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◇序章【生き、逝き、行く】

幕間……(二)  【水難の裏側で】

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 ◇◇◇



 ――とある町で起きた、水難の裏側。
表舞台に出ない、ひそかに行われたはらいの沙汰さた
 それはみことを、いとなみを、前途みらいむしば厄の祓やくばらい。ただ人々の穏やかなる日常が脅かされぬ為、ただ寸刻すこしでも此土このよ泰平はんえいが続くように願うがこその奮闘。人知れずに苛烈な嵐夜に挑んだ者達が居た……。

 そうして、

「これで仕舞い、ですわね――」

 様々な場面の幕が降り、朝の訪れだ。

「――やれやれ。長い長い夜でしたわ。
けれども、ようやくかたきましたわねぇ」

 ひと段落した現下げんかの状況が口にされる。


 振り返って、朝焼けを背後にし微笑ほほえむ女性。
彼女は背中の黒い片翼を広げて、視線の先の惨状さんじょううれいを帯びた眼差しで真っ直ぐに見詰みつめる。

 惨状。あぁ惨状としか言いようがない……。

「やむを得ない、多くの犠牲を払っての鎮定ちんてい。とてもとても諸手もろてを挙げて喜べはしない、頭の痛い結果なのですけれども。ここで、この程度で済ませられてさいわいだったのだとぞんじます……」

 ……それらは、彼女の踏みにじったもの。
必要性を盾に、容赦ようしゃなく切り捨てたもの。

 十数軒あった家屋かおく、全てが焼け落ちた村里ざんがい
焼け、嵐の雨風で鎮火ちんかし、灰燼かいじんとなった集落。
 加えて、所々が炭化した死屍しし累々るいるいおぞましく悲惨ひさんな光景。この山間やまあいの集落で暮らしていた住人達……元は住人達であった異形いぎょう、人間と獣の部分を文無あやなく継ぎ合わせたかのような異形のしかばねの山。

 集落に火を放った。必要だから。理性と人間性を失った住人達を切り刻んだ。必要だから。
 彼女達のやった事は、日輪に顔向けができない愚行であろう。しかし誰かが必ずやらなければならぬ役割。それゆえに彼女は今日も堪え忍ぶ。

「『さいわい』ね、幸いであって欲しいわ……。
……救えたものも、あるのですから」

 そこに小さな人影が向かって来る。

「あら……?」

 それはこどもであった。

 隠れていたのを保護された、唯一の生き残りである年端もいかないこどもが「そちらに行ってはなりませぬ!」という片翼の彼女の従者が発した制止を振り切って走って来てしまい、放心。残酷すぎる現実を知り。その場にへたり込んで、泣きじゃくる。

「ここはダメよ、いけないっ!」

 ハッと彼女は近付き。まるでそのまま心が壊れそうな様子のそのこに触れようとして、

「あ……」

 彼女を見たとたんにもくすると、失禁。顔面蒼白で全身を震わせ、尻這いで距離を取るそのこ

「……えぇ、それはそうね」

 過剰に怯えられてしまうのも仕方はない。
彼女は気にしないと優しげに、つらそうに微笑む。

 翼で包み。そのこの視界をさえぎって、言う。

「あたくし達のこと、どう思いますか?
恐ろしい? 許せない? 憎い? 心の整理には時間が必要で今はただ悲しいだけ、かしら?」

 言葉に応えは無い。無くて良い。
全ては彼女の『自己満足』であるのだから。

「けして『ごめんなさい』とは申しません。これが最善策でしたのよ。放っておけば、被害は更に広がったのだから。そして完全に心身をむしばまれた者達じゅうにんを救う手段、それを模索もさくしているいとまは無かった。彼らをどうにか生かそうとすれば、それだけ不確定要素が増えるので……はい。殺しましたわ」

 こどもに対して語っても、意味を理解できないかも知れない言を進める彼女。その真意は、

「えぇ、このごく限られた地域で被害を食い止める為にはね。犠牲を容認するしかなかった。しょくに侵された小さな集落を焼き、付近の主要な山道さんどう街道かいどうを全て土砂で塞ぎ、逃げ道を無くして元凶げんきょうあぶり出す。全て全て必要な事であると……そう言い訳をして策を立てました。それ故に、あたくし達が全てのせきを背負いましょう……。あたくしを『許さない』と恨んででもね、生きてくださいまし?」

 彼女はひたすらに優しく不器用であった。
犠牲を容認するみずからを、何よりも嫌うほどに。
自らが汚れ役になっても。たとえ『復讐したい』と思われようと、誰かを生かそうとするほどに。

 従者によって抱き上げられて連れられて行くこども後目しりめに。彼女は向き直して言葉を継ぐのだ。

 今回の件、全ての元凶へ。

「……えぇ。禍淵マガフチ無為徒蝕むいとしょく孤狼罹ころうり】ね。
当然にだけれど、貴女も含めてですわよ?」

 ――貴女と。そう呼ばれた相手が元凶。
それは屍達が囲む、厳重にしばられた獣だ。

 ――は、土地の口碑こうひでもうたわれる厄災やくさい
此度こたびの元凶にして、むしばみのべる禍巫とうふ

 すでに統巫ひととしての自我おのれを失い、真に厄災と成り果てた異形の獣が弱々しくうめき、鼻口部よりドクトクと黒い体液を溢しながら横たわっており。
 かの獣の巨体は、太い黒鎖とそれを固定するくいのようになった無数の刀剣によって縛られはりつけにされていて、物理的にも神格的にも身動きの一つできぬ状態だ。完全に無力化され、禍巫とうふとしての絶対の首輪を刻まれて、厄災としての調伏ちょうぶくは済んでいる。

「さてさて。これより首輪を着けた者、あたくしが貴女に盟を与えますわ。よーくお聴きあそばせ? 『守るのです。貴女がこれまでむしばみ奪った以上の命を救えるまで、自他の命を蝕まずに』その上でしっかりと生きなさい!」

 存在するだけで厄を振り撒く存在だろうと、存在しなければ別の厄がもたらされる面もある、かように矛盾むじゅん撞着どうちゃくはらんだ存在。此土運行せかいかなめ。たとえ何かしらの原因で堕ちて、成り果てた獣だろうがあやめる事は許されない禍巫とうふ。それ故に生かし、首輪を着けて鎮めてやる。そこまでやっての終わり。
 片翼の彼女のすべき事は完了した。

「……あたくしは少し休みますわ。この後は皆さんにお任せしても構わないでしょうか?」

 みずからの従者達にその後の処理を任せ、彼女はようやく人心地ひとごこちがついたといった表情でほんの暫しの休息に入る。そうでもしなければ身体も精神も限界だったからだ。吹き始めた朝風に向かって歩を進めて、その先で至った断崖から先に広がる景色に顔をほころばせた彼女は、現在自らの居る台地の下に小さく見える【チィカバの町】を眺めた。

「はぁ……おリンちゃん……ねぇ?
疲れました。貴女の尻尾を揉みたいです」

 ここには居ない『誰か』の愛称を呼び、
虚空に向かって手慰み。表情を柔らげる。

「おリンちゃん。そうそう、そういえば貴女は今頃はあの町に居るのですわよね? 過去、半ば巻き込んだあたくしが言うのもなんですが、また妙な形で巻き込まれてなければ良いのだけれど……」

 ここには居ないが、
その『誰か』を案じる彼女。

「なにやら、あらら? 町の様子が……?
あれは系統導巫様の御力? いえそれ以外にも」

 そこで。事前に方策を伝えていた町に、
彼女は妙なものを感じ取ってしまった。

「……今回も巻き込まれていそうですわね。
一応、これから朝一番で『報告書や今後の対応』を含めた町への書簡を送りましょうか。もしも本当に巻き込まれていた場合の、貴女への説明のふみも添えてね。ちょうど適任の娘が居りますし――」

 見計らったよう従者の一人が現れ、木箱に入った物品を差し出す。それを受け取り、言葉を継ぐ。

「――あらまぁ、持って来てくれていたの?
でしたらそうね。これも一緒に、おリンちゃんのところにお届けをお願いしようかしら?」


「ということで、あたくしからの餞別せんべつ
危殆などの事態に際して、普段の貴女は無力ゆえ。
渡しておいた方が良いだろう品もございました」

 従者は一礼をし、木箱入りの物品を返されるとそれに封をしてから瞬時に姿を消してしまった。

 片翼の彼女は瞳を閉じ、追想を始める。

「……おリンちゃん。ねぇ……? 
罪作りな貴女。あたくしは、貴女になんて『出会わなければ良かった』のかしらね? 貴女のことを知らなければ今まで通りに、あたくしはみずからが『信じる』泰平たいへいを望み、大衆の秩序ちつじょ沿う『正しさ』の為に『どんなこと』でも疑わず、迷わず、悩まずに手を汚せたのでしょうかね……?」

 追想の中で、誤解を重ねてすれ違い、激しくぶつかって、心と身体を傷付けてしまった。その『誰か』である白銀色の狐に投げ掛けられた言葉は、示された意志は、魅せられた心魂は、片翼の彼女の心に突き刺さったままで未だに抜けはしない。
 むしろ刺さったそれは時間と共に、選択に際して、必要に駆られる度に、日々堪え忍んでいた心に精神的な激痛をもたらしており。痛みは常に冷静なはずの彼女を惑わし、悩まし、追い詰める。なのに何故だか『この心の痛みは、自らに必要なものなのではないか?』と、この頃は焦がれもしてしまう。


「怒った貴女に『ぶっ叩かれて』しまい、反省はいたしました。いたしましたとも。でもこれが、あたくしなりの『あやまち』だらけだろうと正しいやり方なので。変えれはしないの。貴女のように光の中では生きれやしないのよ。だから貴女がとても眩しかった」

 …………。

「……だから。どうか、そうね。
あたくしの大切な友よ。貴女のその眩しさが、その輝きがいつまでも損なわれませぬように。進む道は違えど、貴女の旅の無事を願っておりますわよ?」


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