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1巻
1-2
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なのに母上ときたら、剣の修練を却下しただけでなく、事もあろうに俺に刺繍やら菓子作りやらを教えるようにマリーに言いつけた。
これには俺もキレた。
『僕は女の子じゃありません。花嫁修業なんて必要ありません!』
いや、決して、個人の趣向としてそういうことを好む男子を否定するつもりはない。前世でもスイーツ男子やオトメンなる手芸や菓子作りやらを好む男もいた。
かく言う俺も前世は料理・裁縫をしない、できない訳じゃなかった。何せ自衛隊というところは自分の身の回りのことはできなきゃいけない、できて当たり前の世界だった。
行軍や野営で料理できません、破けた隊服も繕えません、では話にならないからな。
ほぼ日常に関わることはDIYから赤子の世話まで何でもできるのが自衛隊員。まあ、乳は出ないけど。
だからそれを解っている女子、特に仕事を持っている女子にはよくモテる、と先輩たちは言っていた。わからんけど。
でも、それとこれとは話が違う。少なくとも俺はオトメンではない。
『絶対、嫌です! 僕は剣が学びたいんです!』
そう言い放って一目散に部屋に走り込み、ニコルも追い出して籠城すること早六時間。そろそろ音を上げると思ったら大間違いだ。
「お腹空いたでしょ、もう出てこられたらいかがですか?」
お、今度は執事登場。扉の隙間から美味そうなグリルソースの匂い。これは子羊か?
でもそんなものには揺るがない。
「嫌です。花嫁修業なんてしません。剣の稽古を認めてくれるまで、ここから出ません!」
そんなことで俺を屈服させられると思ったら大間違い。
前世の山岳行軍の訓練なんて拠点に着くまで何も口にできない。まして災害派遣の時なんて、被災者の食べるものがないのに俺たちだけが飯を食うなんてできない。だから二日三日は食わないでも我慢できるんだ。
自衛隊員舐めんなよ、元だけど。
まあ水分は取らなきゃいけないから、こっそり持ち込んだコップに水魔法で水を注いで飲んでるけどな。これは本当の初歩の魔法だから誰でもできる。生活魔法ってやつ。
で、そんなこんなでさらに数時間。やっと外が静かになった。時計を見ると時間は一九:〇〇。
そういえば、今夜は母上は夜会だったな。結局、息子より夜会が大事な母上。まあ貴族の婦人なんてそんなもんだ。父上は仕事で王宮に詰めてるからな。
「寝るか……」
起きていれば体力は消耗する。明日もたぶんこの状態だから英気を養っておかないと。
「頑固だなぁ、お前は」
ふと、声が聞こえた。
「誰?」
「私だよ、リューディス」
おそるおそる声のするほうに目を向けるとふわんと部屋の隅が明るくなり、人の姿が浮かび上がった。
「兄様?」
そこに立っていたのは紛れもないカルロス兄上だった。
「お腹が空いたろう、食べなさい」
思わずベッドから飛び起きた俺の前に、バスケットに詰めたサンドイッチとミルクのポットを差し出し、ブルーグレーの瞳がにっこり笑った。
「兄様、どうやって……?」
「転移魔法だよ。空間魔法の一種だ」
「ふぇ……」
一度行ったことのある場所なら時空を飛び越えて行ける。かなり高度な魔法だ。
「父上たちには内緒だよ」
俺は、兄上が夜食に欲しいからと言ってシェフに作らせたサンドイッチを、ベッドの端に座ってもそもそと口に運んだ。
「なぜ、父上たちには内緒なんですか? 魔法のこと」
「知られると厄介だからね」
俺の頭をポンポンと軽く叩きながら、兄上はちょっと苦い笑いを溢して言った。
「そんなに剣の稽古がしたいのか?」
兄上の問いに大きく頷く。
「花嫁修業なんて……僕、男なのに、嫁なんて嫌です」
「まぁ……な」
兄上は小さく息をついた。
「私もまだ早すぎると思う。……というか、リューディスが他家に嫁に行くなんて考えたくもない……」
最後のほうは声が小さくて聞こえなかったけど、おそらく兄上は両親の方針には反対しているらしいとわかった。
俺は少しホッとして兄上の横顔を見た。
兄上もあまり大柄ではないが、やっぱり凛々しくて格好いい。
「父上と母上には私からも言っておくから……あまり無理しないように、ね」
兄上は肩に掛けていたネルのバッグを俺の肩に掛けて、小さく笑った。
「何?」
「マジックバッグだよ。果物とサンドイッチとキッシュが入ってる。ハンガーストライキはいいけど、子どもはちゃんと食べないと大きくならないからな」
バッグの中は異空間で、入れたものは鮮度も味もそのまま。前世の国民的アニメの丸々したロボットの四次元ポケットを思い出した。
兄上のほうが格段に格好いいけど。
「まぁ、ほどほどに頑張りなさい」
想定外のエールにポカンとしている俺を置いて、兄上はニコニコしながらまた空間に消えた。
まあ、廊下をちょっと隔てた自分の部屋に戻っただけだけど俺はちょっと感動した。
その翌々日、俺は無事に勝利を勝ち取った。
兄上、ありがとう。
兄上の協力もあり、俺は無事に剣の修練を始めることができた。
先生は、護衛騎士のクロード。
しかし……
「はあぁ……」
――って何だよ、しょっぱなからその大きな溜め息は。
「坊っちゃまは、お屋敷の中で刺繍とか編み物とか……」
お前もかよ、クロード!
俺は男だぞ。しかもアウトドア派!
「絶対やだ!」
真っ赤になって怒ると、クロードはやれやれといった表情で俺の顔を覗き込んだ。
「マジですか……」
俺は思いっきり大きく頷いた。
「じゃあ準備運動から……」
「ストレッチならしてきたぞ」
胸を張る俺にクロードが目を丸くする。
「ストレッチって……」
「んとね……腹筋二十回、背筋二十回、腕立て伏せ二十回、スクワット二十回とダッシュ二十本と柔軟体操してきた」
それぞれの回数が少ないのは、あまり小さいうちから筋肉つけると背が伸びなくなるからって兄上に言われたから。
そして、あれから兄上が朝の鍛練に付き合ってくれた。匍匐前進は禁止だけど、屋敷のテラスでのダッシュには付き合ってくれる。クラウチングスタートからだけどな。
あんまりパジャマ汚すとニコルが叱られるから、そこは配慮。
柔軟やストレッチもベッドの上でニコルに手伝ってもらう。
『まぁ体力づくりはいいことでしょう』
ニコルも渋い顔をしながら付き合ってくれる。
前世を思い出すまでは、俺は結構身体の弱い子で、よく熱を出してた。
前世を思い出してトレーニングを始めてからめっきり健康優良児になったので、ニコル的にも心配が減った訳だ。
「それじゃ……まぁ、基礎から始めましょうか」
そう言って、なかば呆れ気味にクロードが俺に手渡したのは木刀ならぬ木の剣。すごく軽いやつ。
「これ? ……本物じゃないの?」
俺がぷっと頬を膨らませると、かなり怖い顔で睨まれた。
「子どもが何を言ってるんですか。最初っから本物の剣なんか振ったら肩を壊しますよ」
そうでした。今の俺は五歳児、もうすぐ六歳。頭ではわかってはいるけど悲しいほど非力。
「じゃあ、素振りから……って何ですか、その構えかたは?」
悪い。前世の剣道の癖で両手で構えてたわ。こっちの世界じゃ剣は片手で持つもんなんだな。うん、やっぱり中世ヨーロッパっぽい。違うけど。
「片手で持って、こう……」
うん、サバイバルナイフの要領ね。もうちょい大きいけど。
悲しいかな、頭でわかっていても身体が付いてこない。まあ前とは器が違う。リーチも足の長さも違うしな。
そんなこんなで、俺は自分の満足できる動きができるまで数か月かかった。
でも、クロードはいい先生だ。面倒くさがっているふうでいて、最初から無理な打ち合いなんかさせない。
基本をきっちり覚えさせる方針なのはいいことだ。
退屈といえば退屈だけど、やっぱり武道は基礎大事。
「リューディス様はあまり力技は向かないと思いますので……」
非力と言われるのは腹が立つけど、柔軟性や俊敏性を高めるメニューも稽古に入れてくれた。
プロだわコイツ。
剣のほかにも弓や馬術なんかも少しずつ教えてくれるようになって、俺は充実したアウトドアライフを楽しんでいたが、少しだけ不思議なことがあった。
――いつも帯剣できるとは限らないので……
と言って、護身用に体術も教えてくれるんだけど、似てるんだよ、これが。
俺が自衛隊にいた時に教えてもらった、武器のない時に敵を制圧するための体術に、まんまそっくり。
――まさか……
ちょっと疑いたくなったけど、まあこっちの世界に似たような技術があっても不思議じゃないから、あえて聞かなかった。
そうして、みっちり身体を動かしてから朝ごはん。うん、運動の後の飯は美味い。
「もう少ししたら先生がおいでになるから、ちゃんと支度しておきなさい」
兄上の仰せにこっくり頷く。
俺のやる気を見込んで、兄上の説得で、両親は剣以外にもいろいろ学ばせようと家庭教師を雇った。
今日は魔術の先生が来るのだ。
魔術の先生はアミル先生といって何歳かは知らないけど、お爺ちゃん。魔術師団の団長さんだったんだって。
今は隠居して悠々自適で暮らしていて、時々気が向くと、貴族の子弟に魔術を教えているらしい。いいよな、そういう老後。
実際にはアミル先生は兄上の魔術の先生で、兄上は先生のお気に入り。俺はまだ小さいから、もっぱら兄上の魔術練習の見学と基礎のお勉強。まだ属性もわかってないしな。
今日もテラスの椅子に座って兄上の魔術練習をじっと見ているところだけど、兄上すごい。
的に目掛けて火の玉飛ばしたり、大きい石を風で巻き上げたり、俺はいつもビックリしてばかりだった。
でももっとすごいのはやっぱり水の魔法。細かい霧のような雨を降らせ、その後には綺麗な虹が出る。
「兄様、すごい! 虹、綺麗~!」
俺が喜んではしゃぐと兄上もとっても嬉しそうだった。しかも水魔法の上位魔法、氷魔法も使えるから、霰とか雹を降らせたりすることもできる。しかも無詠唱。
本当は魔法使う時って、自然の精霊の加護とか召喚のためになんか長ったらしい言葉を言わなくちゃいけない。
難しい魔法になればなるほど、長い言葉を言わなきゃならない。
俺だったら絶対噛むね、というかまず覚えられない。
でも、兄上は簡単な魔法だったら、無詠唱――何も言わなくても使えてしまう。とっても優秀だ。
アミル先生も兄上の才能は認めていて、できたら魔術師団にスカウトしたいようだ。
兄上も魔法大好きで本当は魔術師になりたいらしい。
けど、うちは代々、王様の側近で国の宰相を務めてきた家柄だから、兄上も王太子殿下の側近になって、将来は宰相を目指さなきゃならない。
兄上は学問もすごく優秀みたいだから心配はないらしいが、自分で好きな進路を選べないって辛いよな。
だからその分、俺には好きにさせようとしてるのか?
まあそういう難しい話は置いておいて、今日の俺には特別な計画があった。
ひとしきり兄上の練習が終わった辺りで、俺はキラッキラな眼差しで上目遣いで兄上を見つめておねだり。
「兄様、雪を降らせてください」
「雪?」
「えーと、うんと細かい雨を凍らせたやつです」
俺はキッチンから拝借してきた大きなボウルをとっても無邪気な表情で差し出した。
すでに傍らのテーブルの上にはガラスのカップとスプーンとベリーのソースが載っている。
もうおわかりであろう。
そう、かき氷である。
日本人にはお馴染みの夏の必須アイテム、かき氷。
まあ父上でも兄上でも、氷の塊を作ってもらってシェフにガリガリ削ってもらえるけどさ。
憧れなんだよ、新雪のかき氷。
前世に俺が住んでいた街はあまり雪が降らなくて、雪国育ちの同僚から聞くたびに羨ましかった。もっとも雪掻きの大変さを聞いたら住む気にはならなかった。演習の雪中行軍も辛かった。まじ遭難するかと思った。
「これでいいかな?」
兄上はちょっと眉根にシワを寄せて考えていたけど、ブツブツと何か呟いた後にはボウルいっぱいに真っ白な雪が積もっていた。
「ありがとう、兄様!!」
俺はさっそくボウルを受け取って器に取り分け、ベリーのソースをたっぷりかけた。
「え? 食べるのかい? リューディスくん」
「きっと美味しいですよ。はい、どうぞ」
アミル先生は目を白黒させていたが、俺が差し出した器から一匙すくって口に入れた途端に笑顔になった。
「兄様も食べましょうよ」
「リューディスってば……」
俺の満面笑顔にちょっと苦笑していた兄上も器を受け取り、かき氷を口に運んだ。
「美味いな……」
「でしょ? ……最高でしょ、新雪かき氷」
「こら……」
兄上に小さく頭をこつん、てされたけれど、フワッフワの雪のかき氷は最高に美味しかった。
兄上もアミル先生もにこにこの笑顔。
ちょっと頭キーンってなったけど最高に楽しいひとときだった。
やっぱり、魔術ってすごい!
第二章 冬の終わりのお客様
冬が来た。
俺たち――俺と兄上は王都より南にあるアマーティア家の領地で冬を過ごす。
この国の暦は、一年が十二か月、一月が三十日で前世とあまり変わりはない。いわゆる閏年はなく、一日が二十四時間だ。
ただ、「時間のない日」が一年に四回ある。
地球でいうところの夏至、冬至、春分、秋分だ。この日はどの月にも属していない。
そしてこの世界の新年は冬至の翌日から始まり、季節は冬にあたる。
この国ではそれぞれの時間のない日の翌日から新しい季節が始まるのだ。
王宮で新年を迎える儀式がなされ、新しい年の祝いの挨拶を終えると、俺たちは王都の神殿にある転移門を通って領地の教会に移動する。領地の教会で祝福を受けて領主館に入るのだ。
この時は両親も一緒だが、俺と兄上とともに新年の食事を済ませるとすぐに父上の転移魔法で王都の屋敷に戻った。
俺と兄上、ふたりの侍従、ふたりの護衛騎士、それとマリーが領主館に残り、冬が終わるまでここで過ごすのだ。
館には領地の管理をしている領主館の執事や使用人もいるが、王都の屋敷に比べると少ない。
もっとも王都の屋敷にいても両親とは滅多に顔を合わせないし、日常的に顔を合わせるのは、兄上と自分の周辺の人たちだけだから、あまり変わりはない。
というよりも、むしろ王都の屋敷の使用人より距離が近い。
領地執事のグレアムは俺たちをよく気にかけてくれるし、庭師も馬丁も親切だ。
何よりこの館の別棟には引退した祖父のフェルディナンド様と祖母のオーランド様がいる。
そしてオーランド様は男だ。
この国では男同士の結婚は普通だった。王様だけじゃなかったの?
『この世界では女性が極端に少なくてね。王家や高位貴族の嫡子が稀に異性をお嫁さんにするが、同性結婚が普通なんだよ』
赤ちゃんは? と訊くと、男でも赤ちゃんを授かる魔術があるそうな。これにはビックリ!
お祖父様が言うには、ずっと昔に流行った疫病のせいで女児の出生率が激減。それから今もなお減り続けているそうだ。
『王家では、王太子の正妃は他国の王家から迎えるから女性であることが多いが、国内で娶るのは難しいね』
母上が女なのは他国から嫁いできたから。ずっと仕えてくれているマリーはお付きの侍女で実は本国では男爵の奥さんだそうだ。キャリアウーマンだったんだな。
あ、でもお子さんは……そっと尋ねてみたら「もう成人してます」ってコロコロ笑っていた。マリーは母上よりずっと年上っぽいもんな。
でも、その国でもやっぱり女児は減っていてもはや幻。
窮余の策として異世界から召喚することもあるとか。
今の王太子の王妃はそうやって異世界から招いた人だという。
う~ん、ラノベだ。ファンタジーだ。
お祖父様夫夫は元々幼馴染で、お祖父様は次男坊だったから迷わず結婚した。
その時の公爵家の長男は病気で亡くなって、奥さんもやっぱり他国の人だったから国に帰ってしまった。それでお祖父様が公爵家を継いだそうだ。
『だから、男同士だからって結婚しても不思議じゃないよ』
お祖母様はそう言うけど、俺は嫌だ。王子様の嫁になんかなりたくない。
俺がむくれていると、兄上が優しく頭を撫でてくれた。
『無理に王子と婚約することなんてないよ。リューディスはリューディスの好きになった人と結婚すればいい。男でも女でも……。私としてはリューディスがお嫁さんをもらって、領地経営を手伝ってくれたほうが嬉しいな』
兄上がニコニコと笑って言う。
そうだなっ! さすが兄上、わかってらっしゃる!!
……ってそう言いながら、なぜダンスのレッスンがパートナーのポジなんだ?
「だって、私はリード側でしか踊れないもの。それにリューディスの手をほかの人に握られたくない」
キラッキラの、でもそこはかとなく黒い笑顔で言わないでくれない? もしかしてヤンデレ入ってませんか?
しかも、お誕生日のお祝い兼マジックバッグのお祝いに何がいいか? って訊いたら――
「リューディスの刺繍入りのハンカチ」ってなんだかなぁ……
結局、お祖母様に指南してもらいながらちくちくちくちく……、冬の間、ずっと頑張りましたよ。まあ、前世で裁縫できなかった訳じゃないから、それなりのものができたけど。
お祖母様が出来映えにビックリしていた。元々器用だからね、リューディスくんは。
ちなみにこのリューディスくんハンカチは思わぬ付加価値があるらしい。
これはまた後日のお話。
ついでに、「リューディスの作ったおやつが食べたい」とか言い出した兄上。
作りましたよ……お汁粉。
え? 寒い日にはやっぱりコレでしょ。日本人なんだから、元だけど。
小豆らしき豆があったので、前日から水に浸して柔らかくして、砂糖を加えてことこと煮て……残念ながら餅がない。米は貴重品だし、粉にする時間もないので断念。代わりに小麦粉を練って団子にして入れた。水飩汁粉になっちゃったけど。
お祖母様たちはおっかなビックリな顔をしていたけれど、兄上は美味しそうって、やっぱりニコニコしてて……お代わりまでしてくれました。
まぁ、一度口に入れたら、お祖父様もお祖母様も美味い、美味しいって絶賛してくださいましたけどね。
張り切ってうどんまで打っちゃったのはやりすぎたかもしれない。
でも出汁も醤油もマヨネーズもあるのよ、この世界。
聞くと異世界の人から伝わったものなんだという。結構、異世界から来る人がいるらしい。
王太子様の王妃も異世界人らしいしな。
そのうち会ってみたいな、異世界人……
冬の終わりが近づいたその日、アマーティア領の屋敷はバタバタと慌ただしかった。
「どうかしたの?」
俺が尋ねると、執事のグレアムがなかば青ざめながら答えた。
「お客様がおみえになるんです。とっても怖い方ですから、お行儀よくしてくださいね」
「王様よりも?」
尋ねる俺にお祖母様がちょっと苦笑いして、人差し指を唇にあてた。
「そうだね。……ある意味、王様より怖いかもしれないね」
「誰?」
「カーレント辺境伯よ」
「辺境……伯!?」
お祖母様の答えに、なぜか兄上もさぁっと青ざめた。
「どうしたの? 兄様……」
「リューディス、辺境伯様はね……」
カーレント辺境伯は今の王様の弟君で、魔獣の多く出現する国境地帯を治めている、とっても強い怖い人だという。
まぁそれよりも俺は別のことが気になった。
「魔獣って、いるの?」
「そこかぁ?」
兄上は苦笑しながら、角の生えた兎や大きい岩のように硬い熊、首が三つもある狼の話をしてくれた。
「王都の周辺やこの領地にはほとんどいないから、安心していいよ」
「ねぇ、龍は? ドラゴンはいるの?」
「さぁ……私はわからない。辺境伯がいらしたら訊いてみるといい」
兄上はちょっぴり心配そうに、キラキラに眼を輝かせている俺の頭を撫でて笑った。
そうして、やってきた辺境伯は……デカかった。
クロードも大きいけど、オーラというか迫力がクロードよりも二倍増しくらいにすごかった。
何せクロードが普通のお兄さんに見えたくらいだ。
あ、クロードは二十代後半だからおじさんじゃないよね。かなり落ち着いて見えるけど。
エントランスでみんなで出迎えたが、お祖父様もお祖母様も真っ青、兄上なんか今にも倒れそうだった。
――でけぇ……格好いい……ー
俺はといえば、迫力に圧倒されてポカンと口を開けて見上げてしまった。しかも……
「リューディス! ご挨拶を……」
真っ青な顔のお祖父様に突っつかれて、思わずやらかしちまった。
「はいっ、アマーティア公爵家、次男リューディス・アマーティアであります! お目にかかれて光栄であります!」
貴族の礼をしなきゃいけないのに、思わずめいっぱい胸を張って敬礼しちまった。
仕方ないだろ、テンパってたんだから……。習慣、怖い。
「リューディス!」
お祖父様の悲痛な叫びに我に帰った時には遅かった。
急いで貴族の礼をし直して項垂れた。
「あの……失礼しました。すごい緊張してしまって……」
「子どものことゆえお許しを……」
必死に取りなすお祖父様、お祖母様、難しい顔の辺境伯。
沈黙が痛い。
これには俺もキレた。
『僕は女の子じゃありません。花嫁修業なんて必要ありません!』
いや、決して、個人の趣向としてそういうことを好む男子を否定するつもりはない。前世でもスイーツ男子やオトメンなる手芸や菓子作りやらを好む男もいた。
かく言う俺も前世は料理・裁縫をしない、できない訳じゃなかった。何せ自衛隊というところは自分の身の回りのことはできなきゃいけない、できて当たり前の世界だった。
行軍や野営で料理できません、破けた隊服も繕えません、では話にならないからな。
ほぼ日常に関わることはDIYから赤子の世話まで何でもできるのが自衛隊員。まあ、乳は出ないけど。
だからそれを解っている女子、特に仕事を持っている女子にはよくモテる、と先輩たちは言っていた。わからんけど。
でも、それとこれとは話が違う。少なくとも俺はオトメンではない。
『絶対、嫌です! 僕は剣が学びたいんです!』
そう言い放って一目散に部屋に走り込み、ニコルも追い出して籠城すること早六時間。そろそろ音を上げると思ったら大間違いだ。
「お腹空いたでしょ、もう出てこられたらいかがですか?」
お、今度は執事登場。扉の隙間から美味そうなグリルソースの匂い。これは子羊か?
でもそんなものには揺るがない。
「嫌です。花嫁修業なんてしません。剣の稽古を認めてくれるまで、ここから出ません!」
そんなことで俺を屈服させられると思ったら大間違い。
前世の山岳行軍の訓練なんて拠点に着くまで何も口にできない。まして災害派遣の時なんて、被災者の食べるものがないのに俺たちだけが飯を食うなんてできない。だから二日三日は食わないでも我慢できるんだ。
自衛隊員舐めんなよ、元だけど。
まあ水分は取らなきゃいけないから、こっそり持ち込んだコップに水魔法で水を注いで飲んでるけどな。これは本当の初歩の魔法だから誰でもできる。生活魔法ってやつ。
で、そんなこんなでさらに数時間。やっと外が静かになった。時計を見ると時間は一九:〇〇。
そういえば、今夜は母上は夜会だったな。結局、息子より夜会が大事な母上。まあ貴族の婦人なんてそんなもんだ。父上は仕事で王宮に詰めてるからな。
「寝るか……」
起きていれば体力は消耗する。明日もたぶんこの状態だから英気を養っておかないと。
「頑固だなぁ、お前は」
ふと、声が聞こえた。
「誰?」
「私だよ、リューディス」
おそるおそる声のするほうに目を向けるとふわんと部屋の隅が明るくなり、人の姿が浮かび上がった。
「兄様?」
そこに立っていたのは紛れもないカルロス兄上だった。
「お腹が空いたろう、食べなさい」
思わずベッドから飛び起きた俺の前に、バスケットに詰めたサンドイッチとミルクのポットを差し出し、ブルーグレーの瞳がにっこり笑った。
「兄様、どうやって……?」
「転移魔法だよ。空間魔法の一種だ」
「ふぇ……」
一度行ったことのある場所なら時空を飛び越えて行ける。かなり高度な魔法だ。
「父上たちには内緒だよ」
俺は、兄上が夜食に欲しいからと言ってシェフに作らせたサンドイッチを、ベッドの端に座ってもそもそと口に運んだ。
「なぜ、父上たちには内緒なんですか? 魔法のこと」
「知られると厄介だからね」
俺の頭をポンポンと軽く叩きながら、兄上はちょっと苦い笑いを溢して言った。
「そんなに剣の稽古がしたいのか?」
兄上の問いに大きく頷く。
「花嫁修業なんて……僕、男なのに、嫁なんて嫌です」
「まぁ……な」
兄上は小さく息をついた。
「私もまだ早すぎると思う。……というか、リューディスが他家に嫁に行くなんて考えたくもない……」
最後のほうは声が小さくて聞こえなかったけど、おそらく兄上は両親の方針には反対しているらしいとわかった。
俺は少しホッとして兄上の横顔を見た。
兄上もあまり大柄ではないが、やっぱり凛々しくて格好いい。
「父上と母上には私からも言っておくから……あまり無理しないように、ね」
兄上は肩に掛けていたネルのバッグを俺の肩に掛けて、小さく笑った。
「何?」
「マジックバッグだよ。果物とサンドイッチとキッシュが入ってる。ハンガーストライキはいいけど、子どもはちゃんと食べないと大きくならないからな」
バッグの中は異空間で、入れたものは鮮度も味もそのまま。前世の国民的アニメの丸々したロボットの四次元ポケットを思い出した。
兄上のほうが格段に格好いいけど。
「まぁ、ほどほどに頑張りなさい」
想定外のエールにポカンとしている俺を置いて、兄上はニコニコしながらまた空間に消えた。
まあ、廊下をちょっと隔てた自分の部屋に戻っただけだけど俺はちょっと感動した。
その翌々日、俺は無事に勝利を勝ち取った。
兄上、ありがとう。
兄上の協力もあり、俺は無事に剣の修練を始めることができた。
先生は、護衛騎士のクロード。
しかし……
「はあぁ……」
――って何だよ、しょっぱなからその大きな溜め息は。
「坊っちゃまは、お屋敷の中で刺繍とか編み物とか……」
お前もかよ、クロード!
俺は男だぞ。しかもアウトドア派!
「絶対やだ!」
真っ赤になって怒ると、クロードはやれやれといった表情で俺の顔を覗き込んだ。
「マジですか……」
俺は思いっきり大きく頷いた。
「じゃあ準備運動から……」
「ストレッチならしてきたぞ」
胸を張る俺にクロードが目を丸くする。
「ストレッチって……」
「んとね……腹筋二十回、背筋二十回、腕立て伏せ二十回、スクワット二十回とダッシュ二十本と柔軟体操してきた」
それぞれの回数が少ないのは、あまり小さいうちから筋肉つけると背が伸びなくなるからって兄上に言われたから。
そして、あれから兄上が朝の鍛練に付き合ってくれた。匍匐前進は禁止だけど、屋敷のテラスでのダッシュには付き合ってくれる。クラウチングスタートからだけどな。
あんまりパジャマ汚すとニコルが叱られるから、そこは配慮。
柔軟やストレッチもベッドの上でニコルに手伝ってもらう。
『まぁ体力づくりはいいことでしょう』
ニコルも渋い顔をしながら付き合ってくれる。
前世を思い出すまでは、俺は結構身体の弱い子で、よく熱を出してた。
前世を思い出してトレーニングを始めてからめっきり健康優良児になったので、ニコル的にも心配が減った訳だ。
「それじゃ……まぁ、基礎から始めましょうか」
そう言って、なかば呆れ気味にクロードが俺に手渡したのは木刀ならぬ木の剣。すごく軽いやつ。
「これ? ……本物じゃないの?」
俺がぷっと頬を膨らませると、かなり怖い顔で睨まれた。
「子どもが何を言ってるんですか。最初っから本物の剣なんか振ったら肩を壊しますよ」
そうでした。今の俺は五歳児、もうすぐ六歳。頭ではわかってはいるけど悲しいほど非力。
「じゃあ、素振りから……って何ですか、その構えかたは?」
悪い。前世の剣道の癖で両手で構えてたわ。こっちの世界じゃ剣は片手で持つもんなんだな。うん、やっぱり中世ヨーロッパっぽい。違うけど。
「片手で持って、こう……」
うん、サバイバルナイフの要領ね。もうちょい大きいけど。
悲しいかな、頭でわかっていても身体が付いてこない。まあ前とは器が違う。リーチも足の長さも違うしな。
そんなこんなで、俺は自分の満足できる動きができるまで数か月かかった。
でも、クロードはいい先生だ。面倒くさがっているふうでいて、最初から無理な打ち合いなんかさせない。
基本をきっちり覚えさせる方針なのはいいことだ。
退屈といえば退屈だけど、やっぱり武道は基礎大事。
「リューディス様はあまり力技は向かないと思いますので……」
非力と言われるのは腹が立つけど、柔軟性や俊敏性を高めるメニューも稽古に入れてくれた。
プロだわコイツ。
剣のほかにも弓や馬術なんかも少しずつ教えてくれるようになって、俺は充実したアウトドアライフを楽しんでいたが、少しだけ不思議なことがあった。
――いつも帯剣できるとは限らないので……
と言って、護身用に体術も教えてくれるんだけど、似てるんだよ、これが。
俺が自衛隊にいた時に教えてもらった、武器のない時に敵を制圧するための体術に、まんまそっくり。
――まさか……
ちょっと疑いたくなったけど、まあこっちの世界に似たような技術があっても不思議じゃないから、あえて聞かなかった。
そうして、みっちり身体を動かしてから朝ごはん。うん、運動の後の飯は美味い。
「もう少ししたら先生がおいでになるから、ちゃんと支度しておきなさい」
兄上の仰せにこっくり頷く。
俺のやる気を見込んで、兄上の説得で、両親は剣以外にもいろいろ学ばせようと家庭教師を雇った。
今日は魔術の先生が来るのだ。
魔術の先生はアミル先生といって何歳かは知らないけど、お爺ちゃん。魔術師団の団長さんだったんだって。
今は隠居して悠々自適で暮らしていて、時々気が向くと、貴族の子弟に魔術を教えているらしい。いいよな、そういう老後。
実際にはアミル先生は兄上の魔術の先生で、兄上は先生のお気に入り。俺はまだ小さいから、もっぱら兄上の魔術練習の見学と基礎のお勉強。まだ属性もわかってないしな。
今日もテラスの椅子に座って兄上の魔術練習をじっと見ているところだけど、兄上すごい。
的に目掛けて火の玉飛ばしたり、大きい石を風で巻き上げたり、俺はいつもビックリしてばかりだった。
でももっとすごいのはやっぱり水の魔法。細かい霧のような雨を降らせ、その後には綺麗な虹が出る。
「兄様、すごい! 虹、綺麗~!」
俺が喜んではしゃぐと兄上もとっても嬉しそうだった。しかも水魔法の上位魔法、氷魔法も使えるから、霰とか雹を降らせたりすることもできる。しかも無詠唱。
本当は魔法使う時って、自然の精霊の加護とか召喚のためになんか長ったらしい言葉を言わなくちゃいけない。
難しい魔法になればなるほど、長い言葉を言わなきゃならない。
俺だったら絶対噛むね、というかまず覚えられない。
でも、兄上は簡単な魔法だったら、無詠唱――何も言わなくても使えてしまう。とっても優秀だ。
アミル先生も兄上の才能は認めていて、できたら魔術師団にスカウトしたいようだ。
兄上も魔法大好きで本当は魔術師になりたいらしい。
けど、うちは代々、王様の側近で国の宰相を務めてきた家柄だから、兄上も王太子殿下の側近になって、将来は宰相を目指さなきゃならない。
兄上は学問もすごく優秀みたいだから心配はないらしいが、自分で好きな進路を選べないって辛いよな。
だからその分、俺には好きにさせようとしてるのか?
まあそういう難しい話は置いておいて、今日の俺には特別な計画があった。
ひとしきり兄上の練習が終わった辺りで、俺はキラッキラな眼差しで上目遣いで兄上を見つめておねだり。
「兄様、雪を降らせてください」
「雪?」
「えーと、うんと細かい雨を凍らせたやつです」
俺はキッチンから拝借してきた大きなボウルをとっても無邪気な表情で差し出した。
すでに傍らのテーブルの上にはガラスのカップとスプーンとベリーのソースが載っている。
もうおわかりであろう。
そう、かき氷である。
日本人にはお馴染みの夏の必須アイテム、かき氷。
まあ父上でも兄上でも、氷の塊を作ってもらってシェフにガリガリ削ってもらえるけどさ。
憧れなんだよ、新雪のかき氷。
前世に俺が住んでいた街はあまり雪が降らなくて、雪国育ちの同僚から聞くたびに羨ましかった。もっとも雪掻きの大変さを聞いたら住む気にはならなかった。演習の雪中行軍も辛かった。まじ遭難するかと思った。
「これでいいかな?」
兄上はちょっと眉根にシワを寄せて考えていたけど、ブツブツと何か呟いた後にはボウルいっぱいに真っ白な雪が積もっていた。
「ありがとう、兄様!!」
俺はさっそくボウルを受け取って器に取り分け、ベリーのソースをたっぷりかけた。
「え? 食べるのかい? リューディスくん」
「きっと美味しいですよ。はい、どうぞ」
アミル先生は目を白黒させていたが、俺が差し出した器から一匙すくって口に入れた途端に笑顔になった。
「兄様も食べましょうよ」
「リューディスってば……」
俺の満面笑顔にちょっと苦笑していた兄上も器を受け取り、かき氷を口に運んだ。
「美味いな……」
「でしょ? ……最高でしょ、新雪かき氷」
「こら……」
兄上に小さく頭をこつん、てされたけれど、フワッフワの雪のかき氷は最高に美味しかった。
兄上もアミル先生もにこにこの笑顔。
ちょっと頭キーンってなったけど最高に楽しいひとときだった。
やっぱり、魔術ってすごい!
第二章 冬の終わりのお客様
冬が来た。
俺たち――俺と兄上は王都より南にあるアマーティア家の領地で冬を過ごす。
この国の暦は、一年が十二か月、一月が三十日で前世とあまり変わりはない。いわゆる閏年はなく、一日が二十四時間だ。
ただ、「時間のない日」が一年に四回ある。
地球でいうところの夏至、冬至、春分、秋分だ。この日はどの月にも属していない。
そしてこの世界の新年は冬至の翌日から始まり、季節は冬にあたる。
この国ではそれぞれの時間のない日の翌日から新しい季節が始まるのだ。
王宮で新年を迎える儀式がなされ、新しい年の祝いの挨拶を終えると、俺たちは王都の神殿にある転移門を通って領地の教会に移動する。領地の教会で祝福を受けて領主館に入るのだ。
この時は両親も一緒だが、俺と兄上とともに新年の食事を済ませるとすぐに父上の転移魔法で王都の屋敷に戻った。
俺と兄上、ふたりの侍従、ふたりの護衛騎士、それとマリーが領主館に残り、冬が終わるまでここで過ごすのだ。
館には領地の管理をしている領主館の執事や使用人もいるが、王都の屋敷に比べると少ない。
もっとも王都の屋敷にいても両親とは滅多に顔を合わせないし、日常的に顔を合わせるのは、兄上と自分の周辺の人たちだけだから、あまり変わりはない。
というよりも、むしろ王都の屋敷の使用人より距離が近い。
領地執事のグレアムは俺たちをよく気にかけてくれるし、庭師も馬丁も親切だ。
何よりこの館の別棟には引退した祖父のフェルディナンド様と祖母のオーランド様がいる。
そしてオーランド様は男だ。
この国では男同士の結婚は普通だった。王様だけじゃなかったの?
『この世界では女性が極端に少なくてね。王家や高位貴族の嫡子が稀に異性をお嫁さんにするが、同性結婚が普通なんだよ』
赤ちゃんは? と訊くと、男でも赤ちゃんを授かる魔術があるそうな。これにはビックリ!
お祖父様が言うには、ずっと昔に流行った疫病のせいで女児の出生率が激減。それから今もなお減り続けているそうだ。
『王家では、王太子の正妃は他国の王家から迎えるから女性であることが多いが、国内で娶るのは難しいね』
母上が女なのは他国から嫁いできたから。ずっと仕えてくれているマリーはお付きの侍女で実は本国では男爵の奥さんだそうだ。キャリアウーマンだったんだな。
あ、でもお子さんは……そっと尋ねてみたら「もう成人してます」ってコロコロ笑っていた。マリーは母上よりずっと年上っぽいもんな。
でも、その国でもやっぱり女児は減っていてもはや幻。
窮余の策として異世界から召喚することもあるとか。
今の王太子の王妃はそうやって異世界から招いた人だという。
う~ん、ラノベだ。ファンタジーだ。
お祖父様夫夫は元々幼馴染で、お祖父様は次男坊だったから迷わず結婚した。
その時の公爵家の長男は病気で亡くなって、奥さんもやっぱり他国の人だったから国に帰ってしまった。それでお祖父様が公爵家を継いだそうだ。
『だから、男同士だからって結婚しても不思議じゃないよ』
お祖母様はそう言うけど、俺は嫌だ。王子様の嫁になんかなりたくない。
俺がむくれていると、兄上が優しく頭を撫でてくれた。
『無理に王子と婚約することなんてないよ。リューディスはリューディスの好きになった人と結婚すればいい。男でも女でも……。私としてはリューディスがお嫁さんをもらって、領地経営を手伝ってくれたほうが嬉しいな』
兄上がニコニコと笑って言う。
そうだなっ! さすが兄上、わかってらっしゃる!!
……ってそう言いながら、なぜダンスのレッスンがパートナーのポジなんだ?
「だって、私はリード側でしか踊れないもの。それにリューディスの手をほかの人に握られたくない」
キラッキラの、でもそこはかとなく黒い笑顔で言わないでくれない? もしかしてヤンデレ入ってませんか?
しかも、お誕生日のお祝い兼マジックバッグのお祝いに何がいいか? って訊いたら――
「リューディスの刺繍入りのハンカチ」ってなんだかなぁ……
結局、お祖母様に指南してもらいながらちくちくちくちく……、冬の間、ずっと頑張りましたよ。まあ、前世で裁縫できなかった訳じゃないから、それなりのものができたけど。
お祖母様が出来映えにビックリしていた。元々器用だからね、リューディスくんは。
ちなみにこのリューディスくんハンカチは思わぬ付加価値があるらしい。
これはまた後日のお話。
ついでに、「リューディスの作ったおやつが食べたい」とか言い出した兄上。
作りましたよ……お汁粉。
え? 寒い日にはやっぱりコレでしょ。日本人なんだから、元だけど。
小豆らしき豆があったので、前日から水に浸して柔らかくして、砂糖を加えてことこと煮て……残念ながら餅がない。米は貴重品だし、粉にする時間もないので断念。代わりに小麦粉を練って団子にして入れた。水飩汁粉になっちゃったけど。
お祖母様たちはおっかなビックリな顔をしていたけれど、兄上は美味しそうって、やっぱりニコニコしてて……お代わりまでしてくれました。
まぁ、一度口に入れたら、お祖父様もお祖母様も美味い、美味しいって絶賛してくださいましたけどね。
張り切ってうどんまで打っちゃったのはやりすぎたかもしれない。
でも出汁も醤油もマヨネーズもあるのよ、この世界。
聞くと異世界の人から伝わったものなんだという。結構、異世界から来る人がいるらしい。
王太子様の王妃も異世界人らしいしな。
そのうち会ってみたいな、異世界人……
冬の終わりが近づいたその日、アマーティア領の屋敷はバタバタと慌ただしかった。
「どうかしたの?」
俺が尋ねると、執事のグレアムがなかば青ざめながら答えた。
「お客様がおみえになるんです。とっても怖い方ですから、お行儀よくしてくださいね」
「王様よりも?」
尋ねる俺にお祖母様がちょっと苦笑いして、人差し指を唇にあてた。
「そうだね。……ある意味、王様より怖いかもしれないね」
「誰?」
「カーレント辺境伯よ」
「辺境……伯!?」
お祖母様の答えに、なぜか兄上もさぁっと青ざめた。
「どうしたの? 兄様……」
「リューディス、辺境伯様はね……」
カーレント辺境伯は今の王様の弟君で、魔獣の多く出現する国境地帯を治めている、とっても強い怖い人だという。
まぁそれよりも俺は別のことが気になった。
「魔獣って、いるの?」
「そこかぁ?」
兄上は苦笑しながら、角の生えた兎や大きい岩のように硬い熊、首が三つもある狼の話をしてくれた。
「王都の周辺やこの領地にはほとんどいないから、安心していいよ」
「ねぇ、龍は? ドラゴンはいるの?」
「さぁ……私はわからない。辺境伯がいらしたら訊いてみるといい」
兄上はちょっぴり心配そうに、キラキラに眼を輝かせている俺の頭を撫でて笑った。
そうして、やってきた辺境伯は……デカかった。
クロードも大きいけど、オーラというか迫力がクロードよりも二倍増しくらいにすごかった。
何せクロードが普通のお兄さんに見えたくらいだ。
あ、クロードは二十代後半だからおじさんじゃないよね。かなり落ち着いて見えるけど。
エントランスでみんなで出迎えたが、お祖父様もお祖母様も真っ青、兄上なんか今にも倒れそうだった。
――でけぇ……格好いい……ー
俺はといえば、迫力に圧倒されてポカンと口を開けて見上げてしまった。しかも……
「リューディス! ご挨拶を……」
真っ青な顔のお祖父様に突っつかれて、思わずやらかしちまった。
「はいっ、アマーティア公爵家、次男リューディス・アマーティアであります! お目にかかれて光栄であります!」
貴族の礼をしなきゃいけないのに、思わずめいっぱい胸を張って敬礼しちまった。
仕方ないだろ、テンパってたんだから……。習慣、怖い。
「リューディス!」
お祖父様の悲痛な叫びに我に帰った時には遅かった。
急いで貴族の礼をし直して項垂れた。
「あの……失礼しました。すごい緊張してしまって……」
「子どものことゆえお許しを……」
必死に取りなすお祖父様、お祖母様、難しい顔の辺境伯。
沈黙が痛い。
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