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十一

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 その湯は山筋を経た谷あいにあった。そろりそろりと岩場を降りると清冽な流れの傍らに小さな滝の裏側に隠れるように湯気が立っていた。

「まさに秘湯でございますな」

「あの戦場のほんの近くにこのような湯が涌き出ているとは思わなんだ」

 南奥州には湯の涌き出ている場所は少なくはない。だが、盛隆はその若さもあってか、外湯に入ったことが無かった。
 近習の言うがままに衣を脱ぎ、湯溜まりへと向かう。秋のしんと冷えた空気が肌に突き刺さるようだ。
 そっと、湯気の立つ湯溜まりに足を入れ、静かに身体を沈めていく。少々熱めのような気もしたが、滝から流れ落ちる飛沫が飛んで、頃よく肌を冷やしてくれる。

「ふぅ.....」

 盛隆は傍らの岩に身をもたせ、深く息を吐いた。疲れていた。義父の盛氏が采配を取っていた時とは異なり、結城や田村の士気も今ひとつあがらず、若輩の盛隆の案などに耳も貸さない。
 それでも、まがりなりにも戦の先導を取れたのは金上盛備の差配のおかげだった。彼、金上は人質と自分を謗る蘆名の家臣達の中で、不思議なくらい盛隆を支え、尽くしてくれている。

ーなんぞ思惑はあるのだろうが......ー

 それでも良い、と盛隆は思った。金上は義父、盛氏の信頼も厚い。事態の判断も確かだ。

ー所詮、我れは傀儡なのだー

 だが、既に五十を過ぎた義父は自分より早く逝く。その時にまだ自分が当主の座に居続けるには信頼に足る家臣が必要だった。

 ふっ.....と、盛隆の俊巡はそこで途切れた。人の気配が近づいてくる。そっと目をやると、あちらから湯に足を伸べる影が見えた。湯煙に隠れてそれはまだはっきりとはしなかったが、

ー義重殿?ー

 がっしりとした逞しい、鍛え上げられた体躯、黒々とした髪と髭の間から爛と光る双眸は、佐竹氏の当主、義重に間違い無かった。戦場で刀を交わした盛隆の眼に鮮烈に焼き付いた剛の漢の姿だった。
 盛隆は思わず身を堅くした。

「そう警戒なさるな。儂とて丸腰じゃ。無粋な真似はいたさぬ」

 盛隆の動揺をよそに、男の影はバシャバシャと湯を跳ね上げて近づき、ほんの傍らに身を沈めた。

「やれ、随分と冷えるようになったの」

 男は旧知の友に語るように言葉を投げ掛けると、ニタリと笑った。存外にけれんの無い、屈託の無い笑みだった。

「さて、なんとお呼びすればよろしいかな、お若いの」

ーここでいみなを口にするのは無粋ーということなのだろう。盛隆はごくりと唾を飲んだ。

「平四郎、と......」

「平四郎殿か。儂は太郎じゃ」

言って、男は大きく息を吐いた。

「良き湯じゃのう。身体の芯まで暖まるわ。いや、相方が良いからかのぅ...」

「おからかい召さるな」

 盛隆は僅かに顔をしかめた。そして相手が自分を蘆名盛隆と見留めているかと確かめる間もなく、思わずあの事を口にしていた。

「戦の最中にあのようなことをなさいますな」
  
「あのような事とは?」

「文でございます」

 湯気の向こうで再び男の顔がニカッと笑ったのがわかった。僅かに残っていた殺気がその身から消えた。影武者ではない、蘆名盛隆本人と認識したからであろう。

「それは済まぬことをしたのぅ」

 不貞腐れ気味の盛隆に男はからからと、笑って言った。

「儂は不器用な質でのう。この年で慣れぬ恋などすると、つい我れを忘れてしまう」

「恋などと、そのような......」

 日ごと夜ごと盛氏に組み敷かれることはあっても、そのような言葉などついぞ聞いたことが無かった。命知らずにこっそりと口説いてくる者もいたが、後ろめたそうに、あるいは下世話にー寝てみたいーと欲を晒すばかりだった。
 盛隆は恋などというものを知らない。そんな言葉など信じない。
 胸の奥がズキリと痛んで、思わず目を伏せていた。

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