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第2章 魔導帝国の陰謀

蜃気楼の攻防

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 まるで逃げ場を塞ぐように二人の周囲に佇む巨大な貝たちに、少年は思わずカリオスへと視線をやった。カリオスは金の国でも有数の戦士だと言うが、果たしてこれだけの魔物を相手に戦えるものなのだろうか。
 そんな不安を孕んだ視線に気づいたのか、背に庇った少年をちらりと振り返ったカリオスは、安心させるように微笑んでみせた。
「基本的に魔導というのは契約対象を常に屈服させる必要がありますから、人間の精神力で複数の個体と契約を結ぶことはほとんど不可能と言って良い。それとキョウヤ殿のお話を含めて考えるのならば、これらは全て幻だと考えるのが妥当ではないでしょうか」
「幻……。で、でも、それはそれで危険なんじゃ……」
 なにせ少年は、その幻で人が死ぬところを見ている。同じ手口で来られたら、カリオスとて自らを傷つける可能性があると思ったのだ。だが、正面の貝に視線を戻して左手で腰の剣を引き抜いたカリオスに怖じ気づく様子はない。
「魔法が扱える人間というのは、程度はあれど幻術の類に対抗する術を持っているものです。薄紅の女王陛下クラスの幻惑魔法を使われたなら勝ち目がありませんが、グランデル国王陛下が仰った通り、この一件がキョウヤ殿の奪取を目的とした本格的な襲撃ではないとすれば、そこまで強力な駒を投入してくるとは考え難い。ならば、私でもある程度までなら対処できましょう」
 十分な自信を見せてカリオスがそう言ったのは、半分は事実で半分は虚勢であった。
 実は、簡単な幻術を解除するための手段ならば既に講じているのだ。だが、溢れんばかりに蠢いている貝の数が減る様子はない。所詮は詠唱もなく火霊に命じるだけの簡素な解除魔法だったため、魔法の威力が弱くて幻が消えなかったという考え方はできるだろう。しかしそうなると、きちんとした正式詠唱を経て魔法を発動する必要が出てくる。
(俺一人ならばそれで構わんが、キョウヤ殿がいる以上それが好ましいとは言えないな)
 カリオスは、解除魔法を使用していることをあまり少年に悟られたくないのだ。それで幻術を解けるのならば問題はないのだが、上手くいかなかった場合、少年の不安を煽るだけで終わってしまう。だからこそ、先ほど簡素な解除魔法を使用した際も、少年にも聞こえないくらい小さな声で風霊に命じたのだった。
(正式詠唱を以て発動させたなら、解除できる可能性はある。だが……、)
 幻を生んだり消したりすることに特化している幻惑魔法は、水霊と火霊の力を借りる魔法である。対して、カリオスが使える魔法は風霊と火霊が関わるもののみだ。よって、カリオスが使用できる幻術解除魔法も、火霊のみに頼った無理矢理なものしかない。いかに正式な詠唱をしようとも、果たしてそれでこの敵の幻を破れるかどうかは判らないのだ。
(さすがに詠唱をするとなると、キョウヤ殿に気づかれずに発動させることは無理な上に、魔力消費も大きい。……やはり、解除魔法はできる限り使わない方が無難か)
 自分自身に致命的な幻術がかけられでもしない限り解除魔法を使うのは控えようと決心したカリオスが、剣の柄を強く握る。
「火霊! 風霊! 魔法憑依エンチャントだ!」
 カリオスがそう叫ぶと同時に、ばちばちと音を立てて彼が握る剣の刀身に雷が纏わりついた。
(雷魔法……。そうか、確か雷魔法は、火霊魔法と風霊魔法を融合させる魔法だってグレイさんが……)
 初めて見る種類の魔法に少年が驚く中、カリオスは雷の剣を大きく横薙ぎに振るった。するとその刀身から雷が放たれ、近場にいた数体の貝に襲いかかった。だが、咄嗟に貝たちが殻を閉じたことで、カリオスの放った雷撃は全て弾かれてしまう。
 その光景に、カリオスは僅かに目を見開いた。
「……火霊、俺自身が幻術にかかっているのか?」
 静かに問いかけたカリオスの横で、炎がぱちんと弾ける。少年には火霊が何を言ったのか判らなかったが、カリオスの様子を見る限り、彼の問いは否定されたようだ。
「あ、あの、どうしたんですか……?」
 少年がおずおずと尋ねると、カリオスはほんの僅かに迷ったような表情を見せた後、口を開いた。
「恐らく、この貝たちは私たちの脳ではなく、この場所自体に投影された幻です。……そうですね、我が国の魔術灯篭が見せる幻と同じようなものだと思って頂ければ良いかと。しかし、そうなると雷が弾かれた原理が判らない。あれが本当に投影されただけの幻なら、先ほどの攻撃で掻き消えるなり攻撃自体が擦り抜けるなりする筈です。それがないと言うことは、っ、キョウヤ殿!」
 話の途中で突然叫んだカリオスが、少年に向かって右腕を伸ばした。そのまま少年を引き寄せて抱きしめた彼が、風霊の名を叫びながら横に大きく跳躍する。その直後、彼らが居た場所にカリオスの数倍は大きな何かが降ってきた。それを目端に捉えた少年の背筋に、ぞわりとした悪寒が走る。
 突如降ってきたそれは、禍々しい化け物だった。二本の角が生えた頭に、恐ろしい顔。そしてその身体は巨大な蜘蛛のようで、鋭い鉤爪がついた強靭な脚が四対も生えている。もしカリオスが助けてくれなかったら、少年はあれの下敷きになって潰れていたことだろう。
(これも幻……!? いや、でも、この人の言う通り投影された幻なんだとしたら、僕たちがどうこうなることはなかったんじゃ?)
 脳に直接作用するような幻術ではなく、魔術灯篭と同じような原理の幻術だとしたら、触れることはできないコケおどしのようなものの筈だ。だというのに、何故カリオスは風の力を借りてまで回避に徹したのだろうか。
 そう思ってカリオスを見上げると、彼は緊迫した表情で化け物を睨み据えていた。そこには先ほどまで見せていた余裕は欠片もなく、およそ幻を相手にしているとは思えないその様子に、少年は思わず身を固くする。
「あ、あの、あれも、幻、なんじゃ……」
 震える声でそう問えば、カリオスは少年を抱く腕に少しだけ力に込めた。
「ええ、十中八九、貝たちもあの魔物も、本体を除けば全てが幻でしょう。ですが、」
 少年を抱いたまま、カリオスが剣を構える。
「……憶測に過ぎませんが、恐らくあれらは、実体を伴った幻なのです」
 そう言ったカリオスに、少年は目を丸くした。実体を伴う幻など、そんなものは最早幻とは呼べない。
「え、あ、あの、幻惑魔法も、そういうことができるんですか?」
「いいえ。いかに幻惑魔法を極めた魔法師でも、幻を実体化させるようなことはできません。だからこそ、私も初めはあり得ないと思いました。しかし、ただの投影幻術が魔法を弾くとなると、その可能性が最も高いのです」
 それはつまり、この何十にも及ぶ貝も、先ほど現れた化け物も、全て実体を持った生き物そのものに等しいということだ。そして少年は、かつて幻とは異なるが似たような状況に置かれたことがあることを思い出した。
 そう、赤の王に助けられた、あの市街戦である。あのときは空間魔導を操る敵によって無数に呼びだされる魔物の全てを赤の王が相手取ったのだったが、状況としては今回も非常に似ていると言えるのではないだろうか。
 そう思い至った少年が顔を青くしたとき、その場にいた貝たちが一斉に殻を開き、ふぅ、とため息のような音を漏らした。幾重にも重なった吐息と共に吐き出された白い靄は、地面を舐めるようにして漂い、そして次々とあの化け物の像を結び始める。まさに、少年の予感が的中してしまったのだ。
「……あの方のご指示がなければ、今からでも私の師団を招集させたいところですね」
 やや冗談交じりにそう言ってみたカリオスだったが、発言自体は彼が心の底から思っていることだった。
 そんな彼を、化け物たちが一斉に見る。いつの間にか、二人の周りは無数の化け物で埋め尽くされていた。
(俺一人ならばまだなんとかなったかもしれないが、この子を守りながらこいつらが森の外にまで出ないようにするのはほぼ不可能だ。……ならば、)
「風霊、第二師団に指令だ。ある程度離れた位置からこの森を包囲し、森から出てきた魔物がいたら一匹残らず排除しろと伝えてくれ。それから、キョウヤ殿を持ち上げる手助けを」
 そう風霊に指示を出したカリオスは、次いで少年へと声を掛ける。
「私の遠距離魔法では敵を倒すには威力不足のようなので、これより直接攻撃に移行します。私や風霊も支えはしますが、できる限り自力で私にしがみついていてください。良いですね?」
 そう言うや否や、少年の了承を待たずにカリオスは跳躍した。勿論、少年を右腕に抱いたままである。
 突然の浮遊感に思わずカリオスにぎゅうとしがみついた少年をそのままに、カリオスは手近にいた魔物へと剣を振り下ろした。その瞬間、剣に纏った雷が一際強く弾け、化け物の身体が焼き焦げながら一刀両断される。すぐさま剣先を翻したカリオスは、次いでその隣にいた化け物に向かって跳びかかり、横薙ぎに剣を振るった。正確に首を狙った一撃により、化け物の胴と頭が切り離され、その巨体が地面に崩れ落ちる。そうして倒れた魔物たちは、ふわりと滲んで靄になり、空気に溶けていった。
(この人、強い……)
 赤の王のように広域に及ぶ強力な魔法こそ使わないものの、正確に急所を狙う太刀筋は鮮やかで、カリオスは最小限の動きで次々と魔物たちを屠っていった。彼は雷魔法と剣による直接的な攻撃を併せることで、雷魔法単独では弾かれてしまった殻すらも見事に打ち砕いてみせたのだ。師団長の肩書は伊達ではないようである。
 だが、魔物の方もそれを大人しく見ているだけではない。自身が生み出した幻たちが次から次へと倒されていく様子に思うところがあったのか、残った貝たちは再び一斉に殻を開け、またもや幻を投影し始めた。
(くっ、幻影の貝すらも幻を生み出せるのが非常に厄介だ。俺が倒す量よりも、向こうが幻を投入する量の方が圧倒的に多い)
 この状況を打破する方法があるとしたら、本体を仕留める以外にはないだろう。しかし、幻たちはどれも精巧で、カリオスには本体かどうかの区別などつけられない。
 そこでふと、カリオスはエインストラのことを思い出した。
 天ヶ谷鏡哉がエインストラの血を引いている可能性は非常に高い、という話は、赤の王から円卓の連合国の王たちに対して報告されている。そして、金の国の王であるギルヴィスの信頼が厚いカリオスもまた、王からそのことを知らされていた。
(エインストラの血縁ということは、この子ならば本体を見破れるということか……?)
 エインストラの瞳は万物の真実を見抜くと言う。ならば、幻に紛れた本体を見抜くなど造作もないことだろう。そうなれば、この状況を一気に打破できるかもしれない。
 そう考えたカリオスは、腕に抱えている少年に視線を落とした。
「キョウヤ殿。正直に申し上げて、今の状況は非常に厳しい。本体を叩かないことには、こちらがジリ貧になるでしょう。そこで、無理を承知で申し上げます。どうかその右目で、エインストラの目で、この中から本体を探し出しては頂けないでしょうか」
 カリオスが言ったそれは、間違いなく現状における唯一にして最善の策だ。そして彼には、この方法であれば確実にこの場を切り抜けられるという自信があった。だが、
「……え、あ、あの、ぁ、」
 右目、と言われた瞬間に、少年の表情が目に見えて変化した。顔面が蒼白になり、何かに怯えるようにその身体がカタカタと震え出す。
 無理もない話だ。少年にとって右目を晒すことは、死と同義と言っても過言ではないくらい恐怖すべきものなのである。いや、もしかすると、ある種死よりも忌避すべき事態とも言えるのかもしれなかった。だが、それでも彼は死ぬわけにはいかない。
 少年には自覚などないが、その理由は本当の主人格たるちように起因するものだった。ちようによって生み出された人格は全て、ちようのために存在するのである。それは『鏡哉』も例外ではなく、だからこそ彼は死を選ぶことができない。誰よりも何よりも守るべきちようを殺すという選択肢など、存在しないのだ。
 右目を晒すことは絶対に避けたいが、死を選択できない以上生存を模索する必要があり、そのために右目を晒すことが必須だというのならば、少年にはそこから逃避することなどできない。他人には理解できないのかもしれないが、少年が置かれた状況は最悪だった。本当に崖っぷちまで追い詰められた精神が悲鳴を上げ、今にもこの場から逃げ出してしまいたくなる。
 本来であれば、とうに『グレイ』か『アレクサンドラ』が主導権を奪い取っているところだ。無論、彼らもそれを何度も試みた。だが、やはり人格の入れ替えが上手くいかないのだ。もしかすると、先ほど長時間『グレイ』が表出していた影響なのかもしれない。
 とうとう過呼吸のような症状まで出始めた少年は、しかしその間にもカリオスが必死に戦っているのを目にして、ようやく覚悟を決めたのか、弱々しくこくりと頷いた。そしてその震える手が眼帯へと伸ばされ、上の縁に指が掛かる。そのまま彼は、勢いに任せて眼帯を剥ぎ取ろうとした。だが、
「……申し訳ありません、キョウヤ殿」
 眼帯を外そうとした少年の手を止めたのは、カリオスの左手だった。咄嗟に少年を支えている腕をずらして右手に剣を持ち換えた彼は、空いた方の手で眼帯に掛かった少年の手を掴んだのだ。そして、そのまま震えている手をそっと眼帯から外させる。そんなカリオスの行動に驚きを隠せないでいる少年に向かって少しだけ優しく微笑んでみせた彼は、再び利き手に剣を持ち直して構えた。
「我が王国の民である貴方に負担を強いるなど、国軍としてあってはならない行為でした。勝利を焦るあまり思慮に欠ける発言をしてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
「で、でも、僕の目、使わないと、」
「ご心配には及びません。本体が判らないのならば、本体に辿りつくまで倒し続ければ良いだけなのですから。それに、このまま貴方の目を使ってしまうと、私はギルヴィス王陛下から厳しいお叱りを受けることでしょう。いえ、それ以前に、何よりも民を尊んでおられるあのお優しい陛下に合わせる顔がございません。ここはどうか、私を助けると思って堪えて頂きたい」
 そんなことを言われてしまうと、折角振り絞った少年のなけなしの勇気はしおしおと萎れてしまう。判っている。これはカリオスの優しさだ。ただの一般人に過ぎない少年に無理はさせないようにという心遣いなのだ。きっと、少年の右目なしだと本当に厳しい戦況なのだ。だが、判っていても、少年には彼の申し出を撥ねのけてまで眼帯を取る勇気などなかった。
(ああ、本当に、僕は役立たずだ)
 少年を抱えたまま剣を振るうカリオスは、宣言通り狙いを貝にのみ定め、確実に一体一体仕留めていく。だが、仕留めるそばから新たな貝が生まれる上に、蜘蛛のような化け物まで後から後から湧いてくる始末で、さすがのカリオスも徐々に息が上がってきているようだった。
 いよいよ追い詰められたのではないだろうかという状況に、少年が再びカリオスに向かって口を開く。
「あ、あの、やっぱり、僕が、」
 情けなく震えてしまった声に、カリオスはやはり柔く微笑んでみせてくれた。明らかにそんな余裕などない筈なのに、それでも少年の不安を拭おうと振舞ってくれる彼に、少年はどうしようもなくつらいような、悲しいような、得体の知れない罪悪感に襲われる。
(僕のことなんか放っておいてくれて良いのに、僕がエインストラだから見捨てることもできないんだ……)
「……ご、めんな、」
「キョウヤ殿!」
 少年が紡いだ謝罪の言葉を遮ったのは、カリオスの強い声だった。思わずびくっと震えてしまった少年をちらりと見てから、カリオスが剣を地面に突き立てる。そして彼は、左腕を空へと突き出した。
「風よ 炎よ いま一筋の雷光を喚び 全てを呑み込む波となれ! ――“雷撃波ガル・ボルト”!」
 刹那、高く挙げられたカリオスの掌で小さな雷がぱちりと弾けたかと思うと、バチバチと激しい音を立てて彼の足元から雷が膨れ上がった。そしてそれは、そのまま彼を中心として凄まじい勢いで波状に広がり、瞬く間に周囲の魔物を呑み込んでいった。
 辺りには雷がもたらす轟音と魔物の悲鳴が響き渡り、見る見るうちに魔物たちが靄になって掻き消えていく。木々をも焼き倒す雷の波は辺り一帯を焼き焦がして進み、それが収まる頃には、少年とカリオスの周囲にいた魔物の半数以上が消失していた。
 その威力に、少年は息を呑んだ。カリオスは広範囲に渡る魔法が使えないのかと思っていたのだが、その考えは間違っていたようだ。
 そんな少年を改めて見下ろして、カリオスが微笑む。
「どうか謝罪などなさらないでください。貴方に謝罪されてしまうと、私は本格的にギルヴィス王陛下からお叱りを受けてしまう。貴方はギルディスティアフォンガルド王国の民で、私は国軍の一員なのですから、私が貴方をお守りするのは当然のことです。……エインストラだのなんだのという話は二の次なのですよ。私の敬愛する陛下がそれを望まれる以上、私はこの命に代えても民を救うことが役目。ならば、貴方が私に守られることで負い目を感じることなどないのです。キョウヤ殿は、紛れもなくギルディスティアフォンガルド王国の国民なのですから」
 そう言って笑ったカリオスに、少年は胸の奥が掴まれるような不思議な感覚を覚えた。その感情の正体が何なのかはよく判らなかったが、それでも、カリオスが少年に対してこの上ない配慮をしてくれていることは判る。彼は、エインストラという特殊性故ではなく、この国の民であるから少年を守っているのだと、そう言ってくれているのだ。
 きっと、先ほどの魔法だって使う予定なんてなかったものなのだろう。金の国の国民は総じて魔法適性が低いのだとグレイは言っていたが、それは目の前の彼も同じなのではないだろうか。金の国の中では魔法が使える方だとしても、例えば赤の国の騎士団長たちと比較するならば、きっと魔法適性の面では不利だろう。そんな彼にとって、さっきのような大技による魔力消費は決して少なくはないはずだ。それでも彼が魔法を使用したのは、やはり少年の不安を払拭するためなのだろう。一気に大量の敵を倒すことで、追い詰められている訳ではないと証明しようとしてくれたのだ。
 それが虚勢であることは、とうに判っている。先ほどカリオスが使用した魔法を以てしても敵の全てを倒すことは叶わず、どこにいるのか判らない本体に攻撃が届くこともなかった。そして、カリオスが削った戦力は早くも補充され始めている。本体を倒せなかったということは、そういうことだ。
 一方のカリオスは、少年という足手まといを抱えた上で立ち回るしかなく、先ほどの大規模な雷魔法を使用したせいか随分と疲労が溜まっている。どう考えても、限界である。
 それでもカリオスには諦めるという選択肢はないらしく、再び地面を蹴った彼は、追い縋る蜘蛛の化け物たちを散らしながら、貝を仕留めていった。だが、動きが鈍り始めたその脚を、とうとう異形の化け物が捉えてしまう。
「ッ!」
 着地した瞬間の脚を鋭い爪に貫かれ、カリオスは息を詰めた。寸でのところで倒れるのは防いだが、深く突き刺さった爪をすぐさま引き抜くことができず、身動きが取れないでいるところに、牙が並ぶ魔物の大きな口が迫って来る。咄嗟に少年が身体の正面に来るようにして抱き締めたカリオスは、脚の肉が千切れるのを覚悟の上で無理矢理に爪から逃れ、回避行動を取った。だが、僅かに遅い。
 カリオスがその場から離れるよりも早く、魔物の牙が彼の背を襲う。
「ぐぁッ!」
 直撃こそ免れたが、魔物の牙は容赦なくその背を抉り、鮮血が散った。だがそれでも、カリオスが歩みを止めることはない。留まれば追撃が来ると、考えるまでもなく判っていたからだ。
 その後の攻撃をなんとか躱した彼は、一度体勢を整えて再び反撃に出ようと剣を構えた。が、そこで不意に、彼の身体がぐらりと傾く。なんとか少年に直接衝撃がいかないように体を捻って地面に倒れたカリオスは、すぐさま身体を起こそうとして、うまくいかないことに気づいた。
(まさか、毒か!?)
 全身に走る痺れと自由が利かない身体は、彼が毒に侵されていることをありありと示していた。
 恐らく、蜘蛛のような身体の魔物の攻撃を受けたときだ。あの爪か牙に即効性の毒があったのだろう。
(っ、駄目だ、動かない……!)
 少年を庇うことを優先し、敵の攻撃を剣で受け止めなかったことが仇となった。なんとか動かせる目を少年に向ければ、彼は可哀相なほどに顔を蒼白にしてこちらを見ていた。
(守るべき相手にこんな顔をさせてしまっては、ギルヴィス様に顔向けできないな……)
 自嘲するような苦笑が零れそうになったが、弛緩してしまった筋肉ではそれすらもままならない。それでもなんとか力を振り絞ったカリオスは、少年が下に来るように無理矢理身体を転がした。幸いなことに少年の身体はカリオスよりも小さいので、こうして上から覆い被されば、少しくらいは時間が稼げると考えたのだ。
「ふ、うれい……、か、れい……」
 切れ切れに名を呼べば、カリオスの意図を察してくれた精霊が、二人を守るように雷の盾を展開させてくれる。
(これも少しの間しか保たないだろうが、ないよりはマシだろう。さすがに俺ごと貫かれたら、この子も無事では済まない)
 身体の下に庇った少年が、泣きそうな声でカリオスの名を呼んでいる。だが、そろそろ舌すらも痺れてきた彼には、それに上手く応えることができなかった。
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