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そしてこうなる

案の定地雷を踏みぬく

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 男女の付き合いをしていた頃……バージルはよく喋る奴だったがあまり人の話は聞かなかった。
 それでも、こちらが黙っていようが会話は進むので楽だったし、聞いている分には退屈はしない。今思えばそれがメリッサには合っていたのだろう。
 我が道を進み己の思うまま振る舞う様は、人によって評価は両極端で、付き合いを考えるよう忠告されたこともあるが、自由でいいなあ程度の認識だったメリッサは特に気にしていなかった。

「──ってな感じで、俺が言ってやったわけよ」
「へー。そっちもなかなか面白そうだな」

 現に今も、酒場の最奥一角を陣取り、酒を片手にバージルの武勇伝に聞き入っていた。要請を受けて派遣されるか遠征任務が入りでもしない限り、ほぼ王都から出ることのない生活となってしまったメリッサにとって、他の地域での生活を聞けるのは単純に楽しい。それに、こうやって相槌を打っているだけで進む会話が懐かしかった。
 感慨にふけっていると、バージルがメリッサのグラスを差す。

「空いてるぞ。まだ飲むか?」
「あ、そうだな。いただこう」

 すぐに空いてしまったグラスを見て頷けば、バージルの片眉が訝し気に上がる。

「なあ……酒、強くなってないか?」
「騎士団に入ってから飲み会が多くてな。まあ自然と」

 勧められるがまますでに何杯か飲んでいるが、一向に様子の変らないメリッサに驚いているのだろう。確かに、昔ならばこの可愛らしいグラス数杯でも酔っていたが、基本がジョッキで始まる第二の飲み会で揉まれれば強くもなろう。
 それどころか物足りないくらいだ。
 今やジョッキ数杯空けたのちに、半分を一気飲みしてから残りを飲み干し、とどめにワインのボトルも空けないと酔いは回らない。回った結果があのやらかしだ。──大丈夫。自分の限界は戒めとしてしっかり覚えている。

「すみません。これ、ジョッキでください」
「マジかよ……」

 店員に告げれば、目の前の顔がヒクリと歪んだ。
 しばらくして店員からジョッキを受け取り、グイッと煽れば体中に酒が染み入る。すなわち最高。
 そんなメリッサをどこか不服そうに見ていたバージルだったが、小さな舌打ちのあと諦めたように息を吐いて、切り出した。

「──俺は、あっちで何人も相手はいたんだ」
「ん? うん」

 つまりそれは、メリッサと別れてからの彼女的なやつの話だろう。だからなんだとばかりに、ジョッキに口を付けながら先を促した。

「でも、お前より続いた奴はいなかった」
「ふーん」
「だから、メリッサが俺を忘れられないってんなら、よりを戻してやってもいい」
「ごほぉっ!!」

 ──なぜそうなった?!

 咽ながらも心を落ち着けて視線を上げたら、フッとキザに髪を掻き上げてどうだと言わんばかりの顔が目に入った。

「俺を追って騎士団入るとか……そこまでされちゃ仕方ねえ」

 ──なぜそうなる?!

 ほら嬉しいだろう。とでも言いたげにバージルの顔が得意気だ。
 ここまでくればさすがのメリッサも察した。こいつ、酔い潰してお持ち帰りするつもりだったな。と。そして縋ってくるだろうメリッサに、渋々といった体でよりを戻してやる。とかするつもりだったに違いない。メリッサにはわかる。わかりすぎる。良くも悪くもバージルの性格はよく知っている。そういう奴だ。おおかた今は『俺にここまで言わせやがって』というところか。
 そこまで考えてザッと血の気が引いた。

 最近のメリッサは性欲が爆発している。それはもう、気を抜けば四六時中どこにいようとも如何わしい思考で頭が埋め尽くされるほどに大爆発中だ。ちょっと爆発しすぎじゃないかと心配になるほどメリッサ自身よくわかっている。
 なのに、バージルとよりを戻すイコール、寝る。などと、

 ──ひええええええ、考えるだけで鳥肌が止まらないぞ?!

 嫌悪感すさまじい思いに変な汗まで噴き出した。
 昔は当然、嫌悪感など抱くことなくそういった行為もしていたはずなのに、これは一体どうしたことかと、顔では平常心を装いながらメリッサの内心は混乱の渦にのまれていく。
 オリバーとならば全く平気だ。むしろヤりたい。思う存分ヤりまくりたい。破廉恥な妄想も止まらない。なんて考えたとたんに脳内で広がる桃色空間に気を取られかけたところで、いや待て待てと思いとどまる。

 今まで思い至らなかったが……もしかして性欲が爆発しているのは、オリバー限定なん──

「だから、騎士なんて辞めてもいいんだぜ?」
「……は?」

 衝撃の事実に気付きかけたところでの言葉に、メリッサの思考は一旦停止した。

「辞めるって、なぜそうなる」
「だってもう居る意味ねーじゃん」

 物を知らぬ相手に言い聞かせるかのような顔で、バージルが続けた。

「王都組とか言ってもさあ、どうせお前は雑用しかしてないんだろ? 俺がより戻してやるっつってんだから辞めろよ」
「そんな簡単に辞められるものじゃないだろ」

 そもそもダレル隊長から副隊長に任命していただいてまだひと月も──と思い返して、まだ所属も階級もなにも伝えていなかったことに気が付いた。バージルから見たメリッサは、今日の訓練終わりに後片付けをするいかにも雑用な姿が全てなのだろう。そもそも、辞める気など微塵もないのだが。

「なんで俺が地方なのにお前が王都組なんだよ。わかるだろ」
「ああ、なるほど」

 清々しいほどの自分都合に、相変わらずプライドが高いなあ。と変に納得してしまった。
 そうやってメリッサが相槌を打つので気を良くしたのだろう。

「そもそもお前が王都組に配属されたのだって、女だからだろ? どうせ隊長格に気に入られて入れただけなんだし、第一の隊長とか女好きで有名じゃん。第二の隊長も見たけどさ、あれ、むっつりっぽいよな。もうどれかとヤッてんの?」

 バージルが目元を歪めて、ははっと下品に笑っている。
 一瞬何を言われたのかがわからなくて、メリッサの時は止まった。

 は──、──っ!? ──っっ!! ──────っっ!?

 ブチィッと血管が切れる音が聞こえた気がした。
 バージルの声が耳から脳に届き、じわじわと意味を理解していくにつれて……言葉にならない叫びとはこのことか! と身をもって知るほど、メリッサの内心は荒れ狂った。怒涛の如く雄叫びのような声にならぬ声が渦巻き、狂乱の嵐が吹き荒れる。
 怒りも頂点を超えると呂律がまわらなくなるんだな。という新しい発見に関心する間もない。それどころではない。

 ──なに言ってんだこいつ!?

 メリッサ自身のことはどう言おうが別に気にならないし、構わない。だが、これだけは、これだけはいただけない。
 許すまじ。
 今、この男は冒涜してはならぬ人を貶しめた。

「……取り消せ」
「あ? なに?」
「……私が尊敬してやまない方を、侮辱するな」

 握った拳は力が入りすぎてブルブルと震えが止まらない。
  
「バージル、今の言葉を──」

 溜めに溜めた殺気を一気に解き放とうとした、まさにその時だった。

「メリッサっ!」

 バーン! と酒場の扉が派手に開かれる音と同時に、メリッサの名前が店中に響き渡った。放ち損ねた怒りを内に渦まかせたまま、ギロリと目だけをそちらに向けると、入口には見知った長身の黒髪が立っている。店内を見回す黒い瞳と視線がぶつかった。

「オリバー……」

 唸るような声に気付かず……というよりも、気付かないほど怒り心頭な様子で、オリバーがカズカと人混みを割って来る。その怒気は凄まじく、周囲が慌てたようにガタガタと椅子をずらして道を開けるほどだった。そしてバージルとメリッサの間を隔てるように、バンッとテーブルに手を着いてメリッサをねめつける。

「お前、あんなに未練もないとか言っておいて、なにを馬鹿みたいにノコノコと……っ」

 あからさまに不機嫌な低い声で吐き捨てながらも、まるでメリッサをバージルから守るように、着いた手を上げて腕を伸ばす。だが今のメリッサにとって、それは煩わしい以外の何物でもなかった。なんだこれはとばかりに、目の前の腕を叩き落とす。

「オリバー、邪魔だ」
「邪魔!?」

 心外極まれりといった顔で振り返るオリバーをグイッと横に押しやった。そこで初めて、メリッサの尋常でない様子に気が付いたらしい。険しく寄っていた眉間のしわが更に深まった。

「……おい、瞳孔開きっぱなしだぞ。顔が酷い」
「聞こえなかったか。私は邪魔だと言った」

 引き留めるように肩へ手を置かれたが、それを払いのけて立ち上がる。バージルを見下ろす位置で、帯刀している剣を示すように腰へ手を添えた。

「人前で恥をかきたくなかったら、表へ出ろ」
「…………はあ?」

 せめて人の目の無いところで。という、最後に残ったひとかけらの情けなのだが、バージルに伝わるだろうか。
 明らかに機嫌を損ねた様子で睨み上げてくる顔に向かって、顎で外を指す。だが、そんなメリッサの態度ですらバージルの癇に障るらしい。苛立った舌打ちが聞こえた。

「騎士団に入れたからって、勘違いしてんじゃねーの?」

 言いながら立ち上がったバージルの口角が上がる。加虐的ともいえる笑みを口元に浮かべたまま、手がメリッサと同じく腰の剣に伸びる。
 残念ながら、ひとかけらの情けは伝わらなかったらしい。
 驕りに曇った目で見誤ったのは自己責任だ。ならば仕方がないだろう。
 小さくため息を吐くメリッサに気付かず、目の前の男はまだ続ける。

「少しは素直になっとけよ」

 柄に手をかけたバージルの鞘から、鋭い銀色の光が覗いた。
 ここで真剣を抜こうとしていることにも驚いたが、言い方はどうであれ、よりを戻そうと思う相手に剣をちらつかせて従わそうとする性根にも呆れる。全くもって小物感がすごい。

「女は大人しく──っ」

 言いながらバージルが剣を抜く。だが、メリッサの方が数段早かった。添えていた手で剣帯の留め具を外したときには、すでに終わったも同然。

 スラリとバージルの持つ剣の刀身が現れた瞬間、その切っ先を鞘を付けたままの剣先でいなす。まともに構えることもできず、抜いたと同時にいともあっさりとほぼ真横へ先を弾かれた剣は、早くも何の役にも立たなくなった。
 すっかり構えの体制を崩したバージルとは反対に、メリッサはいなした先で手首を返し、相手の横っ面めがけて容赦なく振り抜く。

 ゴッ──!
 鈍い音とともに男の身体は崩れ落ちた。

「…………は?」

 何が起きたのか認識できていないのだろう。膝を着いたバージルは頭をふらつかせながらこめかみを抑えている。
 その顔には、メリッサにやり返されるなど微塵も思っていなかっただろう心情がありありと浮かんでいた。
 一連の流れが刹那の如くあっという間。ただでさえ酔っ払いばかりの酒場の最奥、オリバーの登場でざわついた場もすっかり元の賑やかさを取り戻している。そんな中で起きた出来事に気付いた者などいなかったらしい。周囲の喧騒は止まることなく続いていた。

「なんで……」
「こちらこそ、勘違いをさせていたらしい」

 憐れにも人知れず叩き伏せられたバージルに向かって、メリッサが重い口を開く。言う必要もないし、言わずに済むならそれがいいと思っていたが……ここで認識を正しておかなければ、またダレル隊長が根も葉もない侮辱を受けるかもしれないのだ。何に変えてもそれだけは許すまじ。神を冒涜した罪は重い。
 一見冷静に見える表情で、その瞳に再び怒りの炎を滾らせる。

「まず、お前を追いかけて騎士団に入ったわけではない」
「あ? だって──」
「そもそも未練がない」
「何言っ──」
「だって、騎士ならいいかと思って付き合ったようなもんだし」
「はあ!?」
「でもまあ、団へ入るきっかけにはなったから、そこだけは感謝している」

 次々と飛び出す言葉に目を白黒とさせていたバージルだが、メリッサの秘めていた刃の全容はここからだ。二度とふざけたことを口にしないように、ひと思いにバッサリ言っておかなければと、ひたと黒茶の三白眼を見据える。

「五年ほど前だったか……初めてバージルが魔獣と対峙している姿を見てな、思ったんだ」
「は? 何を──」
「この男、大したことないんじゃないか? って」

 目の前であんぐりとバージルの口が開く。

「これで騎士になれるのなら、私もいけるだろうと思ってな。それで入団試験を受けた」

 ついでに横でオリバーの口もあんぐりと開いた。顔を引きつらせながらメリッサを指差す。

「まさか、新人訓練のときに『これくらいなら私にもできるはずだ』としきりに言ってたのは……」
「ん? ……ああ、そういえばそんなこと言った気がするな」

 自信があったとはいえ、さすが騎士団だった。新人訓練ではだいぶ追い込まれたのだが、バージルができたのならできるだろうと──実際できたのだから、メリッサの見通しは間違いなかったのだ。
 ふふん。と少しばかり胸を張ったらオリバーから呆れたような目を向けられた。

「というわけで、バージルを忘れられずに騎士団まで追いかけ、いまだに惚れこんでいると思っているなら……すまないが勘違いだ」

 ズバーッと、メリッサの言葉の刃がバージルを一刀両断する。
 高いプライドを容赦なくバッキバキに叩き折られたバージルは、青い顔でいまだ放心したように口を開けている。おそらく、理解が追い付いていないのだろう。
 彼にとってメリッサは、自分に惚れぬいて誘えば喜んで股を開くような目下の女。という認識だったろうから、仕方ない。我に返ったら、激怒して殴りかかってくるくらいはしそうだ。早々にここを立ち去った方が賢明だろう。

「オリバー、今のうちに行こう」
「あ、は? え?」
「支払いはこれで頼む。釣りはいらない」

 呆けるオリバーの腕を掴み、店員に金を渡して、メリッサはさっさと店をあとにした。
 そして宿舎に向かって歩を進めていたのだが、ふと思い、立ち止まる。

「……で、オリバーは何しに来たんだ?」

 勢いよく飛び込んできたわりに突っ立っていただけだったな。と、訝しい気持ちで見れば──ポカンとしていた顔が、怒りなのかなんなのかわからないおかしな百面相の末に打ち震えだした。普段スンとしているくせになあ、と思うと面白い。

「おま……お前、お前は……っ!」

 頭を抱えるオリバーはなかなか愉快だが、どうやらこれは立ち話で済みそうもない。呻くオリバーを引っ張りメリッサは宿舎の部屋へ戻った。
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