金色プライド

乃南羽緒

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第二章 テニス部と女子

36話 青春少女

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 美化委員、黛琴子まゆずみことこ
 おさげ髪にひざ丈スカート、一番上まで留めたワイシャツボタン──という、令和の時代にはめずらしいいで立ちの彼女は、谷遥香が担任をつとめる一年三組の生徒である。お気に入りの場所は桜爛大附内図書館。教室棟にある図書室ではなく、テニスコートちかくの別棟に入った図書室で、めったに人がこないところが気に入って昼休みや放課後はたいていこの場所にいる。
 好きなことは、窓側のいちばん端の席に座り、あいた窓から聞こえるテニスボールの打音をBGMに青春小説を読むこと。
 とくにここ一ヵ月はテニス部自体になにかしらの変化があったらしい。活気にあふれ、たった五人の生徒と見知らぬ女性コーチの盛り上がる声も聞こえてくる。
 『青春』という切り取られた世界がいっそう身近に感じられるこの時間が、琴子はたまらなく好きなのである。今日からテスト期間に入るゆえ、テニス部の活動もしばらく見られなくなるのが残念だ。
(とはいえ、私もそろそろテスト勉強をせねば……)
 と、いましがた読み終えた本をぱたりと閉じる。
 苦手な筆記科目はとくになし。追い立てて勉強すべき科目はないが、あらためて試験範囲の見直しと復習をくりかえそうとバッグから教科書とノートをとりだした。
 そのときである。

「オイ」

 頭上から声をかけられた。
 え、と顔をあげる。立っていたのは目を血走らせたひとりの男子生徒──桜爛高校有名人、一年一組の高宮雅久。ひとを殺してきたような凶悪な顔で、琴子を見下ろしている。
「ヒィッ」
「一年三組、黛琴子だな?」
「え。あ」
「ちっとツラ貸せや」
「……………………」
 琴子は、フリーズした。
 よく見れば雅久のうしろには、あの素行がわるいことで有名な一年二組の橋本秀真や、おなじクラスながらカースト的にいっさい言葉を交わしたことのない新名竜太の顔も見える。いよいよ血の気が引くのを感じた。
(不良です。不良に絡まれています。さらにはツラを貸すように脅されています。ここ数日間の自分がなにかやらかしたのでしょうか。ついて行ったらころされるのでしょうか。いやそれもまたヤンキー漫画では青春の一頁にもなりうる展開。しかしヤンキー漫画とのちがいは、自分がヤンキーではないことです。つまりこのままいけば集団リンチか性暴行、はたまたヤクザに臓物を売り飛ばされるか。いずれにしろこれは、自身のリアルライフ内では求めていない展開といえるでしょう──)
 と。
 いうところまで脳内で0.2秒でかんがえた琴子。
 とにかくなにかことばを発さなければころされる、と肩をこわばらせたとき、雅久のうしろから「コラァ」という抜けた声が聞こえた。
「もうちょっと声掛けのレパートリー増やせよなっ。黛さんめっちゃビビってるじゃん……」
 一年四組の高宮凛久。
 高宮雅久の双子の弟ながらその性質は正反対。表立って目立つようなタイプでこそないものの、柔和で人当たりがよく、だれからも好かれる向日葵のような男子生徒である。たしか桜爛テニス部の部長になったと風のうわさで耳にした。
 ゴメンね、と彼はあわてて琴子を覗き込んだ。
「オレ、十四組(一年四組の略称)の高宮凛久っていうんだけど、知ってます?」
「う。……は、ハイ──てに、テニス部の部長さん……」
「あっそうそう! えへへ」
 なぜか彼は、うしろにいた一年二組の相田蓮に照れ笑いを向けてから、ふたたび琴子に視線を投じる。
「あのー、中間考査で学年一位だった黛さんにちょっと頼みたいことがありまして」
「へっ」
「あれ。一位だった……でしたよね?」
 凛久は不安げに首をかしげた。
 くるくると変わる表情が、こちらの緊張を解きほぐしてゆく。琴子は肩の力を抜いてこくりとうなずいた。
「だよねっ。谷先生から聞いたんだ、ですよ。それであの、つぎの期末考査にむけてオレたちテニス部に勉強を教えていただきたく……こうしてストーカーのように居場所をつき止めて、やってきてしまったわけなんです、が」
「き、期末考査の勉強?」
「うん。なんかオレら、そのテストで赤点一個でもとったら退部させられちゃうんだって。ホラ、見てのとおりうちの部員って素行わるいヤツばっかりでしょ。だからなんか先生たちからウケわるくってさ──」
 苦笑する凛久のうしろで、チッ、と秀真が舌打ちをした。
「もともと言い出したのは谷だろ」
「コラもっちゃん、谷センのこと谷って言うな」
「てめえはもっちゃん呼びをやめろってんだよ、チビ」
「だァれがチビだって。あァ?」
「てめえのほかにいんのかよ。あ?」
「オラてめ──」
 新名と秀真が互いの胸ぐらをつかみあう。
 すかさず蓮が「はいストップ」とあいだに入り、ふたりを引き剥がした。流れるような動作に熟練の業を感じる。ピリついた空気に身をちぢませた琴子も、感嘆のため息をつく。
 ごめん、と凛久がふたたび頭をさげた。
「なるべく迷惑かけないようにするし、黛さんの予定にも合わせるから……その。あと十日もないしヤマ張ってくれるだけでもいいんだけど」
「ど、どうして私……頭がいい人ならほかにも」
「頭いいだけじゃダメだから」
 と、疲れた顔で蓮が口をはさんできた。
「話が長かったり小馬鹿にされたり、上から物を言われるようなことがあったら、この短気なやつらはたちまち勉強どころじゃなくなる」
「はぁ……」
「その点、黛は女子だからこいつらが突っかかる心配はないし、谷先生のお墨付きもあったしな。なにより黛とおなじクラスの新名が『黛サンはぜったい教え方うまい』って謎の自信をぶつけてきたんで、じゃあこの人にしよう、と」
「…………」
 琴子がちらりと新名へ視線をむける。
 彼は、にっこりわらってひらひらと手を振った。クラスでは一度も話したことがないのに、なぜそこまで自分が買われているのかが疑問だが、これ以上ぐずぐずと結論を先延ばしにすれば不良たちが怒りだしかねない。
 期末考査まであと九日。
 人におしえるというのはとても効率的な復習方法と聞く。それに雅久や新名、秀真も、不良とはいえ蓮の言ったとおり女子に手を挙げるとはおもえない。万が一そんな展開になろうとも凛久や蓮がいるならば大丈夫だろう。
 なにより彼らは、いつもこの図書室から聞いていた青春BGMの奏者なのである。彼らが期末考査によって退部となってしまったら、あのテニスボールの打音すら聞けなくなってしまうかもしれない。
「ダメかな──」
 と、不安げにつぶやく凛久。
 琴子のなかにうずいたすこしの冒険心が、ふるりと首を横に振らせた。
「ううんっ。わ、私でよければお手伝い、します。お役に立てるかわからないけどっ……」
「ホント⁈ よっしゃ、ジョジョ宴近づいたァ!」
「じょ、……?」
「あ、いやいや。えへへ」
 よしみんな、と凛久はくるりと部員たちへ目を向けた。
「雅久と黛さんに徹底的にヤマ張ってもらって、効率的に勉強するぞ!」
「いェ~い」
 新名は上機嫌に琴子の肩へ手をまわす。
 すかさず蓮がそれを引き剥がした。慣れないスキンシップにからだを固めた琴子であったが、このときたしかに感じていた。
(これが──青春)
 これまでさんざん夢想にふけってきた、あこがれの青春時代が幕を開けたことを。

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