族が病院にやってきた。
「先生!!!」
バタバタと走ってくる複数人の足音。その音と一緒に家族の声がした。僕はその声がする方向に方向転換すると、沢山の手をかわしながら猛ダッシュした。
聞こえた声は【僕】の母の声だった。23年間聴き続けた声を間違えるはずがない。僕は必死に走って見覚えがある人々の足元に滑り込んだ。
「どうなんですか!息子は、息子は!」
母と父、弟は病院関係者に詰め寄る様に群がっているため、隙間に入り込んだ僕に気がついていない。僕を追いかけていた人達は体の小さな僕を見失ったのか近くでキョロキョロしている。
家族の足はまるで動物を入れるケージの檻のようになり、僕はうまく彼らの足の影に隠れることで追ってを振り切ることに成功した。
その事にホッと息を吐く間に、僕の頭上から家族や大きな声が聞こえてきていた。
「…残念ながら…発見時から既にお亡くなりになっておりました」
「嘘、嘘よ…しんちゃん。うそよ!!!!」
母は相手の両肩を掴もうと手を伸ばすが、父がその手を掴んで引き寄せると母を抱きしめた。母は父の胸の中で涙を流しているのが嗚咽を漏らしている。
「犯人は…」
「その点につきましては、警察からご報告があるかと…」
父の問いかけに医療関係者は申し訳なさそうな声で話し、ペコリと頭を下げるとその場を去って行った。
「兄さん…嘘だろ…。明日、明日…明日はどうするんだよ!」
僕の頭に滴がポタリと落ちる。上を見上げれば弟が滅多に流さない涙を流していた。
家族はうっうっと声を押し殺して泣いている。そんな家族の姿を見て僕の心はズキンと痛んだ。
(そうだ…明日は…)
[明日]という言葉を聞いて、僕はある1人の人物の顔をぼんやりと思い浮かべた。だが、本当にぼんやりとしか思い浮かばない。何か大切なことを忘れているような気持ちになった。
だが家族の泣く声ですぐに現実に連れ戻され、そして【僕】の体がもう使い物にならないことを理解した。いや、むしろ目が覚めた時からその点については心の奥底では諦めていたのかもしれない。
「……あの……」
泣いていた【僕】の家族はか細い女性の声に反応するとパッと顔を上げた。そして声をかけてきた人物を確認すると、母はまた涙が溢れたのかカバンからハンカチを取り出して目を覆ってしまった。
そんな母の様子を見たその彼女は膝から崩れ落ちるように地べたに座り込んだ。
「…う…そ…」
一抹の思いを握りしめながらきたのだろうか。家族を見つめただ茫然としている彼女を見つめた僕は何故だか涙が溢れそうになってきた。
「…お義父さん。嘘ですよね?」
地べたに座り込む彼女は乾いた笑いをしながら父に問いかけた。
「………」
父は涙を流しながら首を横に振るだけだったがその意味は彼女に伝わったようだ。両目に涙を浮べてツーっと頬に涙の滴がこぼれ落ちる。目線を弟に向けるが弟は彼女の目線を受け止めきれず、そっと顔を背けた。
「はは…ははは。嘘。嘘だ。明日になったらいつものように笑ってひょっこりくるんでしょう?〈ごめんごめん〉とか言って。明日役所に婚姻届出そうって決めたのは新太なんだから…。そうですよね!ね?おかあさん…嘘ですよね…」
「亜弥ちゃん。ごめんね、ごめんね」
涙を流し彼女は虚な目をしながら、家族を見つめた。母はその様子を見て座り込む彼女に駆け寄るとぎゅっと彼女を抱きしめてただただ謝り始めた。
「嘘…嘘だ…新太…うわぁぁぁん」
彼女は母を抱きしめながら声を上げて泣き始めた。その様子を見て男2人がもらい泣きをする。もちろんも僕もだ。
何故だか彼女の声を聞くととてもとても胸が苦しくなった。そして僕は彼女になんとしてもアレを伝えなくてはならない。そんな気持ちが溢れてきた。
ただ、この体では心で涙を流しても目から涙をうまく流せない。やるせ無い気持ちになりながらも、僕は鉄壁の防御柵から離れて彼女の前までトボトボと歩いた。
そして父と弟、座り込んでいる母と彼女の間に移動するとチョコンとその場に座る。意を決して僕は声を上げた。
「にゃぁぁ(亜弥ちゃん)」
僕が一声鳴き声をあげると、その場がシーンっとなった。
獣の声が聞こえるはずがない場所で聞こえたからだ。
8個の瞳は一斉に僕を見つめた。刺さるようなその視線にブルっと体が震えるが、僕はもう一度声をあげた。
「にゃぁご(ごめんね)」
申し訳ない気持ちを声に乗せながら僕は顔を両前足で隠すようにしてから地面に伏せた。
そう、まるで土下座のように。彼らの視線は今も僕に釘付けだ。
しばらくその体勢でいると、家族以外の声が聞こえてきた。
「あああ!いた!いたぞ!猫!コラ!ちび猫め!!ここは獣がいていい場所じゃないぞ」
それは僕を捕まえようとしていた人々の1人だった。声の主は僕をみつけるとドスドスと怒った足を音を立てて近寄ってきている。
僕はパッと頭を上げて目標を確認すると目の前にいた亜弥ちゃんの背中に隠れるようにうずくまった。
「あっ、コラ!すみません…この猫救急搬送された方と一緒に着いてきてしまったらしくて。大変申し訳ございません」
僕を捕まえようする彼はペコペコと【僕】の家族に頭を下げつつ亜弥ちゃんに近寄ると、しゃがんで僕に向かって手を伸ばしてきた。
「着いてきた?」
僕が伸ばされた手をヒラヒラとかわしていると、上から涙声の亜弥ちゃんが手の主に尋ねた。
「あ、え?あ…えと…」
彼は話していいものなのかと迷ったような様子をしながら顔をあげると、亜弥ちゃんはその目線を受け止めながら口を開いた。
「私達…五島新太さんの親族です」
「あっ!」
名前を聞いて何かを理解した彼は一度立ちがると深々と亜弥ちゃんに頭を下げた。僕は手が消えた隙に亜弥ちゃんの右脚に縋り付くようにくっついて様子を伺うことにした。
「この度はお悔やみ申し上げます」
「…はい…。あの、その…この猫ちゃんが何か?」
亜弥ちゃんはひっつく僕をチラリと見てから目の前の男性に目線を戻すと、頭を下げていた彼は頭を上げてから口を開いた。
「実はこの猫が五島さんの居場所を案内したような、そんな状況があったそうです。担架に乗せる際に追いかけてきて体に飛び乗って離れず。引き剥がそうとしたようですがその時点では搬送を優先したようでここまで着いてきてしまったそうです。で、病院についてから無理やり引き剥がすことには成功しましたが、その…逃げられておりまして…」
「…この子が…」
彼はまたしゃがんで僕に手を伸ばしてくるが、それより先に亜弥ちゃんが僕をヒョイっと持ち上げた。
「あっ、ご協力感謝します。あの…こちらで対応しますので…」
「…この子はどうなるのでしょう」
亜弥ちゃんは僕を掴んでいない手で目元を拭うとゆっくり立ち上がった。そして彼女が真剣な顔で目の前の男性を見つめると、彼はその視線を受け悲しそうに眉を下げた。
「おそらく保健所に」
そして僕を引き渡して欲しそうにぺこりを頭を下げると、彼は亜弥ちゃんの反応を待って静かになった。
亜弥ちゃんは返事をせずに僕を持ち上げると30センチほどの距離で僕の顔をじっと見つめてきた。
僕も亜弥ちゃんの目をじっと見つめた。するとその瞬間にどうしてもアレをやらねばならないと何かに責め立てられるような気持ちになった。
その気持ちのまま、僕は彼女に向かってゆっくりと瞼を2回閉じた。
その様子を見た亜弥ちゃんは目を見開くと僕を両腕に優しく包み込むように抱き抱えた。
「飼います」
「え?」
「私が飼います」
「ええ?」
さっきまで弱々しかった亜弥ちゃんの声は今でははっきりとした強い意志を持った声に変わっていた。その声を聞いた彼はびっくりして返事を返すことも忘れただ呆然としている。
僕もびっくりして亜弥ちゃんと、彼をキョロキョロと交互に見つめた。そして彼の後ろにいる残りの家族達も状況をやっと把握したのか、こちらに近寄ってきた。3人は僕たちの様子を少し遠くから眺め始めた。
「飼います」
「…は、はぁ。なるほど?」
亜弥ちゃんは取られまいと僕をぎゅっと抱きしめ、またハッキリとした声で告げた。目の前の彼も困ったような顔になりつつポリポリと頬を人差し指で掻くと、ペコリと頭を下げてその場から去っていった。
(も、もう。捕まらない…のかな)
逃げ切ったことに安堵しつつもまだ少し不安が残る。そんな僕にはお構いなしな亜弥ちゃんは僕を抱きしめたままその場から動かなかった。
「…亜弥ちゃん」
「お義母さん。私、飼います。新太を見つけてくれたこの子。飼います」
母は困ったような顔になりつつ、隣にいる父に目を向けた。父はその視線を受け止めてからひとつ頷くと亜弥ちゃんに話しかけた。
「まだ私たちを義理の両親と呼んでくれるのかい?ありがとう。今はまだ心の整理がつかないと思うが、落ち着いたらこれからのことを話し合おう。葬儀の事もあるからまた後日連絡するよ」
「はい。お義父さん。大丈夫です」
亜弥ちゃんの返答を聞いて両親は困ったような悲しそうな顔になった。そして夫婦で見つめあってから目線で何かを交わすと、くるっと背を向けて亜弥ちゃんから離れ始めた。
「……何もできなくて、ごめん」
弟はポツリと小さな声で呟くと両親を追いかけるようにその場から去った。
亜弥ちゃんは彼らの背中が見えなくなるまでじっと見つめてその場に佇んでいた。
何とも摩訶不思議なことに、僕が目を開けたら血だらけになって目を見開いた【僕】が目の前にいたのだ。
(な、んだ、これ)
ゆっくり起き上がるも、目線はいつもより低い。そして見えている自分の顔は鏡で見るよりも大きく感じた。
(…な、んだ?)
状況がよくわからず周りに目を配る。現在地はどこかの薮?または草むら?とにかく血だらけの僕は地面にうつ伏せで横たわっていた。
(……いや、よく考えたらおかしいだろ。何で僕が【僕】を見ているんだ?)
混乱しながらも歩き出そうと前に進むが、いつものように立ちあがろうにも二本の足ではうまく立てない。仕方なく四つん這いで進むが、その姿勢が思いのほかしっくりくる。
しっくりくる理由はなんだ?と疑問は浮かぶが、まずは状況を知りたくて【僕】の顔に近寄った。そして、手を伸ばして顔の頬に手を置くと……
「みぎゃぁ!?」
本来、見えてはいけないものが見えてしまった。
しかし、何度も瞬きしても見えているものは変わらない。
僕の瞳に映す映像は、モッフモフとした可愛らしい子猫の右前足だったのだ。
「にゃぁぁああ!?」
びっくりして声を出せば、それに反応するかのように体が20センチほど飛び跳ねて後退した。
(え?え?え?え?)
正直、頭の中は混乱しっぱなしだった。状況が掴めない。
自分が何になったかも理解したくなくて、僕はとにかく自分の体を守ろうと目の前にいる体に抱きつくように縋りついた。
動け動け動けと念じながら頭や体を血だらけの顔に擦り付ける。しかし、一向に変化は起きなかった。
無我夢中で体当たりを始めた頃合いに、周りから微かに人の声がし始めた。
「おい、ここかっ」
「はい。大きな音がしたと通報があったのはこの辺りです」
「んー?多分、轢き逃げだよな…車痕はあるが、……被害者は…どこだ」
「血痕はありますね…」
「通報されてからどれぐらいだ?」
「30分ほどです」
「大きな怪我じゃないなら息があるかもしれない。救急と手分けして探すぞ」
「はいっ!!!」
人の声がどんどん増えてきた。ガヤガヤと騒がしくなるにつれて、僕はあることを思いついた。
訳の分からない状況を打開するため、僕は人の声がする方に向かって走りやすい格好で走った。
今は四つ足で走ってるなんてことはどうでもいい。とにかくどうにかしなければ。そんな気持ちでいっぱいだった。
ガサっ
人がいるところに勢いよく飛び出せば、沢山の目が僕を見つめた。
「なんだ…猫…か」
僕の近くにいた人物は僕の存在を確認すると、はぁっと深く息を吐いた。そしてキョロキョロと周りを見渡しながら長い棒で藪のような草むらを突いている。他の人たちも同じように一列になって何かを探している様子だった。
(たくさんの人が何かを探してる…もしかして!)
僕は彼らが【僕】を探してくれているのだと確信し、嬉しくなった。そして一番近くにいる人物の足元でクルクルと回って見せた。
僕の体には【僕の血液】がついている。それをアピールするかのように体を相手の足に擦り付けたりクルクル回ったりしていると、やっとその様子を見ていた誰かが僕がまとわりついている人物に話しかけた。
「なあ、この猫。黒い毛皮だけど…ちょっと赤い部分がないか?」
「……そうか?」
話しかけられた人物は手に持っていた棒を地面に転がすと、しゃがみ込んで僕を覗き込んできた。
彼は僕に触ることを戸惑いながらもゆっくり手を伸ばしてくる。そして僕の体を右手で掴んで軽々と持ち上げると、じっと見つめ始めた。次に僕の体をクンクンと嗅いで、該当の場所を指で拭うと彼はカッと目を見開いた。
「……血、血だ!」
「まじか!!!」
「にゃぁ、にゃぁぁ(そうだよ!!だから【僕】を見つけて!!)」
僕は一声出してから彼の手の中でモゴモゴと身をよじるように動いた。すると暴れすぎて困ったのかパッと手が開く。
その隙に地面に着地すると、僕は彼らを誘導するように走った。
そして、時折後ろを振り返り彼らがついてくるのを確認しながら、【僕】のところへ人を連れてくることに成功したのだった。
「おい、見つかったぞ!!」
「痕跡よりかなり離れた場所まで飛ばされてたのか…」
僕を追いかけてきた人を追いかけて、どんどんと人が集まってくる。見つけてもらった安心感でホッとした僕は、その様子をボーっと眺めていた。しかし、【僕】が担架に乗せられて移動しようとする様を見て僕はハッと我にかえった。
(大変だ!このままじゃ【僕】の体と離れちゃう!!待って待って、僕も乗せってて!!)
担架が上に持ちがるタイミングを見計らって僕は【僕】のお腹の上に飛び乗った。
「うやや。猫ちゃんダメだって」
担架を運ぼうとする人以外の手で引き剥がされそうになるも、僕は必死にしがみついた。
上手いこと爪がシャツのボタン穴に引っかかってくれた事でなかなか僕を引き離すことはできない。しかも【僕】の体は急を要する。
困ってしまった人々はとりあえず僕を【僕】に乗せたまま救急車へと運び込んだ。
それからはもう、なんというか。怒涛の嵐だった。
まず、病院に着いた僕は【僕】から引き離された。必死に抵抗したけど、ダメだった。さっきは【僕】を優先するあまり一旦僕を引き離すことを諦めた彼らだったが、まあ病院だから仕方がない。
病院に獣がいること自体許されないから僕を捕まえようとする人に追いかけ回された。だが、僕だって【僕】の体に戻らねばならない。しなければならないことがあるからだ。だから、必死で逃げた。
お互いに譲れるものはなく、追いかけっこをし続けている頃合いに家族が病院にやってきた。
「先生!!!」
バタバタと走ってくる複数人の足音。その音と一緒に家族の声がした。僕はその声がする方向に方向転換すると、沢山の手をかわしながら猛ダッシュした。
聞こえた声は【僕】の母の声だった。23年間聴き続けた声を間違えるはずがない。僕は必死に走って見覚えがある人々の足元に滑り込んだ。
「どうなんですか!息子は、息子は!」
母と父、弟は病院関係者に詰め寄る様に群がっているため、隙間に入り込んだ僕に気がついていない。僕を追いかけていた人達は体の小さな僕を見失ったのか近くでキョロキョロしている。
家族の足はまるで動物を入れるケージの檻のようになり、僕はうまく彼らの足の影に隠れることで追ってを振り切ることに成功した。
その事にホッと息を吐く間に、僕の頭上から家族や大きな声が聞こえてきていた。
「…残念ながら…発見時から既にお亡くなりになっておりました」
「嘘、嘘よ…しんちゃん。うそよ!!!!」
母は相手の両肩を掴もうと手を伸ばすが、父がその手を掴んで引き寄せると母を抱きしめた。母は父の胸の中で涙を流しているのが嗚咽を漏らしている。
「犯人は…」
「その点につきましては、警察からご報告があるかと…」
父の問いかけに医療関係者は申し訳なさそうな声で話し、ペコリと頭を下げるとその場を去って行った。
「兄さん…嘘だろ…。明日、明日…明日はどうするんだよ!」
僕の頭に滴がポタリと落ちる。上を見上げれば弟が滅多に流さない涙を流していた。
家族はうっうっと声を押し殺して泣いている。そんな家族の姿を見て僕の心はズキンと痛んだ。
(そうだ…明日は…)
[明日]という言葉を聞いて、僕はある1人の人物の顔をぼんやりと思い浮かべた。だが、本当にぼんやりとしか思い浮かばない。何か大切なことを忘れているような気持ちになった。
だが家族の泣く声ですぐに現実に連れ戻され、そして【僕】の体がもう使い物にならないことを理解した。いや、むしろ目が覚めた時からその点については心の奥底では諦めていたのかもしれない。
「……あの……」
泣いていた【僕】の家族はか細い女性の声に反応するとパッと顔を上げた。そして声をかけてきた人物を確認すると、母はまた涙が溢れたのかカバンからハンカチを取り出して目を覆ってしまった。
そんな母の様子を見たその彼女は膝から崩れ落ちるように地べたに座り込んだ。
「…う…そ…」
一抹の思いを握りしめながらきたのだろうか。家族を見つめただ茫然としている彼女を見つめた僕は何故だか涙が溢れそうになってきた。
「…お義父さん。嘘ですよね?」
地べたに座り込む彼女は乾いた笑いをしながら父に問いかけた。
「………」
父は涙を流しながら首を横に振るだけだったがその意味は彼女に伝わったようだ。両目に涙を浮べてツーっと頬に涙の滴がこぼれ落ちる。目線を弟に向けるが弟は彼女の目線を受け止めきれず、そっと顔を背けた。
「はは…ははは。嘘。嘘だ。明日になったらいつものように笑ってひょっこりくるんでしょう?〈ごめんごめん〉とか言って。明日役所に婚姻届出そうって決めたのは新太なんだから…。そうですよね!ね?おかあさん…嘘ですよね…」
「亜弥ちゃん。ごめんね、ごめんね」
涙を流し彼女は虚な目をしながら、家族を見つめた。母はその様子を見て座り込む彼女に駆け寄るとぎゅっと彼女を抱きしめてただただ謝り始めた。
「嘘…嘘だ…新太…うわぁぁぁん」
彼女は母を抱きしめながら声を上げて泣き始めた。その様子を見て男2人がもらい泣きをする。もちろんも僕もだ。
何故だか彼女の声を聞くととてもとても胸が苦しくなった。そして僕は彼女になんとしてもアレを伝えなくてはならない。そんな気持ちが溢れてきた。
ただ、この体では心で涙を流しても目から涙をうまく流せない。やるせ無い気持ちになりながらも、僕は鉄壁の防御柵から離れて彼女の前までトボトボと歩いた。
そして父と弟、座り込んでいる母と彼女の間に移動するとチョコンとその場に座る。意を決して僕は声を上げた。
「にゃぁぁ(亜弥ちゃん)」
僕が一声鳴き声をあげると、その場がシーンっとなった。
獣の声が聞こえるはずがない場所で聞こえたからだ。
8個の瞳は一斉に僕を見つめた。刺さるようなその視線にブルっと体が震えるが、僕はもう一度声をあげた。
「にゃぁご(ごめんね)」
申し訳ない気持ちを声に乗せながら僕は顔を両前足で隠すようにしてから地面に伏せた。
そう、まるで土下座のように。彼らの視線は今も僕に釘付けだ。
しばらくその体勢でいると、家族以外の声が聞こえてきた。
「あああ!いた!いたぞ!猫!コラ!ちび猫め!!ここは獣がいていい場所じゃないぞ」
それは僕を捕まえようとしていた人々の1人だった。声の主は僕をみつけるとドスドスと怒った足を音を立てて近寄ってきている。
僕はパッと頭を上げて目標を確認すると目の前にいた亜弥ちゃんの背中に隠れるようにうずくまった。
「あっ、コラ!すみません…この猫救急搬送された方と一緒に着いてきてしまったらしくて。大変申し訳ございません」
僕を捕まえようする彼はペコペコと【僕】の家族に頭を下げつつ亜弥ちゃんに近寄ると、しゃがんで僕に向かって手を伸ばしてきた。
「着いてきた?」
僕が伸ばされた手をヒラヒラとかわしていると、上から涙声の亜弥ちゃんが手の主に尋ねた。
「あ、え?あ…えと…」
彼は話していいものなのかと迷ったような様子をしながら顔をあげると、亜弥ちゃんはその目線を受け止めながら口を開いた。
「私達…五島新太さんの親族です」
「あっ!」
名前を聞いて何かを理解した彼は一度立ちがると深々と亜弥ちゃんに頭を下げた。僕は手が消えた隙に亜弥ちゃんの右脚に縋り付くようにくっついて様子を伺うことにした。
「この度はお悔やみ申し上げます」
「…はい…。あの、その…この猫ちゃんが何か?」
亜弥ちゃんはひっつく僕をチラリと見てから目の前の男性に目線を戻すと、頭を下げていた彼は頭を上げてから口を開いた。
「実はこの猫が五島さんの居場所を案内したような、そんな状況があったそうです。担架に乗せる際に追いかけてきて体に飛び乗って離れず。引き剥がそうとしたようですがその時点では搬送を優先したようでここまで着いてきてしまったそうです。で、病院についてから無理やり引き剥がすことには成功しましたが、その…逃げられておりまして…」
「…この子が…」
彼はまたしゃがんで僕に手を伸ばしてくるが、それより先に亜弥ちゃんが僕をヒョイっと持ち上げた。
「あっ、ご協力感謝します。あの…こちらで対応しますので…」
「…この子はどうなるのでしょう」
亜弥ちゃんは僕を掴んでいない手で目元を拭うとゆっくり立ち上がった。そして彼女が真剣な顔で目の前の男性を見つめると、彼はその視線を受け悲しそうに眉を下げた。
「おそらく保健所に」
そして僕を引き渡して欲しそうにぺこりを頭を下げると、彼は亜弥ちゃんの反応を待って静かになった。
亜弥ちゃんは返事をせずに僕を持ち上げると30センチほどの距離で僕の顔をじっと見つめてきた。
僕も亜弥ちゃんの目をじっと見つめた。するとその瞬間にどうしてもアレをやらねばならないと何かに責め立てられるような気持ちになった。
その気持ちのまま、僕は彼女に向かってゆっくりと瞼を2回閉じた。
その様子を見た亜弥ちゃんは目を見開くと僕を両腕に優しく包み込むように抱き抱えた。
「飼います」
「え?」
「私が飼います」
「ええ?」
さっきまで弱々しかった亜弥ちゃんの声は今でははっきりとした強い意志を持った声に変わっていた。その声を聞いた彼はびっくりして返事を返すことも忘れただ呆然としている。
僕もびっくりして亜弥ちゃんと、彼をキョロキョロと交互に見つめた。そして彼の後ろにいる残りの家族達も状況をやっと把握したのか、こちらに近寄ってきた。3人は僕たちの様子を少し遠くから眺め始めた。
「飼います」
「…は、はぁ。なるほど?」
亜弥ちゃんは取られまいと僕をぎゅっと抱きしめ、またハッキリとした声で告げた。目の前の彼も困ったような顔になりつつポリポリと頬を人差し指で掻くと、ペコリと頭を下げてその場から去っていった。
(も、もう。捕まらない…のかな)
逃げ切ったことに安堵しつつもまだ少し不安が残る。そんな僕にはお構いなしな亜弥ちゃんは僕を抱きしめたままその場から動かなかった。
「…亜弥ちゃん」
「お義母さん。私、飼います。新太を見つけてくれたこの子。飼います」
母は困ったような顔になりつつ、隣にいる父に目を向けた。父はその視線を受け止めてからひとつ頷くと亜弥ちゃんに話しかけた。
「まだ私たちを義理の両親と呼んでくれるのかい?ありがとう。今はまだ心の整理がつかないと思うが、落ち着いたらこれからのことを話し合おう。葬儀の事もあるからまた後日連絡するよ」
「はい。お義父さん。大丈夫です」
亜弥ちゃんの返答を聞いて両親は困ったような悲しそうな顔になった。そして夫婦で見つめあってから目線で何かを交わすと、くるっと背を向けて亜弥ちゃんから離れ始めた。
「……何もできなくて、ごめん」
弟はポツリと小さな声で呟くと両親を追いかけるようにその場から去った。
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