落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第十六章

89話 紙一重の情

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 つづいて鏡が映したのは遠いむかしの鶺鴒山、奥に鎮座するつつじヶ池である。
 大龍がこの池を住処とした当時、周囲の村々を見守るお役目をつとめていたころだとタカムラは言った。
 池にはダキニが遊びに来ている。
 まるでひとときの逢瀬を楽しむように、ふたりは人の姿で語らい、ともに笑い合った。
 いまとなっては見る影もないこの関係性。
 鏡は、それが崩れるきっかけを見せてくれるのだという。
『ひと処に留まるなんて退屈じゃないのかい』
 ダキニは問うた。
 そうでもない、と大龍は返した。
『草々が定期的に会いに来る。みな愛いやつらよ』
『ふうん。……いい女も来るんだろ』
『そんなこと考えたこともない』
『そうかい』
 と、笑うダキニの画をさいごに場面が切り替わる。映し出されたのは村の若い男衆であった。
 男は、いつも見栄を張っていた。
 だれかに褒められたくて、驚かれたくて、いつも法螺を吹くような人間だった。だから村のものたちも、月日が経つにつれて分かってしまって、だんだんと男の相手をするものはいなくなっていた。
 あるとき、男の夢にひとりの女が立つまでは。

『また大風たいふうがくるぞう』
 村の年寄りがさけぶ。
 毎年この時期、村はいつも水害に見舞われた。村人はもはや慣れたものだったが、男はここぞとばかりに声をあげた。

『お告げがあった。毒をもった龍がつつじヶ池に住んでいるんだ。ソイツがこの村に水を呼んでいるんだよ!』

 男はそれから毎日毎日、夢のなかで女にいわれた通りのことばを唱えつづけた。七日も経つころには、村の者たちもようやく男を信じるようになっていた。
 ある日、龍を退治にゆくと男は言った。
 しかしまもなく、ボロボロのナリで帰ってきた男が息を切らして村人に告げたのである。
 ──災いをやめてもらうかわりに、龍神さまに"若い娘を捧げる"と約束をした、と。 
 それ以来、毎年台風の時期が近付くと、村ではとびきり人気の若い娘が、無理やりつつじヶ池へと身を投げるようになった。
 するとどういうわけか、水害が本当にピタリと止んだ。男はすっかり村の英雄となって、愛されるようになった。──

『いったいどういうことだ』
 大龍は悩んでいた。
 いつの頃からか、突然池に娘が落ちてくるようになったのである。
 初めのころは単なる身投げかと思っていたが、こうも毎年同じ時期に落ちてくるのはおかしい。
 池にいるときに落ちてきた娘は、底から拾い上げて村の外へ逃がしてやることもあった。
 けれど、数年ほど龍宮へ用事を済ませに行くと、池の底には数人の娘の亡骸が沈んでいる始末。
 哀れにおもった大龍は、彼女たちの亡骸が何体沈んだかを村の者に知らしめるため、石を置いた。
 あるとき、十人目の娘が語りかけてきた。
『どうか、どうかつつじヶ池の龍よ。わたしがあなたのもとへ嫁いだならば、それをさいごとしてください。わたしが一生添い遂げます。ほかの娘はおゆるしください』
 なんの話だとおもった。
 聞けば、つつじヶ池に住む龍へ生け贄を捧げる約束をしたというではないか。
 だから大龍は、答えた。
『わしは、もともと娘などいらぬ。そちらが勝手にしたことだ。毎年池に娘が身を投げ、こちらもかなわぬところと思っていた』
 本心であった。
 すると娘はたいそうおどろいて、きらきらと涙に濡れた頬を綻ばせる。
 聞くにつけ、これには裏があると感じた大龍は、とうとう山を下りることにした。
 法螺吹きの男と対面する。
 その影に、大龍は見た。
 ──ダキニの念が憑いているのを。
 男に問いただすや、意外にもあっさりとその事実を認めた。
『夜な夜な女が枕元へ来ては、池の主に若い女を差し出せ。そうすれば大水などいくらでもなんとかしてやるから──と』
『…………』
 身を投げた娘たちを思い出す。
 彼女らは、みな心の清い娘たちであった。毎日けなげに山道を登り、池の前では祈りを捧げ、日々生きていることへの感謝を念じるほどに。
 その祈りによって力を得ていた大龍。
 お返しに、精一杯の加護を与えんと見守っていた我が子たちをおもえば、到底許されるものではなかった。
 ────。
 男は、鬼と化した村びとたちに殺された。
 見届ける気持ちは切ないものだったが、それを止める義理はない。長らく住んだつつじヶ池を捨て、大龍は空へと飛び立った。
 彼の怒りによるものか。
 村はこれより三日三晩、ダキニの加護によって免れていた十年分の大風を受け、村人もほとんどが死んだ。
 ただひとり、十年目の巫女とその家族だけはちがった。
『人のため、我が身をかえりみず助くるおまえは、因果巡りて助けられるであろう』
 と言い残した大龍の加護により、難を避けたのである。
 彼女やその家族は、大龍への恩を忘れぬようにとその地に龍を祀る神社を建てる。
『いつか、またこの地にお戻りください。千草はこれより末代まで、貴方の帰りをお待ちしております』

 ────。
 その祈りは、ダキニを求め、彷徨い捜す大龍に届いていた。

 ※
「愛しさあまって憎さ百倍とは、これこのこと。大龍さまはダキニさまのこの行動を裏切り行為ととらえ、その真意を聞かんと思うわけだ。……」
 タカムラはちいさく唸る。
 これまでの映像に垣間見えた、ふたりの情の行き違い。これまで幾度の死者を迎えいれ、その人生を鏡にて追ってきたタカムラからすれば、行動の意味など容易に読みとれた。
(しかしこのふたりはどうだろう)
 タカムラは冷静におもった。
 神社建立縁起を知れたことに興奮する朱月丸。そのとなりで、水守はむずかしい顔で沈黙をつづけた。
 リアクションをとったのは、傍らでともに見ていた白輪王。その瞳がもどかしげに歪んだ。
「これは完璧にすれ違ったね。あーヤキモキする」
「まことにねえ。神のくせになんという不器用さでしょう、互いに想い合った結果がこうなってしまうとは」
「もうさ、基本的に大団円しか見たくないんだよ。ほらタカムラ。はやく次見て」
「現状が依然として停滞しているようですが──」
「そのふたりはそうだけど、あれだろ。いまなんかフラグ立ったよね。千草ちぐさとさ」
「ははは、さすがの白輪王だ。目の付け所が龍族と段違いダンチですな」
「へっへへ」
 得意気にわらう白輪王。
 そのことばに、水守が反応した。
「ちぐさ」
「十年目の巫女の名です。まだ幼いながら、うつくしい娘でしたな」
 と、タカムラが名残惜しげに鏡を見上げる。しかし水守が気になったのはそんなところではない。
 ちぐさ。その名は幼い時分によく聞いた名だ。
 そう、父の口から。

「母上。…………」
 
 はるかむかしの記憶に残る、母の面影。
 たしかその名は千草といった。

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