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前部
part.ユエンズ【後編】
しおりを挟む「結構降ってきたわね……」
「ん……そろそろ二匹目の、モンスター……」
「! あれね」
スライムだった。
道を降った先にある広まった場にいたのは全く動かないスライム。
茶色くて、ぷよぷよと揺れる程度で全く微動だにしない。
「スライム……。なんか、普通のよりも大きいわね」
「うん、でも……」
鑑定眼でモンスターを調べる。
【土属性】、【物理耐性】、【溶解能力】……。
手を差し出し、指先に魔力を集め、魔法陣を展開し、構成を整えていく。
『土属性』の弱点は『風属性』。
だが、ロックゴーレムよりも巨大で軟体のスライムにはただの風魔法だけではダメだ。
飛び散らせれば増殖する事もある。
だから——。
(魔力変化、付与『風属性』、真空、空間固定、切り抜き、ずらす、断絶一時固定、酸素増、爆発、ダメージ倍、魔法ダメージ増、魔法使用後の解除……)
魔法陣に詰める効果。
マナの量、凝縮具合、範囲、初級の魔法を中級の魔法のレベルまで『強化』する。
『魔法とは道具だ。その可能性は人と同じく無限に広がる』
オディプスが時折口にする言葉。
初級の魔法は、誰でも使えるものだ。
だが、では弱いのかと言われるとそうではない。
むしろ、効果範囲が広くなり、逆にこういう場所では使いづらいだろう。
「真空の箱にて流れて出ずる欲望を消失せよ、ヴァキューム・ウォール!」
カッ、と目を見開いたスライム。
しかし、気付いた時にはもう遅い。
すでに魔法は発動しており、スライムをギュオ、と吸収でもしたかのように消し飛ばした。
空中からころん、と魔石が地面に落ちる。
上手く強化出来たようだ。
「っ……!」
ユエンズが息を呑む。
その魔法は——その世界に存在しない魔法。
スライムが跡形もなく一瞬で消えた場所に落ちた魔石を、ミクルは回収する。
『観測所』の動力として使えるし、オディプスは「あまり魔力を無駄使いしたくない」と言って魔石の魔力を好んで使う。
魔石の魔力はすでに『属性』が付けられている事がほとんどなので、それ以外の属性の魔法として使うのなら一度分解しなければならない。
しかし、今のミクルには難しい事ではなかった。
なにしろ日々の生活の中でそれを繰り返している。
そうしないと、生活が出来ない場所で過ごしているのだから。
拾った魔石は空間倉庫にポイ、と入れてユエンズを振り返る。
「行こう」
「……ミ、ミクル、今のどうやったの……? い、今のも魔法……?」
「? 普通に……魔法で……」
「……魔法ってあんな事まで出来るの……? スライムが消えちゃうような……?」
「ん……初級魔法を、強化すれば……」
初級魔法の強化……主に使用魔力量と凝縮濃度の調整。
これもまた、日々生活の中で加減を覚えざるを得ない。
そう考えると、オディプスの用意した『観測所』は本当に『魔道士』の修行に向いている。
「…………」
「ミクル?」
「オディプスさんに、会えなかったら……おれ、死んでた」
「!」
「きっと、モンスターも、倒せない、弱いままの、おれ、だった……だからほんとに……感謝、してる……」
ユエンズの中のオディプスは『人攫い』のようだが、それはきっと違う。
あの人は、変態。
変態は変態だけど、魔法研究特化型の変態だ。
口下手なミクルにはその辺りを上手く説明出来る気がしない。
なので、ユエンズの手を取りさらに下へと進む。
次はガーゴイル——『魔女クリシドール』の作った、最後の門番。
「ミクル……すごく強くなったのね」
「?」
「だって、私じゃ倒せなかった。ううん……ワイズたちと一緒でもきっと無理だったわ。それを一人で倒しちゃうんだから……」
「……対処法を、知ってた、だけ」
いざ最後の門、最下層にたどり着くと、ユエンズにそんな事を言われた。
強くなった、とは違う。
自分は知識で補えた。
ただそれだけだ。
「…………私も強くならなくちゃ……」
「?」
「もっと強くならなくちゃ、みんなを守るって言ったもの。今より、もっと、もっと、いろんな事を学んで、みんなをサポート出来るようになって、自分自身も強くならなきゃね」
「……ユエンズ?」
「ミクルに負けてられないわ。だから、お願い、ミクル。……あいつは、私に倒させて」
弓を肩のベルトから外すユエンズ。
目の前には巨大な鉄の門。
その前にはこれまでにない広さの空間と、中央にダイヤ型の宙に浮いた石碑。
石碑の最上部には、翼を持つ悪魔の石像——ガーゴイル。
一定距離に近付けば、動き出して襲ってくるだろう。
「…………。分かった、魔法で、ユエンズの体と弓矢を強化、する。ユエンズは、合図するまで……矢を、撃たないで」
「わ、分かったわ」
ミクルもユエンズもいわゆる後衛だ。
前衛のワイズとリズがいない以上、ユエンズが倒したいというのなら手は一つ。
奇襲だ。
それも、一撃必殺。
弓に矢を添えて、引く。
それだけの状態で、ユエンズは自身の身体強化魔法を使う。
いつもならこの状態で戦うのだろうが、今回の相手はそれで倒せるモンスターではない。
「…………」
「……っ……」
頷き合う。
その上で、ミクルはユエンズの肩に触れる。
そして、目を閉じて脳に浮かべたのは複数の強化魔法。
(身体強化、武器強化、負担負荷軽減、重力負荷、重力負荷の身体への負担軽減、属性付与……『風』、貫通力アップ、粉砕付与、復活防止、身体回復効果付与、追撃効果付与……えっとあとは……)
思い付く限りの魔法を、ユエンズとユエンズの弓矢に付加していく。
しかし、やり過ぎれば彼女への負担となってしまう。
それを軽減する魔法も、同時に付与していった。
(ユエンズは……『風属性』と相性がいいから……『風属性』付与がとてもすんなり入る)
同じ後衛だからこそ、ユエンズの意思はミクルにも分かるものがあった。
それは『魔道士』という職業の『弱さ』
も関係あるだろう。
しかし、少なくともユエンズにはミクルにはない『強さ』が確かにある。
仲間を守り、無事に生かす。
そんな彼女の——意地。
「…………『全身強化』!」
「!」
「ユエンズ! 君の全身、強化した! 今の君ならさっきの、撃てる!」
「ミクル……、……うん、貫いてみせるわ。今の私なら……貴方にもらった力が、あふれてくる……きっと出来ると背中を押されてるみたい……。……やるわ」
とても、穏やかな微笑み。
ミクルもあまり見た事がない。
ユエンズはこんな風に笑えたのだ。
胸が、また不可思議な鼓動を齎す。
「ガーゴイル!」
『!』
「食らいなさい! 私と、ミクルがくれた力! 聖なる風よ、悪しきものを貫け! シルフ・ウィンド……アロー!」
詠唱、と思ったミクルが見たのは、全身に光を滾らせたユエンズの姿。
彼女自身の『身体強化魔法』だ。
この世界の本来の魔法の使い方。
「っ!」
轟音であった。
彼女の放った光の矢が、ガーゴイルが咄嗟に組んだ腕を貫いてみせた。
ミクルは目を閉じる間も惜しむ。
それ程に、光り輝く弓を持つ彼女は美しかった。
これ程強かっただろうか?
彼女はこんなに美しかっただろうか?
肩のケープがはためき、眼鏡越しに見据えたガーゴイルは貫かれたところからボロボロと砕けていく。
再生は出来ない。
それを阻止する魔法を付加した。
「…………」
ガーゴイルの断末魔。
門番が倒された時、鉄の扉がゆっくりと開く。
ユエンズは、どこかその光景を呆然と眺めていた。
「やった……? 倒せ、た? ……倒せた……の?」
「うん……倒せてる……」
「っ! やった! 倒せた! ありがとう! ミクル!」
「っ! い、いや……」
喜びの勢いのまま、抱き付かれた。
あれはほぼ彼女自身の力だ。
ミクルの補助強化など微々たるもの。
それでもユエンズは嬉しそうに笑って、はしゃいでいる。
顔が熱くなって、思わず片手で隠して顔を背けた。
「あ! あ、あぁおあっ、ご、ごめん! ち、ちが、違うのよ! あの、これは……!」
そんなミクルの様子にユエンズははっとして体を離す。
顔を赤くして手を左右に振りながらよく分からない否定の言葉をしどろもどろに繰り返し、距離を取る。
なんとも不可思議な空気。
「……あ、え、えっと、そ、それより……」
「あ、そ、そうね、扉が、開いたのよね。うん、す、進みましょう」
ユエンズが体の向きを変える。
そこにあるのは光を放つ扉の向こう側。
あの先に二つ目の『魔陣の鍵』がある。
「行こう」
「うん……」
矛盾は晴れない。
だが今は……ともかく『魔陣の鍵』を集めて『魔女クリシドール』の遺体を弔う。
ユエンズと頷き合い、ミクルは輝く門の中へと飛び込んだ。
そこにあったのは草原。
巨大なドーム状の場所は、草木で埋め尽くされ、その中央に台があった。
小箱が回転しながら浮かぶ。
近づいてみると、中にミクルの持つ『魔陣の鍵』と同じデザインの鍵があった。
「……これが勇者の声が言っていた鍵……」
ユエンズはどこか険しい顔で少し考え込む。
そして……。
「ミクルが持って行って」
「!? でも……」
「ミクルが持っていた方がいいわ。……ワイズたちの前では言えないけど、私、あの『勇者の声』ってなんとなく信用出来ないの。……胡散臭いっていうか……。もちろん、エリンの事を信じてないわけじゃないわ。エリンが聴こえるっていうのならきっと聴こえるんだろうなって思う。……でも、じゃあそれが『良いもの』なのかって聞かれたら……はっきりとそうはいえないでしょう? だから……何かあった時の為に、これはミクルが持っていて」
「ユエンズ……」
誰よりもみんなの事を考える。
ああ、さすがはユエンズだな、と思う。
しかし、それならばやはりオディプスの言う通り——。
「ユエンズ……なら、おれ……おれ、みんなとは一緒に、行かない……」
「!」
「オディプスさんと……残りの『魔陣の鍵』……集める。多分……だけど……『魔王』……魔女クリシドールは、勇者に、多分、酷い目に……遭わされてる、らしくて……」
「…………」
「……彼女の遺体が、『魔陣の鍵』を集めた先にある、らいし……おれ、彼女の遺体を……弔いたい……。それだけ……」
「そう……。分かったわ」
「ユエンズ……」
頷いてくれた。
それに、目を見開く。
「見て、あそこに階段がある。地上に戻れるかしら?」
「…………。うん、繋がってる」
「良かった。じゃあ、一旦ここで別れましょう。私はエリンの様子を見ながらワイズたちと『勇者の声』について調べる。あの子たちの事は私に任せなさい。鍵の方はミクルに任せるわね」
「ユエンズ……うん」
「じゃあ、その……ありがとう、色々。またね!」
手を振りながら行ってしまった。
彼女らしいとも思う。
掌を見つめる。
温かな感触が、まだ残っていた。
「…………」
その手を握り締め、顔を上げる。
そして小箱に手を伸ばした。
箱が開く。
二つ目の『魔陣の鍵』を手に入れた。
残りの『魔陣の鍵は』——後三つ。
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