上 下
99 / 127
狼と名もなき墓標

32

しおりを挟む
 木々を縫うように進むんだ先で、急に視界が開けた。周囲を森にまもられた、『狼』の隠れ里がそこにあった。
 エミールは自分の足で、里へと踏み込んだ。

我が君マイン・ヘル、エミール様、ようこそいらっしゃいました」

 気づけば目の前に、狼面をつけた白髪の老人が居た。『狼』の長だとクラウスが教えてくれる。
 エミールが頭を下げるより早く、老人が地面に膝をついた。

「此度の我らの失態を、深くお詫び申し上げます」
「やめよ。私のつがいはそのようなことは望んでいない」

 クラウスの厳しい声が飛んだ。エミールは慌てて割り込み、老人の肩に手を置いた。

「あの、オレ、お礼を言いに来たんです。名前がわからないんですが、スヴェンと一緒に、オレをまもってくれた『狼』のひとに……」

 老人の面の奥の瞳がじわりと細くなった。

「あなた様は、まだ『影』を手元に置かれますか。本来であれば、」
「スヴェンは! スヴェンはオレの侍従です。『狼』かもしれないけど、オレの侍従です」
「……然様にございますか」

 老人は幾度が頷き、
「『狼』は後程あなた様のところへ遣わせます」
 と言ってまた頭を下げた。
 エミールの手を、クラウスが引いた。

「長、魂寄りの木を見せてもらうぞ」
「どうぞご随意に」

 事前に連絡が行っていたのだろう。『狼』にとってだいじな場所だろうに、老人はあっさりと承諾してくれた。
 スヴェンが先に立ち、「こちらです」と案内してくれる。

 里からさらにすこし山を登った場所に、その木は立っていた。エミールの想像よりも背は低かった。低木で、枝葉が横に広がっている。そこに赤い実がびっしりとついていた。

「すごい……」
「エミール様」

 スヴェンに呼ばれ、彼の方を向くと、スヴェンがひと粒をもぎ取り、エミールの手に乗せた。

「取っていいの?」
「どうせもうすぐ収穫しますから」
「結構大きいんだね」

 実は、エミールが食べたものよりも二回りは大きかった。

「種を取り出して乾燥させるから、縮むんです」
「……きれいだね。赤い花が咲いてるみたいだ」
「魂寄りの木は、冬に咲く花も赤いんです」
「『狼』の、いのちの色なんだね」

 エミールがぽつりと漏らした感想に、スヴェンの目がすこし丸くなった。

「そんなふうに考えたことはありませんでしたが……そうですね。きっと、かつての『狼』たちのいのちの色ですね」

 エミールは木の幹にてのひらを当てた。クラウスが身を屈めてエミールの隣に並ぶ。窮屈そうな男の仕草に、エミールはふふっと笑った。

「スヴェン、埋めてもいいかな?」

 エミールが尋ねると、スヴェンが「はい」と頷いた。
 エミールはクラウスと視線を交わして、そっと膝をついた。

 クラウスが木の根元を両手で掘った。エミールはポケットのハンカチを取り出し、そこに包んでいた骨の欠片をひとつ、埋めた。名もなき墓標の下から持ってきた、子どもの骨のひとつだった。
 エミールのお腹の赤ちゃん。この子の魂もまた、『狼』たちと一緒にこの木に宿り、来年の春には赤い実をつけるだろう。

「来年は、一緒にこの実を食べよう」

 エミールの肩を抱いて、クラウスがささやいた。
 エミールはつがいの顔を見つめて、その唇にキスをした。
 どこからともなく飛んできた山鳥が、低木に留まった。可愛らしい声で囀った鳥は、赤い実をつつこうともしなかった。

「本当に誰もこの実を食べないんだ」
「ものすごく酸っぱいですからね」

 エミールの言葉に、スヴェンが淡々とした口調でそう返した。

「ラスは食べたことあるの?」
「ある。昔、兄上が生の実を私の口に放り込んだんだ」
「生って……」
「この世のものではないぐらい酸っぱかった。それ以来私はこの実を口にしていない」

 当時のことを思い出したかのように、クラウスが身震いをした。

「それなのに、来年一緒に食べようって?」
「おまえと食べるなら」
「ラスはバカだよね」
「む……」
「オレのこと、好きすぎるよね」
「無論だ。おまえは私のすべてだからな」

 当然のように言いきったクラウスに、エミールの胸は苦しくなった。        
 なにをどう言葉にしていいかわからない。
 でも、エミールにとってもこの男が自分のすべてだと思えた。

 持ってきた骨の欠片の代わりに赤い実をひとつ握りしめ、低木の陰から出たところで、それを待っていたかのように狼面の男が姿を表わした。

「傷は?」

 エミールは真っ先に男へそれを尋ねた。『狼』は驚いたようにすこしたじろいだ。

「あのとき、矢が当たったよね」
「かすり傷です。もうどこもなんともありません」
「本当?」
「傷の心配をするのはこちらの方です。エミール様、今回の件は、」
「謝らないで」

 エミールは『狼』の声を遮って首を横に振った。

「もう誰も、オレに謝らないで」

 謝罪の言葉は、もう充分すぎるほどに聞いてきた。これ以上はお互いに苦しくなるだけだ。  

「それよりもお礼を言わせて。あのとき、オレを背負ってくれてありがとう。オレを励ましてくれて、ありがとう」
「……エミール様」
「オレが里に着いたら、お面の下を見せてくれる約束だったよね。オレ、来たよ」

 『狼』がふはっと吹きだした。片手で面の上から目元を覆い、くつくつと肩を揺らして笑う。

「あなたは、本当に……」
 おもしろい、と声に出さずに呟いた『狼』が、エミールへと一礼をした。

「あなたがご所望なら、いつでも面は外します。ですがいまは、我が君マイン・ヘルに威嚇されていますので、また今度、我が君マイン・ヘルがご不在のときにでも」

 威嚇、と言われてエミールは咄嗟に背後のつがいを振り向いた。
 クラウスが眉間にしわを寄せ、両手を硬く握りしめてこちらを凝視していた。

「もう! なんでそんな怖い顔してるんですか!」
「む……これでもものすごく我慢している」

 クラウスの弁明に、『狼』が笑った。この『狼』はけっこう笑い上戸だとエミールは思った。
 亡霊なんかじゃない。彼らは人間だ。クラウスが彼らをそう扱ってきたから、たぶん、『狼』は徐々にひととしての道を歩んでいるのかもしれない。

 春の風が吹いた。
 赤い木の実が揺れている。
 名前のない『狼』と、エミールの赤ちゃん。彼らのいのちが、揺れている。

 エミールは来年のことに思いを馳せながら、しずかに目を閉じた。

 傍らにはクラウスの匂いがあった。
 水に似たかなしみの匂いは、空気に溶けて薄くなっていた。
     
 

   


しおりを挟む
感想 155

あなたにおすすめの小説

どうやら俺は悪役令息らしい🤔

osero
BL
俺は第2王子のことが好きで、嫉妬から編入生をいじめている悪役令息らしい。 でもぶっちゃけ俺、第2王子のこと知らないんだよなー

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

こじらせΩのふつうの婚活

深山恐竜
BL
宮間裕貴はΩとして生まれたが、Ωとしての生き方を受け入れられずにいた。 彼はヒートがないのをいいことに、ふつうのβと同じように大学へ行き、就職もした。 しかし、ある日ヒートがやってきてしまい、ふつうの生活がままならなくなってしまう。 裕貴は平穏な生活を取り戻すために婚活を始めるのだが、こじらせてる彼はなかなかうまくいかなくて…。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

処理中です...