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第七章:
断章⑨
しおりを挟む天地の間を、光の階がつないでいる。
雲の合間から漏れ出た陽光は、黒い帳が吹き払われたヴァイスブルクを照らし出した。しぶとく残っていた不死者や、逸れた蔓宵蛾たちが、その輝きに包まれて塵と消えていく。恐る恐る外をうかがっていた街の衆から、盛大に歓声が上がった。
……その中にはもちろん、ようやく恐怖の対象から解放された、グラディオーレ商会の看板娘もいるわけで。
「きゃーっやったああああ!! お嬢様たちすごい、一生ついていきますー!!!」
「はいはい、わかったから。ルカはもう落ち着きなって」
さっきまで恐慌状態だった反動だろう、ひたすらはしゃいでそこら中の人に飛びついているルカに、雇い主たるシェーラ女将は苦笑するしかない。気持ちはわからなくもないが、あとで羞恥のあまり店に出られなくなったりしないだろうな、この子は。
「しかしまあ、大事になったもんだねぇ。うちの人、今どの辺まで戻ってきてるんだろう? クランの情報網でどうにか繋ぎを取って……」
何かしら影響が出ていないといいけど、とぶつぶつやっていたら、ちょうどルカの被害に遭ったひとがよろけたのが見えた。後ろ向きにたたらを踏んだのを、とっさに手を出して支える。全く、元気なのはいいが、ちょっとはしゃぎすぎだ。
「すみませんね。普段はもうちょっと落ち着いてるんですけど、あの子」
「はははっ、そりゃああんな目に遭えばねえ。私は平気ですんで、お気になさらず」
気さくに返して離れていった通行人を見送って、女将はおや、と目を瞬いた。ヴァイスブルクには各国から人や物が集うから、商人は必然的にさまざまな言語に触れることになる。どれだけ上手くグローアライヒの言葉を話していても、かすかな生国の訛りを自然に聞き分けられる程度には。
(……今のお兄さん、『私』が『あたし』に聞こえたね。レディアントの下町訛りか)
しまった、あっちの物流の様子を聞いとけばよかったと、ほんのちょっぴり後悔したシェーラだった。
ごく普通の足取りで表通りを行き、人目がなくなったところでふいに道を折れる。そのまま二度三度と曲がって、路地の一角で立ち止まる頃には、辺りからはまったく人の気配が失せていた。
こういった商都は、最初から大きな街だったところばかりではない。このヴァイスブルクのように王家の離宮が建設され、立地の良さから各国の商隊が訪れる要衝となって、徐々に規模を拡大していった地では、こうした死角――入り組んだ路地や貧民窟といった、光の届かない場所を抱えることになる。
「ま、そうはいっても新興大国の第三の都市。経済的に潤っているのに加えて、今の公爵閣下は国内外で評判の人格者、と来てますからねぇ」
《――有事に当たって、自ら剣を取り前線に立つような、か》
「ご名答です。話に聞いただけならまず信じませんでしたがね、私は」
皮肉交じりの独り言に、ごく近くから返答があった。
目だけを向けた先に生えている、左右の民家の壁に挟まれ、窮屈そうに身をすぼめた灌木。その枝の間にちょこんと留まった、手のひらに収まるくらいの小鳥がいる。
しかしよくよく見れば、つぶらな瞳は丸く磨いた黒い石、艶やかな羽根は薄く削って張り重ねた、これもまた何かの鉱石で出来ていた。仕草だけは本物の動物のようにきょとん、と小首を傾げた内部から、響いてくるのは落ち着いた男性の声だ。
《相変わらず辛辣だな……我々にとっては近い将来、間接的にお仕えするかもしれない方だ。もう少し手心を加えてやってくれ》
「分かってますって、その辺の見極めも兼ねて来てますからね。ひとまず及第ってことで大丈夫そうですぜ? ――ああ、それともう一つ」
――がッ!!
風鳴りに、石を穿つ鋭い音が続く。そちらを一顧だにせず投げ放った、細長い針のようなものが、ふらふら飛んでいた蔓宵蛾の一匹を貫いていた。その場で塵と化して崩れ去る、黒い残滓を掬い取って、油紙に包んで懐に収める。ただの生き残りだとは思うが、油断は禁物だ。
「こちらのご領主なんですが、どうも生き別れの小鳥と再会なさったそうで。例の案件、あんまり差し迫ったもんじゃなくなるかも」
《本当か!? ……もしそうなるなら、我々全員にとって最も有り難いが》
「ですね。誰だって生まれ故郷が一番でしょうから。――そんじゃまあ、私は引き続き王都も探ってきますんで」
《ああ、頼んだぞ。くれぐれも気を付けて行けよ? 何かあったら》
「またコイツに言伝を頼む、ですね。了解です、旦那方もお気をつけて」
今後のことを素早く打ち合わせて、足早にその場を後にする。偽の小鳥はしばらくその場にうずくまっていたが、やがて鉱石の翼をかしゃ、と広げると、本物そっくりの仕草で羽ばたいて空へ消えていく。
間もなく夕暮れ。慌ただしい一日をようやく終えるヴァイスブルクの路地裏で、誰も彼らのやり取りを見聞きしたものはいなかった。
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