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第二夜
第9話 普通じゃない三人
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「不妊の悩みがない人間が聞いたら、とんとおかしな話さ。でも人は追い詰められると時に人知を越えた力にさえ縋りたくなるものなのだ」
四十崎はそういって、チョークの粉を落とすため手をたたく。
となりでいっしょに話を聞いていた一花は、呑気に「想像力が豊かなのね」とちいさく微笑んだ。しかし将臣からすれば笑い事ではない。哀れのひと言に尽きる。
四十崎は、
「昔の風習は、恐ろしいもんがあるよな。ああほら」
わざとらしく笑みを浮かべて、
「先月だか先々月だか──君たち、なんだかまた大変だったそうじゃないか。ほら、座敷わらしの」
と言った。
思い出すのも忍びない。場所は陸奥の旧家邸内、五月の大型連休中のことだった。
かつてそこら一帯の名主として名を馳せた、旧家があった。座敷わらしが棲む家として有名だったその家の最後の当主が、老衰により命を終えた。とある縁によりその葬式導師として依頼を受けたのが、将臣の実家である宝泉寺。住職の父や手伝いで同行した友人らとともに赴いたその家で、将臣は一件の殺人事件に遭遇する。
事件の背景には、ひどく悲しい旧家の仕来たりがあった。無事解決に至りはしたが、その場にいた人間たちの心に大きな傷を残す事件だったゆえ、将臣はいまでもその話をされると鬱々とした気分になる。
「あれも、閉鎖的環境が人を左右するということでしたね。──というか、その件だれから聞いたんですか?」
「知り合いから。前に話したことがあるとおもうが、あの」
「ルポライターの」
「そう」
とうなずく四十崎に、一花はアア、と腑抜けた声をあげた。
「その人、あたしがこっち帰ってきたつぎの日には訪ねてきたのよ。だれから聞いたのか聞いてもはぐらかされたけどさーア」
「ルポライターなんてそんなものさ。事件と聞けばハイエナのごとく食らいつく」
「ふうん──」
一花は講壇にもたれた身体を起こした。
四十崎とともに講堂から出たところで、アッと一花が窓に張り付いた。
視線は大学正門。つられて将臣が覗くと、正門の柱のところに長身の青年がもたれかかり、行き交う人々をぼうと眺めているのが見えた。恭太郎だ。
「恭ちゃんだ。恭ちゃアん」
言いながら窓を開け、手を振った。
それほど大きくはない声だがあの聴覚には余裕の声量だったようで、恭太郎はついと顔をあげ、こちらに視線を寄越した。彼の視力では識別も難しかろうに彼は右手を挙げた。そのまま手のひらをくいと曲げる。
──早く降りてこい、と言っている。
将臣は直感的におもった。
おなじく一花も「いま行くウ」とさけんで、窓から顔を引っ込める。四十崎は三人を見比べ、
「気を付けて帰れよ」
というと自身の研究室がある棟へと去っていった。
「遅いッ」
恭太郎は、仁王立ちで待っていた。
「僕の分のカード、ちゃんと書いた?」
「書いたよ」
と、一花が先ほど突っ返されたカードを示す。
「ホラ」
「なんでおまえが持ってンだ」
「返されたの」
「意味ないじゃないか!」
「アイちゃんにめっかっちゃったのよう」
と、一分もわるいとおもわぬ口調で嘯く一花をじとりと見てから、恭太郎はむんと勢いよく伸びをする。この男、いちいち挙動が大きい。
「まあいいか、一日くらい──将臣、あとでどういう話だったか要約して聞かせろ」
「ああ」
まったくふてぶてしいったら。
しかしつい承諾してしまうのだから自分もかなり甘い。
将臣にとってこのふたりの友人は高校時代からの付き合いとなる。交流するきっかけは些細なことだったが、まさかこれほど共に過ごす時間が長くなるとはおもっていなかった。もとより他人との交流には興味のない性格である。が、このふたりは出会った当初からすこし人とずれていた。
聴覚異常の恭太郎と、霊感体質の一花。
彼らはなにをするにも将臣の予測を斜めに上回り、そのつど世話を焼くうちに、三人でともにいるのが自然となったのだ。自身もまた、性格的に決して“普通”ではないという自負があるだけに、なんだかんだ彼らとつるむのが楽なのも事実であった。
もちろんそんなことは口が裂けても彼らには言わないけれど。
なんだ将臣、と恭太郎がにやけた。
「そんな物欲しげに僕を見つめるもんじゃないぞ」
「お前がおれの表情まで判別できる視力があったとはおどろきだなあ」
「冗談だよ。なに考えてたの」
と、恭太郎は喉仏よりすこし長いオリーブ色の髪を乱雑にいじりながら問う。彼の人心の声に対する知覚も、将臣の前では機能しない。仏弟子として日夜過ごす成果だろうか、明確な理由はわからない。が、住職である将臣の父の声も聞こえないというのだから、そうなのかもしれない。
将臣は適当な話題をさがした。
「それより、成果はあったのか」
「なにが」
「被疑者の男に会いに行ったんだろ」
「嗚呼。あったとも。大いにね」
とは言うが、声色はそれほど嬉しそうじゃない。
なにか気にかかることでもあったのかと、将臣が恭太郎へ目を向ける。すると彼はすこし寂しそうな顔をして一花を見つめていた。とうの彼女は街中の“見えない存在”を観察するのに夢中なのか、恭太郎の視線には気づいていない。
恭太郎は視線を前に戻した。
「つぎはお前たちもいっしょに行く」
「つぎ? 次があるのか」
「また来るって言っちゃったからな」
「それでなんでおれたちまで」
「え? だって──」
言いかけて恭太郎は首をかしげる。
「藤宮恭太郎在るところ、将臣とイッカありっていうだろ」
「言わねえよ」
「土日はやってないんだって、月曜日の三限が終わったら行こう」
将臣のことばなど聞く耳持たず、恭太郎は分かったな、と一花の肩に手を回す。それまでよそ見をしていた彼女は「んア」と呆けた声を出して恭太郎を見た。ほどなくして元気よくうなずいた。おそらく、いや絶対分かっていない。
大学からの帰路。
三人の足は自然と、大学から一番近い一花の家へ向かう。
「ふア~。今日いい天気ね。こんな日はおうちでのんびりゴロゴロしたいわア」
「こんな日じゃなくたって日ごろからしてるだろ。うちに来たときだってそうだ」
「ンまー失礼しちゃう。アンタん家でゴロゴロするのはちょっとしたサービスなの! 和尚も司ちゃんも、あたしがゴロゴロしているの見るの好きだっていうからさーッ」
「おまえはアザラシか。本気にするなよ、そんな大人のおあいそ──」
「なによ。じゃああたし当分宝泉寺なんか行ってやらないんだからね。それで和尚と司ちゃんが寂しがったって将臣のせいだって告げ口しちゃうから」
「どうぞ」
「ムキーッ」
と、恭太郎の腕のなかで暴れまわったところで、一花がぴたりと足を止めた。
彼女の家はもうまもなく。この角を曲がれば見えてくるはずだが──。将臣が一花のうしろから角の先へと目を向ける。古賀家の前に一台の車が停まっていた。
「うそやだ。サイアク」
一花がぼそりとつぶやいた。
よく見えていない恭太郎は、しかし一花のさらにその先の声を聞きとったらしい。ハッと顔をあげて車に視線を注ぐ。
将臣は片眉をあげた。
「どうした」
「あれ親の車──」
というや、一花はふらふらと家の前へと歩いていった。
いつもならここで別れるのだが、いまだかつてないほど逼迫した彼女の顔が気になり、帰るに帰れぬ。沈思する間に、恭太郎は将臣の手を引いて一花のもとへと歩き出した。
一花はこわごわとアルミの門扉越しに中のようすをさぐる。
するとおなじタイミングで玄関扉が開き、ひとりの壮年女性があらわれた。
「あら一花! おかえりなさい、待ってたよ」
──一花の母親か?
将臣は初見だった。
一花とはまるで似つかぬ理知的な目にインテリジェンスな眼鏡をかけ、親子仲が不仲とはおよそおもえぬ満面の笑みで、彼女は一花に向けて手を広げている。
四十崎はそういって、チョークの粉を落とすため手をたたく。
となりでいっしょに話を聞いていた一花は、呑気に「想像力が豊かなのね」とちいさく微笑んだ。しかし将臣からすれば笑い事ではない。哀れのひと言に尽きる。
四十崎は、
「昔の風習は、恐ろしいもんがあるよな。ああほら」
わざとらしく笑みを浮かべて、
「先月だか先々月だか──君たち、なんだかまた大変だったそうじゃないか。ほら、座敷わらしの」
と言った。
思い出すのも忍びない。場所は陸奥の旧家邸内、五月の大型連休中のことだった。
かつてそこら一帯の名主として名を馳せた、旧家があった。座敷わらしが棲む家として有名だったその家の最後の当主が、老衰により命を終えた。とある縁によりその葬式導師として依頼を受けたのが、将臣の実家である宝泉寺。住職の父や手伝いで同行した友人らとともに赴いたその家で、将臣は一件の殺人事件に遭遇する。
事件の背景には、ひどく悲しい旧家の仕来たりがあった。無事解決に至りはしたが、その場にいた人間たちの心に大きな傷を残す事件だったゆえ、将臣はいまでもその話をされると鬱々とした気分になる。
「あれも、閉鎖的環境が人を左右するということでしたね。──というか、その件だれから聞いたんですか?」
「知り合いから。前に話したことがあるとおもうが、あの」
「ルポライターの」
「そう」
とうなずく四十崎に、一花はアア、と腑抜けた声をあげた。
「その人、あたしがこっち帰ってきたつぎの日には訪ねてきたのよ。だれから聞いたのか聞いてもはぐらかされたけどさーア」
「ルポライターなんてそんなものさ。事件と聞けばハイエナのごとく食らいつく」
「ふうん──」
一花は講壇にもたれた身体を起こした。
四十崎とともに講堂から出たところで、アッと一花が窓に張り付いた。
視線は大学正門。つられて将臣が覗くと、正門の柱のところに長身の青年がもたれかかり、行き交う人々をぼうと眺めているのが見えた。恭太郎だ。
「恭ちゃんだ。恭ちゃアん」
言いながら窓を開け、手を振った。
それほど大きくはない声だがあの聴覚には余裕の声量だったようで、恭太郎はついと顔をあげ、こちらに視線を寄越した。彼の視力では識別も難しかろうに彼は右手を挙げた。そのまま手のひらをくいと曲げる。
──早く降りてこい、と言っている。
将臣は直感的におもった。
おなじく一花も「いま行くウ」とさけんで、窓から顔を引っ込める。四十崎は三人を見比べ、
「気を付けて帰れよ」
というと自身の研究室がある棟へと去っていった。
「遅いッ」
恭太郎は、仁王立ちで待っていた。
「僕の分のカード、ちゃんと書いた?」
「書いたよ」
と、一花が先ほど突っ返されたカードを示す。
「ホラ」
「なんでおまえが持ってンだ」
「返されたの」
「意味ないじゃないか!」
「アイちゃんにめっかっちゃったのよう」
と、一分もわるいとおもわぬ口調で嘯く一花をじとりと見てから、恭太郎はむんと勢いよく伸びをする。この男、いちいち挙動が大きい。
「まあいいか、一日くらい──将臣、あとでどういう話だったか要約して聞かせろ」
「ああ」
まったくふてぶてしいったら。
しかしつい承諾してしまうのだから自分もかなり甘い。
将臣にとってこのふたりの友人は高校時代からの付き合いとなる。交流するきっかけは些細なことだったが、まさかこれほど共に過ごす時間が長くなるとはおもっていなかった。もとより他人との交流には興味のない性格である。が、このふたりは出会った当初からすこし人とずれていた。
聴覚異常の恭太郎と、霊感体質の一花。
彼らはなにをするにも将臣の予測を斜めに上回り、そのつど世話を焼くうちに、三人でともにいるのが自然となったのだ。自身もまた、性格的に決して“普通”ではないという自負があるだけに、なんだかんだ彼らとつるむのが楽なのも事実であった。
もちろんそんなことは口が裂けても彼らには言わないけれど。
なんだ将臣、と恭太郎がにやけた。
「そんな物欲しげに僕を見つめるもんじゃないぞ」
「お前がおれの表情まで判別できる視力があったとはおどろきだなあ」
「冗談だよ。なに考えてたの」
と、恭太郎は喉仏よりすこし長いオリーブ色の髪を乱雑にいじりながら問う。彼の人心の声に対する知覚も、将臣の前では機能しない。仏弟子として日夜過ごす成果だろうか、明確な理由はわからない。が、住職である将臣の父の声も聞こえないというのだから、そうなのかもしれない。
将臣は適当な話題をさがした。
「それより、成果はあったのか」
「なにが」
「被疑者の男に会いに行ったんだろ」
「嗚呼。あったとも。大いにね」
とは言うが、声色はそれほど嬉しそうじゃない。
なにか気にかかることでもあったのかと、将臣が恭太郎へ目を向ける。すると彼はすこし寂しそうな顔をして一花を見つめていた。とうの彼女は街中の“見えない存在”を観察するのに夢中なのか、恭太郎の視線には気づいていない。
恭太郎は視線を前に戻した。
「つぎはお前たちもいっしょに行く」
「つぎ? 次があるのか」
「また来るって言っちゃったからな」
「それでなんでおれたちまで」
「え? だって──」
言いかけて恭太郎は首をかしげる。
「藤宮恭太郎在るところ、将臣とイッカありっていうだろ」
「言わねえよ」
「土日はやってないんだって、月曜日の三限が終わったら行こう」
将臣のことばなど聞く耳持たず、恭太郎は分かったな、と一花の肩に手を回す。それまでよそ見をしていた彼女は「んア」と呆けた声を出して恭太郎を見た。ほどなくして元気よくうなずいた。おそらく、いや絶対分かっていない。
大学からの帰路。
三人の足は自然と、大学から一番近い一花の家へ向かう。
「ふア~。今日いい天気ね。こんな日はおうちでのんびりゴロゴロしたいわア」
「こんな日じゃなくたって日ごろからしてるだろ。うちに来たときだってそうだ」
「ンまー失礼しちゃう。アンタん家でゴロゴロするのはちょっとしたサービスなの! 和尚も司ちゃんも、あたしがゴロゴロしているの見るの好きだっていうからさーッ」
「おまえはアザラシか。本気にするなよ、そんな大人のおあいそ──」
「なによ。じゃああたし当分宝泉寺なんか行ってやらないんだからね。それで和尚と司ちゃんが寂しがったって将臣のせいだって告げ口しちゃうから」
「どうぞ」
「ムキーッ」
と、恭太郎の腕のなかで暴れまわったところで、一花がぴたりと足を止めた。
彼女の家はもうまもなく。この角を曲がれば見えてくるはずだが──。将臣が一花のうしろから角の先へと目を向ける。古賀家の前に一台の車が停まっていた。
「うそやだ。サイアク」
一花がぼそりとつぶやいた。
よく見えていない恭太郎は、しかし一花のさらにその先の声を聞きとったらしい。ハッと顔をあげて車に視線を注ぐ。
将臣は片眉をあげた。
「どうした」
「あれ親の車──」
というや、一花はふらふらと家の前へと歩いていった。
いつもならここで別れるのだが、いまだかつてないほど逼迫した彼女の顔が気になり、帰るに帰れぬ。沈思する間に、恭太郎は将臣の手を引いて一花のもとへと歩き出した。
一花はこわごわとアルミの門扉越しに中のようすをさぐる。
するとおなじタイミングで玄関扉が開き、ひとりの壮年女性があらわれた。
「あら一花! おかえりなさい、待ってたよ」
──一花の母親か?
将臣は初見だった。
一花とはまるで似つかぬ理知的な目にインテリジェンスな眼鏡をかけ、親子仲が不仲とはおよそおもえぬ満面の笑みで、彼女は一花に向けて手を広げている。
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