上 下
14 / 22

第十三話 十六夜

しおりを挟む
 ―厄介な---。―
 政宗は、チッ---と小さく舌打ちした。
 大阪の豊臣秀吉が恭順しない北条氏に対し、小田原征伐を開始した、という。
 その前年に、秀吉の出した奥州惣撫令を無視して、大崎-郡山と合戦を起こした政宗は、元より秀吉の覚えが良いわけがない。
 と言うより、政宗自身、秀吉が嫌いだった。
 織田信長の孫を擁立して後ろ楯として権勢を振るっていたのが、いつの間にか関白太政大臣などという官位を朝廷から拝領して、主家に成り代わって『天下人』と称している。
―下郞が---。―
 名門の家柄に生まれた政宗にとっては、最も唾棄すべき類いの人間だった。
 だが、その前に、今は多くの大名が頭を下げている。
―戦国とは、そういう時代よ。---―
 そうは分かっているものの、どうも虫が好かない。
その上、父の輝宗の代では北条と同盟を結んでいた。
 とは言え、四国-九州の大名までも幕下に収めた今の秀吉の勢力では、北条とて跳ね返すのは困難であろう。
 当然、何度軍議を開いても結論など出よう筈もない。成実と小十郎の間でさえ、見解が割れている。
 此れには、政宗とて心底頭を抱えた。一月、二月---と態勢を示せぬまま、時が流れた。

 そんなある日のこと、母の義姫から食事を振舞いたい---との使いが来た。

―母上が?―

 摺上原の後も、結局のところ、さしたる話も出来ぬままだった。
 政宗は、訝りながらも、招待に応ずることを決めた。

―母上、お久しゅうございます。―
 輝宗亡き後、落飾して保春院と称した母は、変わらず淡々とした表情で、政宗を迎えた。
―政宗、心は決まりましたか。―
 母は、何時もながらの口振りで尋ねた。
―いえ、まだ---。―
 政宗は、口籠り、ばつの悪さから、早々に料理に箸を付けようとした。
 その手を、義姫の眼が制した。
―母上---?―
 義姫は、周囲の人払いが完全に済んでいることを確かめ、聞こえるか聞こえないかの小さな声で言った。
―毒が、入っております。―
―は、母上?―
 驚愕する政宗に、義姫は、微動だにせず、続けた。
―死に至るほどの量ではありません。が、暫しの静養は必要になりましょう。―
 政宗は、ごくり、と唾を飲んだ。
―母上は、敢えて此れを食せと---。―
 義姫は、無言で頷いた。
 政宗の頭は、一気に混乱した。しかし、次の瞬間、全てを理解した。
―もし、嘘だったら---。―
 完全に死に至る量が盛られていたら---。と政宗は目の前の鯛を見た。早期に吐き出せば助かる---もし、ダメな時は---。今一度、母を見上げ、覚悟を決め、箸を口に運んだ。
 咀嚼をし、意を決して呑み込む。途端に、激しい痛みと嘔吐に襲われ、部屋から転げ出た。
―誰か!誰か薬師を!―
 あわただしく走り回る足音が響き渡った。
 一番に駆けつけてきた小十郎が、政宗の口の中に指を突っ込み、胃の中のものをありったけのものを吐かせた。
 憎悪に満ちた表情で見上げる小十郎に、義姫は微動だにせず、ただ、ひらり---と一枚の小さな紙を落とした。
 小十郎はさっ---とその紙を拾いあげ、袂に隠して、政宗を抱えあげ、居室に運んだ。
 水を大量に飲んでは、即座に吐き出し、徹底的に洗浄したのちに、解毒剤を投与され、なんとか一命を取り止めた。が、大事をとって、それより三日間、寝込んだ。

―大御台さまも、無茶をなさる---―

 小十郎は、政宗が比較的早く意識を取り戻し、順調に回復するのを見て、ほ---と胸を撫で下ろした。
 家中の反政宗派が、義姫を抱き込み、政宗に毒を盛らせたが、失敗した---という話が城内では誠しやかに広まっていた。
 これで、この後の政宗の決定に異議を唱えるものは、毒殺を企てた黒幕---となり、迂闊なことは言えない。

―ただ--。―

 一番、立場が悪くなるのは、弟の小次郎だった。
 政宗は、床の中で考えに考え、小十郎にあることを命じた。
 小十郎は、黙って頷き、居室を離れた。

 床を離れた日の深夜、政宗は小次郎を自室に呼んだ。輝宗の死と打ち続く戦---それと養子先の定まらぬこともあり、小次郎は、元服もままならなかった。

 自室に入ってきた小次郎は既に覚悟を決めていたらしく、浅黄の裃を着ていた。
―小次郎---。―
 多分、病を得ていなかったら、『あの事』が無かったら、そのようであったろう端正な面差しを強ばらせて、弟は政宗の言葉を待った。
―死んでくれ。---―
 政宗は、なんとか平静を取り繕い、言った。
―覚悟は出来ております。―
 と青ざめた顔に作り笑いを乗せた小次郎の目の前に、政宗は、一枚の紙を差しだした。
 
―今すぐ発って、武蔵へ行け。―
   小次郎は、一瞬、目をまん丸くしたが、すぐに無言で一礼した。
―徳川が気になる---―
 政宗は、独り言のように呟いた。
 小次郎は、それ以上、何も語らず、政宗の部屋を後にした。

 翌日、切腹-自害した小次郎の遺骸が義姫のもとに運びこまれた。義姫はとりすがって泣き、早急に荼毘に伏すように命じた。

 そして---その日の夜更け、義姫は、政宗の部屋に来ると、小十郎に火鉢を求めた。確かに寒い夜だった。
―小次郎は、死にました。―
 義姫は、思い詰めた口調で迫った。政宗は、一瞬、言葉を失った。が、
―伊達家のためです。―
と冷ややかに言い放った。
 が、その母の手元が、火鉢の灰に、火箸で、
―いずこへ―
と書いたのを見てとった。
 政宗は、手元の紙に、短く、―むさし―と書き、義姫に見えるように火鉢にくべた。
 義姫は、チラッとそちらに目を走らせ、―わかった―というように目配せすると、勢いよく立ち上がり、
―お恨みもうしあげますぞ。―と激しく言い放って立ち去っていった。

 義姫の背中が見えなくなったことを確かめて、居室に入ってきた小十郎に、政宗は火鉢の灰をぐしゃぐしゃにかき混ぜながらひそ---と囁いた。
―母上は、大した役者じゃ。---―

 義姫のもとに運び込まれた遺骸は、小十郎が因果を含めて切腹させた、小次郎と瓜二つの下働きの青年だった。義姫は、一目で気づいた---そして、他の家臣の目に触れぬよう、早急に火葬させたのだ。

 小十郎は、はい---と小声で応えると、政宗に言った。

―では、如何なさいますか?―

―今しばし待て。―

 昨夜、出奔させた小次郎が武蔵に着くまで、十日余り。一帯の情勢を黒幅履組の者が運んで来るまで、おおよそ一月はかかるだろう。

―そこまで、なんとか引き延ばさねば---―

 政宗はじりじりしながら、小次郎からの返事を待った。そして、浅野長政の催促も厳しくなった6月、ようやく、参陣を表明した。

-------

―政宗さまも、お母上に負けぬよう、役者にならねば---―

 政宗は苦笑いしつつ、小十郎の指示通り、『死装束』で秀吉との対面に臨み、安堵を勝ち取った。

 因みに、同時に人質として浅野長政の真壁の城に赴いていた成実は、浅野長政にいかにも尤もらしく耳うちされ、内心、苦笑した。
「御母堂さまに、毒殺を企てられるとは、伊達殿もお気の毒---それゆえ、太閤殿下には格別の恩情を--とお願い申し上げておきましたぞ。」

―顔に出てやしないかと、冷や冷やしたぜ。―

 お互いに無事に戻った後、成実は、ニヤニヤする政宗に皮肉たっぷりに言った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

黒羽織

藤本 サクヤ
歴史・時代
時は江戸。 麹町平河町の陰間茶屋で、心を交わした侍と陰間に訪れた最後の夜――。

お鍋の方【11月末まで公開】

国香
歴史・時代
織田信長の妻・濃姫が恋敵? 茜さす紫野ゆき標野ゆき 野守は見ずや君が袖振る 紫草の匂へる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 出会いは永禄2(1559)年初春。 古歌で知られる蒲生野の。 桜の川のほとり、桜の城。 そこに、一人の少女が住んでいた。 ──小倉鍋── 少女のお鍋が出会ったのは、上洛する織田信長。 ───────────── 織田信長の側室・お鍋の方の物語。 ヒロインの出自等、諸説あり、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど謎なので、作者の妄想で書いて行きます。 通説とは違っていますので、あらかじめご了承頂きたく、お願い申し上げます。

商い幼女と猫侍

和紗かをる
歴史・時代
黒船来航から少しの時代。動物狂いでお家断絶になった侍、渡会正嗣と伊勢屋の次女ふたみはあるきっかけから協力して犬、猫、鶏と一緒になって世を守る。世直しドタバタ活劇。綺羅星の様な偉人ひしめく幕末の日本で、二人がひっそりと織り成す物語です。

ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す

矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。 はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき…… メイドと主の織りなす官能の世界です。

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜

雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。 そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。 これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。 主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美 ※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。 ※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。 ※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

処理中です...