非天の華

葛城 惶

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第1章 花衣

第3話 花菖蒲

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 「お国許から、お文でございます。」
 昼下がり、頼隆は徒然を持て余していた。
 座敷牢の中ではさしてする事もなく、書物も既に読み飽きた。史書の書き移しなどしようか----と思い巡らせていたところに、近習の少年がつつつ---と歩み寄り、格子の前に平伏した。元服前だろうか、赤みを帯びた頬はふっくらとして、前髪断ちが初々しい。
 頼隆が格子の側に寄ると、少年は軽く頭を下げて、格子の狭間から、朱房の紐で括られた黒漆塗りの文箱を差し出した。
 頼隆は恭しくそれを受け取ると、経机の前に戻り、『違い鷹ノ羽』の金箔の紋をじっと見つめ、そろそろと紐を解いた。
 中には、包紙にくるまれた文が二通---兄からの書状、それと拙い手跡で綴られた機嫌伺いの文---その中には可愛らしく折られた折り紙の菖蒲と兜が添えられていた。 
「宝珠丸どのか---。」
 頼隆は小さく微笑んだ。
 宝珠丸---というのは、幸隆の長子であり、頼隆が、自分の後継に、と養子にもらい受けるはずの男の子だった。

 
 頼隆が家督を相続することが決定した際に、当然ながら家中は揉めた。庶腹とは言え、人品ともに申し分の無い---欲を言えは、やや人の善すぎる感はあったが、家督を継ぐにはなんの支障もない、長兄の幸隆がいる。
 正室の子、嫡子とは言え、それを押し退けてまで、若輩の頼隆に家督を譲り隠居する---という隆久の決断が、家中の全てに受け入れられる筈が無かった。
 実際のところ、その決定に一番困惑し、反発したのは、後継に指名された頼隆自身だった。
ー何故、兄上がおいでになるのに、私が家督をつがねばならぬのですか。兄上のほうが、余程、国主に相応しいお方ではありませんか。ー
 憤りに頬を真っ赤にして詰め寄る頼隆に父親は、
ーあれは庶子じゃ。継がせるわけにはいかぬ。ー
の一点張りだった。
 当の幸隆の方も不服を顕にする家臣達を前に、
ー儂は庶子じゃ。嫡子たる頼隆を護り支えていくのが儂の役目じゃ。その役目に儂はなんの不満は無い。むしろ誇らしく思っておる。ー
とはっきりと言い切っていた。
 不満を持つ家臣達が謀反に踏み出さなかったのは、頼隆が暗愚ではなく、それ相応以上に文武に秀でていたこと、家臣の要である家老の志賀正恒が、軍義の際にすく---と立ち上がり、皆を睨み付けて言い放ったことにもあった。
ー幸隆さまは、平穏なる時なれば、実に善き君主であろう。しかし、今は戦国乱世、頼隆さまの『冷徹』が必要な世でもある。幸いにもお二人の仲はこの上なく円満じゃ。お互いに扶け合うて進まれれば、この国の安泰は揺るがぬ。むしろその仲を裂くような真似はゆめ致してはならぬ。そのようなものあらば、即刻、この儂の刀の錆にしてくれようぞ。ー

 実のところ、志賀は、あの頼隆の那賀訪問の際に随行した家老であった。自らの配慮の至らなさから、嗣子を傷もの(?)にしてしまった負い目もあり、同時にこの無謀とも言える決定が、「それ」に起因していることを薄々ながら察していた。
 当主の隆久にとっても幸隆にとっても、また当事者たる頼隆にとっても、苦渋の決断であったことは、それからしばらく頼隆が部屋に籠り、誰をも寄せ付けなかったことからも如実にわかった。

ー兄上こそが、白勢の当主。ー
 頼隆のその思いは、誰よりも強かった。
 頼隆にとって幸隆は、慕い仰ぎ見る存在であり、見下すものでは無かった。そして、頼隆には、今一つ、拭えない不安があった。初陣で自分の中に目覚めた『ある者』の姿が消えなかった。
 煩悶の結果、頼隆が導き出した答えは、
ー生涯、妻を娶らず、兄上の子に家督を譲る。ー
というものだった。
 家督を相続する際の条件として、自ら、兄幸隆を後見とすることを求めて、承諾を得ている。兄の子である宝珠丸を自らの養子とし、元服とともに家督を譲り、兄であり実父である幸隆を後見に据え、自らは隠居する---それが考え得る最良の道だった。
 この提案に、幸隆は当然の如く眉をひそめ、なんとか諭し宥めようとしたが、頼隆は頑として聞かなかった。
ー再び私のような柔弱な代物が後を継ぐようなことになれば、それこそお家の先が危ぶまれまする。ー
 結局、あの時の「傷」が、まだ癒えていないのだろう---と思うことにして、幸隆は長子の宝珠丸が元服の年になったら、頼隆の養子にする約束をして、なんとかその場を修めた。

 そして、兄であり、後見である幸隆が、次に手掛けたのは、頼隆に『恋』というものを教える事だった。
 九神直義の暴挙は、未熟な「恋心」のせいであり、いつかは赦してやれるように---と、頼隆自身が、自らに相応しい誰かと愛し合うことができるように---。
 今まで全く触れることの無かった源氏物語やら伊勢物語、和歌集などを取り寄せては、頼隆に読むことを勧めた。
 結果----頼隆が、自分が最も恋慕っているのが誰か、を自覚し、救われがたい絶望に襲われたことは皮肉としか言いようが無かった。想い合っても、決して結ばれない、結ばれてはならない『恋』は、やはり頼隆の胸の内に、ひっそりと仕舞われた。

ー仲睦まじい兄弟ー

 その仮面に気づき容赦なく剥ぎ取ったのは、他ならぬ九神直義だった。



「なんじゃ、随分と可愛らしげなものを眺めておるの。」
 その夜も当然の如く、頼隆の居室に入ってきた直義は、経机の上に並べられた折り紙にちら----と目をやった。
「吾子の、宝珠丸の贈り物じゃ。父に早う返ってきて欲しい、と文がきた。」
「養子どのか。」
 直義は、ふん、と鼻を鳴らして言った。
「さしずめ、文を書かせたのは実父であろう。幸隆めも、たいがい未練がましいのぅ
---。」
 そして無造作に、頼隆の身体はにのしかかり、押し開いた。頼隆の秘奥に無遠慮に指を捩じ込み、敏感な箇所をいたぶるように拡げながら、身を捩り切なげな吐息を漏らす頼隆に囁いた。
「この腹に孕ませてやれるなら、幾らでも子など授けてやろうものを---。母になれば、その心も嫌でも解れていくであろうからのぅ---」
「戯けたことを---、だ、誰がお前の子など---うっ---うぅ---」
「種を付け続ければ、出来るやもしれぬぞ。しかと受け止めよ。」

 容赦の無い交合に気を失い、幾ばくかの時を経てようやく目覚めた頼隆の視界に、折り紙の花はもはや姿を留めていなかった。
 
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