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第四章 春季都大会
96話 たのむぜ
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盛大な拍手でゲームを称える桜爛陣営を、大神含む才徳OB陣はあたたかな目で見つめている。
とくに姫川や杉山は、自分たちが合宿であれほどしごいたのだから彼らが負けるなどあり得ない──とおもっていたのだけれど、いざベスト8入りを果たしたところを見たら涙が込み上げたようだ。
先ほどまでのやかましさが嘘のように、ふたりともうつむいたりそっぽ向いたりして、ちいさく鼻をすすっている。蜂谷と倉持は顔を見合わせてから、そんな旧友たちに苦笑した。
一方の大神は、腕時計をちらと見る。
(そろそろか)
という目で橋倉へ視線を移した。
彼はおだやかに目尻のシワを濃くする。どうやらそのようだ。
大神はため息をひとつ。
それから、コート前でD1のふたりを熱く出迎える桜爛チームのもとへ近寄った。
「よお。おめでとう」
微笑とねぎらいを添えて。
すると雅久は、挑戦的な目で大神を見つめた。しかし徐々に口角をあげるや「あざっす」と頭を下げる。
よくやったな、と桜爛チーム一同を見回してから、さいごに凛久へと目を移す。
「凛久」
「は……はい!」
「約束だ。俺のラケット、大事にしろよ」
「は、…………え?」
「よく振れてた。おまえに合ってる、さすがは名コーチの見立てだな」
大神は伊織に笑みを向けた。
つられてそちらを見た凛久の瞳はこぼれんばかりに見開かれている。
「え? え、これ……このラケット、大神プロのだったんですか?」
「せやで」
「せやでって、そ、そんな大事なことどうして教えてくれなかったんすか!」
「凛久が、気負ってもうたらよくないからって大神が言うてん。な、たしかにっておもうやろ?」
「…………ふわァ」
気の抜けた声を出す凛久。
すると新名や秀真はたいそう羨ましがって、凛久をもみくちゃにしてゆく。大神謙吾をよく知らぬ赤月も、これはスゴいことなのかという程度に理解したらしい。無遠慮に大神のもとへ近寄ると、
「オレにも、ラケット。ちょうだいな」
と真顔で催促した。
蘭花の拳によって即座にすっこんだ赤月。大神はひとしきり高らかにわらってから、伊織に向き直る。
「これから表彰か」
「うん。ベスト8の……あ、もう時間?」
「そろそろな」
伊織がグッと下唇を噛みしめる。
試合が終わったとはいえ、桜爛テニス部はこれからまだしばらくは拘束される。ベスト8入りの賞状を受け取るためだ。大神の見送りには行けそうもあるまい。
遥香は眉を下げた。
「あの、伊織さん。お見送り行ってください! こっちは大丈夫ですから」
そうすよ、と蓮も便乗する。
「賞状受け取るのはおれたち部員だし、引率には顧問がいれば問題ねーし」
「これからまたしばらく会えなくなるんですもの。空港まで行ってあげてください」
と琴子もめずらしく身を乗り出して発言した。しかし伊織の表情は固かった。彼女がなにかを発する前に、大神がふるりと首を振る。
「必要ねえ。おまえは、新星桜爛テニス部をここまで立て直した。そしておまえの熱意に応えてくれたこいつらの晴れ姿、見届けてやるのがコーチだろ」
「……わかっとるがな」
「伊織さん!」
遥香が非難の声をあげる。
しかし伊織は苦笑して、大神に向き直った。
「本選の結果は電話で教えたるわ」
「ああ。──それで十分だ」
「行ってらっしゃい」
「…………行ってきます」
たったそれだけを交わして、大神は踵を返し、橋倉のもとへ戻った。背後では伊織と大神を非難する女性陣の声がなおもあがっていたけれど、伊織は大きく手を叩いて「ほら、クールダウンはどうした!」と高宮双子へ怒鳴り散らすので、桜爛テニス部はすっかりいつもどおりのテンションになった。
大神の口角がフ、とあがる。
戻ってきた大神に対して、倉持が不服そうな顔を向けた。
「おい──ホントにいいのかよ。飛行機の時間っつったって、なんだかんだ余裕あるだろ。すこしくらい伊織のこと待っててやりゃいいじゃん」
「せやん。あとはパパッと賞状もろて終わりやろ? せっかちは嫌われんで」
「うるせーな。早めに行って、空港のラウンジで珈琲飲む時間が好きなんだよ。それは外せねえ」
「っかー。いちいちシャレオツだな! 腹立つぜ」とは、姫川。
「しかもえらばれた人間だけが使えるプライベートラウンジやで。すべてがカッコええよな」杉山。
「でも」蜂谷は冷静につぶやいた。
「あの日のおまえは待ってるとおもうけどな」
「…………」
全員の動きが止まった。
皆、大神も含めてみなが目を見ひらいて蜂谷を凝視する。その心は。
「おまえ──いつからそんなん言うようなってん」
「司郎にしちゃずいぶんロマンチックだな。おれビックリしたぞ」
「小坊からいっしょなのに初めて聞いたな」
などなど。
杉山、姫川、倉持がそれぞれ感心したようにことばを交わす。エレノアにいたっては「クール! 素敵! ロマンチック!」と蜂谷のまわりを跳ねまわる。蜂谷はとたんに顔を真っ赤に染めて、眼鏡をくいと押し上げた。
「そ、そんな──変なこと言ったつもりはないけど。その、大神見てたらなんとなくそうおもっただけだ」
「いや」倉持はあわてて首を振る。
「べつに茶化してるわけじゃねーんだって。ホントにそうだなって、ちょっと感動したんだよ。なあ大神。司郎の言うとおりだ、ホントにいいのかよ?」
なにが、と大神は迷惑そうにつぶやいた。
なにがって、と姫川がつづける。
「だからさあ、空港でもっかいキスのひとつもしてやれよ。十年前は泣かれて連絡ぶち切られたけど、いまならわらって返してくれるじゃん!」
「古傷をえぐるな、バカ姫」
大神は吐き捨てて橋倉に向き直った。
「行くぞ」
「……かしこまりました」
「橋倉さァん!」
「うるせーぞ杉山ッ。オメーらはここに残って、伊織に言っとけ。『よくやった』って」
そのことばをさいごに、大神は問答無用に駐車場の方へと足をすすめた。その背中には怒涛の罵声が飛ぶ。飛ぶ。
「ハァ!?」
「テメーで言ったれやそんなもん!」
「俺らはぜってー言わねえからなッ」
「なんでもかんでも、俺たちがおまえの言いなりに動くとおもうなよ大神」
と。
蜂谷のことばに大神の肩がピクリと動く。足が、止まる。あとに続いていた橋倉はすこし困った顔で、大神を見つめた。
ハァ──という大神の深いため息に、才徳OBたちがびくりと身を寄せあった。
「…………」
「…………」
「たのむから」
大神がゆっくり振り返る。
その顔は、おもった以上に穏やかである。姫川が眉を下げた。
「お──大神」
「言いなりってなんだ。俺がオメーらに命令したことなんざねえよ。これはお願いだ」
「…………」
「伊織のこと気にかけてやってくれ。たのむぜ」
有無をいわさぬ圧をこめて。
大神はひと言つぶやくと、ふたたび橋倉を連れて駐車場の方へと歩いていった。こんどは一度も振り返ることはなかった。
これまでじっとおし黙り、一連の流れを傍観していたエレノア。
「You, show off...」
ちいさくつぶやき、ひとり桜爛陣営へと駆け出した。
とくに姫川や杉山は、自分たちが合宿であれほどしごいたのだから彼らが負けるなどあり得ない──とおもっていたのだけれど、いざベスト8入りを果たしたところを見たら涙が込み上げたようだ。
先ほどまでのやかましさが嘘のように、ふたりともうつむいたりそっぽ向いたりして、ちいさく鼻をすすっている。蜂谷と倉持は顔を見合わせてから、そんな旧友たちに苦笑した。
一方の大神は、腕時計をちらと見る。
(そろそろか)
という目で橋倉へ視線を移した。
彼はおだやかに目尻のシワを濃くする。どうやらそのようだ。
大神はため息をひとつ。
それから、コート前でD1のふたりを熱く出迎える桜爛チームのもとへ近寄った。
「よお。おめでとう」
微笑とねぎらいを添えて。
すると雅久は、挑戦的な目で大神を見つめた。しかし徐々に口角をあげるや「あざっす」と頭を下げる。
よくやったな、と桜爛チーム一同を見回してから、さいごに凛久へと目を移す。
「凛久」
「は……はい!」
「約束だ。俺のラケット、大事にしろよ」
「は、…………え?」
「よく振れてた。おまえに合ってる、さすがは名コーチの見立てだな」
大神は伊織に笑みを向けた。
つられてそちらを見た凛久の瞳はこぼれんばかりに見開かれている。
「え? え、これ……このラケット、大神プロのだったんですか?」
「せやで」
「せやでって、そ、そんな大事なことどうして教えてくれなかったんすか!」
「凛久が、気負ってもうたらよくないからって大神が言うてん。な、たしかにっておもうやろ?」
「…………ふわァ」
気の抜けた声を出す凛久。
すると新名や秀真はたいそう羨ましがって、凛久をもみくちゃにしてゆく。大神謙吾をよく知らぬ赤月も、これはスゴいことなのかという程度に理解したらしい。無遠慮に大神のもとへ近寄ると、
「オレにも、ラケット。ちょうだいな」
と真顔で催促した。
蘭花の拳によって即座にすっこんだ赤月。大神はひとしきり高らかにわらってから、伊織に向き直る。
「これから表彰か」
「うん。ベスト8の……あ、もう時間?」
「そろそろな」
伊織がグッと下唇を噛みしめる。
試合が終わったとはいえ、桜爛テニス部はこれからまだしばらくは拘束される。ベスト8入りの賞状を受け取るためだ。大神の見送りには行けそうもあるまい。
遥香は眉を下げた。
「あの、伊織さん。お見送り行ってください! こっちは大丈夫ですから」
そうすよ、と蓮も便乗する。
「賞状受け取るのはおれたち部員だし、引率には顧問がいれば問題ねーし」
「これからまたしばらく会えなくなるんですもの。空港まで行ってあげてください」
と琴子もめずらしく身を乗り出して発言した。しかし伊織の表情は固かった。彼女がなにかを発する前に、大神がふるりと首を振る。
「必要ねえ。おまえは、新星桜爛テニス部をここまで立て直した。そしておまえの熱意に応えてくれたこいつらの晴れ姿、見届けてやるのがコーチだろ」
「……わかっとるがな」
「伊織さん!」
遥香が非難の声をあげる。
しかし伊織は苦笑して、大神に向き直った。
「本選の結果は電話で教えたるわ」
「ああ。──それで十分だ」
「行ってらっしゃい」
「…………行ってきます」
たったそれだけを交わして、大神は踵を返し、橋倉のもとへ戻った。背後では伊織と大神を非難する女性陣の声がなおもあがっていたけれど、伊織は大きく手を叩いて「ほら、クールダウンはどうした!」と高宮双子へ怒鳴り散らすので、桜爛テニス部はすっかりいつもどおりのテンションになった。
大神の口角がフ、とあがる。
戻ってきた大神に対して、倉持が不服そうな顔を向けた。
「おい──ホントにいいのかよ。飛行機の時間っつったって、なんだかんだ余裕あるだろ。すこしくらい伊織のこと待っててやりゃいいじゃん」
「せやん。あとはパパッと賞状もろて終わりやろ? せっかちは嫌われんで」
「うるせーな。早めに行って、空港のラウンジで珈琲飲む時間が好きなんだよ。それは外せねえ」
「っかー。いちいちシャレオツだな! 腹立つぜ」とは、姫川。
「しかもえらばれた人間だけが使えるプライベートラウンジやで。すべてがカッコええよな」杉山。
「でも」蜂谷は冷静につぶやいた。
「あの日のおまえは待ってるとおもうけどな」
「…………」
全員の動きが止まった。
皆、大神も含めてみなが目を見ひらいて蜂谷を凝視する。その心は。
「おまえ──いつからそんなん言うようなってん」
「司郎にしちゃずいぶんロマンチックだな。おれビックリしたぞ」
「小坊からいっしょなのに初めて聞いたな」
などなど。
杉山、姫川、倉持がそれぞれ感心したようにことばを交わす。エレノアにいたっては「クール! 素敵! ロマンチック!」と蜂谷のまわりを跳ねまわる。蜂谷はとたんに顔を真っ赤に染めて、眼鏡をくいと押し上げた。
「そ、そんな──変なこと言ったつもりはないけど。その、大神見てたらなんとなくそうおもっただけだ」
「いや」倉持はあわてて首を振る。
「べつに茶化してるわけじゃねーんだって。ホントにそうだなって、ちょっと感動したんだよ。なあ大神。司郎の言うとおりだ、ホントにいいのかよ?」
なにが、と大神は迷惑そうにつぶやいた。
なにがって、と姫川がつづける。
「だからさあ、空港でもっかいキスのひとつもしてやれよ。十年前は泣かれて連絡ぶち切られたけど、いまならわらって返してくれるじゃん!」
「古傷をえぐるな、バカ姫」
大神は吐き捨てて橋倉に向き直った。
「行くぞ」
「……かしこまりました」
「橋倉さァん!」
「うるせーぞ杉山ッ。オメーらはここに残って、伊織に言っとけ。『よくやった』って」
そのことばをさいごに、大神は問答無用に駐車場の方へと足をすすめた。その背中には怒涛の罵声が飛ぶ。飛ぶ。
「ハァ!?」
「テメーで言ったれやそんなもん!」
「俺らはぜってー言わねえからなッ」
「なんでもかんでも、俺たちがおまえの言いなりに動くとおもうなよ大神」
と。
蜂谷のことばに大神の肩がピクリと動く。足が、止まる。あとに続いていた橋倉はすこし困った顔で、大神を見つめた。
ハァ──という大神の深いため息に、才徳OBたちがびくりと身を寄せあった。
「…………」
「…………」
「たのむから」
大神がゆっくり振り返る。
その顔は、おもった以上に穏やかである。姫川が眉を下げた。
「お──大神」
「言いなりってなんだ。俺がオメーらに命令したことなんざねえよ。これはお願いだ」
「…………」
「伊織のこと気にかけてやってくれ。たのむぜ」
有無をいわさぬ圧をこめて。
大神はひと言つぶやくと、ふたたび橋倉を連れて駐車場の方へと歩いていった。こんどは一度も振り返ることはなかった。
これまでじっとおし黙り、一連の流れを傍観していたエレノア。
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