17 / 17
3話 part4
しおりを挟む「ただいま。紅羽連れてきたぞ!」
結局私は彼らのマンションへと来てしまった。
圭は履いていたスニーカーを乱暴に脱ぎ捨て、部屋の中へと入って行った。私も続いて靴を脱ぐ。屈んで自分の靴を揃えると、脱ぎ捨てた圭のスニーカーが目に入った。靴が玄関に散らばっているのを知っていて、このまま部屋の中へ入っては、私の品格が問われるような気がした。仕方なく奴の靴に手を伸ばす。触ると生温かかった。
気持ち悪い。どうして私が、こんなことをしなくてはならないのか。
「え? 紅羽ちゃん? なんでお前一緒に来てるの?」
部屋の中から不思議がる清水の声が聞こえた。
「ちょうど帰り道で会ったんだよ。俺の大学と紅羽の大学、すぐ近くでさ!」
「そうだったの?」
玄関にいる私には、清水と圭が会話している声しか聞こえなかった。雅臣は不在なのだろうか。
「そりゃそうだろ。紅羽のアパートの場所から考えれば、お前と同じ大学か、隣の大学しかないだろ」
上から目線で、説教じみた物言い。間違いなく雅臣だった。玄関にいながら、私は彼ら三人が全員いることを把握した。
「紅羽! おい、早く来いよ!」
圭がぶっきらぼうに私を呼んだ。それはまるで親しい友人を呼ぶようないい加減さで、他大学の女子学生と知り合いになった嬉しさは、とうに忘れているかのようだった。
一体誰の靴を揃えていたと思っているんだ、と腹が立ったが、気持ちを切り替え、私は部屋の中へと入った。
「こんにちは」
静かに挨拶をする。部屋の中を見回すと、入ってすぐの場所に圭がいた。彼は得意げな顔で私に手招きをしてきた。「こっちへ来い」という意味にとった私は、そそくさと彼の隣へ移動した。
清水はテレビの前に寝そべり、情報番組を見ていた。一際目立つ明るい髪色の雅臣はソファーに座り、ホチキス止めのしてある書類を手に、ノートパソコンへと向かっていた。
「こんにちは。紅羽ちゃん」
清水が優しく微笑んできたため、軽く頭を下げる。あまりじろじろ見るのは失礼な気がして、流すように彼を見た。
私が確認したかったのは、清水の首と腕だった。剣道や薙刀のように面を付ける競技をやり込んでいれば、自然と首が太くなる。そして竹刀を振っていれば、腕の筋肉がつく。清水は二つとも当てはまっていた。一般男性にしては首が太かったし、腕も皮膚の下にはゴツゴツとした筋肉があるのが見て取れた。
しかし、だらしなく床に寝転がっているからだろうか。隙の無さというものは皆無だった。
強者特有の、人の動きを捉えて離さないという眼力は、清水にはなかった。
「え? 紅羽ちゃん、なんで俺のこと見てるの?」
寝転がったまま、私を見上げて清水が嬉しそうに笑みを浮かべた。じっと見ているつもりはなかったのに清水に指摘され、私は「何でもないです」と小声でつぶやいた。
だらしなく隙だらけだったが、やはり彼は相手をよく見る人間だった。他人が自分に向ける視線に、彼は敏感なのだ。
「二人とも、今日は仕事だったのか?」
圭は雅臣にではなく、清水へと顔を向けて尋ねた。
「そうだよ。今日はちょっと疲れたよ」
清水が苦笑いをしながら答えると、隣でぼうっとたたずんでいた私に、圭が説明しはじめた。
「普段は雅臣と清水がペアを組んで仕事してんだ。俺は学生で、それなりに忙しいからな。仕事を貰えるのは休日だけなんだ」
「そうなんですか」
私が雅臣に目を向けると、自分の話をされているというのに、雅臣はまるで聞こえていないようで、書類のページをめくっていた。
「ここに来る途中でさ、紅羽と薙刀の話をしたんだよな!」
彼に同意を求められ、私は歯切れの悪い返事をした。ここでもその話題なのかと呆れた。
しかし、今まで関心を示さず、こちらを気にも留めていなかった雅臣が、突然顔を上げて私へと目を向けた。急に彼と視線がぶつかり、私はすぐに目を逸らした。
「紅羽は中学の部活から薙刀始めたんだって!」
圭が楽しそうに話をする。彼は本当に武術や武道に対して憧れを持っているのだろう。そんなに好きなら、自分も何かやればいいのに。だが彼が私の話を聞く時の嬉しそうな様子は、なんだか懐かしさを感じる。
そうだ。私も薙刀を始めた頃は、圭のように憧れを持っていた。彼はあの頃の私によく似ている。
「へぇ、中学からなんだ」
圭の話を聞いて、清水は笑顔で答えた。
彼は大人だ。圭は自分の興味で薙刀について尋ねてきたが、清水は違う。薙刀という武道が、具合の悪い私の唯一の明るい話題として彼は認識している。
彼の口調は明るい話をする時のもので、これから薙刀という話題を膨らませて、私のことをより深く知ろうとしているのが分かった。
だが、武道をやっている彼は、思考をそれだけに留めて置けるはずもなく、私をじっと見つめてきた。口調は親しくなるために動き、目は敵を知るために動いていた。私の姿を観察しているのがよく分かる。果たして私が本当に武道をやっている人間なのか。どれほどの腕前なのか。
それは先ほど、私が清水に向けた相手を詮索する視線と同じだった。
「あの……」
失望されるのは分かっていた。私の今の身体は痩せ細っていて、どこからどう見ても武道をやっていた人間には見えない。話も盛り上がらないし、実力もない。だから失望される前に言おうと思った。
「私はもう、薙刀はやめたんです。やっていたのは過去の話です。だから、武道をやっていた人間として、私を見るのはやめてもらえませんか?」
多少口調は鋭くなってしまうが、彼らには「嫌だ」という気持ちを伝えたかった。はっきりと自分の意思を伝えておきたかったのだ。彼らとは少しだけ仲良くなれる気がするから。
だがもし、彼らが私と仲良くしてくれる理由が「薙刀をやっていたから」なのなら、きっと今の私に失望するだろう。はじめにはっきりと言っておきたかった。
拒否されるのなら、早い方がいい。
「お前、薙刀嫌いなのか?」
その日、初めて雅臣が私に対して発した言葉は、私の核心を突く一言だった。一番聞かれたくなくて、自分の中でも曖昧にしておきたい部分だった。だが、彼は躊躇することなく、そこを突いてきた。
私は雅臣の目が嫌いだ。今だってそうだ。まるで私を敵だと思っているかのような鋭い目をする。そして遠慮のない態度。私はいつも周りに遠慮をしながら生きている。そうやって静かに生きている私には、遠慮のない彼の性格は許せない。
「大好きだったから、嫌いになったんだと思います。認めたくありませんが、薙刀をやっていた私は、今までの人生で一番輝いていました。でも今はそれが壁になるんです。どう頑張っても、あの時ほど輝けなくて、生きてるって心地がしないんです。薙刀をやっていた頃の自分を、越えられないんです。」
雅臣の鋭い眼差しと、清水の茫然とした顔が視界に入った。隣にいる圭は口元に笑みを浮かべたまま、固まっている。
彼ら三人は私の言葉に何も答えなかった。私の隣にたたずんでいた圭は口を僅かに開け、何かを言いかけたが、それは言葉にならずに飲み込まれていった。
それぞれが私に向けて発する言葉を考えていた。だが、どの言葉も適切ではなかったのか、それとも思いつかなかったのか。誰も声を発することはなかった。
我ながら、重たいことを言ってしまったと思った。こんなことを言われても困るだけだ。「生きている心地がしない」なんて言われて、私だったら返す言葉も見つからない。
これが大学だったら、「そういう暗いこと言うのやめてよ。そういうの求めてないから」とバッサリ斬られ、何もなかったことにされるのだろう。
そんな経験を何度もしてきた。そんな経験ばかりだった。だから私は自分のことを語るのをやめたのだ。
沈黙を破ったのは、やはり雅臣だった。
「紅羽、俺にいい考えがある」
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
気弱な公爵夫人様、ある日発狂する〜使用人達から虐待された結果邸内を破壊しまくると、何故か公爵に甘やかされる〜
下菊みこと
恋愛
狂犬卿の妻もまた狂犬のようです。
シャルロットは狂犬卿と呼ばれるレオと結婚するが、そんな夫には相手にされていない。使用人たちからはそれが理由で舐められて虐待され、しかし自分一人では何もできないため逃げ出すことすら出来ないシャルロット。シャルロットはついに壊れて発狂する。
小説家になろう様でも投稿しています。
婚約破棄はいいですが、あなた学院に届け出てる仕事と違いませんか?
来住野つかさ
恋愛
侯爵令嬢オリヴィア・マルティネスの現在の状況を端的に表すならば、絶体絶命と言える。何故なら今は王立学院卒業式の記念パーティの真っ最中。華々しいこの催しの中で、婚約者のシェルドン第三王子殿下に婚約破棄と断罪を言い渡されているからだ。
パン屋で働く苦学生・平民のミナを隣において、シェルドン殿下と側近候補達に断罪される段になって、オリヴィアは先手を打つ。「ミナさん、あなた学院に提出している『就業許可申請書』に書いた勤務内容に偽りがありますわよね?」――
よくある婚約破棄ものです。R15は保険です。あからさまな表現はないはずです。
※この作品は『カクヨム』『小説家になろう』にも掲載しています。
【完結】美人の先輩と虫を食う
赤崎火凛(吉田定理)
ライト文芸
昆虫食 × 大学生ラブコメ
読めばゴキブリが食べたくなる?
僕(渡辺)は何の取り柄もない大学1年生。同じ学科の人に話しかけることもできないし、自分からサークルに入る勇気もなく、入学早々ぼっちになっていた。だが、廊下でクモを捕まえようとしている美人だが変人の先輩と出会う。カニを食べさせてもらえると思ってホイホイ付いていくと、先輩は捕まえたクモを茹でで食べ始めた。ここは虫を捕まえて食べるサークル『虫の輪』だったのだ。このまま何のサークルも入れずに四年間をぼっちで過ごすくらいなら、と思って、僕はそのサークルに入ることにしたが……。
これは、僕と残念美人の先輩の、恋の物語。
*実在する団体や人物とは無関係です。
*吉田定理作。「第15回GA文庫大賞」最終候補作を修正した作品です。
*カクヨムにも掲載中。
フルーツサンド 2人の女の子に恋をした。だから、挟まりたい。
Raychell
ライト文芸
【完結しました】
ある夏の日、俺は2人の女の子に恋をした。
たぶん、ユリだと思うから、それに挟まれたい。
外道中の外道と言われても、禁断の果実はきっと甘い……はず。
夫に惚れた友人がよく遊びに来るんだが、夫に「不倫するつもりはない」と言われて来なくなった。
ほったげな
恋愛
夫のカジミールはイケメンでモテる。友人のドーリスがカジミールに惚れてしまったようで、よくうちに遊びに来て「食事に行きませんか?」と夫を誘う。しかし、夫に「迷惑だ」「不倫するつもりはない」と言われてから来なくなった。
彼の過ちと彼女の選択
浅海 景
恋愛
伯爵令嬢として育てられていたアンナだが、両親の死によって伯爵家を継いだ伯父家族に虐げられる日々を送っていた。義兄となったクロードはかつて優しい従兄だったが、アンナに対して冷淡な態度を取るようになる。
そんな中16歳の誕生日を迎えたアンナには縁談の話が持ち上がると、クロードは突然アンナとの婚約を宣言する。何を考えているか分からないクロードの言動に不安を募らせるアンナは、クロードのある一言をきっかけにパニックに陥りベランダから転落。
一方、トラックに衝突したはずの杏奈が目を覚ますと見知らぬ男性が傍にいた。同じ名前の少女と中身が入れ替わってしまったと悟る。正直に話せば追い出されるか病院行きだと考えた杏奈は記憶喪失の振りをするが……。
詩集☆心から書く詩《うた》
〜神歌〜
ライト文芸
こんにちは神歌神明です。
私は時折しか詩を書きません
ですから、、、
申し訳無いのですが
更新は定期的ではないです。
ただその分、心から感じた事を
精一杯、私の表現で書きます
もし、宜しければ
ご覧頂ければ嬉しく思います。
では、、、
私の詩があなたの何かの支えになれれば
幸いです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる