落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第十二章

66話 大地、あがく

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 大龍神社境内に、駆けこんできた影ひとつ。
 名を片倉大地という。
 躊躇なく私有地である豪瀑へと立ち寄り、目当てのすがたがないと知るやさらに駆けて、とうとう聖域である注連縄をも飛び越えた。

 一方、社殿裏菜園である。
 トマトの葉につく虫を食べるサルの庚月丸が、ふっと顔をあげた。
「なんじゃ、ずいぶんと慌ただしくこちらへ駆け来る気配──」
 と、石燈篭の並ぶ石段を見下ろす。
 社殿を隠すかのごとく、年中と霧が立ち込めるそこに、それを引き裂くような勢いで石段を駆けあがりくる青年がひとり。
「あれは」
 庚月丸は目を丸くした。
 石段をのぼりきった青年の顔を覗き込む。
 やはりそうだ、片倉大地──。
 彼はぜえはあと肩で息をしながら、社殿前に視線をめぐらせている。
「大地どの。そんなにあわてていかがなされた」
「こ、庚月丸。水守さん、どこにいるか知らない?」
「へっ。み、水守さまですか。朝方に朱月丸を供にして鶺鴒山にゆかれましたので、まもなく帰られるころかと存じますが……水守さまに御用が」
 と、庚月丸が小首をかしげたときである。
 ふたたび石段を駆けあがる気配を覚えた。この気配はようく知っている。
 案の定、息せききってあらわれたのは、水緒──のすがたをした白月丸だった。彼は鬼の形相で社殿前をぎろりと睨みつける。やがてその視線が大地に留まるや「コラッ」とめずらしく声を荒げたのだった。
「大地どの。あんまり勝手なマネはこの白月丸もさすがに怒りますぞッ」
「クソ、空ぶりだったか──」
「大地どのッ」
「ちょ、ちょっとちょっと白月丸も落ち着いて。ほれ、深呼吸。ヒッヒッフー」
「ええいうるさいッ。そんな余裕はない」
 なんとめずらしい。
 白月丸が立腹している。庚月丸が大龍に拾われてからおよそ数百年、このウサギとともに過ごしてきたが、ここまで怒ったところを見るのは初めてだった。
 いったいどうしたというのか──庚月丸は顔をくしゃりとゆがめる。すると、すこし遅れて英二がゆっくりと石段をあがってきた。
「あ、どうも庚月丸さん。またお邪魔しちゃって」
「これはこれは英二どの。ええと、これはいったいどうしたことでしょうか」
「ああ、うん。なんかね」
 ────。

「大地どのッ」
 庚月丸は眉をつりあげた。
 人型に変化した眷属二匹に怒鳴られて、さすがの大地もおとなしくなった。ふてくされた顔で社殿前庭に正座をしている。
 とはいえ、その表情のとおり納得しているわけではないらしい。口を尖らせて、
「そんな怒ること……?」
 と、ぼやく。
「当たり前です。まさか龍宮へ乗り込むため水守さまをダシにしようとは、われわれ眷属が許すとお思いでかッ」
「思っちゃねえから、こうして強硬手段に出ようとしたんだけど」
「言い訳御無用」
 白月丸がぴしゃりと言い放つ。
 それでも大地はめげなかった。
「だっておれ、約束したんだ」
「…………」
「天沢のこと守るって、大龍さまに誓ったんだぜ。たとえ試練は手助けできなくても、なんかしら力にはなれるかもしれねえ。おれはただの人間だけど……だからこそ、できることだってあるかもしれない!」
「大地どの──」
 白月丸の顔は、いまにも泣きそうにゆがんだ。そのときである。

「また来たか、雑草どもが」

 霧に包まれた石段から顔を出した四人目の影。
 冷たい声色の主は、水守である。
 うしろから土産の菓子箱を背負ったタヌキの朱月丸が、ひょっこりと顔を覗かせる。眷属にくわえて、大地と英二がいることに目を丸くした。
「あれェ。こりゃみなさまおそろいで──おん。なんじゃなんじゃ」
 白月丸、とタヌキはあわてて人型白月丸に駆け寄る。
「どしたん」
「どうもせんよ。朱月丸、粗相はせなんだか」
「うん、水守さまといっしょに土産の菓子をえらんできたんよ。ほれ!」
「栗まんじゅうか、いいチョイスじゃ。ではそれがしお茶でもいれて──」
 と、白月丸がかまどの方へと身体を向ける。しかし水守は「必要ない」といった。
「それより、この聖域は草々が気軽に入るところではないはずだが」
「あ、それは。……」
 庚月丸がドッと汗を流す。
 彼の威圧に、さすがの大地もぐっとくちびるを噛みしめたまま動かない。ただ一匹、状況がわからない朱月丸だけは「どういうこと?」と白月丸を見上げたが、白月丸も気まずそうに口をつぐんだ。
 いやな沈黙がよぎる。
 一同をじっくりと観察していた英二は、さいごに水守へと視線を向けて「じつは」とつぶやいた。
「水守さんに、龍宮ってところに連れて行ってもらいたくて──お願いに来たんです」
「え、英二どの」
「……なに?」
 水守がじろりと英二を見下ろす。
「天沢水緒がひとりぽっちで龍宮に行っちまって、それが心配で心配でしょうがねえってそこの過保護バカがいうんですよ。眷属のみんなには、行ったってなんもできることねえってさんざ言われてるのに」
「ずいぶんトゲのある言い方するな、おまえ」
 気まずそうにつぶやくのは大地だ。
 水守は嘲笑した。
 社殿の前庭をつっ切って縁側に腰かける。口元に湛えられた笑み──嘲笑だが──を見るかぎりでは、初対面のころよりもすこしは壁がなくなってきたような気もする。
「小僧、貴様この水守をダシに使うか。ずいぶんと気安くなったものだな」
「いやァ。天沢のおにーさんだって思うと、なんとなく親近感がわくっていうか」
「…………」
 水守の眉間が寄る。
 なぜか大地は照れ笑いを浮かべている。一瞥し、水守は顎をあげた。
「それで?」
(それで、って)
 いっしゅん、頬をこわばらせた。
 大地を見かねた水守がふたたび口をひらく。
「成龍の試練には、雑草はおろか龍族でさえも介入することは許されぬ。もっともあの小娘がどうなろうと私の知ったことではないが──つまり無駄足ということだ」
「わかってます。おれホントに試練を邪魔するとか、そういうつもりじゃないんです。ただ応援してやれたらそれだけでいいんです。だけどそれには、ここにいるより龍宮に行った方が届くんじゃねえかっておもって」
「話にならん」
 水守は鼻でわらった。
 やはりだめか──と大地は肩を落とす。庚月丸と英二も困ったように互いを見合わせた。
 しかし、
(おどろいた)
 と白月丸はおもった。
 人間の話をここまで聞く水守自体珍しいことではある。彼も長い眠りを経てすこしは丸くなったということか──と感慨にふける。同じくして、裾をクンと引っ張られた。
 タヌキの朱月丸が足元で石段を指している。
「うん?」
 眼鏡の奥の瞳を細めた。
 霧の奥から、本日五人目の影があらわれる。

「あら、みんな揃ってなにしてんのよ。私も混ぜて」

 大龍神社の権力者──天沢美波その人である。
 
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