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第六夜

第37話 藤宮家長男

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 大通りを挟んだ向こう側に立ち並ぶカフェのひとつに入り、ふたりは腰を落ち着けた。店員にホットココアとストロベリーパフェを頼んでようやく、孝太郎は愛弟に笑みを向けた。
「おどろいた。急に訪ねてくるんだから」
「兄さん全然帰ってこないし、会いに行くしか方法がないでしょう。ああでもどうせなら姉さんにも会ってくるんだった。久しく会ってないから。あの大学のなかにいるんですよね?」
「ああ、神来な。でもあいつは──最近変死事件が多いし、たぶん忙しいから会わないのが正解だ。触らぬ神に祟りなしというだろ」
「たしかに。邪魔するな、ってあの鉄仮面から鬼の角が生えるのが目に見える」
「ふふ。アイツそっち帰ってるか?」
「姉さんはあんまり。姉上は月に一度は帰ってきてくれますけどね」
 と言って、恭太郎はにっこりわらった。 
 姉上とは藤宮家次女のことである。恭太郎には三人の姉と、兄の孝太郎がひとりいるが、そのなかでも次女は末っ子の恭太郎のことをひときわ可愛がってくれるので、この姉がだいすきなのである。
「どうせならアイツが一生家から出ていってくれたらいいのに!」
 アイツ──三女のことは、次女とは反対に一生顔も見たくないほど仲がわるい。というのも一番年が近いうえに、恭太郎の逆鱗をわざと逆なでしたがる性悪だからだ。とはいえ喧嘩するほど仲が良いというから、孝太郎ら兄姉から見ると仲の良い妹弟だという認識なのだが。
「で、なんだおれに相談ってのは」
「ああ。そうだ兄さんって、昔はけっこう親父の代わりに社交界出ていたでしょう。そこで黒須って家と交流ありました?」
「お前から社交界の話が出るとはおどろいたな。でもまあ、うん。黒須さんのところは日本経済の裏番といっても過言じゃないから。父さんからもよく言って聞かされたんだ。黒須さんとはよくつながっとけって」
「そこの──ケイイチってひと知ってる?」
「ケイイチ? いや、おれが話を交わしたのは現当主の人と次期当主候補の千歳さんくらいだな。そのケイイチって人と知り合いなのか」
 と、言ったところで店員がオーダーを持ってきた。
 ホットココアが孝太郎の前に、パフェが恭太郎の前に置かれる。お互いに顔を見合わせてからふたりはおもむろに飲食をはじめた。
 パフェの三分の一を早々に食べてから恭太郎は答える。
「知り合いってほど知ってはいないけど、その人と二回くらい話したことがあるんです。でも、もっと聞きたいことがあったのに連絡先も知らないままさよならしてしまって。黒須の人と会いたいなら、それなりのアポ相手じゃなきゃ相手にされないって助言をいただいたので、兄さんなら無碍にもされないだろうと」
「────」
 孝太郎は黙々とホットココアを啜る。
 眼鏡の奥にキラキラと輝く父親似の瞳が、好々爺のように細められた。
「お前もそういう、根回しみたいなのができるようになったか」
「やめてくださいよ。もー、年々顔だけじゃなく中身まで親父に似てくるんだから」
「この歳になればお前もわかるよ。それで──千歳さんにアポをとれって?」
「そう」
「わけを聞かせてくれなくちゃ」
「────」
 恭太郎は閉口した。
 それから三分の二ほど残ったパフェを一心不乱にかき込んで、ご馳走さま、と手のひらを合わせると、不服そうな顔でゆっくりと孝太郎を睨みつけた。
「話せば長いもの」
「いいよ。どうせ今日はもう、病院には戻らないし」
「僕に説明しろと言うの? 勘弁してくださいよ、説明は僕の役目じゃない。どうしても納得のいく説明が欲しいならいまから適任者を呼びますからちょっと待って」
「将臣くんか。なんだ、彼も関わってるんだな。ということは大方、イッカちゃん絡みか──」
「おお!」
「黒須千歳さんが、イッカちゃんとどのように関わってくるのかはしらんがね。彼女にご迷惑をおかけするようなことはしないだろうな?」
 しない、と言いかけて恭太郎は首を傾げる。
「迷惑ってたとえばどういう?」
「危害を加えたり、金銭が絡んだり」
「僕がそんな価値のないことに時間をかける奴だとおもう?」
 と、恭太郎はいよいよ眉をしかめた。兄貴に信用されていないと感じたゆえか、瞳にわずかな哀愁の色を乗せて。
 なんだかんだ、十数歳も年の離れた末っ子がかわいい孝太郎は肩をすくめて身を乗り出した。そのまま恭太郎の頭を撫でる。
「分かった分かった。──そんなに言うなら連絡くらいは繋げてやる。でもあまり期待はするなよ。おれだって彼女とは久しく連絡を取っていないのだから。もしかしたら、忘れられているかもしれない」
「商売人というのは、客の顔と名前を覚えるのが得意な人が向いているそうではないですか。黒須、有栖川と肩を並べるのは藤宮くらいなのでしょ? その代表代理を任された兄さんを忘れるなら、その程度の人だったまでのことです」
 言いながら、恭太郎の顔はみるみるうちにご機嫌に変わる。先程までの哀愁はどこへやら。すこし甘やかしすぎたな──と内心で苦笑しつつ、孝太郎はプライベート携帯を取り出し、電源を入れて電話帳を探った。
「黒須千歳──黒須。あ、あった。それで用件はどうする? とにかく対面のお時間が取れないかって聞くだけでいいのか」
「チトセさんが出たら、僕が代わる」
「────」
 孝太郎は不安げに眉を下げて、通話ボタンをタップした。微かに漏れ聞こえる着信音。二回、三回のコールののち通話はつながった。
 耳に当てて聞く孝太郎の背筋がピッと伸びる。そのまま、手で口もとを覆い隠し、声量を抑えてつぶやいた。
「お久しぶりです。藤宮孝太郎と申しますが──」
 わずかに固さの残る声色とは対照的に、電話口から漏れ聞こえたのは、妙に楽しげな女性の声であった。

『ご連絡お待ちしておりましたわ、藤宮さん』

 孝太郎の手から携帯を奪い取って、恭太郎は席を立った。
 こらこら、という兄の制止も聞かずにそのまま店の外へ出る。恭太郎の耳ならば、わざわざ携帯を耳に当てずとも向こうの声はクリアに聞こえる。マイク部分を口に近づけて、恭太郎は低い声を出した。
「兄の電話から失礼します。僕は藤宮恭太郎です」
『おや。これはこれは──大本命から連絡をいただけるとは、光栄だね』
「あなたがチトセ? 僕の本命はアンタじゃないけど、ケイイチを出せないっていうならアンタでもいい。聞きたいことがあるんだ」
『あっはっはっは。いいね、聞いた通りの傑物だよ。そうだね──なにが聞きたい?』
「いくつかある。まずはイッカのこと」
『────』
「知らないとは言わせない。あんたら昨日、イッカの仮親を連れ出したろ? いまどこだ。何したの?」
『おや。そんなことも知っているのか。でも君が心配するようなことはなにもしていないよ。ほんとうに。ただまあ恐らく──少なくとも母親ヅラをしていた女は、二度と戻らぬだろうがね』
「なんで。まさかころした? そいつら一応はイッカの金の面倒見ていたわけだろ。手荒な真似はよくないんじゃない」
『冗談じゃない。あの子についてはすべて、我々見守り隊が援助してきたんだよ。君は知らないだろうけれどねえ』
「み、」
 見守り隊?
 と言いかけて店内のようすに気が付いた。電話をとられて待ちぼうけていた孝太郎が、レジで会計を済ませるところだった。まもなくこちらに戻ってくるころだろう。恭太郎は虚空をにらみつけて「めんどくさい」とつぶやいた。
「電話じゃだめ。会って話す」
『それはまだ──時じゃない。けれど我々はみんな君たち藤宮家、とくに君にはたいそう感謝しているんだ。電話で助言を送るくらいなら今後も大歓迎さ』
「助言?」
 店から孝太郎が出てくる。
 電話奥の声に、笑みが含まれた。
『たとえば君のこと。この件を深追いするというのなら、きっと君も景一のように奴らから狙われることになるだろう。奴ら六曜会は──目的遂行のためならば一切手段をえらばない鬼畜どもだからね』
「ロクヨウカイ。殺しのプロだと聞いた。あかりの親をころしたのも、バラバラの方もそいつらが絡んでいるんだろ」
『おやおや。そっちの事件も知っているの? 知るにつれ恐ろしい子だよ。ならそちらの方もひとつ助言してやる』
「あ?」

『六曜会のつぎの狙いは──だそうだ。さあ、君ならどうする?』

「────」
 恭太郎の肩がたたかれた。
 まだ電話しているのか、という顔でこちらを見ている。
「いつなら会ってくれるの?」
『いま言った事件がどちらも解決したら、いずれ近いうちに時が来るさね』
「────また電話する」
『いつでもどうぞ』
 と、終始楽しそうな千歳の声を最後に、恭太郎は通話を終えて携帯を操作した。
 発信履歴の番号を一目見て、孝太郎に携帯を突っ返す。
「おい。勝手に切るなよ、おれもひと言挨拶くらい──とおもっていたのに」
「必要ないでしょ」
 言いながら恭太郎は自身の携帯に先ほどの番号を登録する。
「それにしてもずいぶん性悪なオバサンだった。昔からああなんですか?」
「お前な──会ってもないのに失礼なことを言うな。とても礼儀正しくてやさしい方だよ。お前が相当失礼なことでも言ったんじゃないか?」
「言ってない。でも、まあ──悪いばかりでもないか」
 最後の方はひとり言だった。
 首をかしげる孝太郎に「なんでもない」と言って、話題を変えた。久々の兄弟水入らず。どうせなら実家に帰ってきてよと甘えると、孝太郎は仕方がないなあと目尻を下げて承諾した。恭太郎は、この兄のこういうところをたまらなく気に入っている。
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