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幽
弐
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「ーくん、ーくん、…紀村くん!」
名を呼ばれ、意識を取り戻すとそこには自分の顔を覗き込む上司と見慣れぬ男の姿があった。
「…課長?」
何故目の前に上司がいるのだ?と紀村と呼ばれた男の頭は混乱した。
先程まで自分は彼に言われて訪れたよくわからない探偵事務所にいたはずである。そう、そこでキザシとユウと言う二人の少年少女と会ったのだ。
そこで、紀村は、はっとして自分の額を触った。
そこには何も異常はなく、ただ誰かに触られた後の様な感覚だけが残っていた。
「お前、あの子達に会ったのか?」
紀村のその不自然な動きに課長と呼ばれた彼の上司である都治野が驚愕を含んだ声で聞いた。
「え、ええ。キザシとユウと呼ばれていた二人にでしたら会いましたが…」
自らがそこへ行くようにと指示を出したはずなのに、なぜか、驚いている都治野の反応に困惑しながらも紀村は事務所にいた二人の名を出した。
「へぇ、珍しく気に入ったのかな?」
それまで都治野の後ろで二人の様子を伺っていた男が面白そうに目を瞬かせ、紀村を覗きこんできた。
「初めまして、キムラくん?僕はあの子達の雇い主で、あの探偵事務所の所長のナギっていいます」
どこか軽薄な印象を与える笑みを浮かべ、男はそう自己紹介すると倒れこんだままだった紀村の手を無理やり掴んで、彼を引き起こした。
「え…?」
ナギと名乗った男の言葉に紀村の頭は更に混乱した。何故、都治野が目の前にいるのかさえわからないのに、訪問したときに居なかったナギが目の前にいるのである。混乱するなと言う方が無理な話だろう。
そして、紀村は自分がいるのが訪れたはずの探偵事務所ではなく、自分の職場であることにようやく気付いた。
一体いつの間に戻ってきたのか…。
そもそも紀村にはあの事務所を出た記憶すらなかった。
「…どうりでこんなものが回ってきたはずだ」
未だに状況の掴めない紀村の様子に嗤いを浮かべるナギの様子に、うんざりしながら都治野は一枚の紙を紀村の目の前に差し出した。
反射的にそれを受け取り、そこに書かれた内容に目を通した紀村の表情が固まる。その様子をナギは面白そうに、都治野は気の毒そうに見ていた。
「課長…、これは…」
「辞令だねぇ」
そう言って、ナギはヒョイっと紀村の手からその紙を奪うとそれに目を通す。
「へぇ、うちで使っていいの?」
辞令の紙をナギから奪い返し、紀村に渡しながら都治野は大きくため息をついた。
「そう、上が判断したからな」
「相変わらず、お偉方の考えは分からないねぇ。得体のしれない探偵事務所に殺人事件の捜査をさせようなんて」
「自分で言うなよ」
「だって事実だろう?確かにうちは実績はあるけど、普通に考えたら、捜査情報が外に漏れるかもしれないようなことしないよ」
「相手が一般人ならな」
「酷いな。まるで、僕たちが普通の一般人じゃないみたいじゃないか」
二人の掛け合いのようなやり取りを紀村はただ見ているしかできなかった。都治野の言葉に酷いと言いながら、ナギはこの状況を楽しんでいるようにしか見えない。
「少なくとも『普通』ではないだろうが」
都治野の言葉にナギは無言で応じると呆れたように言った。
「一体、何をもって『普通』と言うかだよね。僕を『普通』じゃないと言う君だってすでに世間一般の『普通』の枠からはみ出してるくせに」
そう言って、キリのなさそうな掛け合いを終わらせるとナギは改めて紀村の方を見た。
「さて、これから君は僕の部下と言うことになる。よろしくね、紀村くん?」
差し出された男にしては細く白い手を、紀村は渋々握り返したのだった。
「じゃあ、さっそく荷物をまとめて貰おうか!」
握手が済むとナギがさわやかさを通り越して胡散臭くしか見えない笑顔を浮かべて言った。
「え?」
そんなナギに紀村はまたしてもついて行けず、間の抜けた声を上げた。
確かに辞令にはナギたちと共に世間を騒がせている殺人事件の捜査に当たるようにと言った旨のことが書かれてはいたが、何故荷物をまとめないといけないのか。
「君は僕たちと一緒に活動することになるだろ?でも、僕たちのことは一部の人間しか知らないんだよね」
そう言いながら、ナギは「ここが君の机?」と言いながら、勝手に荷物の整理をし始めた。
「それに、僕たちはあまり僕たちのことを知られたくないし、こんな仕事も受けたくはないんだよ」
そう続ける声には心底この件に関わるのが億劫なのだと言うことが込められていた。
「でも、そうも言ってられないのが僕たちだから、これは仕方がないことなんだけどね」
紀村に説明しているのか、単に嘆いているだけなのか。どちらとも取れることを言いながら、ナギは都治野が用意した段ボールの中に机にあるものを無造作に放り込んでいく。
「それにしても、君の荷物が少なくて助かったよ。ここでそんなに時間使いたくなかったから」
「すまんな、紀村」
それまで黙ってナギと共に荷物をまとめていた都治野が段ボールを抱えて、展開についてけずにいる紀村にそう言った。
「こいつらと一緒に事件を解決してくれ。頼む」
段ボールを持ったままではあったが、上司にそう頭を下げられては、紀村は否を唱えることができなかった。そんな様子をナギはただ、第三者という立場で傍観を決め込んでいる。
少なくとも今のこの状況の一端はこの男にあるはずだと言うのに。
二人のやり取を見る、それは、先程までの軽薄な印象など微塵も感じさせない、それどころか、なんの感情も感じさせない瞳だった。
「あ、そうそう。君の部屋の引っ越しももう終わってるはずだから、これ新しい部屋のカギと住所ね」
二人のやり取りが落ち着いたのは見計らったように、ナギが二人に声を掛け、紀村の手にカギと住所と地図が書かれた紙を握らせる。
「はぁぁぁ!?」
さすがにこれには紀村も声を上げて反応した。
そんな紀村にさすがに申し訳なさそうな顔をしてナギは続けた。
「詳しくは話せないけど、僕たちは『存在していない』ことになってるんだ」
その言葉に紀村は目を瞬かせる。
「で、そんな僕たちと君が一緒に動くならもっと近くに住んでもらった方が色々と都合がいいんだよね」
「だからって、引っ越しって…」
「大丈夫。引っ越し費用も家賃も全て上持ちだから」
あまりのことに言葉を無くす紀村に、ナギはだから何も心配ない。と言い切った。
紀村としては、問題はそこではないと思うのだが、ここまでのやり取りでナギが少々(?)世間からはズレているということだけは、察せられた。
大体、彼らの言う『上』とは一体どこのことを指しているのか…。聞いたら、心臓に悪い気がするので、紀村は自分からは聞かないことにしようと、内心決めた。すでに現状だけでも状況把握だけでいっぱいいっぱいなのである。これ以上心労に繋がることなど自分からはしたくなかった。
「じゃぁ、僕は先に戻ってあの子たちにこのことを伝えてくるよ」
「事務所に行くなら、荷物も一緒に持っていけ」
そう言って出て行こうとするナギに都治野は持っていた紀村の荷物を押し付けた。それに、えー、と不満そうに声を上げながらもナギは段ボールを受け取る。
「じゃあ、また明日。お昼くらいまでに事務所に来てくれればいいから」
それだけ言い置くと、ナギは段ボールを抱えたまま出て行った。そんなナギが出ていくと都治野が大きくため息を吐いた。
「すまないな。あんな奴だが、あれでも優秀なんだ」
大分呆れを含んだ声で都治野はそう言った。
「今回の事件は我々の手には余る。だから、あいつらに回されたんだが、如何せん人が少なくてね。こちらから適応できそうな人間を回すことになったんだ」
そう言って、都治野は紀村が彼らと共に捜査することになった理由をザックリと話した。
「本当はもっと色々と聞きたいことはあるだろうが、今日は疲れただろう。後は明日、ナギたちから聞くと言い」
そう言って、都治野は紀村の手にある新しい住所の書かれた紙を抜き取ると、自分の車のキーを手に彼を促した。
「どうせだから送っていこう。おそらく彼らの事務所からそんなに離れた場所ではないだろうけどね」
都治野の言葉に紀村も立ち上がって彼と共に駐車場へと足を向けた。
その胸中に明日からへの不安を抱えたままではあったが、事態は自分一人の力では回避できるようなものではない。不安を拭えないまま、黙って現実を受け入れる他なかった。
名を呼ばれ、意識を取り戻すとそこには自分の顔を覗き込む上司と見慣れぬ男の姿があった。
「…課長?」
何故目の前に上司がいるのだ?と紀村と呼ばれた男の頭は混乱した。
先程まで自分は彼に言われて訪れたよくわからない探偵事務所にいたはずである。そう、そこでキザシとユウと言う二人の少年少女と会ったのだ。
そこで、紀村は、はっとして自分の額を触った。
そこには何も異常はなく、ただ誰かに触られた後の様な感覚だけが残っていた。
「お前、あの子達に会ったのか?」
紀村のその不自然な動きに課長と呼ばれた彼の上司である都治野が驚愕を含んだ声で聞いた。
「え、ええ。キザシとユウと呼ばれていた二人にでしたら会いましたが…」
自らがそこへ行くようにと指示を出したはずなのに、なぜか、驚いている都治野の反応に困惑しながらも紀村は事務所にいた二人の名を出した。
「へぇ、珍しく気に入ったのかな?」
それまで都治野の後ろで二人の様子を伺っていた男が面白そうに目を瞬かせ、紀村を覗きこんできた。
「初めまして、キムラくん?僕はあの子達の雇い主で、あの探偵事務所の所長のナギっていいます」
どこか軽薄な印象を与える笑みを浮かべ、男はそう自己紹介すると倒れこんだままだった紀村の手を無理やり掴んで、彼を引き起こした。
「え…?」
ナギと名乗った男の言葉に紀村の頭は更に混乱した。何故、都治野が目の前にいるのかさえわからないのに、訪問したときに居なかったナギが目の前にいるのである。混乱するなと言う方が無理な話だろう。
そして、紀村は自分がいるのが訪れたはずの探偵事務所ではなく、自分の職場であることにようやく気付いた。
一体いつの間に戻ってきたのか…。
そもそも紀村にはあの事務所を出た記憶すらなかった。
「…どうりでこんなものが回ってきたはずだ」
未だに状況の掴めない紀村の様子に嗤いを浮かべるナギの様子に、うんざりしながら都治野は一枚の紙を紀村の目の前に差し出した。
反射的にそれを受け取り、そこに書かれた内容に目を通した紀村の表情が固まる。その様子をナギは面白そうに、都治野は気の毒そうに見ていた。
「課長…、これは…」
「辞令だねぇ」
そう言って、ナギはヒョイっと紀村の手からその紙を奪うとそれに目を通す。
「へぇ、うちで使っていいの?」
辞令の紙をナギから奪い返し、紀村に渡しながら都治野は大きくため息をついた。
「そう、上が判断したからな」
「相変わらず、お偉方の考えは分からないねぇ。得体のしれない探偵事務所に殺人事件の捜査をさせようなんて」
「自分で言うなよ」
「だって事実だろう?確かにうちは実績はあるけど、普通に考えたら、捜査情報が外に漏れるかもしれないようなことしないよ」
「相手が一般人ならな」
「酷いな。まるで、僕たちが普通の一般人じゃないみたいじゃないか」
二人の掛け合いのようなやり取りを紀村はただ見ているしかできなかった。都治野の言葉に酷いと言いながら、ナギはこの状況を楽しんでいるようにしか見えない。
「少なくとも『普通』ではないだろうが」
都治野の言葉にナギは無言で応じると呆れたように言った。
「一体、何をもって『普通』と言うかだよね。僕を『普通』じゃないと言う君だってすでに世間一般の『普通』の枠からはみ出してるくせに」
そう言って、キリのなさそうな掛け合いを終わらせるとナギは改めて紀村の方を見た。
「さて、これから君は僕の部下と言うことになる。よろしくね、紀村くん?」
差し出された男にしては細く白い手を、紀村は渋々握り返したのだった。
「じゃあ、さっそく荷物をまとめて貰おうか!」
握手が済むとナギがさわやかさを通り越して胡散臭くしか見えない笑顔を浮かべて言った。
「え?」
そんなナギに紀村はまたしてもついて行けず、間の抜けた声を上げた。
確かに辞令にはナギたちと共に世間を騒がせている殺人事件の捜査に当たるようにと言った旨のことが書かれてはいたが、何故荷物をまとめないといけないのか。
「君は僕たちと一緒に活動することになるだろ?でも、僕たちのことは一部の人間しか知らないんだよね」
そう言いながら、ナギは「ここが君の机?」と言いながら、勝手に荷物の整理をし始めた。
「それに、僕たちはあまり僕たちのことを知られたくないし、こんな仕事も受けたくはないんだよ」
そう続ける声には心底この件に関わるのが億劫なのだと言うことが込められていた。
「でも、そうも言ってられないのが僕たちだから、これは仕方がないことなんだけどね」
紀村に説明しているのか、単に嘆いているだけなのか。どちらとも取れることを言いながら、ナギは都治野が用意した段ボールの中に机にあるものを無造作に放り込んでいく。
「それにしても、君の荷物が少なくて助かったよ。ここでそんなに時間使いたくなかったから」
「すまんな、紀村」
それまで黙ってナギと共に荷物をまとめていた都治野が段ボールを抱えて、展開についてけずにいる紀村にそう言った。
「こいつらと一緒に事件を解決してくれ。頼む」
段ボールを持ったままではあったが、上司にそう頭を下げられては、紀村は否を唱えることができなかった。そんな様子をナギはただ、第三者という立場で傍観を決め込んでいる。
少なくとも今のこの状況の一端はこの男にあるはずだと言うのに。
二人のやり取を見る、それは、先程までの軽薄な印象など微塵も感じさせない、それどころか、なんの感情も感じさせない瞳だった。
「あ、そうそう。君の部屋の引っ越しももう終わってるはずだから、これ新しい部屋のカギと住所ね」
二人のやり取りが落ち着いたのは見計らったように、ナギが二人に声を掛け、紀村の手にカギと住所と地図が書かれた紙を握らせる。
「はぁぁぁ!?」
さすがにこれには紀村も声を上げて反応した。
そんな紀村にさすがに申し訳なさそうな顔をしてナギは続けた。
「詳しくは話せないけど、僕たちは『存在していない』ことになってるんだ」
その言葉に紀村は目を瞬かせる。
「で、そんな僕たちと君が一緒に動くならもっと近くに住んでもらった方が色々と都合がいいんだよね」
「だからって、引っ越しって…」
「大丈夫。引っ越し費用も家賃も全て上持ちだから」
あまりのことに言葉を無くす紀村に、ナギはだから何も心配ない。と言い切った。
紀村としては、問題はそこではないと思うのだが、ここまでのやり取りでナギが少々(?)世間からはズレているということだけは、察せられた。
大体、彼らの言う『上』とは一体どこのことを指しているのか…。聞いたら、心臓に悪い気がするので、紀村は自分からは聞かないことにしようと、内心決めた。すでに現状だけでも状況把握だけでいっぱいいっぱいなのである。これ以上心労に繋がることなど自分からはしたくなかった。
「じゃぁ、僕は先に戻ってあの子たちにこのことを伝えてくるよ」
「事務所に行くなら、荷物も一緒に持っていけ」
そう言って出て行こうとするナギに都治野は持っていた紀村の荷物を押し付けた。それに、えー、と不満そうに声を上げながらもナギは段ボールを受け取る。
「じゃあ、また明日。お昼くらいまでに事務所に来てくれればいいから」
それだけ言い置くと、ナギは段ボールを抱えたまま出て行った。そんなナギが出ていくと都治野が大きくため息を吐いた。
「すまないな。あんな奴だが、あれでも優秀なんだ」
大分呆れを含んだ声で都治野はそう言った。
「今回の事件は我々の手には余る。だから、あいつらに回されたんだが、如何せん人が少なくてね。こちらから適応できそうな人間を回すことになったんだ」
そう言って、都治野は紀村が彼らと共に捜査することになった理由をザックリと話した。
「本当はもっと色々と聞きたいことはあるだろうが、今日は疲れただろう。後は明日、ナギたちから聞くと言い」
そう言って、都治野は紀村の手にある新しい住所の書かれた紙を抜き取ると、自分の車のキーを手に彼を促した。
「どうせだから送っていこう。おそらく彼らの事務所からそんなに離れた場所ではないだろうけどね」
都治野の言葉に紀村も立ち上がって彼と共に駐車場へと足を向けた。
その胸中に明日からへの不安を抱えたままではあったが、事態は自分一人の力では回避できるようなものではない。不安を拭えないまま、黙って現実を受け入れる他なかった。
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