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八 イヅモ(三)
しおりを挟むヤチの館に戻り、事の次第を簡単にツヌに告げた。
「まぁ、仕方あるまい」
ツヌとて、そう血を見るのは好きではない。我が手を汚さずに始末をつけられるなら、それに越したことはない。
コオの自死を告げるのは、いささか躊躇われたが、ヤチにも伝えねばなるまい。
カヅチが、ヤチの前にどっかと座り、口を開こうとした時、先に言葉|を発したのは、ヤチだった。
「あれは...逝きましたか...。」
覡《かんなぎ》であれば、この流れは知り得ていたこと、されば既に何かを言い残していたとて不思議は無い。
―残るは...―
思い巡らしていたところに、ドカドカと荒々しい足音が近づいてきた。
「ヒルメの使者とやらは、何処じゃ。わがイヅモを踏みにじろうと企む輩は何処におる。わしがその首、へし折ってやろうぞ」
怒鳴りつつ近付いてくるその姿は、タケであろう。
気色ばむ兵達を手で制し、カヅチは静かに立ち上がった。
「我れが出よう」
続いて立ち上がろうとするツヌを鋭い眼差しが止めた。
「ぬしは、ヤチ殿を見張っていてくだされ」
剣を片手に館の前庭に降りた。側仕えの者達が三人五人がかりで押さえつけている男は、怒りで顔を真っ赤にして息巻いている。
体格は、ヤチ達とは異なり、十分に鍛えている気配はあった。が、平然と見下ろすカヅチには気負いの過ぎる姿が気の毒ですらあった。
―若いな...。―
せいぜい二十歳をひとつか二つ過ぎたくらいか...もしかしたら、もう少し若いかもしれない。
腕っぷしには自信があるかもしれないが、まだ戦い方を知らない。勢いだけが先に立っている感があった。
カヅチには、威圧感がある。カヅチは殊更に押さえた声で若者に呼び掛けた。
「我れはカヅチじゃ。その方、腕に覚えがあると言うなれば、我れと一対一の勝負にて雌雄を決しようではないか」
若者の顔に、一瞬、怯んだ気配がした。が、それを無理やり拭い去るように、甲高い怒号が響いた。
「望むところじゃ。ヒルメの腰巾着など、このイヅモのタケの敵ではないわ。」
―若造が...―
カヅチは、苦虫を噛み潰しながら、今少し広い野にタケを誘った。
スラリ...と剣を抜き放ち、対峙した。
「うおぉ---」
と猛び声を上げて切りかかってくる。が、脇が甘い。刃筋もブレている。力任せに振りかぶる切っ先を軽くいなす。
「おのれ...!」
ムキになって斬り込んでくるが、体勢が無惨なくらい崩れている。軽く一蹴して、手元を擦り上げると、タケの剣は、あっさりと放物線を描いて、背後の地面に突き刺さった。
「どうした。もう終まいか」
カヅチの声音はどこまでも淡々として、静かである。
「チクショウ!ならば...」
腕捲りをして殴りかかってくるのを、軽く外し、手首を取って捩じ上げ、蹴り飛ばす。
―少し、灸を据えてやらねばならんか...。―
再び、挑みかかってくるのをがしっと捕まえ、両腕を捻り上げる。
「少しは、落ち着かんか、若造」
カヅチは太い低い声音で、足掻くタケの耳許で囁いた。
「お前まで死に急いでなんとする。この地を獲られるのが口惜しいなら、自分で新たな地を切り開く度量と覚悟を持て」
そう言ってカヅチは今一度、両腕に力を込めた。どちらかは分からないが、ぼきっ...と嫌な音がした。タケは苦痛に顔を歪めた。骨が折れたのだ...ということは分かった。カヅチが手を弛めると、タケの身体は力なく地面に崩折れた。
「わしの敗けだ。...分かったよ。おぬしらには、ヤマトにはもぅ逆らわない。わしはこの地を出ていく。後はおぬしらの好きにするがいい」
捨て台詞を吐き、何処へか去ろうとするタケの襟首をカヅチが引っ掴んだ。
「親には挨拶くらいしていくもんだ」
カヅチはタケをヤチの待つ館に引き摺っていった。
ヤチは痛そうに顔をしかめるタケに走り寄り、その悔しげな顔を両手で挟んだ。
「わしは敗けた。もぅイヅモにはおれぬ...」
唇を噛むタケに、ヤチはうんうんと頷き、無表情で見下ろすカヅチの目を見た。
―抗おうた、罰は罰。―
腕一本で済むなら安いものであろう...とその厳しい面差しが語っていた。
その日の晩、タケは数人の従者とともにイヅモを出奔した。
「甘いな...」
ツヌは眉をひそめ、数人の部下に追撃を命じた。ただし―行き先を確認したら戻ってこい。―と密かに命じであった。タケの母はコシのクニの姫である。おそらく一旦は身を寄せるであろう。そこから向かうとすれば...
―スワか...。―
連なる険しい山々を越えねば、ヤマトには近付けぬ。であれば、黙殺したとしても、禍いの種というほどでもなかろう。
タケの背中を見送ったヤチは、カヅチとツヌに向かって改めて丁重な挨拶をした。
「我れは、此よりコオの待つ宮へと参ります」
「左様であるか」
二人も丁重に挨拶を返した。ふと、ヤチが言った。
「お願いがございます」
「何ぞ」
「我がみまかりましたなら、大きなる高き宮を建て、わが御霊をお祀りください」
「次は幽世を治めんとてか」
「左様。幽世にてこの地と我が民を見守りとう存じます」
ヤチの威厳ある姿は、イヅモの主としての最後の矜持を示さんとする誇りに満ちていた。
―顕世のイヅモは貴方がたに差し出しますが、幽世のイヅモは変わらず我がクニにございます。...―
カヅチとツヌは、黙って頷いた。
ヤチはほっ...と柔らかい表情に戻ると、側にいた侍女に一言二言、何かを告げた。侍女は、ひとりの夫人と幼子を連れてきた。
「わが民を捕虜となされますな。これにおるは、ヒルメ殿の娘タゴリと、我れとタゴリとの子、ヒコネにございます。これよりは、このヒコネが我が子らの束ね。ヒルメ殿の名代としてあい務め奉らせますゆえ、まずはタゴリとヒコネをヒルメ殿にお引き合わせ願いたい」
カヅチとツヌは顔を見合せたが、これには、ツヌが「あい分かった」と返事をした。
一通り、イヅモへの使いの務めを果たした後、カヅチとツヌはそれぞれの務めを果たすため、一度、別れた。カヅチは真っ直ぐフツの民の里へ戻り、ツヌはタゴリとヒコネを連れてヤマトに向かうことになった。
別れ際、ツヌはカヅチの顔をつくづくと眺めながら言った。
「ぬしも難儀な性分じゃの」
「何がじゃ」
「堅い...というか、律儀すぎるうえに、情が深すぎる」
「何を痴れた事を...。そのような筈も無かろう。この手ははや血にまみれておるに...」
顔をしかめるカヅチに、ツヌは、ふぅ、と大きく息をついた。
「まぁ良い。...そういえば、まだ娘は出来ぬのか」
「娘?」
「娘が出来たら、我が系の者の嫁に貰うと言うておったではないか」
ツヌは苦笑しながら言った。
「そのような事を言うておったか?」
「言うておったぞ。...まぁ、里に戻ったら、可愛い嫁ごが待っておろうゆえ、励んでくれ。...では、また」
渋い顔をするカヅチを残して、ツヌとその一行は、道の彼方に姿を消した。
「我らも早う帰ろうぞ」
傍らで、トリが言った。
「早う青い空が見たい。ここは気が滅入る」
「おぅ」
カヅチは頷いて、浜の船へと向かった。振り向くとイヅモの都は既に山霧の中に姿を隠していた。
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