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第4話 空の彼方 A

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 強欲のマドン。その姿を知る者は居らず、正体は不明。刹那に現れては刹那に消え、まるで怪盗のように瞬く間に自らが欲するものを奪い去る悪神。マドンを崇拝する者には、その魔の手は振りかかることはなく、永遠の幸せを手に入れるであろう。ーーなんじゃそりゃ。

 そんなもの居るわけが無い。もしもそんな妙ちきな神様が居るのならキリシタンやムスリムはみんな一文無しのすっぽんぽんだろう。

 美人な信者がそうなってくれたり、特に今せっせと強欲を捕まえるための手掛かりを探している磯城さんが目の前で突然全裸になったらそりゃあ俺も強欲の存在を認めざるを得ないし、全力で崇拝するが、磯城さんがやけに似合っている警察服を着ている限りは強欲の神なんておとぎ話はあり得ないのである。

「ーーとりあえず現場検証の結果、犯人の指紋はおろか飛沫すら見つかんなかったッス。だけどもこれだけの完全犯罪をやってのけるのは強欲くらいのもので、逆に犯人が強欲だっていう事を裏付ける証拠になってる訳ッスけど」

 はぁーっと溜め息を吐きながら磯城さんは言う。

「ーーまあ結局、何の手掛かりもない状態は変わらないッスね」

「そうですか。お疲れ様です」

 俺が労いの言葉を掛けるも磯城さんはどうも心ここにあらずと言った感じでそわそわとしている。やはり強欲の手掛かりが何も見つからなかった事に心残りがあるのだろうか。

「ーーあの、大丈夫ですか?」

 しかし磯城さんは返事をせず放心状態のまま宙を眺めている。ーーいよいよ心配になってきた。もしかして強欲が親の敵だとか、強欲に全てを奪われ復讐のために警察になったとかのワケ有りか?

 俺は磯城さんの肩に手を伸ばした。普通に慰めようってだけで下心とかそういうのは一切なく、彼女の柔らそうな体に触れようとした刹那、


 ーージリリリと、電子音が鳴り響いた。



「あー!やっと終わったッス!!今日の業務終了!!」


 そう言って磯城さんは豊満な胸を揺らして伸びをする。伸ばした手の先が彼女の胸を掠めたが、慌てて手を引っ込めて事なきを得る。あぶねぇ。

 ーーなるほど、ずっと呆けていたと思ったが時計を見ていたのか。でも警察官が退勤手続きも無しにこんなところで油売ってていいんですか?

「私は交番勤務なんで大丈夫ッス。丁度交代の時に通報があって、現場検証とか色々終わったら今日は上がっていいって許可も貰ってますんで」

 そうですか、と相槌を打つ。流石公務員、すごいホワイトだな。

「ーーそういえばメチャクチャお腹空いたッスね、一緒にご飯でも食べに行きませんか?」

 と、急にご飯に誘われた。デートですか?と茶化す前に俺は磯城さんの異変に気付き口を結ぶ。彼女は僅かに肩を震わせていた。

「ーーへ、ヘリオスさんーーふひっ」


「ーー人の名前で笑うのやめて貰っていいですか?」

 だから言いたくなかったんだ。俺の名前、赤井ヘリオス。就職面接で落ち続けた原因の一つで、面接官に「お前ふざけてんのか」と言われたときには泣きそうになった。つーか帰ってから枕に顔を埋めて泣いた。

「いやー、ごめんッス。でも馬鹿にしてる訳じゃあ無いんスよ。自分も結構変な名前してるんで、ーー自分から名乗ることって殆んど無いんスけど、磯城エルゼって言います。よろしくッス、ーーヘリオスさん」

 磯城さんは内緒の話をするように口許に手を当てて耳打ちで言った。吐息がかかってくすぐったい。て言うかまた笑ってんじゃねえか。

「じゃあ早速ですけどご飯行きましょうよ!ヘリオスさんの奢りで!」

「いや、何でですか。言っておきますけど自分全然金持ってないですよ」

「ーーだってさっき私のおっぱい触ったじゃないスか」

 磯城さんは自らの馬鹿デカい胸を抱き寄せて、湿っぽいジトッとした目でこちらを見つめ、「ーーえっちッスね」と悪戯っぽく呟いた。気付いてたんですか?ーーというか違う、誤解だ。わざとじゃない、決して、神に誓って!!

 ーーだがしかし、ここで駄々をこねるのも男らしくないので、おっぱい触った件については土下座で謝り、俺は奢りの罰を甘んじて受け入れることにした。ーーちなみにすげぇ柔らかかったっす。




 ◇◆◇





「んじゃ、車の運転お願いしまスよ!」と、磯城さんが堂々と宣言し、ペーパードライバーである俺はそれを断るも、おっぱいの件で脅され、しかし俺が運転すればどれだけ近場でも一時間は掛かる、背に腹は変えられないだろうと、先程からグーグーとお腹をならしている磯城さんが半べそかくぐらいの脅しで形勢逆転をし、男らしさがどうとか言ってた数分前の事はすっかり忘れ、プライドすらかなぐり捨てて、今現在、助手席で磯城さんをあやしている状況に至る。しかも俺の車で。

「ーーもう、運転出来ないと女の子にモテないっスよ。それに自分は助手席でふんぞり返って女の子に運転させるなんて、最低の極みッス」

「面目無い」、けれどそもそもこの面目は俺がぶち壊したんだけどな。

 磯城さんは頬をぷくーっと膨らませて、こちらへ目を合わせようとしない。まあ、運転中だし注意散漫で運転されても困るんだが、話しかけるタイミングが中々掴めないのが困り所だ。

 赤信号で車が止まり、磯城さんに弁明の言葉を投げ掛けようとし、彼女の方を向く。ごうごうと燃え盛る炎を目に宿している彼女と目が合った。

「あ、あのー、磯城さん」

「ーーなんスか」

 磯城さんの怒りの形相には「謝罪がまだッスよ」という言葉がはっきりと見えた。謝ろう。

「ーー先程はどうもすいませんでした。反省してます」

「分かればいいんスよ」

 磯城さんは少し嬉しそうに、だけども素っ気なく言葉を返した。

「ーーただし、今度はヘリオスさんに運転してもらいますよ!私が助手席に座って手取り足取り丁重に教えるんで、覚えるまでエンドレスドライブっす。いいスか?」

 手取り足取りって言葉は全然卑猥な言葉では無いのにそういう風に聞こえるのは何でだろうな。これが大人になるってことか、いや違うか。それはそれとして俺が二つ返事で承諾すると、磯城さんはふーんと上機嫌に鼻をならして汚れた俺には眩しすぎる無邪気な笑みを浮かべた。

「楽しみッスね」

 そうかな?長らく車の運転をしていない俺にとっては鉄の塊を操縦するなんてほとほと疲れる重労働なんだが、磯城さんが手取り足取り教えてくれるのなら楽しみかもしれない、いや、楽しみだな。



 磯城さんにおんぶに抱っこで、なんて言い方をすると少しやらしい感じがするが、つまりは運転や店選びは全て彼女に任せっきりで、俺が助手席でうたた寝したりしている内に車はエンジンを止めた。どうやら目的地に着いたようだ。

 そこはドミナント戦略のために狭いの空き地に無理矢理たてられたコンビニエンスストアくらいの大きさの古びたラーメン屋であった。薬味と骨から出るアンモニア臭が混ざって鼻にかかる。ーー女の子にしては随分と攻めたチョイスだな、と磯城さんの方を見るともう空腹度が限界なのか、熊にも食って掛かるくらいに飢えた犬みたいな顔をしていた。

 ーーああ、早く飯を食わせてやらねばと、彼女を不憫に思った時点で意図的であろうがなかろうが、俺はもう手の平で踊らされていたのかもしれない。

「ーー磯城さん、俺の奢りなんで好きなだけ食べてください」

「いいんスか――!!」

 熱烈なヤンキースファンがベーブ・ルースと対面した時みたいなキラキラとした瞳で磯城さんは言った。とても可愛い。

 ーーだが綺麗な薔薇には刺があるというように、彼女にも恐ろしい刺があると俺が知るのは、ほんの十分後の事だ。




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