落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第十九章

104話 ダキニの宣戦布告

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 線路高架下、人気のない暗がりにうめく声。
 褪せた金色の長い髪に褐色肌の男、玉嵐が左腹部を押さえて、ひとりうずくまっている。
 白月丸をあなどっていたわけではないが、正直ここまでやるとは誤算だった。なにせヤツの腹から胸にかけて鉾でえぐったというのに、なおも果敢に鉾を振り上げ、この腹を斬りつけてきたのだから。
(龍族が、ウサギごときに──)
 玉嵐はぐっと唇を噛みしめた。
 斬られた腹からは、濛々と邪気がたちのぼる。
「…………」
 先ほど、白月丸を抱き、二之宮から飛び立つ水守を見た。きっとこちらに気付いていたであろうに、まるで見向きもしなかった。
 熱のこもる高架下の一角に、打ち捨てられたようにころがるおのれを思って玉嵐は嘲笑する。もはや自分がなにに執着しているのかすら、分からなくなってきている。
 ぐるると喉奥でうなり、玉嵐は壁にもたれた。

 カツン、と聞こえた靴の反響音。

 おのれの姿を隠すように身を縮める。しかしふたり分の足音は迷いなくこちらへ近付いてきた。
「大丈夫ですか」
「おなかいたいのー?」
 と、いう声。
 身をふるわせ、その正体を見んと横目でにらむ。そして目を見開いた。この姉弟は、先ほど駅舎で邪気を当てた水緒の知り合いではないか。
 女の胸ポケットからは、イヤな気がただよってくる。この女──大龍の身守りを持っている。
「…………」
 牙を剥き、威嚇する。
 女はハッと息を呑んだ。しかしそれでも怯まずに、おもむろに自分のカバンをあさりだす。まもなく取り出したのは、買ってまもないペットボトルの水。
 彼女は蓋をあけて玉嵐へ差し出した。
「お水、飲むとすこし楽になると思います。今日は朝から暑いですから。……」
「おもいます!」
「お大事に」
 ぺこりと頭を下げて、女は弟の手をとる。
 初めて玉嵐はそのふたりの姿を両目にとらえた。おどろいた。なんと、なんという綺麗なたまだろう。まるで濁りのない泉だ。こちらが息苦しいくらいに。
 いつか見たあの母子を思い出す。
 ──きれい。綺麗だ。
 欲しい。
 欲しい。ほしい。
(そうだ、これだ)
 高架下をくぐり、玉嵐がやってきた方へ去ってゆく姉弟を眺めてクッと肩を揺らす。同時に、あの姉弟のそばにいたことで感じていた息苦しさが消えていることに気が付いた。
「…………」
 堕ちたものだ。
 これほど穢れたならば、もはや光に未練はない。この鬱陶しいほどの羨望も妬みも、すべてを闇に返してしまえ。
 玉嵐は手中のペットボトルを握りつぶし、対岸の壁になげうつ。
 ふたたび、ふたたび起こすのだ。

「出合え水守──紅来門にて待つ」
 
 ※
 ダキニが龍宮にあらわれた、と麒麟がいった。
 座敷がざわつく。自然と一同の視線は大龍に寄った。が、大龍は憮然とした顔のままうごかない。
「わしは聞いとらん」
 と、ちいさく言った。
 私もたまたま聞きました、と麒麟はわらう。
「龍宮に大陸生まれの龍がおりましょう。ターシャという」
「ターシャ! あたしとってもお世話になった」
「ええ、ええ。姫の話も出ましたよ。ターシャは大陸にいたころから仲が良くてね、よく空を散歩するんです。つい先ごろですよ。彼女がめずらしく暗い顔をしていたものでワケを聞いたら」
「ダキニが龍宮にきた、って?」
 水緒は首をかしげる。
 どういうことだろう。水守はじろりと麒麟をにらんだ。
 もっと詳しく話せ、と目で言っている。誰にたいしても不遜な男だ。麒麟はおどけたようにわらった。
「正しくは眷属のようですがね。ダキニの眷属いるでしょ、白狐。あれが龍宮に降り立ったそうなんです。みんな怖がっちゃって、仕方ないから古株のターシャが応答したらしいんですけどね」

 ────。
 いつも愉快なターシャだが、このときばかりはすこしやつれていた。
 麒麟は人型で雲を足場に遊んでいるが、こちらも人型のターシャはといえば、雲を椅子がわりに腰かけて憂鬱そうにため息をつく。思い出すだけでも疲れる──とつぶやく彼女が語った内容は、シンプルながらひどく恐ろしいものだった。
 
「白狐が突然、黒安門こくあんもんにあらわれたのよ」
「黒安門というと──北の」
「そう。生き物すべてのふるさとがある、常世の方角。ダキニは白狐をそこに寄越して、わざわざ言伝を残していったワケ」
「言伝?」
 麒麟の足が止まる。
 ええ、とうなずいたターシャはぎらりと瞳を光らせた。

「──"今宵、現し世の空に月がのぼるころ、龍宮の四つ門にて大戦を仕掛ける。紅来門に待て"」

「…………なんだって?」
「龍宮四つ門で戦を仕掛ける──ってことは、『紅来門の大戦』など戦のうちにも入らぬほどでかい戦にする、ってことよね。そしてもうひとつ」
 紅来門に待て、と麒麟が復唱した。
「そう、そこよ。大龍さまへの宣戦布告。わざわざ紅来門を指定するだなんて、ダキニは大龍と水守の登場を待っているにちがいないよ」
「…………」
 ターシャは額に手をあててうなだれる。
 もう勘弁だわ、とつぶやく彼女の脳裏には、およそ四百年前に起きた龍宮史上最悪の悲劇、紅来門の大戦がよぎっているのだろう。
 麒麟は口を尖らせてその肩を叩いた。
「だいじょうぶだって」
「なにがよ」
「われら奇蹄族は龍族側についてる。黄泉の白輪王だってきっと水守くんに助言を与えるだろう。鎌鼬も、そうさ」
「…………」
「つまりなにが言いたいかというとだな、四百年前よりはずっと味方がいるということさ」
「けれど、紅来門はある種野良龍たちの反乱といってもいい。水守の力が厄介であれだけの被害が出たけれど、ほかは大した驚異ではなかったわ。──でも今度は神が相手なのよ」
 ターシャの口調がわずかに荒くなる。しかし麒麟はどこ吹く風だ。ベールの下の瞳を妖しく細めて、彼女の顔を覗き込んだ。
「だからなんだよ。奇蹄族も龍族も、八部衆のなかじゃ神に近いツートップだ。おまけに今度は水守くんが味方ときている。そして、水緒もね」
「…………」
「大龍眷属もあのときより二匹も増えた。おまけに当時新米だった銀月丸は、いまや戦闘においては眷属筆頭だ。むかしはむかし、いまはいまさ。トラウマにとらわれていたら、勝つものも勝てないよ」
「──うるさいわね。アンタに言われなくてもわかってるわよ。だいたいアンタら奇蹄族は、殺生をなにより恐れるっていうじゃない。そんなことで龍族のサポートが出来るとも?」
「おや、君こそ奇蹄族の掟を知らないのかい」
 といって、麒麟はターシャの横に腰を下ろす。
 奇蹄族の掟なんか、と言いかけたターシャの口に人差し指を立て、麒麟はにんまりと笑んだ。

「『殺生を憎み、生を愛せよ。──なれどそれを破りしものに容赦はするな』……心優しい麒麟だなんだと言われているがね。あんまりひどいと、そうは問屋が卸さないってもんサ」

 ────。
 ダキニ襲来は、もうまもなくに迫る。
 回想を終えた麒麟の声がとがる。

「今宵、現し世の空に月がのぼるころ──もはや猶予はありません。龍王、下知を」

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