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 馬に水を飲ませるために足を止め、アイリーンも空気を吸うためにあたりを散策していた。

 騎士である第二王子の兄と共に。絶対についていくと権力を振りかざし、兄は本当に最後までアイリーンの側にいようとした。
会話はない。今更何を話せというのか。口を閉ざして、準備に奔走する部隊から離れていく。兄がいるから、姿を視認できない場所へ逝こうとしても誰も二人を止めることはない。
 ひび割れた地面を、磨き抜かれたヒールで歩いていく。

「……アイリーン、手を」

 足元が悪いからだろう。エスコートのために差し出された手に手を重ねる。兄の指に嵌められた指輪がきらりと光って___ふと、兄がアイリーンの首元に目を向ける。

「……アイリーン、母上のネックレスは?」
「え、」

 弾かれたように鎖骨のあたりを触る。滑らかな肌に指が触れ、胸元をまさぐってもそれはどこにもなくて。___ない。忘れてる。ひとつだけ持って行こうと思っていた、母の形見。幾つものダイヤが首を覆うようにあしらわれた、美しくてたまらないジュエリー。
馬車に乗る直前に身に着けようと、鏡の前に置いていた筈なのに。そうだ、末弟が大きな声をあげて泣いてしまったから、宥めて、そのまま手を繋いで馬車まで共に歩いて、荷物は全て女官や侍女に任せていた。
 口元を覆って呆然と立ち尽くす。今まで眺めたことはあっても、実際につけたことは一度もなかった。母が正装をした時だけ身に着けていた、特別で憧れのジュエリーだから。もっと純度が高く粒が大きいダイヤを見せびらかす貴族の貴婦人はたくさんいたけれど、上品に輝くティアラのようなそれは、母が亡くなってからより一層大切にしていたものだった。

「……そんな」
「忘れ物だなんて、らしくないな」

 狼狽えるアイリーンを宥めるように、手を握る。そして兄は目を細めてその手に嵌っていたリングを、アイリーンに渡した。

「母上からいただいたもので、形見ではないが……。どうかアイリーンの心に寄り添えるのを願っている。それに、指輪なら花と違って枯れやしない」

 一件武骨なようで、よく見ると繊細な彫りが刻まれている古びたリング。どんな時であっても兄が肌身離さず持ち歩いている指輪に、目を見開いた。アイリーンが好む華奢なものとは違う、ずっしりとした重みを掌に感じる。

「でもこれは、」
「大事にしてくれ。……きっと指輪も喜ぶ」

 サイズが違うだろうからと、兄が戦場などで指に嵌めれないときに使っているチェーンまで渡してくれた。

「……ありがとうございます」

 兄にとってかけがえのないものを、じっと見つめて、そして大切にしまう。兄は満足そうに頷いて、再びアイリーンの手を取ってあてもなく歩き始めた。




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