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第五章
22話 躯
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祝いじゃ 祝いじゃ
大龍のむすめがいまに満ちるぞ
齢十五の御祝いじゃ
杉の並木を通りゃんせ
大龍方に参りゃんせ
────。
「大戦より四百年、吾輩はこのときをお待ちしておりました」
左頬に傷のある男が頭を垂れる。
男は、名を玉嵐という。
聖域の山中、ぽっかりと口を開けた洞穴の奥の奥──氷に守られたひとりの男が穏やかな表情で眠っている。この男の名は、水守。
その胸にはぽかりと空いた穴がひとつ。かつて紅来門の大戦の折に実の父である大龍が戦いの末にあけたものだ。
「おいたわしや、水守さま」
つぶやいた。
氷に触れる。が、そこに張られた結界によるものか、まるで刃物のように玉嵐の指を傷つけた。滴り落ちる血の音が静かな洞穴に響き渡る。
なるほど──大龍の結界である。
忌々しいことに穢れを祓う力を持つようだ。
(あの女が言ったとおりだな)
クッと口の端をあげて白い手套を左手にはめた。
洞穴のなか、岩肌に立てかけていた鉾を手套の上から掴む。手のひらがピリリとわずかにしびれるのは、この鉾がこの玉嵐の穢れを嫌っているからであろう。野良の邪気を覆い隠すことのできるという手套をはめてこれだ。きっと素手で触れたら腕がフッ飛ばされていたかもしれない。
(紫焔の逆鉾──さすがは天津国にて伝わる神器なだけはある)
しかし玉嵐はしびれもかまわず、鉾先を氷に突き立てた。
双方のはげしい気がぶつかり合う。が、先にバチバチと音を上げたのは大龍の結界であった。結界は徐々に破られ、氷はけたたましい音をたてて崩れ落ちた。
とうとうきた。このときが──。
玉嵐の口角がたまらずゆるむ。
中で眠っていた男、水守の躯がぐらりと倒れる。受け止めようと鉾を手放して身構えると、しかし躯はふわりと浮いて着地した。
嗚呼、なんということだ。
──男の目が、すでに薄く開いている。
「おお……」
端麗な面立ち。
光にあたればさぞうつくしく輝くであろう白銀の髪は、龍の気が抜かれているためか哀れなほどに短くなっている。以前、大戦の際に見たときはまるで龍が揺蕩うかのごとく長い髪だったが──しかしこれほど龍の気が抜けていながら、この存在感たるや、やはりただ者ではない。
能面のごとく眉ひとつ動かなかったその顔が、わずかにまぶたを持ちあげて奥から瑠璃色の瞳をのぞかせる。それはやがてはっきりとこちらを見据えた。
(目が)
合った。
瞬間、玉嵐の身体がずしりと重くなった。
いったいなにが起きた。まるで目に見えぬ圧力により身体が押しつぶされるようだ──と玉嵐はふるえる脚に力を込めて水守を凝視する。しかしその圧はまもなく、こちらを射る視線が逸れたと同時に治まった。
彼は、真白な頸筋を伸ばしてこきりと鳴らす。
目覚めた。
とうとう目覚めたのだ。
玉嵐は水守の前に片膝をつき、頭を垂れた。
「龍気を失うてなおそれほどのお力をお持ちとは。吾輩、名を玉嵐。水守さまのお目覚めを心待ちにしておりました」
※
社殿の入口。
かたわらに白狐を侍らせてしなをつくる女がひとり。上半身は装飾品以外なにも身につけていない。
自ら出迎えた大龍は表情を険しいままに、無言で踵を返した。
「おや、ずいぶん気前がいいねえ。入っていいってのかい」
女はにこりとわらう。
それに対して大龍はフン、と鼻をならしていつもの奥座敷とはまた別の『紫電の間』にむかった。
「愛想のなさは相変わらずのようだけど。そんなら遠慮なくお邪魔させてもらうよ」
女は白狐を外に待たせたまま、しゃなりと足を踏み入れた。
「──『鬼の若神子』」
人間もかいらしい名前をつけるじゃないのサ、と女は大龍にむけて小首をかしげた。
まったく古い話だ。
五百年以上も昔のこと、いまだこの国が動乱の世であったころに水守につけられた通り名である。大龍はクッと喉奥で嘲笑した。
「鼠小僧を寄越したのはやはり貴様か」
「おや……気付いていたのになんにもしないだなんて、タチのわるい男だよう。いいのかい大龍、アンタが後生大事にとっておいた長子の躯がとられちまうよ」
「力添えをしたくせにようもほざく口だな。紫煙の逆鉾なぞ持ち出して、つくづく気に食わん女だ」
「とかいってアンタも楽しんでいるじゃないサ。それともなにかい、今宵満ちる娘御のためなのかい。名前はたしかマオだったかね」
と女は嘯いた。
ピキッと大龍の額に青筋が立つ。
「貴様ころされたいのか」というわりには静かな声で、しかしじっとりと殺気を向けている。女はケラケラとわらった。
「いやだね冗談だよ。水緒ってんだろ、アンタの娘だってのにずいぶんと落ちこぼれもんだって聞いたけど」
「アレが本当に落ちこぼれかどうか、いずれ貴様にも教えてやる」
「おおこわい」
女は可笑しそうに肩を揺らす。
そのとき部屋の外から「あのう、お茶を」と庚月丸の声がした。
「必要ない」大龍はぴしゃりと言って立ち上がる。
案の定、女は不服な顔で文句をいった。
「冷たい男だよ。もてなしひとつもしちゃくれないだなんて」
「貴様にもてなす茶は向後もない。さっさと鼠小僧を連れて立ち去れ」
「わかったわかった……それなら躯はもらっていくよ、アンタのご長子さまなだけになかなかのいい男だからねえ。ちょっとはかわいがってやろうかね」
と大儀そうに立ち上がった女に、大龍はめずらしく声をあげてわらった。
かわいがる?
女に向けた視線は不敵に歪む。
──”もてあます”の間違いだろう。
「わしの宝だ、はように返せよ。貴様があの鼠小僧のため一心尽くすような女でないことはこのわしも知っておる」
「おやまあ……ただの気まぐれで手伝ってやっているとお思いかい」
「────」
「ねえ大龍」
いい男ってのは罪深いもんだよ──と。
女は妖艶に笑みを返した。
大龍のむすめがいまに満ちるぞ
齢十五の御祝いじゃ
杉の並木を通りゃんせ
大龍方に参りゃんせ
────。
「大戦より四百年、吾輩はこのときをお待ちしておりました」
左頬に傷のある男が頭を垂れる。
男は、名を玉嵐という。
聖域の山中、ぽっかりと口を開けた洞穴の奥の奥──氷に守られたひとりの男が穏やかな表情で眠っている。この男の名は、水守。
その胸にはぽかりと空いた穴がひとつ。かつて紅来門の大戦の折に実の父である大龍が戦いの末にあけたものだ。
「おいたわしや、水守さま」
つぶやいた。
氷に触れる。が、そこに張られた結界によるものか、まるで刃物のように玉嵐の指を傷つけた。滴り落ちる血の音が静かな洞穴に響き渡る。
なるほど──大龍の結界である。
忌々しいことに穢れを祓う力を持つようだ。
(あの女が言ったとおりだな)
クッと口の端をあげて白い手套を左手にはめた。
洞穴のなか、岩肌に立てかけていた鉾を手套の上から掴む。手のひらがピリリとわずかにしびれるのは、この鉾がこの玉嵐の穢れを嫌っているからであろう。野良の邪気を覆い隠すことのできるという手套をはめてこれだ。きっと素手で触れたら腕がフッ飛ばされていたかもしれない。
(紫焔の逆鉾──さすがは天津国にて伝わる神器なだけはある)
しかし玉嵐はしびれもかまわず、鉾先を氷に突き立てた。
双方のはげしい気がぶつかり合う。が、先にバチバチと音を上げたのは大龍の結界であった。結界は徐々に破られ、氷はけたたましい音をたてて崩れ落ちた。
とうとうきた。このときが──。
玉嵐の口角がたまらずゆるむ。
中で眠っていた男、水守の躯がぐらりと倒れる。受け止めようと鉾を手放して身構えると、しかし躯はふわりと浮いて着地した。
嗚呼、なんということだ。
──男の目が、すでに薄く開いている。
「おお……」
端麗な面立ち。
光にあたればさぞうつくしく輝くであろう白銀の髪は、龍の気が抜かれているためか哀れなほどに短くなっている。以前、大戦の際に見たときはまるで龍が揺蕩うかのごとく長い髪だったが──しかしこれほど龍の気が抜けていながら、この存在感たるや、やはりただ者ではない。
能面のごとく眉ひとつ動かなかったその顔が、わずかにまぶたを持ちあげて奥から瑠璃色の瞳をのぞかせる。それはやがてはっきりとこちらを見据えた。
(目が)
合った。
瞬間、玉嵐の身体がずしりと重くなった。
いったいなにが起きた。まるで目に見えぬ圧力により身体が押しつぶされるようだ──と玉嵐はふるえる脚に力を込めて水守を凝視する。しかしその圧はまもなく、こちらを射る視線が逸れたと同時に治まった。
彼は、真白な頸筋を伸ばしてこきりと鳴らす。
目覚めた。
とうとう目覚めたのだ。
玉嵐は水守の前に片膝をつき、頭を垂れた。
「龍気を失うてなおそれほどのお力をお持ちとは。吾輩、名を玉嵐。水守さまのお目覚めを心待ちにしておりました」
※
社殿の入口。
かたわらに白狐を侍らせてしなをつくる女がひとり。上半身は装飾品以外なにも身につけていない。
自ら出迎えた大龍は表情を険しいままに、無言で踵を返した。
「おや、ずいぶん気前がいいねえ。入っていいってのかい」
女はにこりとわらう。
それに対して大龍はフン、と鼻をならしていつもの奥座敷とはまた別の『紫電の間』にむかった。
「愛想のなさは相変わらずのようだけど。そんなら遠慮なくお邪魔させてもらうよ」
女は白狐を外に待たせたまま、しゃなりと足を踏み入れた。
「──『鬼の若神子』」
人間もかいらしい名前をつけるじゃないのサ、と女は大龍にむけて小首をかしげた。
まったく古い話だ。
五百年以上も昔のこと、いまだこの国が動乱の世であったころに水守につけられた通り名である。大龍はクッと喉奥で嘲笑した。
「鼠小僧を寄越したのはやはり貴様か」
「おや……気付いていたのになんにもしないだなんて、タチのわるい男だよう。いいのかい大龍、アンタが後生大事にとっておいた長子の躯がとられちまうよ」
「力添えをしたくせにようもほざく口だな。紫煙の逆鉾なぞ持ち出して、つくづく気に食わん女だ」
「とかいってアンタも楽しんでいるじゃないサ。それともなにかい、今宵満ちる娘御のためなのかい。名前はたしかマオだったかね」
と女は嘯いた。
ピキッと大龍の額に青筋が立つ。
「貴様ころされたいのか」というわりには静かな声で、しかしじっとりと殺気を向けている。女はケラケラとわらった。
「いやだね冗談だよ。水緒ってんだろ、アンタの娘だってのにずいぶんと落ちこぼれもんだって聞いたけど」
「アレが本当に落ちこぼれかどうか、いずれ貴様にも教えてやる」
「おおこわい」
女は可笑しそうに肩を揺らす。
そのとき部屋の外から「あのう、お茶を」と庚月丸の声がした。
「必要ない」大龍はぴしゃりと言って立ち上がる。
案の定、女は不服な顔で文句をいった。
「冷たい男だよ。もてなしひとつもしちゃくれないだなんて」
「貴様にもてなす茶は向後もない。さっさと鼠小僧を連れて立ち去れ」
「わかったわかった……それなら躯はもらっていくよ、アンタのご長子さまなだけになかなかのいい男だからねえ。ちょっとはかわいがってやろうかね」
と大儀そうに立ち上がった女に、大龍はめずらしく声をあげてわらった。
かわいがる?
女に向けた視線は不敵に歪む。
──”もてあます”の間違いだろう。
「わしの宝だ、はように返せよ。貴様があの鼠小僧のため一心尽くすような女でないことはこのわしも知っておる」
「おやまあ……ただの気まぐれで手伝ってやっているとお思いかい」
「────」
「ねえ大龍」
いい男ってのは罪深いもんだよ──と。
女は妖艶に笑みを返した。
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