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第38話 フィーネの姿を求めて

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 フィーネを待って三日目の朝だった。朝食の席で最初にエミリスさんが話題を振った。

「さて、これ以上待っても仕方がないだろう。もうフィーネ殿は戻らんのじゃないか。人間の国よりゴブリン帝国のほうが居心地が良かったのだろう。まさかゴブリン帝国に乗り込もうなんて奴はここにはいないよな」

「そうですね。エミリス様の仰る通りです。いつまで待っていてもフィーネちゃんは戻ってこないかもしれませんね。いちどエアリアスに戻りましょうか」

 答えたのは丁寧な口調のラミイだ。

「やっぱりゴブリン帝国ってとこは恐ろしいところなのか?」

 俺はゴブリン帝国の内情をまったく知らない。フィーネ以外のゴブリンに会ったこともないからだ。

「私も行ったことはないから詳しくは知らんが、ゴブリン一匹がおよそA級冒険者に相当すると考えてみればいい。ああ、少年はA級冒険者といってもぴんとこないかも知れんがな。人間といっしょで敵意を持てば恐ろし存在だし、フィーネ殿のように敵意がなければ問題は無いのかもな。だが、実際にゴブリンは何度も我々を襲っている」

 黙って聞いていたミミカが口を開いた。

「私は探しに行こうと思っていたよ」

 その場の全員が一斉にミミカを見た。

「ミミカちゃんの気持ちもわからなくはあらへんけど……」

「ミミカ殿、やめておいたほうがいい」

 ラミイとエミリスさんがミミカを止める。そのままではミミカが突っ走りそうだったので、思いとどまるよう説得していた。ミミカはなんとかその説得に応じたようだった。

 その横で黙って聞いていた俺だったが、実はフィーネを探しに行くことを密かに決意していた。ゴブリン帝国の内情もゴブリンの脅威も知らないからこそできた決意だった。

 結局のところ全員の意見としては、明日の昼までフィーネをここで待って、それで現れなかったらエアリアスに撤退することに決まった。

 俺は真夜中のうちにここを立つ準備をしていた。フィーネが現れなかった二日目に、保存のきく食料をエミリスさんが調達してくれている。明日の撤退に際して必要がなくなるのだから少しくらい拝借しても問題ないだろう。

 問題は武器も防具もないことだ。だがゴブリンと一戦交えるつもりはないし、ゴブリンと遭遇した時に敵意がないことを示すためにも、丸腰で構わないと思った。

 幸いな事にゴブリン帝国の方角だけはわかる。俺の心臓のあたりから伸びるフィーネの糸をたどっていけばいい。

 夜が明ける前、およそ三時くらいじゃないだろうか。俺はこっそりとテントを抜けだした。簡単な手紙だけを残してある。朝になったらみんなは驚くかもしれない。

 三人はゴブリン帝国へ行くことに抵抗を感じていたのだ。ミミカは行く気になっていたようだが、それでも二人の説得にあってその考えを引っ込めた。

 三人のことは巻き込めないし、巻き込みたくない。

 星空が綺麗だった。夜なのにとても明るかった。特にこの世界は月が二つ出ており、二方向から照らしてくれる。影が淡く二本伸びている。

 追いつかれる事のないように早足で三、四時間ほど歩いた。地平線から太陽が姿を現して、モノクロだった世界が静かに色づく。俺はなお歩き続ける。

 見通しの良い平原だったが、テントからはかなり離れている。地形に起伏があり、いくつかの林も迂回してきたので、ここまでくれば向こうから俺の姿を発見することは不可能だ。

 広い川にぶち当たった。向こう岸が遠く見える。川は五百メートルほどの幅があり、泳ぎ切るには時間がかかりそうだった。川に沿って歩いた。川は緩やかに湾曲している。対岸を見ると川に沿って石の堤が続いている。人工の堤だ。おそらくその向こうがゴブリン帝国なのかもしれない。

 しばらく歩くと、あることに気がついた。

 そこは川ではなかった。おそらくは巨大な街か都市を取り囲む堀だったんだ。とてつもなく幅の広い堀だ。堀に沿って歩いても橋がある気配がない。

 俺は仕方なくその堀を渡ろうと決意した。一歩足を踏み入れようとした時だった。

「その中にはアリゲーターがいるからやめたほうがいいよ」

 背後からの声はミミカのものだった。振り向くといつ仕留めたのか、角うさぎを手にしたミミカがいた。ミミカは角うさぎを堀へ向かって放り投げた。

 ばしゃばしゃばしゃと盛大な音がして十匹ほどの鰐が一斉に角うさぎに飛びかかった。口を大きく開け、角うさぎを咥える鰐、それを奪い取ろうとする鰐。位置取りが悪かった鰐は手前にいる鰐に足をかけ、踏み台にして届かない口を懸命に伸ばす。

「マヒロ、転生人のくせに転生人の能力舐めてるでしょ」

 呆れたようにミミカは腰に手を当てて、説教でもするかのごとくふんぞり返る。「武器も持ってないし」と俺の姿を見る。ミミカは軽装鎧を身につけ、鞘に入ったロングソードを腰に下げていた。

「ある程度レベルが上った転生人はさ、近くにいる敵の探知とか、移動能力の向上だとか、自分より下のレベルの者の能力探知だとか、それなりに高い能力を持ってるんだよ。起きたら手紙が置いてあったじゃない。なんとか間に合ってよかったよ」

 ラミイはエミリスさんの見送りとテントの撤去のために残ったのだという。ミミカが一足先にここへ来たそうだ。

「それでね、転生人だけじゃなくて、ある程度レベルの上がったゴブリンもそれなりに高い能力を持っていてね。例えば隠密とかね。相手に気づかれずに敵を包囲する、なんてゴブリンもいるんだよ。こんな風に」

 ミミカはちらりと俺から視線を外した。前方の草むらから五体のゴブリンが上半身だけ姿を現す。

「見えてるので五体。あれはこちらを誘ってるだけ。隠れてるのが一二体。全部で一七体のゴブリン。まいったね」

 ミミカはゴブリンに聞こえないように声のトーンを下げた。

 俺達の周囲で腰の高さに伸びた草がカサカサと小さく音を立てて揺れている。風で揺れているようにも思えるし、ゴブリンが潜んでいるようにも思える。

「まあ、マヒロはレベル5だから仕方ないのか。まだ何もわかっていないようだしね」

 ミミカは相手のレベルも判別できるのだという。だが俺は不思議に思った。

 確か俺のレベルはギルドで登録した時のレベル1のままだったはずだ。あれから何の戦闘もしていないのだから。いったいいつの間にレベルが上ったのだろうか。それとも朝の食事当番程度でレベルは上がるものだろうか。

「私一人なら逃げられるんだけどな……」

 ミミカは小さく呟く。その時ゴブリンの一体が口を開いた。

「お前らは転生人か」

「そうよ」

 ミミカは軽く答える。

「転生人は生きたまま捕縛せよと言われていてな。久しぶりの人間の女だったからリーダーに渡す前に味見でもしようと思ったんだがな。いやちょっとくらいはいいか」

 ゴブリンは嫌らしくにやりと笑った。その顔は下卑た人間の表情に近いものだった。

「どうするかな……」

 ミミカは小さく呟いた。
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