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第2章 魔導帝国の陰謀

お茶会2

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「……つまり、その化け物とやらは、この状況を楽しんでいる、と?」
 ギルヴィスの静かな問いに、蘇芳は頷いた。
「ああ、そう言うとしっくりくるな。そう、楽しんでいるんだ。帝国も連合国もひっくるめて全て盤上の駒とし、その駒を好きに動かして遊んでいるだけ。そういう表現をするのが一番近い。多分な」
「スオウ殿の見立て通りに考えるのならば、それは圧倒的な強者ということになります。それこそドラゴンのような。けれど、ドラゴンのような高潔さは兼ね備えず、誇りに囚われることもない、いっそ無邪気とも言えるような何か……」
 呟いて思案するギルヴィスだったが、まるで見当がつかない。
「しかし、圧倒的な強者ならばリアンジュナイルなど一瞬で滅ぼせそうなものですが……。……仮にその化け物とやらが遊んでいるのだとしたら、簡単に片付いてはつまらない、ということでしょうか」
 だが、その考えが正しいとすると、連合国が辿る未来は滅びの一途である。過程を楽しむために手を抜いているのならば、帝国の目的を完遂しようと手抜きをやめた瞬間、連合国は滅ぼされてしまう。圧倒的な強者が敵であるということは、そういうことだ。そこに抗う余地など、欠片もない。
 さすがに顔色を悪くした金の王だったが、しかし赤の王にその様子はない。思案するように暫く黙って目を伏せていた赤の王は、いや、と呟いた。
「本当に遊んでいるのだとしたら、ギルヴィス王の言葉通りなのやもしれん。だが、現在持っている情報だけでその確証を得ることは難しいだろう。寧ろ向こうにはこちらに直接手を出せない理由があり、だからこそ帝国を使うという回りくどいやり方をしているという可能性もあるのではないだろうか」
 可能性という言葉を使った赤の王だったが、憶測を述べているにしては余りにも確かな声だった。どうやら、赤の王にはこの一件の別の側面が見えているらしい。
 それに気づいた金の王は更なる議論を持ちかけようとしたが、赤の王にやんわりと制されてしまう。
「これ以上は我々二国間だけで話しても仕方がない。続きは次の円卓会議で、ということにしてはどうだろうか」
 そう言ってちらりと少年を見た赤の王に、ギルヴィスもはっとする。
 赤の王の言う通り、この場でこれ以上この話を掘り下げるのは好ましくない。なにせ、一般人である少年がいるのだ。すでに手遅れかもしれないが、彼にこれ以上の心労を負わせる訳にはいかない。
 一方の少年は、どんどんと規模を大きくしていく話題について行ききれてはいなかったが、それでもリアンジュナイル自体が未曾有の脅威にされされていることだけは理解できた。そして、否応なくその中心に立たされているのが自分なのである。怯えるなという方が無理な話だろう。
 自分に危害が加わるかもしれないという恐怖と、自分が攫われることでこの大陸全土を滅ぼしてしまうかもしれないという恐怖が、せめぎ合う。どちらかというと、少年にとっては後者の方がより恐怖すべきことだった。自分の存在が何かを損ねてしまうのは、もう嫌なのだ。
 そんな少年を安心させるように、赤の王がその頭を撫でる。
「大丈夫だ、キョウヤ。お前が憂うことは何もない。全て私に任せておけ。私が必ずお前を守るから」
 酷く優しい声が少年の鼓膜を震わせる。王の少し高めの体温に触れるのは、相変わらず苦手だ。けれど、何故だかその体温に安心してしまう自分がいた。
 緊張に強張っていた少年の身体からゆっくりと力が抜け、彼はほんの少しだけ王の胸に体重を預けた。そんな少年を見て愛おしげに微笑んだ王が、黒髪にキスを落として言う。
「それに、こんなことがあった後だからな。キョウヤの安全も考えた上で、とびきりの誕生日プレゼントを用意したのだ」
「…………は?」
 思わず素っ頓狂な声が出てしまったが、少年は悪くないだろう。
「……えっと、誕生日……?」
 言われた内容が理解できずに問い返せば、赤の王は何故だか少し嬉しそうな顔をした。子供が親に欲しいものを買って貰うときのそれに似ているような、そんな顔だ。
「ああ、誕生日プレゼントだ。今月の分がまだだったろう?」
「え、あの……」
 まだ続いていたのか。
 ひと月ほど前に二ヶ月分(この時点ですでに謎だ)の誕生日プレゼントを押し付けられ、それで終わりだと思っていたが、まだ誕生日プレゼント爆撃があるらしい。
「今月の分、というのは? もしかしてキョウヤさんには誕生日が毎月あるのですか?」
「え、いや、あの、」
 あってたまるか、と思った少年が、驚いた顔をしている金の王に弁明しようとしたが、その前に赤の王が口を開いた。
「いや、キョウヤは冬生まれらしくてな。正確な誕生日までは判らないようだったので、冬の間は毎月祝うことにしているのだ」
 そんな意味が判らない話をされても困るだろうと思った少年が慌てて金の王の様子を窺ったが、何故だか幼い王は酷く感動したような顔をして赤の王を見ていた。
「さすがはロステアール王。恋人に対する配慮と愛と優しさに満ちていらっしゃる」
 きらきらとした眼差しで赤の王を見つめるギルヴィスに、少年は思い出す。
(そう言えば、この王様もこの人の信者だって、グレイさんが言ってた……)
 いよいよ味方がいなくなった少年が藁にも縋る思いで己の師匠に目を向けたが、彼女は何本目になるか判らない酒瓶を空にすることに集中しているようで、少年の方を見ることすらしてくれなかった。
「という訳で、私はプレゼントを持って来よう。なに、すぐそこの近衛兵に預けてあるだけだからすぐ戻るさ。寂しがることはないぞ」
 別に誰も寂しがったりしないのだが、何故かそう言って少年を元の椅子に座らせた赤の王は、少年の手を取って甲にキスを落としてから意気揚々とその場から離れた。反論することすら許されなかった少年は、呆気にとられながら、その背中を見送ることしかできなかった。
(…………まあ、膝の上から逃れられたし、良いこと、なのかな……)
 ぼんやりとそう思ったのは、現実逃避に他ならなかったのだろう。
 宣言通りすぐに戻ってきた赤の王は、綺麗に包装された箱を手にしていた。箱の大きさは、一般的な弁当箱ふたつ分くらいだろうか。満面の笑みで迷いなくそれを差し出してきた王に、少年は一度王の顔を見て、箱を見て、そしてもう一度王の顔を見た。
「誕生日おめでとう、キョウヤ」
 ああ、駄目だ。これは受け取らない訳にはいかない。というか、何を言っても絶対に受け取らされる。
「…………ありがとう、貴方」
 おずおずというよりは渋々といった様子で贈り物を受け取れば、感激したような表情をしたギルヴィスがぱちぱちと拍手をした。それに釣られるように、やや離れた場所にいる近衛兵たちからも拍手が沸き起こる。正直、少年は今すぐ家に帰りたいと思った。
 そんな一部始終を横目で見ていた蘇芳が、感心したような顔をする。
「へぇ、鏡哉、お前随分貢がせてんだなぁ」
「み、みつ!? い、いや、あの、そういうわけでは、」
 慌てて否定の言葉を紡いだ少年に、王も頷く。
「貢いでいる訳ではないとも。ただ私はキョウヤの誕生を祝福する気持ちを誠心誠意伝えているだけだ」
「そういうのを貢いでるって言うんだと思うけどな」
 まあどうでも良いけど、と言った蘇芳が、酒を喉に流し込む作業に戻る。円卓の上に置かれた空き瓶は、そろそろ十を超えそうだった。
「そんなことより、開けてみてはくれないか? 気に入ってもらえると良いのだが」
「え、ああ……うん……」
 もうこうなったら流れに身を任せるしかないのだろう。そう諦めた少年が持っていた箱をテーブルに置くと、カサッという音がして箱が揺れた。
「ひぇっ! な、なんか、動いたんだけど……!?」
 びっくりして肩を揺らした少年に、赤の王は頷いた。
「まあ動くだろうな。生き物だからな」
「い、生き物!? こんな箱に入れてて大丈夫なの!?」
 慌てた少年が急いで包装紙を外し、空気穴のようなものが開いている蓋を外す。そうして開けたそこには、真っ赤なトカゲがいた。
 「…………トカゲ……?」
 トカゲである。頭から尻までが少年の両手に収まりそうな、小さめのトカゲだ。くりっとした黒い目がこちらを見上げており、とても愛らしい。
 じっと少年を見つめていたトカゲは、次いで少年に挨拶でもするようにぺこりと頭を下げた。思わず釣られた少年も頭を下げる。
「……えっと、この子、が、プレゼント……?」
「ああ。これはグランデルで最も大きな火山を守護していたぬしでな。強大な力を持って生まれた特殊な火蜥蜴サラマンダーが、千年以上の時を経て炎獄蜥蜴バルグジートと呼ばれる存在に昇華したものだ。非常に稀有な生き物で、聖獣にも等しい最高峰の幻獣なのだぞ」
 とんでもないことをさらっと言ってのけた王に、少年は目を剥いた。
「ぬ、主!? そ、そんなすごい子なの!? て、ていうかそんなすごい子、僕になんか、」
 余りの畏れ多さに怖くなってしまった少年が、助けを求めるように金の王を見た。
「さすがはロステアール王! まさか名だたる大火山の主を手懐けるなんて!」
(あ、駄目だ……)
 どうやら助けは期待できないようだ。いや、判っていたことである。
 とにかくこんなとんでもない生き物を受け取ることなんてできないと思った少年が、まごまごと言い訳のようなものを並べていると、赤の王は少しだけ困ったような悲しそうな顔をした。
「そうか……炎獄蜥蜴バルグジートは気に入らんか……」
 王の言葉を受け、トカゲがしゅんとうなだれるように頭を下げる。それを見た少年は、慌てて首を横に振った。
「え、あの、別にそういうつもりじゃ、」
「いや、良いのだ。お前の護衛として贈るならばこれくらいのサイズが最適かと思ったのだが、新しく選定し直そう。そうだな、炎獄蜥蜴バルグジートに並ぶ強さを持つ幻獣となるとグレンやライガくらいのサイズになってしまう可能性が高いが、背に腹はかえられん」
 そこはかえて欲しい。そんな大きな生き物を置いておくスペースなどどこにもないし、正直言って一緒にいるのが怖いと少年は思った。
 ちらりとトカゲの様子を窺えば、王の言葉を聞いたトカゲはますますしょんぼりとうなだれてしまっている。こうなると、少年にはもう受け入れる以外の選択肢は残されていなかった。
「こ、この子、とてもかわいいし、嬉しい、から、あの、……ありがとう、貴方」
 改めて礼を述べて、無理矢理にこりと微笑む。そんな少年を赤の王がじっと見た。
「本当か?」
「う、うん」
 王の目を見ないようにそっと視線を下げて頷けば、赤の王はそうかと言って破顔した。トカゲの方も、心なしか喜んでいるように見える。
 そんな様子を眺めていた蘇芳が、じっとトカゲを見てから赤の王へと視線を移した。
「しかし、炎獄蜥蜴バルグジートなんて大物どうやって連れ帰って来たんだ? 大山の主っつったら普通はその山から離れないもんだろ?」
「別に特別なことはしていない。ただ大火山の頂上に赴いて、この中で最も強い火蜥蜴サラマンダーをキョウヤの護衛につけたいと言ったら、炎獄蜥蜴バルグジートが出てきただけだ」
「出てきたって、それで?」
「キョウヤの護衛をしてくれと頼んだら快諾されたので、連れて来た」
 まじまじと赤の王を見た蘇芳が、改めてといった風に頷いた。
「やっぱアンタ人間じゃないな」
「失礼な。れっきとした人間だというのに」
 やや不満そうな顔をしてみせた赤の王に、蘇芳が胡散臭そうな目を向けた。
 そんな中、少年はトカゲを見ておずおずと口を開く。
「あの……、君は、本当に良いの……?」
 その問いに、なにが? といった感じで首を傾げたトカゲが、次いでぱかっと口を開けて、ぽっぽっ、と小さく炎を吐いた。突然のことに驚いた少年が悲鳴を上げてのけぞると、赤の王の咎めるような声がトカゲに向けられる。
「こら、キョウヤを驚かせるな」
 叱られたトカゲがしゅんとうなだれるのを見て、慌てて少年が王を見た。
「い、いや、ちょっとびっくりしちゃっただけで、この子は何も悪くないから」
「そうか? キョウヤはやはり優しい子だな」
「そ、そんなことはないと思うけど……」
 まさか炎を吐くとは思っていなかっただけだ。でもまあ、よくよく考えたら相手は火蜥蜴サラマンダーの上位種のようなものだと言うのだから、火を吐いてもおかしくはない。恐らくだが、トカゲなりの肯定の合図だったのだろう。多分。
「とにかくキョウヤが気に入ってくれたのならば良かった。ペットとして可愛がってあげてくれ」
「え、ペット……?」
 先程は護衛だと言っていなかっただろうか。そう思って赤の王を見れば、王はにこりと笑った。
「ああ、ペット兼護衛だ」
 貴重な幻獣をペット扱いして良いのだろうかと思った少年だったが、そもそも相手は王獣を騎獣扱いする国王である。進言するだけ無駄なように思えた。
「という訳で、名前をつけてやってくれ」
「え、……は?」
「キョウヤのペットなのだから、キョウヤが名前をつけるのが道理というものだろう?」
 さも当然のことのようにそう言った王に、少年が困惑する。
「いや、でも、この子、既に名前があるんじゃ……」
 そう言ってトカゲを見ると、箱から這い出て来たトカゲが少年を見上げて来た。
「……ええと……?」
 トカゲが何を求めているのかが判らず赤の王に顔を向けると、微笑んだ赤の王が少年の頭を撫でる。
「お前に新しい名を貰うのを楽しみにしているのだ。良い名をつけてやってくれ」
「え、ええ……」
 そんなことを言われても、名前などぱっと思い浮かぶものではない。困り果てた少年が、トカゲを見て、金の王を見て、師匠を見て、そして赤の王を見た。
「…………ティ、ティア……、は、どうかな……?」
 なにせろくに回転してくれない頭なので、必死に考えた末に出て来た名前は、赤の王の名をもじった安直がすぎるものだった。やはりこんなものが良い名とは言えないかと少年は後悔しかけたが、トカゲはどうやら大層気に入ったようで、やけに嬉しそうに口から火を吐き出した。
 こんなので良いのだろうか、と少し呆然とした少年が赤の王に目をやると、彼は彼でやたらと嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「そうかそうか。やはりキョウヤは私のことが大好きだなぁ」
「……え?」
 一体何の話をしているんだこの王は、と思って内心で困惑した少年に、今度はギルヴィス王が微笑みかける。
「ふふふ。ロステアール王のお名前を借りて名付けるくらい、ロステアール王のことを愛していらっしゃるのですね。素晴らしいことです」
 あ、そういう方向の勘違いか、と悟った少年が弁明しようと口を開きかけたところで、蘇芳がその背をばんばんと叩いた。
「いやぁ、正直に言うと恋人だって言われたときは半信半疑だったが、なんだかんだお前もこの王様に惚れてるんだな」
 けらけらと笑ってそう言う彼女は、恐らく少年の困惑を判った上で言っているのだろう。たちが悪い人である。
 とにかくなんとか誤解を解こうと思ってあわあわとしていた少年は、不意に左手に暖かい何かが触れたのを感じてそちらを見た。そして、左手の甲に触れた温もりが件のトカゲのものであることに気づく。懸命にテーブルから身を乗り出したトカゲが、少年の手にすりすりと頬を擦り付けているのだ。
 その光景に思わずきゅんとしてしまった少年は、少しの間迷うように視線を彷徨わせた後、そっと両手でトカゲを掬い上げた。そして胸の前まで手を運び、彼はトカゲに向かって少しだけ笑ってみせる。
「えっと、……これからよろしく、ね。ティアくん」
 なんとなく雄のつもりで言ってからトカゲの雌雄がまだ判明していないことに気づいた少年だったが、トカゲに気にした様子はない。雌雄は判らないままだが、どうやら雄扱いでも問題はないようだ。
(なんかもう、良いか……、勘違いされたままでも……)
 にこにこ笑っている赤の王と、祝福するように微笑んでいる金の王と、弟子が困っている様を楽しそうに眺めている師匠を見て、もう勘違いを正すのも面倒だ、と少年は思った。
 なんだか一気に疲れてしまった少年だったが、まるで少年の挨拶に応えるように、ぽっぽっと小さく炎を吐いたティアを見て、少年の心は少しだけ和むのだった。
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