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◇追憶の二幕【遁世日和】
挿話……(二) 【夜会】
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――主の散歩中、夜が深ける統巫屋。
今宵に行われた宴の席。統巫屋にとっての新参者や客人を迎えた際に催される事となっている宴も疾うに御開きとなっている。
今宵の宴は、新参者を受け入れる方の宴。
礼節を弁えなければならない客人が宴の主ではなかったため、宴は畏まったものでなく。慎みや気兼ねの必要のない、賑やかで活気の有るものであった。
統巫屋は新参者に『構えず遠慮せず』及び『構えさせず遠慮させず』が信条。
勝手に宴に参加して行く集落の酒臭い連中が、騒ぎ、踊り、飲み潰れ。その酒臭い男衆が、頃合いに現れた呆れ顔の女房や子弟に説教をされ転がされ、背を小さくしながら帰路に就く。その際に増えた人手で手早く片付けが済まされる。斯様な一連の流れは、統巫屋では恒例の運びであって……。
新参者にとって、煩わしい宴だったろうか?
酔っ払いの男衆に絡まれて、不快や憤りの感情は抱かなかっただろうか……? 統巫屋に関わる者達なりの気遣いは、彼に受け取られたのだろうか……?
統巫屋では、個人の生まれも育ちも過去さえも許容する。人としての道を大きく踏み外していなければ、善き心根を持っていれば、必死に生きようとしているならば。同じ主に仕え、統巫屋で御勤めをする仲間として迎えられる。
――どういった経緯で統巫屋に辿り着いたか? この統巫屋の主と使従達以外は彼の事情は知らず、触れようとせず。ただ居場所を与え、温かい食い物と酒の一杯を振る舞い。ただ皆で賑やかで活気のある宴で歓迎した。
――彼の前途が素晴らしいものであると願って。
これにて本日の統巫屋の御勤めは仕舞い。
けれど、故あり休む事が叶わぬ者も居る。
これは、当人達しか預かり知れぬ夜会……。
……新参者には関わらぬ夜会。
◇◇◇
――トンットンッ!
どこか小粋な音が、深夜の廊下に木霊する。
――役責により、統巫屋に個室が宛行われている者の自室。唐突にその者の室戸が叩かれたのだ。
しかし、戸の先の一室より反応は無く。
ならば『そのうち反応があるまで叩くだけ』といった具合いに。また戸が叩かれる。叩かれる、叩かれる。
――ドン、ドン、ドン、ドンッ!
それでも程度と限度もあるだろうに。沈黙を許さんとばかりに。徐々にだが叩く間隔も、叩かれる勢いも高まってゆくではないか。
深夜の騒音。実に迷惑な話だ。
「ん…………だよォ……?」
ドン、ドドドンドン、ドン、ドンッ!
「……くぁ、クソッ……!」
若干だが韻を踏んで叩いていることにも腹が立つというもの。戸の先に居る来訪者の不躾で幼稚な行為に苛ついた声を滲ます部屋の主。完全に寝ばなを挫かれたらしい。
部屋の戸は鼓ではない。
戸を叩いている馬鹿者には、それが理解できていないのだろうか? それでも我慢できずに反応して「もう止めろ!」そんな一声でも上げようものば最悪の悪手も悪手。戸を叩く相手の思う壺なのは明白なわけで。
「――しらん……っ!」
まぁ、そのうち「諦めるだろう」と。
――ドン、ドン、ドドンッ、ドンッ!
「……チッ――」
……部屋の主は思いたかった、ようだが。
戸を叩く者に、自らの行動を省みる気などはさらさら無いのだろうか。
滑稽にも叩き続ければ事態が動くとでも踏んでいるのだろうか。手段を選ばぬのならもういっそ戸を蹴破った方が手っ取り早いだろうに。実に数分もの間、戸は間隔を空けずに叩かれ続けた。
「――オイオイッ、オイオイオイッ!!」
ついに堪り兼ねたか。
床を離れ、勢いを付け戸を開く部屋の主。
「オイッ、クソッ、ふざけんじゃねェぞ。
たくよォ、誰様だよこんな夜中によォ!!」
部屋の主、もといケンタイさん。
出てきたのは筋肉隆盛な巨漢、ケンタイ。
周囲の空気が震える程の怒声を発し。
凄まじい剣幕で正面を睨みつけつつ引き戸を開けた彼の視界には、しかし、誰彼の姿なぞは無く。ただの暗闇が長い廊下を包んでいた。
「…………」
誰も居ない。これは、まさか俗に喩えられる某之怪の仕業だろうか。
不可思議な怪異や化生の類いは、あくまでも噂の域を出ないと思いきや。ついに統巫屋の中にまで出没するようにでもなったか……?
いっこうに構わない「ああ良いだろう、むしろ望むところ。実体の無い相手だろうが喧嘩を売られたのなら買ってやる!」そんな顔で訝しみつつ。
「――あァ?」
彼が視線を下に落としてみれば、
「……あぁ、クソッ。
おおむね、お前さん辺りじゃねェかと検討は付いてたがなァ。ンそりゃあ、まァそうだ。ここまで縦横無尽で他人の都合をこれっぽっちも考えねぇ糞餓鬼みてぇな奴は、統巫屋は狭しといえど一人しか居ねぇかァ!」
立っていたのは幼い少女。
暗闇で目立たぬ、着物姿の童女であった。
「…………」
「……何か言う事あんだろォ?」
謝罪の一言は無し。そもそも、ここに訪うた訳さえ話そうとせずに黙りするのみの童女。彼女は感情も浮かべぬ仏頂面でケンタイを見上げるのみ。こりゃ何一つも汲み取れぬぞ。
ケンタイは不機嫌そうに頭を掻いた。
「あいや、餓鬼じゃねェ、ババァだった!
こりゃ御免なすった。んでこんな時間のオヤジの部屋に要件か? 遂にオツムがボケて深夜の徘徊でもおっ始めたってか? そんか厠の場所でも解らなくなって困ってるつぅ笑い話かァ? そりゃ苛つきも飛んでっちまう傑作じゃねぇかよッ、ガハハハハ!
――ぅごバッ!!」
その不作法な来訪者に、せめてもの仕返しとばかり悪態を吐いて笑い出したケンタイの脇腹近くに鈍い衝撃が襲う。より正確には脇腹の下部、男の“急所”に小さな拳が深く突き刺ささった。
非常に無情なる一撃である。
「うオォォ……ぐォォ……!!」
股間を押さえ悶絶する巨漢を尻目。
「…………」
来訪者である童女は、室内へと確認も取らずに侵入してしまう。
彼女はそのまま進み、きょろきょろと頭を巡らした後、この辺りが手頃かとばかりに置かれていた文卓を椅子替わりとして腰掛けた。
「ハァ、オイオイッ、ぐッ!」
ケンタイは身体を震わせて起き上がる。
「ぐぐぐッ……てめェなッ!!
少しはオヤジを労れって教わんなかったのかァ、あ? 少しズレてりゃ、洒落じゃなく股の間が破裂するところだったぞオイッ!」
前称した通りに縦横無尽な振る舞いの童女にケンタイは股間を庇いながら距離を詰めて、これ堪らず声を荒らげた。彼の怒りはもっともだ。全くもって正当性しかない。しかし相手の童女はこれといって意に返してはおらず。
ただ、彼に対してスッと。
「あァ?」
猪口が突き出されのだ。
「さっき酔いつぶれてたの、えんぎでしょ?」
ここで童女が始めて口を開く。
見目の稚さからは乖離した、落ち着いた口調。
「ンだったら、何だって話だ……オイッ」
彼女は片手で自身の着物の帯を緩めると。どのように隠していたのか、帯と着物の隙間より大きな徳利を現して見せた。
「呑みあきるまで、もしくは夜があけるまで付き合ってもらう。いい? そんな用事か――」
そうして、その徳利が彼女の傍らに置かれたと思えば。続けて一本、更にもう一本といった具合いに、これまた彼女の着物の袖口や懐より徳利が現れては文卓の上に整列されて行くではないか……。
「あ? オイッ、どういうつもりだァ?」
ケンタイは再度の睨みをきかせた。
「酔っ払いの連中からくすねた」
「いや、そっちのことじゃねェよ!?」
「……あぁ、これは己個人のひぞうの一本。
そうか、やはり食い付いたか?」
彼女は着物の股下より取り出した、これはまた大きな酒瓶を揺すって見せるのだ。
「だからよ、飲みもんの話じゃねェての!」
「では、なんだ? 口下手なおとこだね……」
困った困ったと、溜息を吐かれる。
「――テメェ何しに来たァ、てんだよォ!」
困らされてんのはこっちだ! と、彼女の頬を両側から摘み上げて吠えるケンタイ。流石に巨漢からの暴力という手段を用いられると分が悪いか、仏頂面の幼い顔もやや引き攣った。
そのまま巨漢に弄ばれる事となる頬。
「い、痛ひゃい……」
涙目になったので直ぐに頬は解放される。
「オイッ、んで?」
「……理由はない。ただ呑みたい」
そして自身の頬を擦り、答えるのだ。
「――かような、心もちとなったの。良い?」
理由は無いが、自身に付き合えと。
そうつべこべ言うな、と。そんな意を汲み取れる流し目で、彼の睨みと暴力に迎え撃つ童女。
「はぁ? ぬかせッ!
『良い?』わけゃねェだろが。酒はもうちっと見目が成熟してからにしろ。あとなァこっちの都合も配慮しやがれってんだァ。いいから糞餓鬼はさっさと寝に行けェ! 明日も御役目なんだよォ、このオヤジを休ませろォてんだ。こんちくしょうがァ」
――ケンタイは、もういよいよ少女を摘み出そうと着物の襟首を掴み。構えたものの、
「――どれほどの時がたったか」
彼女が何の気なしに溢した言葉は、
「はぁ? 時だァ?」
「――ここで、その間に。統巫、十代もの移り代わりをけいけんした……」
しかしながら、意味を理解すると、
到底無視もできぬだけの力を持っていて。
「……そうかい」
意表を付かれてしまったのだろうか。
ケンタイは黙らされてしまった。
「ここで、それだけの年月がたった……。
そんな与太のような事をきかされたら。
ケンタイ、オマエはどう答えてみる?」
「……は、冗談も休み休み言いやがれ」
「――これは、おおむね、まことだ」
「…………」
「…………」
「………オイオイ、眉唾もんだなァ」
最終的に面倒になった為か、物言いに興味でも持ったのか、それともただ呆けたのか。ケンタイはそれまで浮かべていた怒りを何処へやら飛ばしてしまい。
「腕がつかれた。さっさと受け取れ」
つい言われるままに彼女の腕から猪口を受け取ってしまった。受け取ったが早いか、酒瓶から猪口へ液体がなみなみと注がれてしまう。
「クソッ、付き合わされるこっちの身を……」
「かんぱいだケンタイ」
少女はケンタイに向けて、同じように液体を注いだ杯を掲げた。
「……はぁァ、仕方がねェ。乾杯ィ!」
「あぁ、かんぱい」
渋々と八つ当たりのように、ケンタイは注がれた液体をグッと呷ぐ。彼女もそれを見届けると杯を傾け、液体の流れで喉を鳴らした。
「本当に、なかなか上物じゃねェかよ」
「……うくっ……うく……こく……っ」
「お前さん、こんなもん携えてきてよォ。
今宵はどうしちまったんだよ? ……あ?」
「…………」
返答は無く。彼女の手によって、ケンタイの猪口に飲んだ分が勝手に補充される。
「まぁ、飲めってかァ?
おっと。オイッ、溢すな溢すな……」
「…………」
「お前さんはよォ、シルシとは違った愛想の無さで付き合い辛いったらありゃしねェ」
暫くは猪口と杯だけのやり取り。
互いの喉に水分が通る音のみが響く。
「しかし、なァ――」
再度、ケンタイが切り出した。
「――十代とは恐れ入る。ババァ通り越して、骨董かなんかじゃねェか? あァ……うんにゃ、骨董は経年で箔や傷の一つ二つでも付いてくもんだがァ。お前さんは餓鬼のまま変わらず。進歩も退歩も成熟も劣化さえしねェときた!」
「ぅく……ぅく……ごくっ……」
聞いているのかいないのか、ケンタイに構わず杯を傾けている彼女。
「オイ、ココミさんよォ。統巫屋では誰もその事に触れねェからよ。このクソオヤジも、お前さんの事に触れるのはァご法度かなんかだと敢えて訊いた試しはねェがなァ……」
「……ごくっ……ぷあっ」
「今宵は、一緒に呑んでやる駄賃替わりに聞いてやるとすっかなァ。……お前さんのよォ、アレだ。にわかに信じられねェ話だけどな。その話しが誠の話とくりゃ。その身の永劫の為に“何を”代償にしたか? っうー話になるわけだよなァ?」
「…………」
「ハッ、答えちゃくんねェか!」
「――全てだ」
彼女は杯の中身を飲み干すと、どうでもいい事のように返答した。
「ハッ……。オイ、全て? 『全て』と来たか。
大きく出たもんだ。こりゃ傑作じゃねェか!」
「けっさくか。酒のさかなにもならない、つまらない話だ……。あぁ、つまらない」
「『つまらん?』馬鹿言っちゃいけねェよ。コッチにとっちゃ、最高の肴じゃねぇか。オイッいいか? 人間、歳を取ってくっと、他人の身の上話さえも旨くなってくるもんだァ!」
「…………」
「しかし、そうなるとだァ。この機会に、お前さんに聞いときゃなんねェ事が出てきた」
「……なに?」
「コッチに何か貰った覚えはねェが。
使従が使従になる際によォ、人間としての一生を御役目で尽くす対価として。その者が心から求めている、その者に身合った対価を与えられるとか……ここでは伝えられてんじゃねェか!」
「…………」
「まあ、そうさな。彼ノ者の眷属。そういった存在との約定とくりゃ、時と場合か代償しだいで“不老”に近い状態になることも叶っちまうのかも知れねェな。だが、しかしだァ――」
ケンタイは少女の頭に手を置く。
「――忘れちゃいけねェよ。
使従が仕えているのはよォ……系統導巫。彼ノ者【アクッ・オリュコウ】の統巫。すなわち命の在り方の神さんだ。その神さんの眷属が“不老”なんて摂理に反した対価を、はたして自らの化身となる人間程度に下賜するもんかねェ?」
少女はケンタイを無視して、空になった杯に液体を注いで行く。
「……お前さんは、いったい全体“何様”と契りを交わしてよォ。何様に何を与え、何を願っちまって、どういう了見で統巫屋に居るんだ? 気になってたまらねェなァオイッ?」
「…………」
その疑問の声に、
「…………しれたこと――」
彼女は目を細めて。
「――『全て』差し出したと言ったぞ。
そのとき……詳しい記おくは全て失った。なぜ何かを願ったのか、おぼろげな“理由”だけを残して。ただ一つの願いのため対価に使って、ココミになる前の前身は全て失せた」
最早、忘却された答えの端材を溢した。
どう反応して良いのか解らずに、ケンタイは彼女の表情を伺うが。当然のように、彼女に表情なぞ浮かんではいなかった。
「だが、だけれど。しかし――」
「はァ、しかし?」
空になった瓶が、彼女の傍らを転がる。
「――しかしだ。何かを願った理由。
『全てを捨ててもなお、たどりついた先の地で、つとめ、とどまれば。きっとめぐり合う縁もある。それまで待て』そう。全て失せてなお頭の中に残った言葉の意味を求め……ここまで過ごして来れたの」
「……お前さん、酒が周ってきたんかァ? やけに口数が増えたじゃねェか」
「その為の酒――」
「あー、そうかい……」
「あるていど知られているように。ココミは、なぜか老いる事もできず童女のまま、不変。さまざまな命を見おくりながら。ココミとして今日までここで在り続けてきたの……でも」
ケンタイの腕が彼女の頭から退けられた。
「――でも、もう、すり切れ果ててしまった。枯れ果ててしまった……。己をあざむいて、ただの童をえんじている時さえも、このごろは苦しみをかんじ始めていたと自覚した。ココミとして一日、一日と日々を重ね続けて。かれこれ、もうこれで十代の主を見送ったのだなと、ふりかえってしまった」
「こりゃぁ、重てェ話題が来たもんだ」
「――リンリ。あの若人のせいだ。
沙汰の席で、あの異成り世の若人は、ここに留まることをせんたくした。そして若人はここでの多少のえん命の後に“死ぬ”と定まった。……その死で、またハクシは命の喪失に悲しむだろうと感じた。そのハクシもいつかは、ココミを残して死ぬと思い浮かべてしまった。ケンタイもサシギもシルシも、集落のものも、そのうち死んでココミが一人だけ残される。それが命の定め。ココミのみが外れた、せつり、かと」
「…………」
「ココミをしじゅうとして迎え、めんどうをみてくれた、さいしょに出会った系統導巫。名は、ミナキリハ。その娘のミナテンニ。ミナキリハの孫のミリン。その娘のミップサン。その娘のミップヨ。その娘のミップゴン。その娘のマチョップ…………全て。あれらとのできごと、今日までの全て。かけがえのないココミのきおく」
「…………マチョップ?」
「これから後どれだけ別かれば良いのかと。
もはや、もう、耐える……気力も尽きた。いつか時代は代わり、次代が立つのが人の定。ココミは役責を降り、次へ引きつぐ時なのやもしれないとな。ケンタイ、こよいはそんな話をしにたずねてきたの」
「…………オイオイ」
「集落の者か、見込みが有るならあの若人でもかまわない。リンリ……あの若人の場合、しじゅうになって肉体が変質すれば、穢で死ぬ事もなくなるかもしれない。とにかく目星をたてて、ひそかに育てておいて欲しいの。そうして、冬をこして、ハクシがここを旅だった頃あいに。ココミの役責を、しじゅうの位を返還しようと思う。そんな話――」
「……そうかい。……なんだよ、オイッ。
訪ねて来た理由あんじゃねェか!
しかも、とびきりの面倒事ときたよクソッ!」
しかめっ面で叫ぶケンタイ。
ココミは徳利を手の中で揺らす。
「……リンリ。素養は持っていた。
あとは、本人しだい。さて、統巫屋にえらばれるに足る器をもっているのかどうか……」
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