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10 なんと幻ではなかった
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「先日転移魔術を完成させたクラウスと、回復魔術を研究している二コラが実地検証もかねて同行する」
スラハル大森林は帝都の西に広がる広大な瘴気の森だ。厄災が起これば帝都とこの森林間の防衛が一番の戦場になるだろうことが予想できる。
そのため第三皇子であるライナルト率いる第二実戦部隊と、精鋭揃いと聞く第一騎士団は全員がスラハル大森林の対応に投入されるのだろうが、そうなると運ばなければならない物資もかなりの量になるのだ。
それを、クラウスの転移魔術で送るらしい。
これができるのならば移動もかなり楽になる。きっとそこから検証を重ねて、最後は人間と物資全てを転移できるようにするのが目標なのだろう。
その検証、してみたい……! とエルダの心も躍った。
すでに小さな荷物はいくつか転移済で、問題無いことも確認できているらしい。
その検証、見たかった……! とエルダの身体もソワソワした。
気もそぞろにそんなことを考えていたら、咎めるようなライナルトの瞳と目が合った。じとりと胡乱気な視線が痛い。危ない。考えていることを見透かされている。
第二実戦部隊のエルダは、それよりも迫る厄災に集中しなければならないのだ。
慌てて背筋を伸ばしたところでライナルトの咳払いが聞こえた。
チラリとクラウスをうかがい見たら、眼鏡の奥からこちらを見据える視線とぶつかって、小さく肩が跳ねる。ずっと睨まれていたのだろうか。目つきがとんでもなく怖い。
なんだなんだと思いつつ、この場は表情を引き締めて隊長であるライナルトに集中した。
クラウスの横に立っているのは、いつも彼と一緒にいる、先日研究棟の前で遭遇した女性だった。
彼女の名前はニコラというらしい。
こうやって改めてみると本当にスラリとしたデキる美女。といった佇まいである。相変わらず二人が並ぶ姿は絵になっていて、見ていて眩しい。
ニコラは回復魔術を研究していると言っていた。これもなかなか興味をそそられるので、機会があれば詳しく話を聞きたいしその魔術構成も――。
などと、つらつら考えている間に解散となっていたらしい。
他の団員たちの姿は見えなくなっていたが、なぜか目の前にクラウスが立っていた。
「……え、なに?」
よほど間抜けな顔をしてしまったのだろう。見上げたらクラウスの眉間に険しい皺ができた。でもあまりに予想外だったのだから仕方がないと思う。
「お前は……」
出てきた声は明らかに不機嫌そうであった、が――。
(相変わらず低くていい声。素晴らしい)
じっと見ていたら不快そうに目を眇められた、が――。
(怒っててもいい顔。好き)
好みど真ん中のクラウスを思う存分堪能しようと開き直っていたエルダは、ひたすらにご満悦だった。
だが次の言葉で激しく猛省する。
「我を見失うほど酔いつぶれるなんていい歳をしてなにをしているんだ? 隊長に背負われて帰るなんて恥ずかしくないのか?」
なんのことを言っているのか、瞬時に察した。
隊長であるライナルトに背負われて帰ったのなんて、あの酔いつぶれた日だけだ。
(ぎゃあああああああっ!)
兵舎の入口で見たのはクラウスの幻覚でもなんでもなく、本人であったらしい。なんということだあんな痴態を見られていたとは。今にも悲鳴が飛び出しそうな口を必死に引き結ぶ。
火を噴きそうな恥ずかしさに顔が真っ赤になったのが自分でもわかった。
そんなエルダの様子を目の当たりにして、クラウスがわずかに目を瞠る。
「つ、次からは気を付けるよ」
「次……」
「じゃあ、私も準備があるから」
それだけを言い捨ててエルダはその場から逃走した。
*****
翌日の早朝に発った魔術師団第二実戦部隊と第一研究課研究員二名、そして第一騎士団は滞りなく目的地へ到着した。
今回、殆どの物資をクラウスの転移魔術で送ることに成功したからだ。
各自の荷物を持つだけで移動ができたことはとても大きい。
そうして辿り着いたスラハル大森林は、まるで森全体が殺気立っているようだった。
うっそうとした森の奥には霧のように瘴気が立ち込めていて、様子を窺い見ることはできない。だが、多くのなにかが蠢いていることだけはわかる。前に立っただけで、体内を巡る魔力がざわざわと乱れ落ち着かない。
「うわ。これはまずいな」
現地に到着して早々、ライナルトからそんな言葉が飛び出したほどには、状況は切羽詰まっていた。
瘴気が木々の隙間から森の外まで漏れ出ている箇所がいくつも目視で確認できる。ライナルトが即座に指示を飛ばして隊員を配置につかせるのにエルダも倣った。
帝都に面する森の出口に第一騎士団が並び、その後方にエルダたち魔術師団第二実戦部隊。クラウスとニコラはそのさらに後方でテントの張られた拠点に控えている。
エルダは騎士団に近い前方に配置された。ライナルトからは渋い顔で「無理はするなよ」とだけ忠告を受ける。その言葉の裏にある意味は明らかだ。
しかし状況によっては迷ってなどいられないので、爆心地を作らない約束はできかねる。
頷かないエルダに容赦ないデコピンが放たれた。
――そしてその夜遅く、ついに厄災は起きたのだ。
スラハル大森林は帝都の西に広がる広大な瘴気の森だ。厄災が起これば帝都とこの森林間の防衛が一番の戦場になるだろうことが予想できる。
そのため第三皇子であるライナルト率いる第二実戦部隊と、精鋭揃いと聞く第一騎士団は全員がスラハル大森林の対応に投入されるのだろうが、そうなると運ばなければならない物資もかなりの量になるのだ。
それを、クラウスの転移魔術で送るらしい。
これができるのならば移動もかなり楽になる。きっとそこから検証を重ねて、最後は人間と物資全てを転移できるようにするのが目標なのだろう。
その検証、してみたい……! とエルダの心も躍った。
すでに小さな荷物はいくつか転移済で、問題無いことも確認できているらしい。
その検証、見たかった……! とエルダの身体もソワソワした。
気もそぞろにそんなことを考えていたら、咎めるようなライナルトの瞳と目が合った。じとりと胡乱気な視線が痛い。危ない。考えていることを見透かされている。
第二実戦部隊のエルダは、それよりも迫る厄災に集中しなければならないのだ。
慌てて背筋を伸ばしたところでライナルトの咳払いが聞こえた。
チラリとクラウスをうかがい見たら、眼鏡の奥からこちらを見据える視線とぶつかって、小さく肩が跳ねる。ずっと睨まれていたのだろうか。目つきがとんでもなく怖い。
なんだなんだと思いつつ、この場は表情を引き締めて隊長であるライナルトに集中した。
クラウスの横に立っているのは、いつも彼と一緒にいる、先日研究棟の前で遭遇した女性だった。
彼女の名前はニコラというらしい。
こうやって改めてみると本当にスラリとしたデキる美女。といった佇まいである。相変わらず二人が並ぶ姿は絵になっていて、見ていて眩しい。
ニコラは回復魔術を研究していると言っていた。これもなかなか興味をそそられるので、機会があれば詳しく話を聞きたいしその魔術構成も――。
などと、つらつら考えている間に解散となっていたらしい。
他の団員たちの姿は見えなくなっていたが、なぜか目の前にクラウスが立っていた。
「……え、なに?」
よほど間抜けな顔をしてしまったのだろう。見上げたらクラウスの眉間に険しい皺ができた。でもあまりに予想外だったのだから仕方がないと思う。
「お前は……」
出てきた声は明らかに不機嫌そうであった、が――。
(相変わらず低くていい声。素晴らしい)
じっと見ていたら不快そうに目を眇められた、が――。
(怒っててもいい顔。好き)
好みど真ん中のクラウスを思う存分堪能しようと開き直っていたエルダは、ひたすらにご満悦だった。
だが次の言葉で激しく猛省する。
「我を見失うほど酔いつぶれるなんていい歳をしてなにをしているんだ? 隊長に背負われて帰るなんて恥ずかしくないのか?」
なんのことを言っているのか、瞬時に察した。
隊長であるライナルトに背負われて帰ったのなんて、あの酔いつぶれた日だけだ。
(ぎゃあああああああっ!)
兵舎の入口で見たのはクラウスの幻覚でもなんでもなく、本人であったらしい。なんということだあんな痴態を見られていたとは。今にも悲鳴が飛び出しそうな口を必死に引き結ぶ。
火を噴きそうな恥ずかしさに顔が真っ赤になったのが自分でもわかった。
そんなエルダの様子を目の当たりにして、クラウスがわずかに目を瞠る。
「つ、次からは気を付けるよ」
「次……」
「じゃあ、私も準備があるから」
それだけを言い捨ててエルダはその場から逃走した。
*****
翌日の早朝に発った魔術師団第二実戦部隊と第一研究課研究員二名、そして第一騎士団は滞りなく目的地へ到着した。
今回、殆どの物資をクラウスの転移魔術で送ることに成功したからだ。
各自の荷物を持つだけで移動ができたことはとても大きい。
そうして辿り着いたスラハル大森林は、まるで森全体が殺気立っているようだった。
うっそうとした森の奥には霧のように瘴気が立ち込めていて、様子を窺い見ることはできない。だが、多くのなにかが蠢いていることだけはわかる。前に立っただけで、体内を巡る魔力がざわざわと乱れ落ち着かない。
「うわ。これはまずいな」
現地に到着して早々、ライナルトからそんな言葉が飛び出したほどには、状況は切羽詰まっていた。
瘴気が木々の隙間から森の外まで漏れ出ている箇所がいくつも目視で確認できる。ライナルトが即座に指示を飛ばして隊員を配置につかせるのにエルダも倣った。
帝都に面する森の出口に第一騎士団が並び、その後方にエルダたち魔術師団第二実戦部隊。クラウスとニコラはそのさらに後方でテントの張られた拠点に控えている。
エルダは騎士団に近い前方に配置された。ライナルトからは渋い顔で「無理はするなよ」とだけ忠告を受ける。その言葉の裏にある意味は明らかだ。
しかし状況によっては迷ってなどいられないので、爆心地を作らない約束はできかねる。
頷かないエルダに容赦ないデコピンが放たれた。
――そしてその夜遅く、ついに厄災は起きたのだ。
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