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狼と名もなき墓標

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 調査をロンバードに任せ、マリウスはおのれの推察について父に意見を聞くため、ユリウスと別れた。
 しかし廊下を幾ばくも進まない内に、侍従に呼び止められた。聞けば、クラウスの屋敷へ行った遣いが戻ってきたという。
 足早にそちらへ向かうと、そこではすでに議長や高官たちが渋面でマリウスの従者を取り囲んでいた。
 マリウスが入室すると、彼らは一斉に頭を下げた。

「どうした」

 その問いに答えたのは手紙を届けた従者ではなく、議長だった。

「エミール様におかれましては、体調を理由に登城を拒まれたそうです」

 厭な言い方だな、とマリウスは思った。
 エミールに対する敵意が滲み出ている。

「俺は正確な報告を聞きたい。エミールがなんと言ったと?」

 わずかな苛立ちを低い声音に変えて、マリウスは従者に問いかけた。彼は「はっ」と一礼し、一拍を置いて口を開いた。

「私が殿下からお預かりした令状をお持ちしたとき、エミール様はお出かけになられていたようでした。屋敷にお戻りになってすぐにエミール様は私の前へ来られたようでした。そのとき、お体が濡れておりました。殿下からの召集については、すぐにでも馳せ参じたい所存と。しかし、雨に打たれ冷えた体を温めるいとまがほしい、と仰られました」

 エミールが外出していた? スヴェンの話では屋敷で待機しているとのことだったはずだ。
 クラウスの行方がわからなくなったという、あの偽の書簡を読んだエミールはどう思ったのか。おのれのアルファの安否が不明になったのだ。不安にならないはずがない。
 その彼が、独断で屋敷を出たのだとしたら……マリウスはエミールの行動に思いを馳せながら、従者の報告の続きを聞いた。

「エミール様は明日の昼の登城でも良いかと私にお尋ねになりました。の方は身重の体でいらっしゃいます。無理にすぐの登城を勧め、万一のことがあればと思うと私ひとりの判断で動くことはできませんでした。申し訳ございません」

 深く頭を下げた彼へと、マリウスはてのひらを向けた。

「良い。おまえの心配は当然のものだ」
「しかし王太子殿下! 殿下直々の令状を跳ねのけるなどなんたる無礼か!」

 貴族のひとりが声を荒げた。
 この男もロンバード曰くの『ゴリゴリの穏健派』だ。マリウスは内心でそう思った。

「この俺が良いと言ってるのだ。エミールの登城は明日の正午とする。良いな?」
「恐れながら殿下。私は反対にございます」

 否を唱えたのは議長だった。彼はふくよかな顔に深刻な色を浮かべ、しずかに首を横へと振る。

「殿下の命令に背くこと自体が、造反の意思ありと認めたようなものではないですか」
「乱暴な意見だな、議長。エミールは俺の命令に背いたわけではない。体調を鑑みて明日に登城すると言っただけだ。そうだな?」

 マリウスは従者へと確認した。彼はしっかりと頷き、
「はい。それでもなお、至急の登城の必要があるならばそのように、と仰せでした」
 と補足した。
 しかし議長や他の貴族たちも引かなかった。

「殿下からの使者を追い返し、時間を稼いでいるようにしか見えませんな」
「左様」
「エミールが時間を稼いでなんになる」
 マリウスが会話に割って入ると、その問いに議長らが顔を見合わせた。彼らは皆、緊迫した気配を漂わせている。幾人かの視線が議長へと流れた。彼らの無言の訴えを受け、議長が重々しく頷いた。

「マリウス殿下」

 改まって名を呼ばれ、マリウスは議長を見下ろした。真摯な目が、ひたとこちらに据えられていた。

「折り入ってお耳に入れたいお話が」
「なんだ」
「この先はぜひ、殿下と私のみで」
「わかった」

 マリウスは手をひと振りした。その場に居た全員が退室してゆく。マリウスの近衛がひとり残ろうとしたのを、
「おまえも外で待機だ」
 と促した。近衛が眉を顰めた。

「しかし」
「俺と議長でなんの危険があると言うんだ」

 唇の端で笑いながらそう告げると、近衛はもの言いたげな目を向けてきたが、すぐに一礼をして扉の外で控えた。
 あの男は先ほど、ユリウスがロンバードを伴ってマリウスの元を訪れたことを知っている。その直後から、ロンバードがひとりでどこかへ行ったことも。
 恐らく、マリウスがロンバードへなんらかの指示を与えたのだと悟ったのだろう。近衛を差し置いて、弟の護衛を使った。そのことについて釈然としない思いを抱えているのだ。だが、主にそれを問い質すことなどできない。彼は割り切れない気持ちのままで、扉の前に控えているに違いない。

 あっちもこっちも頭の痛いことだな、とマリウスは嘆息を漏らした。

 その場に残った議長が、神妙な面持ちでマリウスへと頭を下げた。

「殿下。すこしでもこの私に信を置いて下さっているのであれば、まずは私の話をお聞きください」
「無論だ」

 口調こそ控えめだったが、要は途中で口を挟まず最後まで黙って話を聞けと言われたようなものだった。
 さて、どんな話が聞けるのか。   
 マリウスは目を細め、議長の話に耳を傾けた。



 議長は最初から最後まで非常に丁寧に言葉を綴った。彼の口から出るどの言葉も、彼の心底からの思いが宿っていた。マリウスは議長の願い通り、最後まで彼の発言を遮ることはしなかった。
 熱弁をふるう彼の声に、ともすればマリウスも引っ張られそうになった。それほどに彼の言葉は強かった。

「……わかった」  

 長い長い話を聞き終えたマリウスの第一声はそれだった。他に相槌の打ちようがなかった。

「おまえの主張はよくわかった。だが……」

 さて、どう持っていくべきか。考えながら、口を開いた、その時だった。
 慌ただしいノックの音が響いた。

「恐れながら、殿下!」

 近衛の声だ。マリウスはすぐさま「入れ」と応じた。
 開いた扉から飛び込んできたのは、近衛ではなかった。黒装束に、狼面の出で立ちをした闖入者を見て、議長がぎょっとしたようにひと言叫んだ。

「狼!」

 マリウスは議長を横目でチラと見た。
 いまの「狼」は、面を見ての発言か、それとも……。

「議長、外してくれ」
「しかし殿下」
「外せ!」

 マリウスが短く命じた。王太子の命令を受け、議長が幾度も振り返りながら部屋を出て行った。

「火急の要件になりますれば、」
「余計な挨拶はいい。どうした」
「クラウス様がご不在のため、やむなく御目通り」
「いいと言ってる。本題を言え」

 苛立たしく急かすと、『狼』が小声で耳打ちをしてきた。

「『狼』の山に何者かが立ち入りましてございます」
「なんだと?」

 王城の裏に位置する山は、平常、ひとの立ち入る場所ではない。
 王家の直轄地となっており、表向きは手つかずの自然が広がっているだけである。
 なにもない場所に立ち入る者など居ない。そこが

「エミールじゃないのか? スヴェンと名乗る『狼』が一緒に行ったはずだ」
「エミール様ではございません。我々が里の者とよそ者を見間違うはずがない。そもそも

 そうだ。エミールが使うのはクラウスの屋敷の地下から伸びている隠し通路だ。
 この王城にも『狼』の森へと繋がる地下通路がある。どちらの道も、扉が開けば『狼』の里へと報せが行く仕掛けになっている。

「エミールに、もう追手がかかっているのか……まずいな」

 マリウスは口元に手を置き、思考を必死に回転させた。
 エミールの安全を確保するには、一刻も早く兵を引かせる必要がある。しかし誰のどの私兵が動いたのか。まだマリウスに情報が集まりきっていない。

「エミールはどうなっている」
「現在、里の者が目下捜索中です。エミール様には『狼』がついています。そう簡単には見つからないでしょう」
「ふむ……時間を稼げるか?」
「敵勢を殺めて良ければ」
「それはいかん」

 マリウスは咄嗟にそう言った。

 『狼』は敵と評したが、彼の言う敵は敵ではない。
 『狼』も敵も、サーリーク王国の…………。

「なるべく被害は出さず、時間を稼いでくれ」
「…………」
「クラウス不在の際は俺の指示に従う。そういう決まりで動いているのではないのか?」
「承知」

 『狼』が了承のしるしに恭順の礼を取った。
 そして素早い動きで踵を返し、部屋を走り去って行った。姿隠しの術こそ使っていなかったが、あの速さと物音のしない物腰である。王城の何人が『狼』に気づいただろうか。

 マリウスは金髪をぐしゃぐしゃにかき回し、天井を仰いだ。
 子どものように癇癪を起して地団駄を踏みたい気分だった。しかしマリウスはこの国の王太子であり、次期国王だ。そんなことをしている暇があるならば、解決策を見つけなければならない。

「くそっ!」

 小さく吐き捨てて、マリウスは窓際へと歩み寄った。
 室内外の気温の差で、窓ガラスは曇っていた。押し開くと、夜の冷えた空気が入り込んでくる。

 空を見上げたが星ひとつ月ひとつ見えない。雲が厚いのだ。

 また雨が降るな。

 闇夜に白い息を残して、マリウスは乱暴に窓を閉じた。   





  
 
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