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60日目 お礼
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こんな中身のないエッセイを読んでくださり、ありがとうございました。
10万字に到達したら終わりにしようと思っていましたので、そろそろ終わりがやって来ます。
カクヨムとアルファポリスに投稿しているのですが、カクヨム版が10万字オーバー、アルファポリスが9万4千字です。
この差は『閑話』と『雑談』をアルファポリスでは投稿していないためです。
アルファポリスが9万4千字ですので、残り6千字前後は書いていきたいと思っています。
最後の方に書いてきた話題は、私たちはどうすれば思い通りの人生を生きることができるだろうかということでした。
なぜがんばれないのか? どうすればがんばれるのか? ということは、思い通りに生きたいという意味でもあります。
私たちは思い通りに生きられていないという思いを抱えています。そもそも、人生を思い通りに生きることができれば、つまり、自分が思う通りにがんばることができれば何でも達成することができます。
例えば、思い通りに生きられたら、誰もがプロ野球選手になることができます。誰もがプロ野球選手になり、その結果、世の中はプロ野球選手ばかりになります。
まあ、私は野球には興味が薄いので、あくまでも例えです。
私たちの多くが思い通りに生きることができないと思っています。
一方でそれを実現することができている人が確かにいます。
彼らは少数派であり、私たちもその少数の側へと行きたいと願っています。
どうしてあちら側へ行くことができないのか?
どうすればあちら側へ行くことができるのか?
こうした葛藤の中で日々を生きています。
このことについて残り数話を書いたらこのエッセイは終わりにしようと思います。
上記で私は野球には興味が薄いと書きました。
つまり、プロ野球選手になれないことを苦悩することはありません。「野球の練習ができない」「やる気が起きない」「いつまで経っても上達ができない」と悩むことはありません。
そこに悩みが起きることは、絶対にあり得ません。
一見すると当たり前のように思いますが、実はここにとんでもないヒントが隠れているようにも思います。
答えはいつも私たちの視野の外側、盲点とも言える場所に転がっています。
考えて分かる場所には答えが置かれていないのです。
気づきを得る。天啓。ひらめき。悟り。シンクロ。偶然。導き。奇跡。答えはこれらに隠れています。
小説を書いている方なら経験があると思います。突然にアイデアが降りてきたり降ってきたりします。
答えを考えるのではなく、降ろさなくてはならなかった、ということかもしれません。
今日の話はこれで終わりなのですが、以下はちょっとした雑談です。
盲点の話で思い出したのですが、東日本大震災を始め、地震や災害って私たちの意識から抜け落ちた時に起きませんか?
だって、地震大国の日本において、地震の警戒を緩めることなんておかしいですし、あてずっぽうで適当な地震予言を出している人もいるのに、みごとに躱すように災害が起きます。
絶対に、盲点を狙ってきていますよね?
災害は偶然にたまたま起きているのではなく、私たちの意識がなにか関係しているのか?
すべての事象はそれぞれ独立してばらばらに起きているのではなく、なんらかのつながりを持って起こっている?
それが目に見える物理的な現象だけではなくて、目に見えない意識レベルも含めて。
つまりは私たちの意識を向上させることで、災害を減らすこともでき、犯罪なども減らすことができるのでは?
逆に言えば、いくら私たちが頭で考えていても、犯罪はなくならなし、政治もよくならないし、家庭の不和や人間関係もよくなっていかない。
自分の人生の向上も、同じように考えることができるかも知れません。
盲点が取り除かれ、新しい視点が現れた時。意識レベルが向上した時に、光が差すのかもしれません。
話は変わって、貯金が4000円しかなかったので、不用品をメルカリに出したんですね。7点出して全部売れました。さすがメルカリ。とりあえず33000円が手元にやってきました。
ところが、絶対に売れると思っていたものが最後まで残り、絶対に売れないと思っていたものから順に売れていきました。
この、思考と真逆の振る舞い。
7点のうち、メインは2点で他5点は数千から数百円程度の適当なもの。5点はどうでもいいものだったのです。捨てるのももったいないし、どうせ売れないだろうけど、というもの。ちゃんと欲しい人はいると思うけれど、マイナーなものだし、売れるまでに数ヶ月とか、あるいは売れ残っても当然のようなものです。それから売れていきました。
売れると期待していたものが最後に回りました。
意図とは真逆の振る舞いで、「人生は意図する通りにはいかないんだよ」とでも言われているようでした。あるいは「期待を手放しなさい」かな?
10万字に到達したら終わりにしようと思っていましたので、そろそろ終わりがやって来ます。
カクヨムとアルファポリスに投稿しているのですが、カクヨム版が10万字オーバー、アルファポリスが9万4千字です。
この差は『閑話』と『雑談』をアルファポリスでは投稿していないためです。
アルファポリスが9万4千字ですので、残り6千字前後は書いていきたいと思っています。
最後の方に書いてきた話題は、私たちはどうすれば思い通りの人生を生きることができるだろうかということでした。
なぜがんばれないのか? どうすればがんばれるのか? ということは、思い通りに生きたいという意味でもあります。
私たちは思い通りに生きられていないという思いを抱えています。そもそも、人生を思い通りに生きることができれば、つまり、自分が思う通りにがんばることができれば何でも達成することができます。
例えば、思い通りに生きられたら、誰もがプロ野球選手になることができます。誰もがプロ野球選手になり、その結果、世の中はプロ野球選手ばかりになります。
まあ、私は野球には興味が薄いので、あくまでも例えです。
私たちの多くが思い通りに生きることができないと思っています。
一方でそれを実現することができている人が確かにいます。
彼らは少数派であり、私たちもその少数の側へと行きたいと願っています。
どうしてあちら側へ行くことができないのか?
どうすればあちら側へ行くことができるのか?
こうした葛藤の中で日々を生きています。
このことについて残り数話を書いたらこのエッセイは終わりにしようと思います。
上記で私は野球には興味が薄いと書きました。
つまり、プロ野球選手になれないことを苦悩することはありません。「野球の練習ができない」「やる気が起きない」「いつまで経っても上達ができない」と悩むことはありません。
そこに悩みが起きることは、絶対にあり得ません。
一見すると当たり前のように思いますが、実はここにとんでもないヒントが隠れているようにも思います。
答えはいつも私たちの視野の外側、盲点とも言える場所に転がっています。
考えて分かる場所には答えが置かれていないのです。
気づきを得る。天啓。ひらめき。悟り。シンクロ。偶然。導き。奇跡。答えはこれらに隠れています。
小説を書いている方なら経験があると思います。突然にアイデアが降りてきたり降ってきたりします。
答えを考えるのではなく、降ろさなくてはならなかった、ということかもしれません。
今日の話はこれで終わりなのですが、以下はちょっとした雑談です。
盲点の話で思い出したのですが、東日本大震災を始め、地震や災害って私たちの意識から抜け落ちた時に起きませんか?
だって、地震大国の日本において、地震の警戒を緩めることなんておかしいですし、あてずっぽうで適当な地震予言を出している人もいるのに、みごとに躱すように災害が起きます。
絶対に、盲点を狙ってきていますよね?
災害は偶然にたまたま起きているのではなく、私たちの意識がなにか関係しているのか?
すべての事象はそれぞれ独立してばらばらに起きているのではなく、なんらかのつながりを持って起こっている?
それが目に見える物理的な現象だけではなくて、目に見えない意識レベルも含めて。
つまりは私たちの意識を向上させることで、災害を減らすこともでき、犯罪なども減らすことができるのでは?
逆に言えば、いくら私たちが頭で考えていても、犯罪はなくならなし、政治もよくならないし、家庭の不和や人間関係もよくなっていかない。
自分の人生の向上も、同じように考えることができるかも知れません。
盲点が取り除かれ、新しい視点が現れた時。意識レベルが向上した時に、光が差すのかもしれません。
話は変わって、貯金が4000円しかなかったので、不用品をメルカリに出したんですね。7点出して全部売れました。さすがメルカリ。とりあえず33000円が手元にやってきました。
ところが、絶対に売れると思っていたものが最後まで残り、絶対に売れないと思っていたものから順に売れていきました。
この、思考と真逆の振る舞い。
7点のうち、メインは2点で他5点は数千から数百円程度の適当なもの。5点はどうでもいいものだったのです。捨てるのももったいないし、どうせ売れないだろうけど、というもの。ちゃんと欲しい人はいると思うけれど、マイナーなものだし、売れるまでに数ヶ月とか、あるいは売れ残っても当然のようなものです。それから売れていきました。
売れると期待していたものが最後に回りました。
意図とは真逆の振る舞いで、「人生は意図する通りにはいかないんだよ」とでも言われているようでした。あるいは「期待を手放しなさい」かな?
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