金色プライド

乃南羽緒

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第一章 桜爛テニス部始動

18話 目標は

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 その日の夜。
 ソファに座ってテレビを見る伊織の前に、大神がラケットを一本差し出してきた。反射的に受け取ったそれはHEAD Extremeのイエローラケットである。
 なに、と伊織が目を見ひらく。
「練習を見た。高宮凛久っつったか」
「え。あっ」
 忘れていた。
 練習中のときは夕食時にでも大神の偵察目的を尋ねようとおもっていたのに、その後の凛久対応ですべて上書きされてしまって、今のいままで大神が来校したことすら忘れていた。
 しかしラケット、とは。
「しょうもねえガキだったらやめようかと思ってた。が、今日見て決めた」
「決めたって」
「このラケットを貸してやる。その凛久ってガキにな」
「え。…………」
「どうせそれはメイン使用じゃねえ。そもそも試合だって当分ねえしよ。でも勘違いすんな、貸すだけだ」
 といって、大神は伊織のとなりに腰かける。
 貸すというからには期限があるのか、と伊織が問う。彼はソファの背もたれに手をまわした。
「つぎの春季都大会──個人団体は問わねえ。そこで賞状をもらうことが出来れば、そのラケットはくれてやる」
「し、春季都大会って五月やろ。賞状が出るんはベスト8以上──あと半年もないやんか。凛久は初心者やのに!」
「半年もあるじゃねーか。そこまでに都大会出場校のなかでベスト8に残る実力をつけりゃいいってだけの話だろ」
「そ、……」
「べつに、無理なら無理でもかまわねえよ。俺からすりゃあ半年経ったらラケットを返してもらうだけだからな」
「…………」
 伊織は閉口した。
 今日、凛久なりのペースで上達すればよいと言ったばかりなのに。もちろん半年という期間があれば基本は身に付くだろう。しかし大会を勝ち上がるための──まして都内ベスト8以上の──実力となると話は別だ。
 大会特有の雰囲気に呑まれることもある。スタミナやテクニックがあれど、メンタルで崩れることもあるのだ。
 凛久を思ってうつむく伊織。
 大神は背もたれにまわした左手で、彼女の髪をちょいといじった。
「無理難題は言ってねえつもりだがな。なんてったって──コーチがおまえなんだぜ」
「……大神」
「桜爛を王者に返り咲かせるんだろ」
 伊織の手が、手中のラケットを強く握る。
 出来るか。いや、出来るか出来ないかは問題ではない。伊織は伊織に出来ることをやるだけだ。あとは凛久次第なのだから。
「半年。────半年か」
 伊織がつぶやく。
 その緊張感のある声色とは対照的に、大神は欠伸をひとつしてクタリと伊織の肩に頭をあずけた。
「ま、そうやって目標定めてマジに賞状がとれたあかつきには、凛久も自信がつくんじゃねーのか。そしたら胸張って親にも言えるだろ。自分はいまテニスをしているってよ」
「お、大神──」
「あと、ラケット渡すとき俺の名前は出すなよ。変に力んじまったらよくねーからな」
「大神ァ~~~」
 なんていい男なんだ、と。
 伊織は大神をヘッドロックした。
 銀河より広く海よりも深いその懐は高校時代から変わらない。じんわりと胸にひろがるこの熱は、当時胸に秘めていたあわい恋心だろうか。気恥ずかしくてせつなくて、けれどいまばかりは大神に触れずにはいられなかった。
 ヘッドロックされた大神は「いてえよ」と文句を垂れたが、どさくさに紛れて伊織の腰に手を回そうと腕を伸ばす。しかしつぎの瞬間、
「そうと決まれば!」
 伊織が大神を放ってすっくと立ちあがったので大神はばたりとソファに倒れ込んだ。
「はよ寝て、明日の練習に備えようっと──なにしてんの?」
「……べつに、なにも」
 大神はふてくされた顔でつぶやいた。

 ※
「当面の目標が決まった」
 翌日。
 放課後練がはじまる前に、伊織は一同がコートに集まるなりそう言った。彼らはキョトンとした顔で、互いに顔を見合わせる。
 目標──頑張るにしたって、何事も目指すべきものがなければ努力も空振りが起きるもの。伊織は丸めた紙をぺらりと広げて見せた。

『春季全国高校総体テニス予選 都大会優勝』

 えっ、と一同がざわつく。
 優勝という文字を三度見して、蓮と新名は戸惑った表情を浮かべ、凛久は身をふるわせる。ただひとり雅久はトウゼンと言わんばかりにふんぞり返ったまま動かなかった。
「個人、団体は問わんけど──なるべくやったら団体でいきたいと思てる。まあ、そのためにはあと三人ほど部員を集めなアカンわけやけど、新入生勧誘をがんばれば出来ひんことでもないやろ」
「で、でもコーチ。雅久はともかくオレら三人は初心者だよ」
「知っとるがな。せやから欲言わんと都大会で留めてやったやろ。本音はインターハイ優勝やってん」
「マジで言ってる!?」
 凛久がさけぶ。
「無理だろそんなのッ」
「ムリかどうか──」
 伊織は手中のイエローラケットを凛久の鼻先へ突きつけた。
「やる前から決めつけたアカンで、凛久」
「…………」
「うちは出来ひん思うことははなから言わへんタチやねん。ここ数週間の自分らをよう見て出した結論や、なんか文句ある?」
 といって、伊織はひとりひとりをゆっくり睨み付けた。面白くなってきた、と口角をあげた雅久のことばを皮切りに、新名は自信に満ちた笑みを浮かべ、蓮は「やるっきゃねー」と覚悟を決める。
 凛久は──。
「凛久」
「は、はい」
「うちが立てた目標やからな。先立つもんがないと達成しようにも難しいやろうから、これを貸したる」
 HEADのイエローラケット。
 凛久の顔がわずかにこわばった。コーチの意図を図りかねているらしい。しかし伊織はツンとした顔で首を振った。
「勘違いせんとき、貸すだけや。ただ──もし凛久が練習がんばって春季大会で賞状もろたら、このラケットは凛久のものにしてもええ」
「えっ」
「すべては自分の努力次第や。もしそれすらも出来そうにないと思うんやったら、このラケット貸す意味もなくなるし、これまでどおり予備ラケット使うてもらうけど」
「でっ、出来──」
 言いかけて、凛久は不安げに雅久を見た。
 雅久はまっすぐ凛久を見つめている。やがて、見つめたままちいさくうなずいた。
「……やる。やりますッ。やってみせます!」
「言うたな、凛久」
「オレ、ぜったい上達してみせるから!」
 興奮するあまり頬が上気する。
 これ以上、覚悟の確認は必要あるまい。伊織はちいさく微笑んでラケットを握らせた。イエローラケットのグリップが凛久の手中に馴染む。凛久の瞳がじわりと濡れた。
 その頭を乱暴に撫で、伊織は一同を見た。
「ええか。都大会優勝は決して簡単ではないけれども、決して越えられへん壁でもない。自分ひとりで越える必要はないんや。うちが、かならずみんなをそのレベルにまで引き上げたるさかい」
 と。
 伊織は凛久と雅久の肩に手をまわし、つづけた。
「もうひとつ。部活というからには、部長なるものが必要やろ。これも谷ちゃんと相談して決めてきてん」
「あ──」
「そういやいなかったな、いままで」
 と双子が顔を見合わせる。
 凛久の肩をつかむ伊織の手に、ギュッと力がこもった。
「桜爛テニス部部長、高宮凛久」
「は、ハイッ!」
「同部副部長、相田蓮」
「うっす」
「──とはいえ四人だけの少人数や。みんなで支え合って、蹴落とし合って、切磋琢磨して成長してや」
「支え合うのか蹴落とし合うのか……」
 新名がつぶやく。
 ついでにいうと、と伊織は明後日の方向へ視線をむけた。
「都大会優勝したら、今度はインハイ予選の関東大会があんねんけどな」
「関東大会ッ」凛久の声が裏返る。
「どっから声出したんだいま」と、わらう蓮。
「関東の目標は?」雅久が挑戦的に問う。
「そりゃーもちろん」
 優勝だろ、と。
 新名はいたずらっ子のような顔でわらった。
 
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