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狼と名もなき墓標

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 二人分の靴音が壁に反響して響いている。
 スヴェンは度々、しんどくはないかとエミールの体調を気にしてくれた。
 正直に言うと、倦怠感が強かった。でもいまは無理をしてでも歩かなければならない場面だと、エミールにもわかっていた。

 途中で幾度か休憩を挟み、水分を摂ったり飴やチョコレートなどの甘味を食べたりした。
 真っ暗なので、時間の感覚が曖昧だ。何時間歩いたのか、それともまだ数十分しか経過していないのか、よくわからなくなった。

 すごいのはスヴェンだ。エミールと体格は同じぐらいなのに、荷物を背負ってなお疲れた様子もなかった。
 落ち着き払った彼が隣に居てくれることで、エミールの気持ちも徐々に落ち着いてきた。

「そういえば、狼のひとはどこに行ったんだろ」
「『狼』は先行してます」
「えっ?」
「先にこの通路へ入って行きました」
「……全然気づかなかった……」

 いったいいつの間に。
 エミールは暗闇の奥に目を凝らしたが、男の気配はまったく残っていなかった。

隠行フェアシュテッケン、と我々は呼んでます」
隠行フェアシュテッケン?」
「姿隠しの術のことです」

 エミールの気晴らしをしてくれているのか、スヴェンはそんなことを教えてくれた。

「姿隠し! えっ、すごい! なんで見えなくなるの?」
「我々一族だけの秘術なので、詳細は教えられませんが……そうですね、簡単に言うと、波動パルスを合わせるんです」

 全然簡単ではない。エミールが首を傾げると、説明が難しいのかスヴェンも困ったように首を捻った。

「物には、それぞれの波動があるんです。木や、石や、川や、風。その波動に呼吸を合わせて動くと、目での認知が難しくなる」
「へぇ~。わかったような、わからないような。オレも訓練すればできるようになる?」

 エミールの質問に、スヴェンが珍しく声を上げて笑った。

「あははっ! あなたは面白いですね。護身術の次は隠行ですか。そんなことを言う王族は居ませんよ」
「でもオレは平民だし」
「あなたはクラウス様のつがい様です」
「ラスのつがいになったからって、オレの過去が変わるわけじゃないだろ」

 エミールが言い返すと、スヴェンが軽く肩を竦めた。

「残念ながら、これは教えられませんよ」
「むぅ……。ファルケンはできるの?」
「『鷹』もできません。ですが、あの男は天性の勘に優れている。だからそれなりのものは会得してますね」

 誰も教えてないのに、ファルケンは見よう見まねで、隠行まがいのことはできるようになっているとのことだった。彼がアルファだからだろうか。エミールもアルファであれば、もっと強くなれただろうか。

「スヴェンは? 我々一族ってことは、スヴェンもできるってこと?」
「はい」
「スヴェンの一族ってなに? 狼のひとは、亡霊だと思って言ってたけど」
「まさしく」

 そのひと言を返して、スヴェンがランタンを掲げた。

「エミール様。ここからは足元が悪くなります。転ばないように気をつけて」

 注意を促され、地面を照らしてみれば、彼の言葉を証明するようにごつごつとした地面に変わっていた。ここからは舗装のない地下通路になるようだ。
 スヴェンの腕を掴んだまま、エミールは慎重に足を運んだ。

「これから行くのが、我々一族の里です」
「里……狼」
「はい」
「もしかして、昔クラウス様が迷子になったっていう」
「そうです」

 やっぱり、とエミールは目を瞠った。
 狼の面を見たときから思っていたのだ。
 幼いクラウスとマリウスが、王城の隠し通路を抜けて森に迷い込み、狼に保護されたというあの話。

「あれは狼じゃなくて、狼面をつけた人間に保護されたってこと?」
「はい。ただ、クラウス様が狼の背に乗ってたという衛兵の証言は、事実です。当時の里には、一頭の狼が居ましたから」
「へぇ……」
「山で怪我をした狼の仔を、里で保護したんです。それがそのまま居ついてしまったらしく、まるで犬のように人間に懐いていたようですよ」
「いいなぁ。オレも見たかった」
「狼が好きなんですか?」
「うん。格好いいし」

 エミールが頷くと、スヴェンが眉を上げた。なにか言いたそうな顔つきだ。なんだろう。

「クラウス様も、凛々しくていらっしゃいますもんね」

 スヴェンがなぜか急にクラウスの名前を出した。そこでエミールはハタと気づく。
 そうだ、クラウスも狼を彷彿させる顔つきをしている。鋭くて、凛々しくて、うつくしいあの顔つきが。

「ち、違うっ! べつにラスのことを格好いいって言ったわけじゃなくて、狼の話だからっ!」
「そうですね」

 スヴェンがしれっとした相槌を寄越した。
 エミールはもごもごと口ごもった後、話題を狼から里の話に戻した。

「それで、なんで亡霊なわけ?」

 スヴェンや、狼面の男。里、というからには他にもそこで暮らす者たちが居るのだろう。なぜ自分たちを亡霊と称しているのか。
 エミールの疑問を受け、スヴェンがしずかに語り始めた。

「昔むかしの話です」

 ときは二百年近くを遡る。サーリーク王国が武力によって国土を広げていた時代の話だ。
 当時は大陸中が、戦乱の世であった。小国は大国に吸収され、地図から消えた国も多かった。
 淘汰されたのは国だけではなかった。

「我々『狼』の一族は、亡国の先住民族でした」

 元々は彼ら部族が住んでいたところに、他所からの移民が流れつき、国を築いた。やがてその国はサーリーク王国と敵対をすることとなる。

「サーリークの騎士団は、当時から抜きんでた武力を誇っていたと言われています。強き大国サーリーク。まともにやりあって勝てる相手ではなかった。そこで亡国は我々一族に助力を仰いできたのです」

 『狼』の一族は独自の体術を使う。隠行フェアシュテッケンもそのひとつだ。
 一族以外の者には扱うことのできないそれは、強大な戦力と成り得た。

 当時の里長は、亡国からの独立と今後一切の不干渉を条件に、サーリークとの戦に参加した。『狼』たちは目覚ましい活躍を遂げたが、しかし肝心の亡国の傭兵たちの武力は、サーリークに遠く及ばなかった。
 結局、個の力を数が上回り、サーリーク王国の完勝で戦の幕は下りた。

 亡国はサーリークの領土に加えられ、傭兵を指揮していた将らは皆捕えられた。
 『狼』の一族は、生かしておいては後々の脅威となるとして、殲滅すべしという声が議会では多く上がった。
 ときの国王はそれを受け、『狼狩り』を騎士団に命じた。

「戦争の直後で、一族は皆疲弊していました。そして成すすべもなく捕縛されてしまったのです」

 『狼』たちは死を覚悟した。ただ、里の女子どもだけはたすけてほしいと助命嘆願をした。
 国王の命令を受けていた騎士団長は、それはならんと言って、実に五日間をかけて一族もろとも里を焼き払った。

「里は焼け野原になったと聞きます。五日もの間絶やすことなく火を燃やし続けたので、、と」

 エミールは思わずスヴェンへと顔を向けた。侍従は平静な表情のまま、唇の端だけをすこし引き上げた。

「そうです。国王と騎士団長は一芝居打ったのです。対外的に我々一族は滅ぼされた。しかし当時の国王は秘密裏に一族をサーリーク王国へと匿い、王城の近くに居を与えた」
「それが……いまから向かう、里?」
「はい。幼いクラウス様が迷い込んだ、王城の裏手に位置する山に、一族の里があります」

 亡国の先住民であった『狼』たちに、国王は敬意を払い、直々に謝罪をしたという。
 そして、王は言った。
 我が国は今から平和な世を築いていく。それを山の高みそこから見届けてほしい、と。

「王は敢えて、城を見下ろす位置に我々の里を再興させたのです」

 国を奪われた、という恨みはないのだろうか。エミールの内心の疑問を感じ取ったのか、スヴェンが言葉を続ける。

「我々の居場所は、亡国にすでに奪われていました。恨むとすれば亡国の方ですね。サーリークに対しては恩しかない。我々に新たな里を与えてくれたのですから」

 以降一族はその存在を隠したまま、里での暮らしを続けてきた。

 戦争から遠ざかった形であったが、『狼』に伝わる体術は廃れることはなかった。国王が『狼』に助力を乞うことはついぞなかったが、『狼』たちはミュラー家やサーリーク王国が危機に見舞われるたびに里を下り、その能力を惜しみなく提供した。
 彼ら一族の働きは、その献身さや恩を忘れない一途さがさながら軍神フォルスをまもった狼のようであるとして、いつしかミュラー家では『狼』の通称として語り継がれるようになった。

「じゃあ、人狼ライカンスロープっていうのは……」
「我々のことです。二代前の国王がそう呼びだしたと聞いています」

 なるほど、とエミールは吐息した。ライカンスロープと名乗るべき者は自分以外に居る、とクラウスが言っていた意味がようやくわかった。





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